『村上春樹と私  日本の文学と文化に心を奪われた理由』

ジェイ・ルービン著 『村上春樹と私  日本の文学と文化に心を奪われた理由』




ジェイ・ルービンが日本文学と出会ったのは1961年のことだった。シカゴ大学2年生だったルービンは、夏目漱石の『こころ』の翻訳でも知られるエドウィン・マクラレンの「日本文学入門」というクラスを取った。日本語を学んだことのない学生が対象の授業でテキストはすべて英訳だったが、これをきっかけに日本語を学び始める。
夏休みには小さなトラックでアイスクリームを売り歩くアルバイトをしたのだが、バナナスプリット用に大量のバナナがあったことが「日本語の勉強の役に立った」。その皮にボールペンで漢字を書いてみると「何とも言えないスムーズな手ごたえですらすら書け、すぐ覚えられたのだ。これは読者の皆さんにお勧めしたいと思う」。
雇い主が漢字だらけのバナナの皮を不審に思い、「あれは何だ」と聞かれたので、「中国産のバナナです」とごまかすと「あ、そうか」と「気にせずに帰っていった」。

と、このように基本的には軽いタッチで書かれたものが中心となっている。扱われている話題は村上春樹とその作品、翻訳について、彼との個人的交遊などが中心になっているが、その他にも日本文学関係の話題から自伝的、身辺雑記的エッセイまでと幅広い。


もともとは夏目漱石をはじめとする明治の日本文学の研究をしていたため、現代日本文学には関心を持っていなかった。村上の作品を初めて読んだのも、すでに『羊をめぐる冒険』の英訳が少し話題になっていたことから、ヴィンテージ社から『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出版に値するかどうかを判断してほしいと依頼されたためだった。いざ読んでみるとたちまち魅了され自分が翻訳したいと申し出るが、ヴィンテージ社は出版しないことを決定した。

ルービンは村上作品を読んだ時、「わざわざ私のために書かれたかのようだった」と思ったという。僕自身も、十代半ばで初めて『風の歌を聴け』を読んだ時に同じような気分になったものだったが、村上より年上のルービンにも、そして親子ほども年の離れた(というか村上と僕の母は同年齢である)僕のような世代にもこのように思わせてしまうことこそが村上が広く読まれる理由であろうが、ルービンはこれを「密輸入」に例えている。

「フレッシュで、微笑ましくて、結局説明を許さないイメージは直接に村上さんの頭脳から一人ひとりの読者の頭脳へ伝わる。ある密輸入者のように、村上春樹は当局の監視を避けて、国境を通り抜けて、関税を支払わないで、自分の心から直接に世界中の読者の心へ貴重な品物を届ける。その、当局を避けている気持ちは非常にスリリングでプライベートのように感じられるので、世界中の読者は、村上春樹という作家が自分のために書いていてくれている、自分の心の中にあるものを理解してくれていると思うようになり、膨大な数で、村上ファンになるのではないだろうか」。

ヴィンテージ社からは出版を却下されたものの、ルービンは村上の住所を調べ、いくつかの短篇の英訳の許可を直接得ることにした。エージェントから提案を歓迎するという返事があったので、「パン屋再襲撃」と「像の消滅」の訳を送った。数週間後、電話が鳴ったので出てみると、「今まで聞いたこともない、まか不思議な、鶏を絞め殺すような音がずっと聞こえて」きた。ガチャリと切ったのであるが、また電話がかかってくる。恐る恐る受話器を取ると、「こちらは村上春樹ですが」と日本語が聞こえてきた。村上はルービンの英訳を『プレイボーイ』誌に載せたいと電話してきたのであった。

後に判明するが、「鶏を絞め殺すような音」の正体は村上がファックスを送ろうとしていたのだった。村上は「とてもシャイだったようで、知らない人とはなるべく直接電話で話したくなかった」のであるが、ルービンが「技術的に後進的」だったために電話せざるをえなかった。連絡を取ると、当時村上はプリンストン大学滞在中で、ルービンのいたハーバードのあるボストンとは車で4時間ほどの距離だった。こうして作家と翻訳家として、そして友人としての長い付き合いが始まる。


欲をいえば、日英、英日をはじめとする翻訳に関心がある人のために、翻訳に焦点をあてた文章がもっと読みたかったのだが(これだけで一冊編んでもそれなりに需要はあるのではないだろうか)、それでもいくつか技術的なことにも触れられている。

日本語では名詞の単数と複数を区別しなくてもいいが、日本語を英語に訳そうとするとこれがやっかいなことにもなる。『1Q84』で、青豆は月が二つあるのに気づくのであるが、他人に尋ねて頭がおかしいとは思われたくもない。そこで電話での会話で探りを入れるという場面がある。この会話は「言葉の単数、複数の曖昧さによって成り立つ」。日本語なら単数でも複数でも「月」ですむのであるが、英語ではこれを区別しなくてはならない。話し相手のタマルが「moons」を使えば彼が月が二つあるのを見たことが青豆にわかるため、タマルが見ている月が一つなのか二つなのかはぼかされねばならない。ここをどう処理したのかというと、「moon-viewing」と「月見」に変えたり、代名詞を使うことで「moon」を省略するなどして対応した。

またこの場面でも顕著な、「内的と外的独白の区別と、一人称と三人称の語りの区別は、日本語では非常に曖昧」であり、これをどう処理するのかというのも英訳にあたって難問となったのだが、ルービンはこういった日本語小説の特徴を謡曲の伝統という視点からも分析している。このあたりは日本語を母語にしているとかえって見えてこないのかもしれない。

翻訳は究極の精読といってもいいだろうが、『ねじまき鳥クロニクル』を訳した際(ちなみにここでも英語では「クロニクル」を単数にするか複数にするかという問題が生じた)には、疑問点を直接村上に会って解決しようとして、こんなやりとりがあったそうだ。

「『ねじまき鳥クロニクル』は水のイメージが大事だが、第1部3章で主人公の岡田亨のネクタイのパターンが「水玉のネクタイ」と形容されているところは、作家がわざと水玉の水を強調しているなら、「水玉の」の普通の英訳の「polka-dot」には水のイメージが現れないので「polka-dot」の代わりに「water-drop-pattern」として翻訳した方が村上さんはいいと思いますか」。

他にも第2部で出てきた「塀」は「wall」とすべきか「fence」か。第2部7章で登場するフォークシンガーはここでは「茶色のプラスティックの縁の眼鏡をかけていた」が、17章では「黒いプラスティックの縁の眼鏡」になっているがわざと色を変えたのか、等々といった疑問が出てくる(村上がどう答えたかは本書をお読み下さい)。
さすがに丸一日かけて延々とこういった質問攻めに合うのには村上もげんなりしてしまったようで、ルービンも一度にまとめてやるのはこれを最後にしたそうだ。

村上は自身でも翻訳を行っていることから、訳に対する注文は厳しいのだろうと覚悟していたが、英訳についての村上の反応は意外なものだった。「その時期村上さんが自分の小説の翻訳を評価する方法は、両方のテキストを綿密に読み比べるのではなく、ただ、英文を読んで、英文の小説として面白いかどうかを判断することだけだった」。
フランス語小説を翻訳している友人が原著者と激しく議論しているのを見ていたので、「面白かった」とだけ簡単な返事をされることには「いささか不満」もあったが、これは村上自身も翻訳を行っているからこそ訳者の主体性を大事にしたということもあったのかもしれない。

