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『スラヴの真空』

沼野充義著 『スラヴの真空』





多くが80年代後半から90年代前半に書かれたものをまとめたもので、『永遠の一駅手前』の「続編」的なものである。ロシア、東欧文学に関心のある人は当時の状況を思い浮かべつつ面白く読めるだろうが、また『永遠の一駅手前』と同様に、現在に連なる問題がすでに見えていることにも注目できる。

「奇々怪々、ティミンスキ現象」は90年に行われたポーランド大統領選挙について書かれている。

選挙戦は当初はワレサとマゾヴィエツキとの一騎打ちになるという予想であった。二人は共に連帯の幹部であったが、袂を分かち対決することになった。

「ワレサは労働者の代表であるだけでなく、血気盛んなポーランド・ロマン主義的心性の代弁者でもある。近代ポーランドの歴史は、未来の見通しもないのに蜂起に走っては壮絶な敗北を喫するという悲劇を繰り返してきたが、その背後には常に、このようなポーランド気質があった。ワレサの言葉は一般大衆には理解しやすく、圧倒的な扇動力を持っている。しかし、彼の主張の多くは実は自己撞着に満ち、支離滅裂で、インテリには理解しがたい。つまり理性よりも心情に訴えかける、非合理主義的なスタイルなのである」。

マゾヴィエツキは「知識人の合理主義的知のあり方を代表している」人物だ。インテリの多くが、現在のポーランドの混乱は首相であるマゾヴィエツキの責任ではなく、彼は苦しい状況の中よくやっていると評価している。しかし「大多数の本音」は、「これ以上理詰めで説教されるのはもう沢山だ、今すぐに生活をよくして欲しい」というものだ。

また「今回の選挙戦ではポーランド社会に根強く存在している反ユダヤ主義が浮上し、マゾヴィエツキもユダヤ人だという噂を流されて対応に苦慮したが、これは大衆の中にある反インテリ意識の一表現とも考えられる。ワレサを支持する陣営からは、「マゾヴィエツキなんか、仲間のユダ公といっしょにイスラエルに行っちまえ」という声も聞かれたほど」だったという。

ワレサが勝つことは目に見えているが、状況を複雑にしたのは「第三の男、ティミンスキ」の登場であった。「彼の立場は要するに「ワレサもマゾヴィエツキもくたばれ」の一言に尽きる。そして、これが現状に深く失望している国民の票を集めたのだった」。

第一回の投票でこのティミンスキはなんとマゾヴィエツキを抑え第二位にすべりこみ決選投票に進んだ。三位に甘んじたマゾヴィエツキはただちに首相を辞任する意向を示し、決選投票ではワレサ支持を表明して、「ワレサのやり方に賛同するわけではない」と留保をつけつつも、「ワレサのほうが害がまだ少ない」と訴えた。決選投票ではワレサが圧勝したとはいえ、ティミンスキは四分の一以上の票を集めたのだった。

このティミンスキは「ポーランドは核武装すべきだ」などと主張するが、「肝心の具体的な政策になると何も明らかにせず、ただ「一か月で事態を改善してみせる」などと雲をつかむようなことを言うばかり」であった。
ティミンスキはその正体もよくわからず、六九年にポーランドを出国してカナダやペルーで事業に成功して大富豪になったらしいが、「精神鑑定の結果兵役免除になった「精神障害者」らしい」だとか「旧共産党の秘密警察とつながりを持っている」などと様々な噂が飛び交った。

ワレサはティミンスキは「精神科医に診てもらったほうがいい」と切り捨てたが、ベルギーの記者は「それよりもまず治療を必要としているのはポーランド社会だ」と書いたそうである。ポーランドの中からも「このような人物が多くの票を集めたのは国民が愚かだからだ」という声もあがったという。

自らがたたき上げであることを強調しエスタブリッシュメント政治家を口汚く罵りナショナリスティックな現実離れした強硬論をぶちあげるというのは、ティミンスキは典型的な右翼ポピュリストといった感じである。滑稽に映ると同時にいつどの国でもこのような人物に政治がハイジャックされる危険性は今になってより一層ぞっとさせられるところでもあるが、現在のポーランドの右傾化を考えるうえでも、ワレサ陣営の反ユダヤ主義といい、注目に値する現象であったのかもしれない。


「「かわいそうな小国」なんていらない」は86年に東京で開催された第一回ハンガリー映画祭について書かれたものであるが、そこにこうある。

「「もう簡単にソ連なんかにやられはしない」。ポーランドとかハンガリーの〝したたかさ〟の根源はおそらく、強烈な民族主義的な意識だろうが、この民族主義というものが実は曲者である。小国の民族主義は美しく見えるのが普通だが、果たして大国の醜悪な民族主義との間にはっきりとした線を引くことができるのかどうか。「ハンガリーだろうと、スラヴだろうと、何であろうと、民族主義にはどのようなタイプであれ、自分だけが正しいと考えるような国に通ずる」とは、動乱の際、西側に亡命したハンガリーの学者ルイス・ゴゴラークの言葉だが、ハンガリーにおけるファシズムと民族主義の結びつきを滑稽な調子のうちに描き出した『ハンニバル教授』(ファーブリ・ゾルタン監督、一九五六)のような映画を見ると、その言葉の正しさがよくわかる」。


ハンガリーもまた、ポーランドと並んで激しく右傾化している。30年前は「もう簡単にソ連なんかにやられはしない」というものだったのだろうが、現在では「「もう簡単にEUなんかにやられはしない」といったところか。ポーランドやハンガリーの知識層が、そしてEUがこのような右傾化を批判すればするほど、民族主義を煽る右翼政権はそれをかえって栄養素として肥えていってしまうというサイクルに一度はまり込むと、最早この流れを押しとどめるのは容易ではない。