唯一の例外が『ノルウェイの森』で、これは西洋でもベストセラーになるかもしれないということで、村上は訳を細かくチェックした。すると「かわってあげたかった」とあるのを「わかってあげたかった」と読み違えて訳している箇所を発見する。「「かわってあげたかった」というところを漢字を使わずに書いたばかりに私の目が「わかってあげたかった」と読み違えたのだと、村上さんはあたかも間違いが自分のせいだったかのように謝ってくださった」。

もっとも作家と翻訳家が常にこうした幸福な関係になるのかといえばそうともいかず、ルービンは野坂昭如との間にあった不幸な行き違いにも触れている(これも野坂らしいといえばらしいエピソードになっている)。


またアメリカでの村上人気の高さを表すエピソードもあるが、そのうちの一つがMITで2005年に行われた講演だ。これまでも錚々たる顔ぶれの作家たちが講演を行っていたが、500人収容のホールが満席になることはなかった。ところがこの日は人が殺到し、通路にも人を入れたがそれでも入りきらず、おまけに大学の消防署が火災法によって席についている人以外は退室を求めたために、一度はなんとか中に入りながら涙ながらに会場をあとにした人もいたという。
そして「村上さんは世界の実体を見せてくれます。しかも私たちが見たことのない世界の実体ではなく、私たちがそれとは知らずに日々見ている世界を見せてくれるのです」と村上を紹介したのは若き日のジュノ・ディアスだった。今となっては紹介役を務めるだけでなく対談でもしてくれていればと思ってしまう。

この頃の映像





村上関連以外では、『風俗壊乱』として出版される検閲の研究にちなんだ発表をもとにしたものも収録されている。これは82年に行われたもので、83年に『諸君』に掲載された。本書にもあるようにルービンは江藤淳のもとで漱石研究を行っていたので、江藤らがしきりと書き立てていた占領軍の検閲について引っ張り出されたのだろう。本書収録のものは手を加えたものなので『諸君』にどのような形で載ったのかはわからないが、ルービンは占領軍による検閲を批判的に検証しつつ、「とにかく、検閲というのは短ければ短いほどいい。6年半の占領検閲は77年の帝国検閲ほど日本の心的生活に害を与えたとはどうしても思えない」と結んでいる。

『風俗壊乱』でルービンは日本(社会)が大日本帝国下における検閲と正面から対峙しなかったことを厳しく評価しているし、ここでもやはり占領軍に対し、実務にあたっていた日本人のブリーファーが拡大解釈し、むしろ積極的に検閲の範囲を広めようとしていたことも取り上げている。
現在、江藤のような「保守」がいた時代はまだよかったと考えるか、当時から日本の「保守」とはこのようなものだったと考えるかはいろいろであろうが、個人的には後者の意見である。占領軍が検閲を行っていたのは周知の事実であるし、それは様々な角度から批判的に検証されてしかるべきものだ。しかしだからといって大日本帝国下での検閲が相対化されるはずもないのだが、これを意図的に混淆させミスリードさせるのが狙いであるのは明らかである。そしてそれは「GHQによる洗脳」云々という極右陰謀論へと「結実」していくのであるから、現在の惨状の種をせっせと播いていたのは江藤らの世代の「保守」だったとすべきだろう。
ルービンの発表は『諸君』としては当てが外れたという感じだったのかは知らないが、日本政府(というか自民党)の政策を批判する日本人を売国奴と罵りながら、自国政府の日本への政策を批判する外国人はやたらと有難がるというしょうもなさというのも、この頃にはすでにあったとすべきか。

そういえば、60年安保の敗北もあって保守化しつつあった江藤は60年代後半をプリンストンで過ごし、保守化を通り越して右翼化してしまうことになる。村上はそのプリンストンでの授業で江藤の『成熟と喪失』を使っていたこともあって、90年代半ばの村上もこうなるのではないかという危惧を持った人もいたが、村上は「日本人」としての責任意識に目覚めながらも江藤のような道は取らず、むしろそれを批判する方を選んだ。このあたりは「アメリカ」に対し直感的にどのような感情を抱くかといった世代的な差異もあるのだろうが、村上について考えるうえで重要なポイントでもあろう。


ルービンの初の小説である『日々の光』の成立過程についても語られている。日系人強制収容を扱ったこの小説は、日本人を妻に持つアメリカ人としても他人事ではない歴史であろうが、何よりもルービンはアメリカ人として、アメリカ合衆国がその憲法の精神にそむいてこのようなことを行ったのに憤っている。

レーガンは政府として公式の謝罪と補償を行い、さらには5000万ドルの教育基金も設立された。結局この教育基金はどんどん減額され500万ドルにまでなってしまうように、アメリカ全体がこの謝罪や教育事業に真摯に取り組んだとまではいえないが、それでもその一部は「シアトルにおける、強制収容所の歴史資料を永久保存するホームページ「伝承」が発足するための基金」として使われるなど、確かな実績も残している。「和解」とは忘却によってもたらされるのではない。記憶するという責任をはたしてこそ、初めて困難なその一歩が踏み出されるのであり、まさに日本人こそが学ぶべき過程であったはずだ。

ルービンは70年代にシアトルのワシントン大学で教鞭をとるためにここに越した。子どもたちが通った学校は、ボーイング社に勤めるエンジニアの子など白人が中心であったが、長男の源の担任になったのは若い黒人女性だった。ある日源が弁当におにぎりをもっていくと、「お前の弁当臭いじゃないか」、「おい、なんだ、その黒い紙は」、「おーい、源は紙を食べているぞ」と囃し立てられた。するとこの担任は、「私スウシイー大好き、少しちょうだい」と手を伸ばし、「源、あなたはすごくラッキーだわ。こんな美味しいものを毎日食べられて」と言った。すると囃し立てていた子どもたちまで恐る恐る試食をし、その結果「妻は余分におにぎりを作るのが毎朝の日課になった」。このあたりの経験は『日々の光』にも活かされている。

同じ頃、ピアノレッスンを始めた源はその才能を評価され、「ワシントン州では1,2との評判のピアノ教師」に紹介される。このピアノ教師はシアトル生まれの日系二世のミセス・宮本で、「ワシントン大学の社会学教授だったミスター・宮本は4年前に100歳でお亡くなりになったが、源のピアノの先生であったミセス・宮本は今年100歳のお誕生日を迎えられ、健在である」とのこと。

その源が今何をしているのかというと、メアリー・J・ブライジ、アレサ・フランクリン、日本のゴスペラーズや福原美穂、韓国の少女時代などに楽曲提供を行っており、パウリナ・ルビオに書いた「Don't Say Goodbye」はチャートの上位にも入いったそうである。


『結婚式のメンバー』

カーソン・マッカラーズ著 『結婚式のメンバー』





フランキーは12歳の少女としては高くなりすぎた背を持て余し、やや年上の少女たちとはうまく付き合えず、親友と呼べる存在はすでに引越し、彼女の「メンバー」と呼べるのは亡くなった母親に代わって家事をする黒人の中年女性ベレニスと6歳の従弟ジョン・ヘンリーくらいだった。「緑色をした気の触れた夏」、軍務に就きアラスカに赴任していた兄が結婚をすることになった。フランキーは結婚式に参列し、そのまま兄夫婦と共にこの町を去ることを夢見はじめる。