アウシュヴィッツがあったのはポーランドであり、ハンガリー人のネメシュ・ラースローが『サウルの息子』を監督したように、ハンガリーも多くのユダヤ人を絶滅収容所に送った過去を持つ。ポーランドもハンガリーも政府が率先してこのような歴史を無きものにしようとしている。

歴史修正主義の跋扈、「法と正義」なる政党名を持つ政権与党が裁判所を骨抜きにするなど法の支配を破壊し、レイシズムとゼノフォビアを煽り、言論の自由が抑圧されているというのがポーランドやハンガリーの現状であるのだが、日本から見るととても他人事とは思えない。本書にあるようにこのような動きは無から短期間で突如として沸き上がったのではなく、長い年月をかけて社会を浸食していったのであろうし、「そんなバカなことなど起こるはずがない」と右傾化の流れを軽く見ることがどれほど恐ろしく取返しのつかない事態を招きかねないのかを、改めて肝に銘じたい。


『フリッツ・バウアー  アイヒマンを追いつめた検事長』

ローネン・シュタインケ著 『フリッツ・バウアー  アイヒマンを追いつめた検事長』





こちらに書いたように近年ドイツ映画ではフリッツ・バウアーを登場させた作品が目立っているが、この「ドイツ人をアウシュヴィッツに向き合わせた男」の知名度は日本では高くはないので、この伝記は貴重なものである。そしてまた、本書は日本ではあまり語られない戦後ドイツの複雑な姿を描くものでもあり、その点からも注目できる。

一九八三年生まれの著者が大学に進み、フリッツ・バウアーという名前を初めて知り、刑法を担当する講師に尋ねると、彼はこの人物のことを知らないと答えたのであった。

「フリッツ・バウアーが一九六八年に突然この世を去ったとき、ドイツ司法と社会の保守層にいる多くの人々は、安堵にも似た感情を覚えたのかもしれない。そうでなくても、彼らはバウアーの仕事を彼が行ってきたのと同じ意味において継続するつもりはなかった。フリッツ・バウアーのことを記憶に刻もうと心を動かされた人は、ほんのわずかしかいなかったのである」。

ナチス時代を真摯に反省している(西)ドイツとそうではない日本という対比から単純化してドイツを理想化して描く人がいるが、実際には一九五〇年代までの西ドイツの「第三帝国」への評価は日本における「大日本帝国」へのそれと大差のないものであった。五〇年代後半から六〇年代にかけてその流れが変わりはじめ、それに大きく貢献したのがバウアーであった。しかしドイツにおける変化はたゆむことなく進んでいったのかといえばそうとはいえず、バウアーはその人は死して忘却されることとなったのであった。

本書は高い評価を受け、その影響もあってか二〇一三年頃から映画界ではバウアーを描いた作品が次々と作られていく。

「『沈黙の迷宮』では、俳優のゲアト・フォスがバウアーを演じ、賞を受賞した。『国家と対決するフリッツ・バウアー』では、盟友ブルクハルト・クラウスナーがバウアーを演じ、その映画は数多くの賞を受賞し、ドイツ国民に訴えかけた。さらに『検事長の記録』では、大物俳優のウーリッヒ・ネーテンがフリッツ・バウアーの役を演じた――バウアーを最もうまく演技できるのは誰か――ドイツの各世代の実力派の俳優が競い合ったかのようであった」。

訳者は何か思うところあってのことなのか邦題を記してくれていないが、『沈黙の迷宮』は『顔のないヒトラーたち』、『国家と対決するフリッツ・バウアー』は『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』、『検事長の記録』は『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』という邦題になっている。

著者は二〇一四年には連邦司法省に招かれ、「ドイツ最高レベルの裁判官、検察官、司法省幹部」を前に講演を行った。これは「新しく就任した司法大臣の法曹に向けたこのようなメッセージであった――フリッツ・バウアーを模範にせよ」。

連邦憲法裁判所長官のアンドレアス・フォクスクーレンは本書に序文を寄せたが、これもまた法曹界に向けたメッセージであった。これまで「ドイツ法曹の職能団体は、フリッツ・バウアーを記憶することを嘲笑ってきたが、これによって自らの胸の内に象徴的にフリッツ・バウアーを迎え入れることになった」。

「間もなくして、ドイツではフリッツ・バウアーの名を冠した最初の学校ができた。さらに、その名を冠した通り、広場、法廷もできた。この国は、厄介者扱いされていた男の記憶を再び甦えらせた。時代は、それを求めた。若者は、戦後ドイツを揺り動かしたフリッツ・バウアーに注目し始めた。彼は勇気を示した。残念ながら多くの法律家にはなかった勇気を、自己の良心に従う勇気を示した。彼が模範たりうる理由は、ただそれだけである」。

著者は日本語版への序文をこう締めくくっている。
「フリッツ・バウアーからのメッセージ――従順でいられる権利など誰にもない。法律や軍の命令が犯罪的な内容である場合、それに背くことが個々人の義務である。簡潔に言えば、フリッツ・バウアーがナチ犯罪の解明のために起こした裁判は、我々の責務を本質的に問いただしたのである。さらにこのメッセージは、ドイツにだけ当てはまるものではない。それは普遍的な問いかけである。/私は、二〇〇五年、法学部性として素晴らしい一学期を日本で過ごした。本書が日本においても読まれることを願ってやまない」。


邦訳サブタイトルにあるように、バウアーといえばアイヒヒマンを「追いつめた」人物として一番よく知られているだろう。ご存知の通りアイヒマンを逮捕(というか拉致)をしたのはイスラエルの諜報機関モサドであり、裁判はイスラエルで行われた。