思春期特有の繊細にしてエキセントリックに流れがちな心理を見事に描いているという点ではサリンジャーを想起せずにはいられないし、南部の気だるく物憂い雰囲気と、イノセンスな擬似家族とそれが揺らいでいく様はカポーティと肌触りが近いが、サンリンジャー・ミーツ・カポーティとしてしまうのでは時系列が転倒してしまう。『結婚式のメンバー』の発表は1946年で、カポーティの『遠い声 遠い部屋』は48年、『草の竪琴』は51年の発表であり、『ライ麦畑でつかまえて』も51年の発表である。村上春樹による「訳者解説」でも触れられているように、マッカラーズが『結婚式のメンバー』を執筆中に滞在した芸術家のコミュニティの「ヤドー」では、彼女はカポーティと親しくなっている。影響は相互的なものであったかもしれないが、年齢を考えるとマッカラーズがカポーティに影響を及ぼした度合いの方が強いとすべきだろう(マッカラーズの伝記であるヴァージニア・カーの『孤独な狩人』によると、後年マッカラーズはカポーティの文体などが自分のそれに酷似していることに不快感を持っていたようだ)。サリンジャーがマッカラーズを読んでいたのかはわからない。

カポーティやサリンジャーを訳している村上が関心を持つのは当然のようにも思えるが、では『結婚式のメンバー』がサリンジャーやカポーティの一部の作品とそのまま重なるかといえば、必ずしもそうとはいえないだろう。サリンジャーにしろカポーティにしろ、「イノセンス」といえば聞こえはいいが「退行願望」といってもいいものに支配され、あるいはとりつかれているとすることもできる。カポーティの一部の作品は、その体験を共有していない読者にまでノスタルジーを掻きたて、登場人物たちがどこまでも愛おしくなるのであるが、同時にそのようなイノセンンスが永続することはないこともわかっているだけに、さらにぐっと胸にくるものとなる。

しかし『結婚式のメンバー』では、フランキーはむしろ居心地がいいともいえるベレニスとジョン・ヘンリーとの関係から抜け出たいという願望を持っている。同時にあまりに後ろ髪を引かれているのであるが、これはフランキーの「幼さ」を表すものであろうし、また彼女の身長は年齢不相応なほど高いのであるが、性の目覚めはまだやってきていない。

フランキーとジョン・ヘンリーとの関係は『ライ麦畑』におけるホールデンとフィービーのそれを連想させる。フィービーはホールデンの妹でありながら彼の母親代わりというか守護天使的存在でもあり、ホールデンは彼女によって現実に引き戻されつつも、また自らがイノセンスの守護者たろうともする。6歳にしては小柄でありつつ眼鏡をかけているジョン・ヘンリーは、フランキーにとっては守るものであり守ってくれるものでもあろう。しかし物語後半でホールデンとフィービーが溶け合っていくのに対し、マッカラーズはジョン・ヘンリーにある運命をもたらせる。フランキーとベレニスの関係はまたフラニーとズーイのようでもあるが、サリンジャーが筆を置いた地点からマッカラーズはさらに物語を押し進めていく。

高すぎる身長や、自分の名前が気に入らずに勝手に改名してしまうことなどはマッカラーズ自身の体験であり、彼女がフランキーを自身と重ねているのは明らかだ。一方で、マッカラーズは1917年生まれであるが、作品の舞台は1944年の夏にしており、フランキーを自分より15歳ほど若く設定している。このように自伝的要素を多く取り入れながらも、相応の距離も取っている。基本的には三人称でありつつも、一人称に限りなく近づくかと思えば、語りのレベルにおいても距離を置くこともある。

フランキーはエキセントリックな行動を取るが、彼女が手を染める「犯罪」はやはり12歳のものだ。その幼さによって知らず知らずに大きなトラブルに近づいてしまうが、やはり彼女は守られている。とにかくここから出たい、ここではないどこかに自分の本当の居場所があるはずだと思うのだが、それは兄夫婦に連れて行ってもらうという願望を取るように、ここでも彼女は幼い。意を決して取る行動の結果も、年齢相応のものに落ち着く。

ある意味では典型的ともいえる思春期を扱った小説であるのだが、一方でマッカラーズは過度にフランキーと同一化することもなく、そこから脱した大人の視点から単純な「成長」や「喪失」といったところへ落とし込むのでもない。登場人物の幾人かに残酷な出来事が待ち構えており、またフランキーの心理も呪われたままであるようにも思わせる。

サリンジャーやカポーティーは自分たちが作りあげた物語に自らが飲み込まれていってしまうことになるのであるが、マッカラーズの幸福とは言い難い不安定な生活は自らの作品に飲み込まれた結果というよりは、こういった人物であったからこそこのような物語が紡げた、この描写ができたということなのかもしれない。そうなのだとすると、マッカラーズはサリンジャーやカポーティーと極めて近い位置にいながら、また決定的な違いというのをもっていた作家だとも考えることができるし、『結婚式のメンバー』はまさにそのような作品であるように思える。


『結婚式のメンバー』は渥美昭夫訳などがあるが、こちらは未読なので翻訳の比較はできないが、村上訳は結構「クセ」のある訳になっているだろう。とりわけフランキーとジョン・ヘンリーの会話であるが、12歳と6歳のそれとは思いにくいものになっている。これは『海辺のカフカ』のカフカ君が現実の14歳を描こうとしたのではないのと同じように、「リアリズム」を追求しようとしたものというよりは、作者と登場人物をべったりさせるのではなく、マッカラーズと作中人物の距離を表したものとできるのかもしれない。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳で、ある意味では原文に忠実ともいえるのだが、代名詞をあえてかなり忠実に訳文に反映したのと同じように、こちらも作品解釈込みの翻訳としたほうがいいだろう。若い女性の翻訳家がこれもあえて「現代」に寄せて訳したらまた大分違った印象になるのかもしれないし、いろんなタイプの翻訳家が訳し比べなどしても面白いタイプの作品だろう。


マッカラーズは1917年生まれで、67年に50歳で死去。2017年2月19日で生誕100年となる。『結婚式のメンバー』をはじめいくつもの作品が映像化舞台化されているが、マッカラーズの生涯もまた、そのまま小説や映画の題材にしてもいいような壮絶なものでもある。





『ヒトラーと物理学者たち  科学が国家に仕えるとき』

フィリップ・ボール著 『ヒトラーと物理学者たち  科学が国家に仕えるとき』





2006年に出版されたオランダのジャーナリスト、サイベ・リスペンスの『オランダのアインシュタイン』は大きな騒動を引き起こした。一般的にはそれほど有名ではないとはいえ、1936年にノーベル賞を受賞し科学界にその名を残すオランダ出身のピーター・デバイについて、リスペンスは「ナチと共謀していた」と告発したのだった。デバイはドイツでカイザー・ヴィルヘルム研究所で所長を務めていたが、ドイツ国籍を取ることは拒否し、39年にはアメリカに渡っている。そんなデバイが、ナチ党員でこそなかったものの実は「ナチ体制の熱心な支持者」であったという内容であり、「戦時中はアメリカに留まりながらもナチ当局と接触を続けており、それは戦争が終わったらひとまずベルリンに戻る可能性を残していたのではないか」とリスペンスは見た。

デバイの名前と関わりの深かったオランダの二つの大学はパニックに陥った。「デバイ自然科学研究賞」と「デバイ・ナノ材料科学研究所」はデバイの名を外すことを決定する。一方デバイがアメリカで勤務したコーネル大学は独自の調査を行い、「デバイはナチの同調者でも反ユダヤ主義者でもない」と判断し、学科名からデバイの名を外さないことを決めた。その後リスペンスの本について、「デバイの描写は偏っており、ナチの統治に対するデバイの反応は、大半のドイツ人科学者の反応とそれほど大きく異なっていたのではないという事実をあやふやにしている」といった批判がなされた。結局デバイの名を付した賞と研究所にその名が復活することになり、デバイの名誉は回復されたかのようだが、それで終わりにしていいものだろうか。

本書の主人公となるのは、デバイ、マックス・プランク、ヴェルナー・ハイゼンベルクという高名にして「英雄でも悪人でもない」科学者たちだ。彼らの姿を通して「ナチの党利に対する恭順と抵抗のあいだのグレーゾーンにおける科学者の大多数(そして一般市民)の多様な立ち位置が見えてくる」。


科学者たちは人文学者や社会学者に対して、「あからさまな反感を抱くとまでは言わないまでも疑いの目を向けることがある。彼らが整然とした科学の自己像を単に複雑にしているだけでなく、なぜ科学がそこまで精緻な検証を必要としているのか、想像できないというのだ。真実を明らかにしようとする仕事に従事する自分たち科学者をなぜほっといてくれないのかというのだ」。

しかし、「科学の純粋性を強調することは危険だ」とボールは書く。
「ナチス政権下のドイツ(第三帝国)で研究を行っていた科学者の対応を調べているうちに、彼らの多くの発想、たとえば科学が「非政治的」であり、「政治以上のもの」であり、「より高級な職業」であって、個人の義務および忠誠心を人間どうしのあらゆる交流の上位に置くと言い立てることが、今日の科学者たちから見聞きする見解に近いように思えて、私は落胆するしかなかった」。

いわゆる「ソーカル事件」前後の状況を論じた金森修の『サイエンス・ウォーズ』にも同じような問題が取り上げられていた。確かに一部の人文学者が数学をはじめ自然科学の用語をろくに意味も分かっていないにもかかわらず濫用するのは厳しく批判されてしかるべきだ。しかし科学者側にも、科学については科学者以外は口を挟むなといわんばかりの傲慢さや、さらには他分野を見下すといった驕りも見受けられた。ポストモダン系人文学者にしろ、科学者にしろ、自らに対する批判的検証を拒否すれば、堕落していくのは当然のことであろう。

「精緻な検証を必要とし」、実験等を通じてはっきりと実証されるまでは判断を保留する、と聞けば非常に立派な科学的態度のように思えるかもしれない。ではこれが公害問題だとしたらどうだろうか。目の前に明らかに被害を受けている患者がおり、そこには原因とおぼしきものがある。それでも、少なからぬ科学者がここで極度ともいえるほどの「保守性」を発揮するのであり、これは結果として企業や行政など加害者を利することになる。多くに公害問題を振り返ると、一部の科学者が誠実に問題に取り組まないばかりか、むしろ積極的に隠蔽や矮小化に協力したという例も枚挙にいとまがない。こういった科学者たちは原因が厳密に特定できない以上判断を下さないという消極的な態度をとるばかりか、告発の無効化にせっせと勤しむこともしばしばだ。批判が寄せられるとこのような科学者たちは、自分たちはやるべきこと、やれることを粛々と行っているだけで、政治的な意図などないと反論することになる。まさにこの「政治性」こそが問われているのに、科学者たちはこの問題にあまりにナイーヴであり続けている傾向は現在でも広く見られる。


1927年にブリュッセルで開かれた量子物理学に関するソルヴェイ会議で撮られた集合写真は、当時の物理学界がいかなるものであったのかを雄弁に語っている。「ドレスコードの厳しさと眼差しの強さとが調和しており、行動規範が守られて上下関係が尊重される、という抑圧的な態度が求められる雰囲気がうかがえる」。若き日のハイゼンベルク、デバイと共にアインシュタインをはじめとする早々たる顔ぶれがそろっているが、女性はマリー・キュリーただ一人しかいない。

当時の物理学者たちはアインシュタインの国際主義や平和主義に眉をしかめていた。その支持者ですら「政治と職業の別」を尊重していないと感じ、アインシュタインは「政治をもてあそんでいる」と非難された。「ドイツの物理学者たちは、政治的な問題にかかわりたくないと強く思っていた」。

自分はイデオロギーとは無縁だと主張する人間こそが元も根深くイデオロギーを内面化しているように、「非政治的」であることは極めて政治的な選択である。「ドイツの学者たちの政治から距離を置く態度は実のところ、ある特別な政治的立場をまとっていた。それは、ドイツの軍国主義と愛国主義を支持するという伝統を守りつつ、一方でそれと同程度に民主的なヴァイマル政府に反対するという意味で「非政治的」であった」。


本書の主人公たちは「英雄でも悪人でもない」。この三人に限らず、ドイツの科学者でナチスに積極的に協力したのはごくわずかだ。そして積極的に抵抗したのも、ごくわずかである。

プランクは非常に保守的であり、女性参政権には当然のごとく反対であったが、また女性が研究職に就くのを支援もした。ハイゼンベルクは「ユダヤ物理学」を否定し「アーリア物理学(または(ドイツ物理学)」を称揚せよという動きには反対したが、ナチス・ドイツが侵略を開始すると、その支配地域での講演ではアインシュタインの名を出すことを避け、また友人には著作からアインシュタインの名を削るよう助言している。
ハイゼンベルクが「ユダヤ物理学」を否定することを拒んだのは、そんなことをすれば物理学にとってマイナスになるからであって、それ以上でも以下でもなかった。プランクもハイゼンベルクもデバイもナチス政権下で同僚のユダヤ人を助けたが、それはその人が同僚であったからであって、彼らはナチスが進めるユダヤ人迫害政策そのものに反対することはなかった。


リスペンスがそうであったように、ナチス政権下で難しい選択を迫られた科学者(あるいは「普通」の人々)をナチスに抵抗しなかったからと断罪し、彼らは悪人だったと切り捨てるだけでは、自分たちはそうではないのだという上辺の満足感を与えるだけで、歴史の上っ面をなでるだけになってしまうだろう。そしてまた、歴史の後知恵で当時の人々を裁くべきではないとしてその内面に過度な同情を寄せて検証を拒むことも、歴史を隠蔽することになる。

この三人の「真意」は見えにくい。おそらくは当人たちにも状況が見えておらず、長く続くヒトラー政権で明確な信念や意図を持って行動していたのではないだろう。問題とされたデバイがアメリカ到着後もカイザー・ヴィルヘルム研究所と連絡を取っていたことは事実である。まだアメリカ参戦前のことであり、ドイツの勝利でこの戦争が終わる可能性は高いと考えていたとしても不思議ではない。彼が「ゲーム」を行い、アメリカとナチス・ドイツを両天秤にかけていた可能性はあるだろう。彼にはまたドイツに残っている身内がいた。デバイに同情的な人が主張するように、身内がナチスから迫害されるのを恐れたということもあるだろう。しかしおそらくは、何らかの深い意図があってのことというよりは行き当たりばったりに行動した結果、いったい何を考えていたのかが後世の人間からは見えづらくなったといったあたりではないだろうか。

デバイがアメリカに渡ると、少なからぬ人が彼がナチスのスパイなのではないかと疑った。とりわけ不信感を抱いていたのはドイツでの彼の振る舞いを知るユダヤ人たちだった。アインシュタインは、デバイがスパイだという証拠はないが信用ならない人物であると証言している。ナチスのユダヤ人政策に対するデバイの日和見的態度が、アインシュタインをはじめとするユダヤ人の不信感につながったのだろう。