大日本帝国の官僚や裁判官などの多くが戦後もそのまま職にとどまったように、冷戦勃発の影響もあって西ドイツもまたかつてナチ党員の官僚たちが続々と復権していった。最も悪名高いのが戦後にアデナウアーの右腕となったグロプケであるように、末端のみならず、国家の中枢にまで入り込んでいた。司法、警察、外交、こういったあたりはとりわけナチスの残党やそのシンパの影響力が強く残っていた。バウアーはできることならアイヒマンをこの手で捕まえたかったのであろうが、元ナチの大物の捜査、逮捕にはあからさまな妨害が内部から行われるためそれは叶わなかった。バウアーは危険をおかしてまで、違法にモサドに情報を流してアイヒマンを逮捕させた(もっともこれも一筋縄ではいかない話で、イスラエルはもっぱら現在の脅威に備えることに傾注しており、過去の大物にはあまり関心を払っていなかった。ましてや主権侵害までして外国で「逮捕」をし、イスラエルで裁判を行えば国際的な反発を呼ぶのではないかと、これに消極的ですらあった)。

ヘッセン州検事長という地位にありながら、バウアーは「違法」にも情報を外国に流した。これこそが象徴的で、バウアーが戦後に対決することになったのは、「当時は違法ではなかった」、「法に従っただけだ」という法実証主義であった。

「悪法でも法は法」という考えに立てば、ナチス時代の蛮行の多くを法的に裁くことはできない。といってバウアーは手段を選ばずに私刑を加えようとしたのではない。彼はあくまで法律家である。バウアーはどのようなロジックをとったのだろうか。

「ナチ体制に対するレジスタンスの道徳的正しさをドイツ人に納得してもらうため」、ある裁判ではこのような戦略をとった。
「私は問題を単純化したいと思います」、バウアーは最終弁論でこう切り出した。彼の最初の議論は「人間を軽視する法律に服従しなくても、それはキリスト教の教えに沿うというものであった」。第二の議論が、「不服従こそが愛国主義的であったというものである」。そして第三の議論が、「専制君主に屈しないことは本来的にドイツ的であるというものであった」。

バウアーは法廷でこう述べた。
「ドイツ法の思考過程は、我が国の神学者が神学の状況に関して述べている事柄と一致しています。抵抗権は、マグナ・カルタを通じて身分制国家へと至るまでの間に発展してきました。マグナ・カルタにおいては、人民の抵抗権は二五名の男爵のところに集約され、彼らに独占されていました。彼らは、身分制国家の、立憲君主の、そして議会制民主主義の先駆者でした。人民と個人の権利は、身分や議会によって守られていたので、抵抗権が行使されることはありませんでした。法治国家において人権が保障されている限り、抵抗権の行使はありえません。反対意見を表明することができ、議会においてしれうぃ立法化する機会がある限りそうです。独立した裁判所が運営され、権力の分立が成立している限り、抵抗権は行使されません。しかし、この条件の一つでも欠ければ、抵抗権は再び目を覚まし、生々しい現実として現れます」。

そしてバウアーはシラーの『ウィリアム・テル』からの引用で締めくくったのである。

感動的……のような気もしてしまうが、しかし冷静になると、キリスト教やドイツ的伝統を持ち出されると鼻白んでしまう。バウアーがあえてこのような戦略を取ったのにはもちろん理由がある。彼の捜査を妨害したのは官僚だけではない。「普通」のドイツ人からの反発も強かったのである。バウアーのもとには「兵士の名誉を汚すつもりなのか」といった手紙をはじめ、山のような脅迫状が殺到していた。

バウアーは一九六八年に浴室で死亡しているのが発見されることになる。六十五歳になる直前だった。自殺説や他殺説まであったが、どうやら処方以上の睡眠薬をアルコールで流し込んだことが原因だったようだ。夜になるとひっきりなしに電話が鳴り、それは「くたばりやがれユダヤの豚野郎が」という罵りや無言電話であった。そのせいもあってバウアーは睡眠薬なしには眠れない身体になっていた。バウアーは直接に殺されたわけではない。しかし彼に向けられた敵意によってその身体は蝕まれていったのであった。

バウアーは、元ナチスの訴追を目指すことがユダヤ人による復讐と見られるのを恐れていただろう。そしてなお多くのドイツ人がナチスの暴虐と向き合えない中、保守的な人々を説得するには「伝統」に訴えることこそが有効であるという計算があっただろう。

こういった理由があるものの、彼の取った論理や戦術は、立場を同じくする人たちからもいぶかしがられたり、反対を公然と唱えられたこともあった。バウアーが難しい立場にあったことは確かだ。同時にこれはある程度は、バウアー個人のパーソナリティにも由来していたのかもしれない。


近年バウアーが映画の題材にされることが多いのは、負の面を含めた戦後(西)ドイツの歩みを今こそ改めて直視しようという機運が高まったのが最大の理由であろうが、またバウアーという人物自体が、俳優がぜひともチャレンジしてみたいと思わせるような複雑なパーソナリティを持っているためだろう。

バウアーは完全に世俗化したユダヤ人だと見られることが多かったが、兄と同じようにユダヤ教の教育を受けた妹は、必ずしもそうではないとする。バウアーはデンマークからスウェーデンに逃亡した際にはその理由に「ユダヤ人迫害」と記録したが、四十九年以降は、それが人権上のことか宗教上のことかについて問われると「政治的に迫害された」と「あいまいに答えるだけであった」。バウアーは亡命から帰国すると、「無宗教」とし、「沈黙」という振る舞いを選んだ。「私はドイツ人であると同時にユダヤ人でもあり、また無国籍でもあるのさ」と語ったバウアーの心理とその立場はなんとも微妙なものであった。

バウアーは左翼であることを鮮明にした裁判官となるが、ナチスが政権を奪取すると彼のような人物が受け入れられるはずもなかった。バウアーは強制収容所に送られるが、日本風にいうなら「転向」に応じ、幸運にも恵まれ解放されることになる。バウアーは強制収容所での体験を語ることはなかったが、これは個人的復讐とみなされることを恐れたためでもあるだろうが、またこの苦い体験も影響しているのかもしれない。