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは「過去に目を閉ざす者は、現在にもやはり盲目となる」という有名な演説を行った(ちなみにヴァイツゼッカーの兄のカール・フリードリヒも物理学者であり、本書でも少なからぬ働きをすることになる)。
ロアルド・ホフマンはこれをふまえてこう言う。「過去の記憶がなければ和解もない」。「和解」とは「忘れる」こと、あるいは「忘れてもらうこと」ではない。デバイは戦後も沈黙を続けた。「彼の沈黙は明白な誤りだ」。彼は単に沈黙しただけでなく、自らの過去のふるまいについて内的な葛藤にみまわれることもなかったようだ。ホフマンはこの沈黙についてこう考えた。「デバイの戦後の沈黙は、彼が私たちに忘れてほしいと思っていたことを意味するのではないか」。

今さら過去のことを穿り返してもしょうがない、もう終わったことなのだと済ませ、忘却してしまえば、歴史から学ぶことはできない。言葉を変えると、現在の科学者たちはこの三人の言動から学ばねばならないことがあるということになる。

当時のドイツの学者たちは「非政治的」であったが、それは軍国主義的で愛国主義的であることを自明視して受け入れていた結果であった。プランクは悪法も法であると考え、ヒトラー政権誕生後の政策を受け入れた。これは国と時の政府とを同一視し、国が決めた以上粛々と従うべきだと考えたためであろう。「愛国心」とは往々にしてこのようなものである。ハイゼンベルクはナチスに入党することはなかったが、非常に「愛国」的であり、戦争開始後の彼の醜悪な言動を多くの人が証言している。


なおハイゼンベルクについては、『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したのか』でトマス・パワーズは、ハイゼンベルクは原爆開発に従事するふりをしながら実はサボタージュを行っていたのだとしているが、ボールはこの説を実在の怪しい資料や確認不可能な回想に基づくものであるとして否定している。「原子物理学者会報」ではパワーズの本は「フィクション」だと片付けられ、「悲劇的なまでにばかばかしい」という厳しい評価も紹介されている。以前にこちらに書いた時にどうも釈然としないとしたが、やはりボールらの判断の方が正しいのだろう。

ドイツが降伏するとハイゼンベルクらドイツで原爆開発に従事していた科学者たちは連合国の捕虜となったが、自分たちの置かれた立場がわかっておらず、傲岸不遜な態度を崩そうとしなかった。その理由の一つが、自分たちが原爆開発競争でアメリカの先を行っており、だとすれば無下に扱われることはないはずで、そればかりか自分たちの知識は高く売れるはずだとすらふんでいたこともあったようだ。広島に原爆が投下されても、ハイゼンベルクはしばらくはそれを信じることができなかったほどだった。アメリカの原爆の研究開発がここまで進んでいるとは想像もできなかったのだが、これは彼が取り残されていたということでもある。ハイゼンベルクはアメリカへの協力をほのめかしつつ、アメリカに渡るのではなく、ドイツが自分を必要とするからドイツに残りたいとしたが、アメリカなどからしたらこの態度は二重三重に「は?」という感じだったろう。戦後もハイゼンベルクは言を二転三転させ、サボタージュをしたかのようにほのめかすかと思えば、ナチスが十分な資金を提供しなかったから完成しなかっただけで、自分の能力をもってすれば実現は可能だったとも思わせようともした。誰もが口をそろえるのが、ハイゼンベルクが極めてプライドが高い人間であったということだ。彼はナチスに協力したと吊るし上げられることは御免であったが、また能力が劣っていたとされることにも耐えられなかったのだろう。サボタージュ説はハイゼンベルクにとって最も都合のいいシナリオであった。そんな彼が自分の過去の振る舞いについて後悔や反省を口にすることがなかったのは言うまでもない。

ドイツ敗戦直後には、ハイゼンベルクはアメリカに渡ったフォン・ブラウンのようになる可能性を描いていたのかもしれない。フォン・ブラウンにしても、本書で指摘されているように、彼が開発したV2ロケット等が実戦配備され多数の死者を出す以前に、その作成段階で強制労働などによって大量の死者を出している。戦後のフォン・ブラウンのアメリカでの「活躍」は冷戦の落とし子でもあるが、政治的のみならず、科学界においてこのような人物が受け入れられてしまったことは、どこまで汚点として認識されているのだろうか。


「政府の公式のスローガンは、「戦争のために物理学を利用しなければならない」であった。私たちはその順序を変えて、自分たち用のスローガンにした。「物理学のために戦争を利用しなければならない」」、ハイゼンベルクはこう語った。

「その物語では科学者たちを、舵を取る立場に置き、政治指導者たちを、何でも信じる愚かな集団へと貶め、国家が資金提供する軍事研究をほとんど抵抗のための活動費にし、ナチ体制の不潔な現実から、純粋で汚れていない科学を分離する。/しかし、ハイゼンベルクの言い分は、どれほど信じられるだろうか?」

戦前からハイゼンベルクと交遊があり、連合国でナチスの原爆開発についての調査にあたったハウトスミットは彼をこう評する。ハイゼンベルクが「ナチスと闘ったのはナチスが悪だったからではなく、ドイツにとって、少なくともドイツの科学にとって悪だったから」だ。

ルイセンコに入れ込んだものの物理学には口出ししなかったスターリンについて、トニー・ジャットは、スターリンは狂っていたが愚かではなかったと評しているという。実はナチスは「ユダヤ物理学」を弾圧したりはしなかった。人種主義に冒された一部の物理学者が暴走しただけで、ナチスは「ユダヤ物理学」が兵器開発に不可欠であることをわかっていたのだった。ハイゼンベルクなどが「ユダヤ物理学」を拒否しなかったのは英雄的行為などではなく、ナチスと利害を一致させていた結果でもあった。

ドイツの物理学者たちは「物理学のために戦争を利用しなければならない」とし、研究資金だけ得て面従腹背をしてナチスを出し抜いたつもりだったのかもしれないが、その研究がやはり兵器開発に寄与するものであることには違いなく、科学者たちは実際はナチスの掌の上で踊らされていただけなのであった。

それにしても、「物理学のために戦争を利用しなければならない」というハイゼンベルクの言葉は、今の日本ではことさらに不気味な響きを持つ。日本では基礎研究費が削られる一方であるのに対し、軍事研究というニンジンが科学者の前にぶら下げられているという状況になってしまった。まさにハイゼンベルクよろしく、軍事目的と上辺を装って予算を獲得して基礎研究に注ぎ込めばいいなどと考えている科学者もいるかもしれないが、それはこの歴史を知らないから出てくる発想であろう。武器輸出三原則を無効化して以降、安倍晋三は国内の軍需産業を支援し自ら武器商人と化して「トップセールス」を行っている。このような環境に批判的な視線を向けることなく、「非政治的」になって予算を得られるか否かだけに焦点を当てることは、ドイツの物理学者たちと同じ轍を踏むことになりかねない。本書の訳者の一人である池内了はこの状況に警鐘を鳴らしているが(本書の出版もその一貫であろう)、伝わってくる話ではその危機感は若手研究者にはあまり共有されていないようだ。

こういった現状はもちろん日本だけの話ではない。後半では少々くどく感じるほど倫理問題を取り上げ続けているのは、元「ネイチャー」の編集長であるボールが研究者と直に接する中で、依然として少なからぬ科学者にはびこるそのナイーブな「非政治性」に深く「落胆」させられたことが表れているようでもある。


そしてもちろん、これは科学者にのみ限られるのではない。
ヒトラー政権が誕生すると、多くのドイツ人が、すぐに瓦解するか穏健化するに違いないと考えた。ハイゼンベルクは1933年10月の手紙で、「多くの良いことも数多く試されているのです。善意を認めるべきでしょう」としている。同じ頃に、オーストリア出身のユダヤ人であるリーゼ・マイトナーですら、追放されたり投獄されたユダヤ人は共産主義の扇動者であるという印象を持っていると語り、手紙の中でヒトラーが「非常に穏やかで、弁舌が巧みで、人の気持ちを和らげるような」話し方であり、「このような調子が続きますように」とまで書いている。