バウアーが亡命した当時のデンマークは同性愛行為は違法ではなかったが買春は違法であった。バウアーは男性と一夜をともにしたとして警察にののしられる。以降デンマーク警察は巨額の費用を投じてまでバウアーにつきまとうことになった。現在ではバウアーはゲイであったと考えている人が多いだろうが、亡命する三十六年以前にバウアーが同性愛者と接触を持っていたということはまったく知られていないそうだ。そしてデンマーク警察による執拗なマークにも関わらず、やはりここでも同性愛者と「関係」を持ったことは確認されていない。

デンマーク亡命最後の日にデンマーク人の女性と書類上の結婚をしているが、「バウアーは、この偽装結婚を一九四五年以降に解消するという申し出を拒否した。彼は、既婚者としての立場を維持したかったのである」。この「夫婦」の友情は続き、「妻」が訪ねてくることもあったが、これは秘密裡に行われた。フランクフルトの友人たちがバウアーの「妻」のアンナ・マリア・ペーターセンの顔を初めて見たのは、彼の葬儀の場でのことだった。

バウアーは自らのセクシャリティを隠そうとしていたのだろうか。ナチスは同性愛者を迫害したが、これは戦後の西ドイツにも引き継がれた。バウアーは断固たる姿勢で同性愛者への迫害と戦った。もし彼が自分がゲイであることを悟られたくないと考えていたなら、このような「疑い」を招きかねない行動は控えたかもしれないし、「妻」の存在をむしろ大いにアピールしたことだろう。

バウアーは若い男性との交遊を好んだし、それによって様々な噂もたてられたが、同時に「恋愛関係においても生涯独身であったことは、その後ますます明らかにされている」という。

著者がバウアーがゲイであった確証はないと強調するのは少々ひっかかるところでもあるが(史実に厳密であろうとしているのか別の動機があってのことなのかは判断できない)、いずれにせよ、あまりに時代状況が違うので現在の視点から語ることにはあまり意味はないのかもしれない。このあたりもまたバウアーの複雑な人物像の一端である。


はっきりしているのは、彼が根っからの反権威主義であるということだ。
一九五八年ヘッセン州の刑務所を視察すると、「半分は政治家であり、また半分は自由奔放な人間である」この検事長は被収容者に向かって「我が同志!」と呼びかけた。五〇年代末に出版社や省庁の役人がヘッセン州の出版法の改正案の審議のために州首相をフォーラムに招くと、その席でバウアーは「もっと性を! 文学においても! 私はマルキ・ド・サドの禁止に反対である!」と叫んだ。あるジャーナリストは彼が何者だか知らず、「失礼ですがあなたはどちらの新聞社の方ですか?」と訊いたのであった。

厳罰化や応報的な刑罰にも筋金入りの反対論者だった。バウアーは「戦闘的な検察官」であったが、それは「かたくななまでの自由尊重の精神」に基づくものだった。「それが彼の人生の役割であった。依然として重苦しい時代に、彼は自分の国を少しは明るくした。彼は検察官として、そして刑法の改革者として、自分の国を後々まで変革した」のであった。


バウアーは亡命時代もホルクハイマーと手紙のやりとりをしており、フランクフルトでの彼の住まいの近所にはホルクハイマーとアドルノがいた。バウアーの葬儀の際にベートーベンの弦楽四重奏を選曲したのはアドルノだったそうだ。

六八年四月に行われた地方選挙では、バウアーが「アドルフ二世」と呼んだアドルフ・フォン・タッデンなどがいる右翼政党、ドイツ国家民主党が伸長していた。バウアーはタッデンと会った印象をある手紙にこう書いている。「薄気味悪く、奇妙でした。最も警戒すべきことは、少なくとも彼がただならにほど知的で、かつ血統主義政策を主張する政治家であったことです。彼が私に嘘をつかなかったならば、『私は政党の枠組みを維持することを望んでいます』とのことです。このことから、少なくとも彼自身がパンドラの箱が開くのを恐れていることを察することができるでしょう。しかし、奇跡的な経済復興が成し遂げられれなかったならば、この党は驚くほどの勢いで、二〇ないし三〇パーセントの票を獲得していたでしょう」。

このように西ドイツ社会の保守性が不気味な形をとりつつあった一方で学生運動は急進化しており、アドルノもその標的とされた。この心労がたたってのことか、バウアーの死の約一年後にアドルノも急死する。バウアーは「反抗的な若者が暴力行為を選択すること、社会に対して恐怖を分からせようと試みること」を「戦略上の重大な誤りであると評価」していた。「左翼はいつも理想社会の話をする」とこぼし、「下水道が求めるように都市が再建されたとしても、それが理想社会だとでもいうのですか?」とした。ナチス時代を身をもって体験したバウアーにとっては、「自分自身の実存不安を意識しているがゆえに、いっそう急進主義的になるのでしょう」と映った若者が求めるものを素直に評価することはできなかったのだろう。

バウアーは失望の中で死んでいったと考えることができる。その後任者は彼の路線を引き継がず、バウアー自身も死の後に忘れられていくことになる。しかしそれでも、バウアーの精神が完全に死に絶えたわけではなかった。ラディカルな左翼のように映ったバウアーだが、実存的不安から極左化して空論を弄ぶ若者に期待を抱くことはとてもできなかった。しかし、バウアーの意志を継承したのは、彼が懐疑的であった六八年世代でもあった。そして近年はさらに若い世代がバウアーという存在に注目し始めている。


安易に行うべきではないとはわかっていても、やはりつい日本の現状と比較してみたくなってしまう。現在各国で吹き荒れる極右化の波を担っているボリュームゾーンは中高年であるが、日本が独特なのは、若年層の保守化が著しいことだ。日本の若年層を覆っているのは権力に対する「従順」さであろう。理由の如何に関わらず「秩序」を乱す存在を何よりも嫌う。「権力」や「秩序」を静的にしか捉えられず、「権力」や「秩序」自体を倫理的に問い直す発想がない。その結果権力の横暴には鈍感であるが(「たとえその目的が正しかったとしても違法は違法」といったことを言う人が警察の違法捜査に憤っているのを見たことがない)、「権力」に立ち向かい「秩序」を乱すと映る存在には過剰なほどの拒否感を抱いてしまう。これはまさにバウアーが戦ったものだろう。バウアーのような存在が日本の若者の興味を引く存在となり得るのか、そんなことをやはりつい考えてしまう。


フリッツ・バウアー映画三本

『顔のないヒトラーたち』





1958年、画家のシモンは偶然に、かつての武装親衛隊員が学校の教師におさまっているのを発見する。記者のグルニカとともに警察に訴えるが相手にされない。「常に正しき行いを」という教えを受けていた若き検事ヨハン・ラドマンは、担当といえば交通違反ばかりだったが、この件に関心を抱き調査を開始する。シモンの訴えは事実だということが判明するが、殺人以外はすでに時効を迎えている、彼は人を殺したのかと、木で鼻をくくったような対応しかされない。ヨハンは調査を続行し、自分がナチスの蛮行についていかに無知であったのかを思い知らされる。彼はユダヤ人であるフリッツ・バウアーの援助を得てさらなる捜査を続けるが、あからさまな妨害にさらされ、さらにはある衝撃の事実と向き合わなくてはならなくなる。


(西)ドイツを理想化したうえで日本の戦後の在り方を批判するというのはしばしば行われてきた。しかし1950年代までの両国の戦後の政治・社会状況は酷似したものだったとしていいだろう。非人道的行為などもう過去のことであり、今さら傷口に塩を塗ってどうすると言わんばかりに過去から目をそむけているが、それは冷戦を背景にアメリカの支援を受けるかつての支配層の復権を正当化するためであり、社会の多数派もそれに同調している。

本作で印象深いのが、正義と善意の人であるヨハンがナチスの蛮行について具体的にはほとんど何も知らないことだ。シモンの腕に掘られた入れ墨の数字を見ても何のことだかわからないし、強制収容所からの生還者の証言を取るにしても、あまりに無知であるがゆえに頓珍漢な質問ばかりをしてしまい呆れられる。もちろんこれは戦後の西ドイツ社会が歴史と正面から向き合わずに、むしろ積極的な隠蔽を重ねた結果である。

ではドイツも日本も「どっちもどっち」であって、ドイツに見習えというのは的外れなことなのだろうか。そうではなく、1960年代に入るのと前後して西ドイツでは歴史を問い直す動きが広がりをみせ、本作のモチーフになった裁判をはじめ、道義的のみならず法的な責任の追及が積極的に行われるようになり、教育も充実していく。もちろん国家のやることであるからきれいごとで済ますことのできない、批判すべき点も多々あるとはいえ、現在の日本が50年代にとどまっているどころかむしろ後退したかのようであることを考えると、60年代以降のドイツの歩みから学ぶべきことは数多い。

バウアーは「メンゲレやアイヒマンは権力者に守られている 誰一人信しるな」と警告を与える。バウアーのもとには「お前もガス室送りだ」「売国奴こそ最低のクズ」といった脅迫が日常的に送り付けられていた。

「ドイツ国民に知らせるために我々は戦うんだ ヒトラーだけでなく 一般市民も罪を犯した それも自ら進んでな」とバウアーは言う。愛国者を気取る人間が卑劣な脅迫をもって何を隠そうとしているのかは言うまでもない。

「不運な歴史との線引きは必要」と幕引きを図る時の首相アデナウアーに対し、バウアーは「その逆だ 揉み消す方が民主主義に反する」と返すのである。





『検事フリッツ・バウアー』は邦題の通り、バウアーを中心に50年代後半から60年代前半を、アイヒマンの逮捕と裁判を中心に描いた作品である。





こちらは冷戦を利用して隠蔽を図る保守権力層との対決をより前景化している。またバウアーのセクシャリティについても描かれているが、これは当時の権威主義的雰囲気を強調するためでもあろう。ただ(悪い意味で)少々オリバー・ストーンの『JFK』めいてしまっており、かちゃかちゃとせわしない編集も併せて、正直にいうと映画としては個人的にはそれほど好みではなかった。

『顔のないヒトラーたち』にしろ『検事フリッツ・バウアー』にしろ虚構化された部分も少なくなく、これで歴史を勉強するつもりならいささか注意が必要で、これでわかったつもりにならずにやはり史実もきっちり押さえておかねばならないであろう。同時に、そこの部分をしっかり踏まえておけば、戦後から1960年前後までの西ドイツ社会の雰囲気の一端を味わうことができるし、何よりも権威主義、保守主義がはびこり元ナチスが大手を振るっていた西ドイツ社会がなぜ変化できたのか、日本でそれがおこらなかったのはなぜなのかという重要な問いを引き出すことができる作品でもあろう。

一方で、近年ドイツでこのような作品が作られるようになったというのは戦後しばらくの雰囲気をまったく知らないという人が増えているせいなのかもしれないし、さらにはとりわけ80年代あたりから影響を持ち始めたナチスの蛮行の相対化への抵抗という面もあるのかもしれないということも考えると、ドイツはドイツで大変なのだろうとも思う。もっとも歴史問題における日本社会の底の抜け方と比べると雲泥の差であるが。