ではメディアが権力に対して厳しく対峙していれば、独裁は防げるのだろうか。ゲッベルスは「反対意見を容認することの大切さを理解していた」。「フランクフルト新聞」は43年に発禁にされるまで、「ナチの政策に批判的な記事を数多く掲載した」。ゲッベルスは、ある程度の批判を許容することによってガス抜きを図りつつ、独裁であるという否定的感情を抱かせないことに成功したのであった。

「ヒトラーは、合法でさえあれば自分の好きなことが好きなだけでいることを理解していた」。ヒトラーは、ドイツ人の「法律に明記された規則には反対しない」という「本能」を利用したが、プランクのように悪法も法なりと考える人物は、ヒトラーにとってまさに理想的なドイツ国民だったことだろう。

その現実を見せつけられてもヒトラーやナチスが穏健化するはずだと信じきるのは正常化バイアスと呼ぶべきものだろうが、その次に蔓延したのが、イアン・カーショーがいうところの「致命的な無関心」だった。「一般的なドイツ人は、残虐行為を直接目の当たりにして嫌悪感を抱いた」というのは、「水晶の夜」などでもよく言われる。しかしまた、「政治および道徳的な問題として、「ユダヤ人問題」は単に彼らの日常に大きな関連があるものとして受け取られなかったようである」。そしてこうした「無関心」を保つためには、「強い意志を持たなければならなかった。状況に背を向け、自己に向けて、個人的には責任がなく、ともかく何かするほどの力はないと言いわけしなければならないからだ」。

1933年にベルリン大学に勤めたがすぐにイギリスに渡ったハンガリーの物理学者レオ・シラードは、ドイツ人の「功利主義」を指摘している。「彼らはこんなふうに問う。「なるほど、しかしそれに反対するとして、何のプラスになるというのだろう? 何の役にも立たないし、自分が損をするだけではないか。だとしたら、どうしてわざわざ反対しなければならないんだ?」。道徳的にみてどうかという論点はまったくないか、非常に弱い。あらゆる思考は単純に、自らの行動によってどのような結果が予想できるか、であった。だから私は一九三一年に結論に達した。ヒトラーは政権を掌握するだろう。ナチスの革命勢力が強いからではない。誰も抵抗運動を起こさないからだ」。

ヴァイマル共和国の混乱を収束させるためなら多少荒っぽいことをするのもやむをえない、そんなひどいことになるはずがない、ひどい話だが自分にできることなどないので仕方がない、自分には関係のないことだ、勝ち目のないことをわざわざして何の得になる? こうして多くのドイツ人はヒトラー政権を受け入れていった。
ではこれはドイツ人特有の反応だったのだろうか。「他の国家の人々なら、同じ状況で、より「尊敬すべき」流儀で対応できただろうか」。カーショーはこの問いに「私はそうは思わない」としている。

「ヒトラー政権で経済相を務めたヒャマル・シャハトは」、「多くの点でリベラルであった」。彼はナチス支持者となりドイツ帝国銀行の頭取にまでなったが、また「直感的に人種憎悪に反対」し、反ユダヤ的な政策はドイツを「国内では弱体化させ、海外においては孤立させるという理由で反対していた」。シャハトは37年にヒトラーと仲違いをして影響力を失い、44年には抵抗運動に加わり、ヒトラー暗殺未遂計画に連座しダッハウ収容所に送られたが生き延びた。シャハトはニュルンベルク裁判で「ヒトラーの政策が最悪のものとならないようにするために」政府に仕えたと主張し、無罪となる。

シャハトの弁明を文字通りに受け取るかはともかく、このように「多くの点でリベラル」で「 直感的に人種憎悪に反対」するような人間ですらナチスを支持したのであり、「ヒトラーの政策が最悪のものとならないようにするため」に政権に加わったのだと自らの振る舞いを正当化してしまうような人物によっても、ヒトラー政権は支えられていたのでもある。

ヒトラー政権を強く批判しアメリカに残ったアインシュタインにはドイツからの風当たりは厳しくなる。プランクはアインシュタインがこのような言動を取ることは「効果的」ではないとし、「アインシュタインが反ユダヤ的差別を黙って受け入れるなら、状況はこれ以上悪くならないと言っている」。さらには、主義に基づくアインシュタインの行動を「利己的であり無責任」とまでしている。
マックス・フォン・ラウエはナチスに嫌悪感を抱き様々な抵抗を試みることになる人物であるが、その彼ですらヒトラー政権誕生直後は「きみが何か政治的なことをすると、ドイツの科学者全員の責任にされてしまうのだ」と手紙に書いている。まさにドイツ流「功利主義」であろう。

これに対しアインシュタインはこう反論した。
「政治的な問題、広い意味で人間に関わる問題に対して、科学者は沈黙を守るべきというあなたの意見には同意できません。……そのような抑制は、責任感の欠如を意味するのではないでしょうか?……私は自分が言ったことの一語たりとも後悔していませんし、私の行動は人類に役立ってきたと信じています」。

アインシュタインはドイツのためでも、物理学のためでもなく、人類のための責任意識を抱いていたのであった。

「ヒトラー政権下で公務員として働き、またドイツ艇庫運動に参加したハンス・ベルント・ギゼヴィウス」はこんな言葉を残している。
「ドイツの不幸から私達が学ばなければならない重要な教訓の一つは、人々がいともたやすく無為の泥沼に落ちてしまう可能性があるということだ。個々に小利口さや日和見主義や臆病の犠牲者となり、やがて取り返しのつかないまま自分を見失っていく」。


本書にはパウル・ロスバウトのような、断固としてナチスに反対し、ヒトラーを打倒するため戦時中も危険を冒してイギリスに情報提供を行っていた科学者も登場するが、そのような行動を取ったのはほんのわずかだ。そしておそらくは多くの人がこう感じるのではないだろうか、あのような時代に生きていたとしたら、自分にはロスバウトのような英雄的行為などできないだろう、と。

想像してみよう。もしヒトラー政権下のドイツで科学者であったら何ができただろうか。国外に脱出するにしても、職はどうすればいい。海外で満足のいくポストを得られるなど、一流の研究者でもない限り望めそうにない。ドイツ語しか話せず国外に出たことすらない家族が移住に不安を抱えていたら説得できるだろうか。家族を残してドイツを去れば、残された家族は迫害されるかもしれないが、いったいどこまで連れていくことができるだろうか。配偶者と子どもと両親くらいならなんとかなるかもしれないが、一族郎党全てを連れて行けるほどの経済力がある人などほんの一握りだ。

安倍政権やトランンプ政権がナチスと同類であるとか、早晩ナチ化するといった言い回しは大袈裟であるだけでなく、「狼少年」となって本当の危機に対しむしろ鈍感となってしまうという批判もあるだろう。「悪魔化」したところで得られるものはなにもないという主張にも一利ないわけではない。しかし本書に登場する「英雄でも悪人でもない」科学者たちや「普通」のドイツ人の振る舞いを見れば、こういった可能性に臆病過ぎるくらいがちょうどいいのだと思えてくる。その萌芽に目を凝らし、少しでも芽吹く気配があれば、この事実と正面から対峙しなければならない。自分ばかりか、家族や友人の命を含めて全てを賭して抵抗運動に加わるべきか否か、そんな選択が迫られるようになってからでは、すでに手遅れなのであるから。