『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』






『顔のないヒトラーたち』、『検事フリッツ・バウアー』に次いでやはりフリッツ・バウアーを描いた作品。史実を元にしているので当然ながら基本的展開は同じであるが、それぞれ置かれている力点が微妙に異なるので見比べてみるのもいいだろう。『検事フリッツ・バウアー』と比べると『アイヒマンを追え!』はストーリー、演出等も手堅い手法になっているので、まずはこちらから見てみたほうがいいかもしれない。

『検事フリッツ・バウアー』も『アイヒマンを追え!』も共にゲイであったバウアーのセクシャリティに焦点を当てているが(前者はより直接的に、後者は苦しむゲイの後輩を描くことで)、これは1950年代後半の西ドイツの保守的な空気を強調するためもあろう。この点では三作とも共通しており、単にナチスの蛮行を告発するばかりでなく、現在のドイツが、戦後西ドイツの事実・記憶の隠蔽とも向き合わなければならない時代に入っているということなのだろう。

被害者意識と自己正当化が支配的であったという点では50年代の西ドイツと日本に大差はなかった。その流れを変えた一人がバウアーであり、その彼がここにきて注目を高めているのは、記憶の継承であり、過去を「もう終わったことだ」として片づけてしまうことへの警鐘であろう。

冒頭で本物の映像が使われており、バウアーはこう語りかける。

「どの民族の歴史にも陽の部分と陰の部分がある/わたしは信じる/ドイツの若い世代なら可能なはずだ/過去の歴史と真実を知っても克服できる/しかし、それは/彼らの親の世代には難しいことなのだ」

日本の場合だと、これが子どもや孫の世代ですら「難しい」という有様となってしまっているわけで、日本と西ドイツはどこで道が別れたのか、それはなぜなのかについて、日本ではこの問題に真摯に向き合わねばならない。



『キャサリン・グラハム  我が人生』

『キャサリン・グラハム  我が人生』






映画『ペンタゴン・ペーパーズ』によってまた注目度の高まったキャサリン・グラハムの自伝。ゴーストライターなどの手を借りずに6年の歳月をかけて自ら書き上げ、アメリカで1997年に発売されるとベストセラーとなった。「二〇世紀を代表する自伝」との書評もあったそうだが、さすがにそこまでは言い過ぎにしても、20世紀のアメリカ、さらにはそれのみにとどまらずアメリカ合衆国という国家を考えるうえで、またアメリカと日本との比較という視点からも、示唆に富む自伝であることは間違いない。


キャサリンの父、ユージーン・マイヤーは成功したビジネスマンだった。彼はまた、使命感にかられ公職に就くことを望む人物でもあった。共和党員であったが、第一次世界大戦中にはウィルソン政権にかけあい、その後もさまざまな公的ポジションに付き、世界銀行の初代総裁も務めた。

アメリカ独特の制度であるリボルビングドアはもともとは絵に描いたような猟官運動の結果生まれたものであるが、本当にうまく機能しているのかはどうかはともかく、現在まで続いているというのは、公に奉仕することは成功した人間の義務であると考えるマイヤーのような人物があってのことだろう。彼がワシントン・ポスト紙を買収し、もうからない事業でありながらそれを手放そうとはせずに苦労しながら経営にあたったのも、このような意識もあってのことだろう。


両親が共に共和党員であったこともあってキャサリン自身も政治的に保守となるが、ルーズヴェルト政権が誕生すると次第にニューディール政策に共感するようになる。ではバリバリのリベラルになったのかといえば、これ以降も、基本的には筋金入りのリベラルというよりはリベラルという面を持ちつつも穏健保守にも近い中道派といったあたりだろう(もっとも、赤狩り時代のように社会が大きく右にぶれると、キャサリン程度の立場でも「アカ」扱いされるのであるが)。経営者としては当然かもしれないが、本書後半では労働争議に直面したこともあって組合への敵意を剥き出しにしているし、そのような自分の姿を意外に思うこともない。同時に、父がユダヤ系であり、ユダヤ人差別にも直面したこともあって、人種問題などではリベラルと歩調を合わせることも多かった。

30年代は周囲にはかなり左傾化した友人知人もいたが、そういった人たちとは政治的に一線を引いていた。それでも、父よりもさらに保守色の強い母のアグネスとはかなりやり合ったようだ。キャサリンは大学在学中から新聞記者を目指し卒業後は実際に記者となる。実は母も当時としては珍しい女性新聞記者であったので、なんだかんだいって母の影響というのも受けているのかもしれない。

キャサリンというと、夫の自殺後にワシントン・ポストの社主になったものの、世間知らずの名家の箱入り娘で右も左もわからなかったといったような印象を持っている人もいるかもしれないが(映画『ペンタゴン・ペーパーズ』も予備知識なしで見るとそのようにも映りかねない)、確かに経営の知識はまるでなかったものの(「ワシントン・ポスト」に投資していたウォーレン・バフェットが師匠となって鍛えられていくことが本書でも描かれている)、元新聞記者でもあり、ジャーナリズムへの意識はもともとそれなりに高かった。

キャサリンは記者時代にフィル・グラハムと出会い結婚。フィルは義理の父からワシントン・ポストの後継者として認められる。父は二人に議決権のある株を譲渡したが、フィルが「私よりも多くの株を受け取ったのは、父が説明してくれたように、どんな男も妻の下で働く立場にあってはならないからだった。後になって考えてみると奇妙だが、私はこの考えを承認したばかりでなく、まったく同感だったのである」。こういう時代に育っただけに、自身が経営者になる可能性など考えたこともなかったのであった。

フィルは52年の大統領選挙で「アイゼンハウアー支持市民集会」の司会を務めるなどした。「当時の発行人はこの種の活動を現在よりももっと頻繁に行っていた」。しかしアイゼンハウアーはマッカーシーが焚きつける赤狩りに腰の引けた対応しかできず、これにはかなり失望させらたようである。また50年代後半にはフィルはリンドン・ジョンソンと非常に近くなり、ジョンソンと協力して公民権法の成立などを目指すことにする。フィルはジョンソンに「助言の手紙やスピーチの草稿を書いたりした」。