『ヌメロ・ゼロ』

ウンベルト・エーコ著 『ヌメロ・ゼロ』





1992年6月6日の朝、コロンナが自宅キッチンの蛇口をひねっても水は出なかった。隣に確認するとそちらでは異常はないとのこと。隣家の奥さんは止水栓を閉めたのではないかと言う。流しの下を見るとその通り、止水栓が閉められていた。ほんとに、あなたがたシングルは!
しかし妙だ。コロンナは止水栓の存在すら知らなかった。シャワーの水がぽたぽた落ちるのが気になって眠れないことだってあった。これを知っていればさっさと止めたはずだ。そう、つまり、何者かが夜中に侵入し、部屋の主がしたたり落ちる水滴の音で目を覚まさないように止水栓を閉じたということなのではないか。奴らの狙いはわかっている。

コロンナは大学中退後、校正や持ち込み原稿の下読み、ゴーストライターといった仕事でなんとか食いつなぐ生活を続け50歳になっていた。92年4月、そんな彼にシメイが接触してきた。依頼は本を書くこと、報酬は信じがたいほどだ。『ドマーニ(明日)』という日刊紙が立ち上げられることになり、しばらく創刊準備号として「ゼロ号(ヌメロ・ゼロ)」を出すのだという。そして『ドマーニ』は、実は創刊されないことがあらかじめ決まっている新聞でもある。何十ものホテルを持ち、地方テレビ局なども所有するいわくつきの人物ヴィメルカーテが、有力者やエリートに受け入れるために一芝居打っていたのだった。『ドマーニ』によってエリート層を窮地に陥れることが可能なのだと見せかけ、創刊断念と引き換えに彼をエスタブリッシュメントに加えさせるのが狙いだった。コロンナは編集部に加わりつつ、『ドマーニ』が志しの高い試みであったかのように見せかけるための編集長シメイの回想のゴーストライターを引き受ける。

『ドマーニ』の編集部に集められたのは、コロンナと同じようにキャリアに恵まれない一癖も二癖もある人間ばかりだった。コロンナは職場を共にするようになった、親子ほども年の離れたマイアに次第に心惹かれていく。この編集部にはまた、ブラッガドーチョという変わった名前の男も雇われていた。彼はシメイに与えられた事件だけでなく、独自の調査を行っており、それについてコロンナに情報を知らせていた。それは第二次大戦末期、そして戦後のイタリアをめぐるあまりに荒唐無稽な陰謀論のようにも思えたが、ついにある事件が発生する……


イタリア現代史にまつわる陰謀(論)を正面から扱ったこの小説は、小説家エーコの遺作にふさわしいものであろう。

ヴィメルカーテの設定はベルルスコーニを連想せずにはいられない。『ドマーニ(明日)』というのはもちろん皮肉になっていて、読者は92年という「昨日」のイタリアの姿を見せられることになる。またこれは作中のテーマとも深く関わるものでもある。メディアを使って成り上がろうとするヴィメルカーテと、彼に仕え自己の利益しか考えないシメイの姿は、痛烈なメディア批判となっている。自らの読者の知的能力をみくびり、どうせまともなものなど読まないのだからと低レベルな記事で埋めようとするシメイの不誠実さは、現在の日本の新聞、テレビ等からも感じられる。このように、ここで批判されるメディアの状況はイタリアだけのものではないし、あたかも日本のそれを指しているのではないかと思えてしまうことすらあった。

新聞は「昨日」のニュースしか扱えない。もう読者が知っていることばかりだ。これではテレビに勝てるはずもない。これからやるべきは「明日」を伝えることで、創刊される日刊紙は調査報道を重視し、新聞というよりは週刊誌に近くなるとシメイは言う。ここだけ聞くとそう悪いものには思えないかもしれないが、実際にシメイや他の編集部員が行おうするのは、自分たちでニュースを作り上げ、読者を誘導することである。事故一つをとっても、「運が悪かった」という証言と「市の責任だ。この高架橋に問題があることは前々からわかっていた」という証言のどちらを載せるかによって印象はまるで異なる。あるいは対立する二つの意見を掲載することで、新聞があたかも中立であるかのような印象を与えることもできる。証言やコメントを鍵括弧でくくれば、それだけで客観的事実であるかのようだ。

南部で工員が同僚を襲うことはあっても北部ではそのようなことは起こらない。なぜなら、南部の事件は新聞がセンセーショナルに書き立てるが、北部の事件は無視されるからだ。イタリアは南北の格差と対立が激しいが、北部の新聞は南部が貧しく粗野で暴力的だという印象を与えるニュースなら嬉々として報じる。

『ドマーニ』のパイロット版として作られるナポレオンの死亡記事や偽のマルタ騎士団の告発記事などは思わず笑ってしまうが、一方で日々のニュースがこのように作られているのだとしたら、読者が新聞を通して知っているつもりのニュースとはいったいなんなのであろうかという気持ちになってくる。

なお、ある裁判官を尾行して、彼が公園でぼんやりタバコを吸ったり、中華料理屋で箸を使って食事をしたり、エメラルドグリーンの靴下にテニスシューズを履いていることをもって「風変わりな言動」をする人物として信頼性を疑わせようとするという場面が出てくるが、注によるとこれは実際にあった出来事をもとにしているとのこと。2009年にベルルスコーニ所有の会社に多額の罰金を命じた判事をこの会社が持ち株会社となっているテレビ局が尾行して、この判事にあたかも奇行癖があるかのように報じたのだという。このあたりは日本でも、行政訴訟などで国に不利な判決を出した裁判官を右派週刊誌などが変人であるかのように書き立て正当性のある判決か疑わせるミスリードを行うというのはお馴染みの光景である。


メディアの堕落は陰謀論を育む。あいつらが報道している事はウソばかり、真相を知っているのは自分たちだけなのだと思い込むのは陰謀論者の典型例である。とりわけ近年ではネットの普及によって、かつてであれば主要メディアが頬かむりしてすませてきた不祥事等が暴かれることによって、このような陰謀論者はますます力を得ている(携帯電話などすぐにすたれると話していた92年の『ドマーニ』編集部の牧歌的なことよ!)。

また、陰謀論を取り扱うには注意が必要でもある。荒唐無稽な馬鹿げた話を頑なに信じることは愚かであるように思えるが、では荒唐無稽なことは、そのすべてが事実無根のでたらめなのであろうか。別々の事件のバラバラの断片を繋ぎ合わせることで真実の姿がおぼろげながら浮かび上がってくるように思えてしまうことを、パラノイア的幻覚だと言い切ることができるのだろうか。とりわけイタリアのような歴史を持つ国では。

ブラッガドーチョの祖父と父はファシストだった。彼はその轍を踏むまいと極左に加わる。しかしここで彼が目にしたのは、極左組織にも諜報機関の扇動者が潜入していることだった。毛沢東に入れあげていた60年代後半の西ヨーロッパの極左であるが、毛沢東政権下でどれだけの人命が失われたのかについては全く無知であった。一方で極左による暴力とされたものの中には、様々な陰謀が絡んでいたものもあった。いったい何が真実なのか。ブラッガドーチョの父はガス室はなかったとは主張しない。しかしファシズムを擁護する立場からニュースを疑い、息子もその影響を受けた。さらにこうした体験から「もう何も信用しない」と言う。ユダヤ人虐殺はなかったとは言わないが、月面に着陸した宇宙飛行士の影を見ると怪しげに思えるし、湾岸戦争はほんとうに起こったのかと感じてしまう。「おれたちは偽りに囲まれて生きている。嘘をつかれるのだと知ったら、疑いながら生きなければならない。おれは疑う。いつだって疑う」。