新聞社の社主という立場にありながら、選挙運動を手伝い、また後に大統領になる有力政治家のブレーンを務めるといったフィルの姿は、まるで日本の政治部の記者や政治部出身の経営幹部のようである。これはつまり、現在の日本のメディアの姿が60年前のアメリカのメディアのそれと大差ないということであり、NHKを含むメディア企業における政治部出身者の発言力の大きさが日本のメディア企業そのものを蝕んでいる一因であろう。また同時に、ではアメリカのメディアがこのような過去と完全に決別したのかといえば必ずしもそうではない。キャサリンが「現在よりも」としているように、やはりメディア企業の経営者は権力者と良好な関係を築くことに気を配っており、彼女も例外ではなかった。ワシントン・ポストがニクソンを引きずり下ろしたことを思うと皮肉であるが、キャサリンはキッシンジャーと非常に親しく、ウォーターゲート事件後もこの関係が揺らぐことはなく、また歴代大統領との交際も行っている。

ワシントン・ポストはニューズウィークのような雑誌、そして地方のラジオ局やテレビ局などを次々と買収していき、メディア・コングロマリットとなっていく。そしてニクソン政権はウォーターゲート事件の最中、放送免許更新時期を迎えたポスト傘下の放送局に免許不更新をちらつかせ、ワシントン・ポストへの圧力とした。このあたりは映画でも言及されているが、これもまた日本の状況とも重なるものである。往々に単純化されるほどアメリカのメディアは独立性が高く権力から守られているのではなく、現在に至るまでその状況は続いているのであるが、しかしまた権力が恣意的にメディアの介入できる余地は日本の方が比較にならないほど大きいのも事実でもある。アメリカのメディアをめぐる状況を実態に基づかずに過度に高く評価することには慎重であるべきだが、だからといって相対化して日本のメディアをめぐる恥ずべき状況を糊塗すべきでもない。


フィルはアイゼンハウアーには裏切られる格好になり、ジョンソンと組んで公民権法成立を推進しようとしたがこれも停滞してしまう。この政治的幻滅も影響したのか、激しい鬱状態に陥ってしまう。精神科医にかかったものの、この医師が非常に問題のある人物だった。投薬治療を否定し、またフィルとあたかも友人同士のように付き合うなど患者と医師としてのルールなど意に介さない人物であり、フィルはこの医師への心理的依存度が増す一方で快癒することはなかった。

波がありつつも仕事をなんとかこなしていたが、後に振り返れば仕事から完全に離れて治療に専念すべきだったろう。フィルは躁状態に入ったのか、キャサリンと離婚して若い女性と結婚すると言い出すなど奇行めいた言動をとり始め、ついに自ら命を絶つことになる。


こうしてワシントン・ポストの社主となったキャサリンは、65年に日本を訪れている。朝日新聞を訪問した後、「次に訪れたのは大手広告代理店「電通」で、ここではまず「歓迎フィリップ・L・グラハム夫人」と書かれた大きな掲示に唖然とさせられた。そして玄関を入るなり、八〇人ばかりの主に若い女性たちが拍手で迎えてくれたのだった。典型的な日本式の歓迎なのであろうが、こちらはびっくりするばかりだった」とある。

ここで「若い女性たちが拍手で迎えた」のは、映画ではいささかあざとい演出でキャサリンの姿に時代の変化を女性たちが見たのとは真逆で、女性経営者が来訪してもとりあえず女性にこういった役割をやらせておけばいいだろうといったことであったのだろうし、「典型的な日本式」といえばある意味ではそうなるのだろう。これが男性経営者であったら電通が何をしたのかと思うとぞっとするが、このあたりも現在に至るまで依然として日本にはびこっている状況であろう。

そして、「佐藤首相とも短時間ではあったが会談し、続く数日の間に、宮沢喜一、中曽根康弘とも個別に会談することができた。この二人はともに後に首相になった。これを告白するのはきまりが悪いのだが、私とディー・エリオットとは、この世界旅行で出会ったセクシーな男性のリストを作成しており、中曽根氏との会談の最中、彼は当然このリストに入るだろうなと考えていたことを記憶している」。

個人的には中曽根には嫌悪感以外の感情を抱いたことがないものでバイアスがかかっていることは進んで認めるが、う~ん、中曽根がセクシーねえ……。


こちらは本書からの抜粋ということなのかな。




映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を見た人、あるいはこれから見る人もちろん目を通してほしいが、個人的には本書におけるペンタゴン・ペーパーズをめぐるあれこれよりも、ペンタゴン・ペーパーズ及びウォーターゲート事件で編集主幹として指揮にあたったベン・ブラッドリーがこのポジションに就くまでのあれやこれやが(笑えるという意味でも)かなり面白かったもので、できれば伝記全体に目を通してほしいし(まあこの訳書も一部割愛されているのであるが)、電子書籍としてだけでなく紙でも復刊してくれないかな。映画ではブラッドリーの回想録も参考にされているそうだが、こちらは未邦訳なのかな。


『男性支配』

「勇気」のなかには、軍隊や警察(とりわけ「エリート特殊部隊」)や不良グループ、より平凡なところでは、ある種の作業チームが要請したり承認したりする形式のものがあり――しかもそれは、とりわけ建設業で、安全対策の拒絶や、虚勢をはった行動による危険の否認や危険への挑戦を推奨ないし強制するもので、多くの事故の原因になっているが――、そうした「勇気」への原理は、逆説的ながら恐れのなかにある。すなわちグループからの尊敬や讃嘆を失うこと、仲間の前で「面目を失う」こと、女性的なカテゴリーの典型である「弱虫」や「臆病者」や「女々しい奴」や「ホモ」などと見なされることに対する恐れである。このように「勇気」と呼ばれるものはしばしば、ある種の臆病さに根づいている。この点を納得してもらうのには、ありとあらゆる状況下で、支配や搾取または抑圧の意志[をもつ上層部]が、しばしば「タフ」といわれる男たちに、殺す、拷問する、強姦するといった行為をおこなわせるために、弱さと無縁な「男たち」の世界から排除されるかもしれないという「男らしい」懸念を利用したことを喚起すれば足りる。そうした男たち――暗殺者、拷問者、あらゆる独裁政権や、監獄や兵舎や寄宿舎といったきわめて普通のものも含む「全制的施設」の下級管理職――が「タフ」だと呼ばれるのは、自分自身の苦しみと、とりわけ他人の苦しみに耐えられるからだが、おなじように、新自由主義的な聖者伝が顕揚する新しい戦闘的な企業経営者たちもまた、しばしば身体的な勇気をめぐる試練に従属し、余剰人員を失業へ追いやることで自制力を表明しているのだ。見てのとおり、男らしさとは、きわめて関係的な観念であり、ほかの男たちの前で、彼らのために、女らしさに対抗して、女性的なもの、何よりも自己自身のなかの女性的なものに対する一種の恐怖のなかで構築されている観念なのである。  pp.79-80


引用はピエール・ブルデューの『男性支配』から。

こちらに書いたように、クリストファー・ブラウニングの『普通の人びと』は、第二次世界大戦中に警察予備大隊に召集されたドイツの「普通の人びと」がいかにして虐殺を行うに至ったか、あるいはそれに加わらなかったのはどのような傾向を持つ人たちであったのかを扱ったものだ。

虐殺に加わったのは仲間からの孤立を恐れた者たちであり、また出世欲から、自らは手を汚すことを拒みながらも命令だけは下した者もいた。一方虐殺に加わらなかったのは、孤立を恐れず、出世欲とも無縁な人たちであった。ブルデューが指摘する通り、「「勇気」への原理は、逆説的ながら恐れのなかにある」ことが確認できる。


そしてこのような「恐れ」の中から生じる「勇気」は、戦時下のような特殊な環境のみに存在するのではない。ブルデューがこの原理を「新自由主義」の「新しい戦闘的な企業経営者たち」に当てはめているのは牽強付会ではないだろう。彼らは「余剰人員を失業へ追いやること」によって自らの「タフ」さを投資家等の「仲間」にアピールしているのである。もちろんこれは男性経営者に限られたことではなく、「新しい戦闘的な企業経営者」の列に加わりたい女性たちも「タフ」さをアピールせねばならない。女性たちはむしろ、「過酷な環境への適応性」の高さをより強く打ち出さなくてはならなくなる。

アマゾンという企業を見てみるのがいいだろう。配送センター等が劣悪な労働環境にあることは世界各地で批判されており、アマゾンの利用をボイコットする呼びかけも強い。アマゾンはここにきてようやく一部の国で配送センターなどの従業員の賃金を上げることを表明したが(ちなみに日本は含まれていない)、なぜここまで批判が高まるまで放置したのだろうか。

現在のアマゾンの体力を考えれば賃金を含む労働環境の大幅な改善は可能であろう。企業イメージを犠牲にしてまで頑なにそれを拒否するのは、配送センターの労働者を締め上げることによって得られる利益を重視しているというよりは、アマゾンの経営幹部やその候補者たちが、ブルーカラー労働者を取り換え可能な部品として切り捨てるという非情な態度を取ることで自らの「タフ」さを「仲間」(ここではジェフ・ベゾスをはじめとする経営幹部)に向かってアピールしようとしていたともとれる。ブルーカラー労働者をフェアに扱うような「女々しい」態度は出世競争にとって不利であり、そのような「隙」を見せてはならないと強迫観念を植え付けられているのは、アマゾンに限ったことではないだろう。

またアマゾンといえば中小出版社への理不尽な要求でも悪名高く、日本では水声社のようにアマゾンとの取引を拒否する出版社も現れている。中小出版社から搾り取れる利益よりも、「何でもある」ことが売りであるはずなのに欠品が生じるというマイナス面の方が大きいと思うのだが、それでも頑なであるのは、やはり取引先に「非情」な態度を取ることを厭わず、決して折れない姿勢を内に向かってアピールしているかのようだ。


(拙ブログもアマゾンのアフィリエイトでわずかばかりながら小遣い稼ぎをしているもので、偉そうになことを言えたものではないが)


失業率が完全雇用に近い水準になりながら、とりわけ低所得層の賃金が上がらないというのは日本のみならずアメリカなど世界各地で見られる現象であり、最早経済学的論理では説明がつかないほど不合理な状況に陥っているようにも思える。経営陣に有利な法改定や税制の変更、労働組合の弱体化などいくつかの理由が考えられるが、何よりも「恐れ」から生じる「勇気」がなせる業なのかもしれない。とりわけアメリカでは、社外取締役等のシステムを利用してCEOやその予備軍が一種の共同体を作りあげ、お手盛り評価で互いに巨額の報酬を得るのに協力しあっているという指摘がある。そこで「弱さ」を見せてしまうことなど絶対に許されない、こういった脅迫観念も働いているのだろう。


ブルデューは本書の中で、フランスではテレビの司会者は男性が中心で女性は添え物的扱いが目立つこと、また女性が意見を述べようものならそれが「感情的」だという扱いをされることなどを批判しているが、このあたりは日本もまったく同じである。だから日本をとりたてて異様な社会とすべきではないというのではもちろんなく、この問題はそれだけ根が深いのだということを、男性こそがまず認識することから始めねばならない。そしてこれは狭義のジェンダー問題に限らず、広く社会を覆う呪縛ともなっているということも。


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