ブラッガドーチョは絵に描いたようなパラノイアに冒された陰謀論者のようだ。しかし壊れた時計も一日二度は正しい時を指す。彼が追う疑惑は陰謀論者の馬鹿げた幻覚なのか、それとも彼は真実に近づいているのだろうか。


60年代後半から80年頃にかけて、イタリアでは不可解な事件が頻発し、現在でも真相は謎のままであるものも多いが、ある程度その背景が透けて見えているものもある。
本作でも言及されるロッジP2など、話を聞くだけでは馬鹿げた妄想に思えてしまうのだが、実在した組織である。右翼が白色テロを起こすことで緊張状態を作り出し、場合によっては反共軍事政権の樹立をも視野に入れ、これに警察など治安機関も関与していたという疑いは濃厚だ。CIAが元ナチや元ファシストを雇い入れ、反共の道具として利用していたことも事実である。カトリック教会の一部がナチやファシストの残党を匿い、南米に脱出させていたことも事実である。本作で中盤以降のキーとなる、NATOやCIAがヨーロッパ各地の極右と連携してテロなどを起こしたグラディオ作戦も実際に行われた。これを取り上げた、コロンナらが見るBBCの番組も実在している。

こういった本来であれば世界がひっくりかえるような事実を見せられても、多くの人がこれをなんとなく流してしまった。陰謀論を含めてセンショーナルな情報があたりまえのように流通している結果、衝撃の事実に衝撃を感じなくなっている。メディアのもう一つの得意技が、ある事件に対し別の事件をぶつけることで情報を相殺することだ。
「問題は、新聞というのはニュースを広めるためではなく、包み隠すためにあることだ。Xという事件が起こる。伝えないわけにはいかないが、そのおかげで当惑する人間があまりに大勢いる。そこで、同じ号に、ぎょっとするような大見出しの記事を載せるんだよ、母親が四人の子どもを惨殺、国民の貯金が無に帰する恐れ、ニーニ・ビクショを侮辱するガリバルディの書簡発見、等々。すると、Xという事件も情報の大海におぼれてしまうわけだ」。


反ユダヤ主義を掻きたて、ついには大虐殺に至る下地を作ったものの一つが「シオン賢者の議定書」である。この話にならない馬鹿げた内容を真に受けたり、偽書だということを知りつつ反ユダヤ主義を煽るうえで有用だとして利用した人間もいた。このように、陰謀論は現実の脅威である。『プラハの墓地』は数多くの実在の人物と実際の事件を取り上げ、「シオン賢者の議定書」がいかに作られたのかを幻視する。

やはり数多くの実在の人物と実際の事件が登場する『ヌメロ・ゼロ』は、『プラハの墓地』とコインの表裏の関係にあるだろう。陰謀論を弄ぶことがどれほど危ういかを描いたのが『プラハの墓地』ならば、信じがたい現実をその信じがたさゆえに否認したり、あるいは逆に陰謀論に馴れきることでアパシー状態に陥り、無批判に恐るべき現実を受容し流してしまう可能性が生じることを示唆するのが『ヌメロ・ゼロ』である。といっても、もちろんエーコは、陰謀論扱いされているがこれは現実なのかもしれないといった安易な形に落とし込みはしない。その終わり方は、オリバー・ストーンの『JFK』とは対照的であるとしていいだろう。

陰謀論を、あるいはその逆に、荒唐無稽に思える馬鹿げているとすらいっていほどの現実をどう扱えばいいのかは難しい問題である。後になって振り返れば、ドイツやその周辺のユダヤ人がヒトラー政権樹立直後に、なぜ脱出するなり打倒に動くなりの行動に移らなかったのかと思ってしまかもしれないが、1920年代のヒトラーはちょび髯の道化師としか見られておらず、ナチスが勢力を急拡大させてもそのイメージを引き続き持ち続けた人が多かった。またユダヤ人を含め、少なからぬ人がヒトラーは政権の座に就いてもその任に堪えかねてすぐに逃げ出すかエスタブリッシュメントに屈すると考えた。ミュンヘン一揆直後にヒトラーをあなどるなと叫んだら、そちらのほうが頭のおかしい人扱いされたことだろう。いったいなにをどこまで真に受けて、それにどう対処すればいいのかに、決定的な答えはない。


ブラッガドーチョは、いかにもミラノ的な居酒屋の主人が実はトスカーナ出身だと聞いて、「トスカーナ人に対しては、なんの敵意もない。彼らだってちゃんとした人たちなのだと思うよ」としつつ、子どもの頃のこんな話を思い出す。「不似合いな結婚をした知り合いの娘の話になったとき、いとこがほのめかしてこう言うんだよ、フィレンツェのすぐ南に壁を築くべきだってね。すると、母はこう言ったんだ、フィレンツェの南? ボローニャの南でしょう!」

ベルルスコーニ政権を支えた勢力の一角に、経済的に恵まれた北部を停滞にあえぐ南部から切り離し独立させるべきだと主張する北部同盟がいる。「南に壁を築くべきだ」というのは、ベルルスコーニ時代には笑い話の冗談で済ませることはできなくなる。腐敗しきったベルルスコーニが権力に執着する理由の一つとして囁かれたのが、訴追をさけるためというものだった。訴追されかねない人間が権力の座についてしまったというよりも、訴追を避けるために権力の頂点にのぼりつめようとしたのであった。こんな人間が権力の座に長く留まることなど不可能に思えるだろうが、現実は20年近くも政治の中心であり続け、今なおその影響力を完全に排除できないでいる。そしてご存知の通り、ベルルスコーニの力の最大の源泉が、テレビ、出版等の巨大メディアコングロマリットを支配していることである。

ベルルスコーニをトランプに置き換えても、多くがそのまま通じてしまいそうなほどである。イタリアの「昨日」を描いた『ヌメロ・ゼロ』は、世界の「今日」を描いたものとなっている。こんな馬鹿げたことが起こるのはイタリアだからだ、まともな民主主義国家ならばこんなことは有りえないなどとは、現在どの国の人間も口にすることはできなくなってしまった。

この現実にどう立ち向かえばいいのか、無力感に襲われもするが、中山エツ子は「訳者あとがき」で、エーコの映像作品『記憶について(Sulla memoria)」からこんな言葉を引用している。「私たちの存在は私たちの記憶にほかならない。記憶こそ私たちの魂、記憶を失えば私たちは魂を失う」。
過去を、そして今のこの現実を、私たちは記憶し続けなければならない。


エーコであらば長編に仕立ててもいいであろう題材が中篇といってもいい長さにおさまっているのは、2015年、死の1年前の83歳の時に発表したという年齢のせいもあったのだろうか(この年齢でこれだけのものが書けるのもすごいが)。個人的には最後にすっと脱臼させるような終わり方は嫌いではないが、エーコの作品としてはトップクラスとは言いかねることも確かではあろう。筋運びにややぎくしゃくしたところが見られるし、もう少し練れていればと思わせるところもある。とはいえ、『プラハの墓地』に引き続いて、「現在」への危機感がこの作品を書かせたことは想像に難くないが、ではテーマばかりが先走っているのかといえばそうではなく、やはりエーコらしさを楽しめる作品ともなっている。


本作は予備知識があまりなくともそれなりに楽しめるとは思うが、やはりイタリア現代史についてはある程度知っておいてから読んだほうがいいだろう。
『イタリア現代史』(伊藤武著)はコンパクトに概観できるし、60年代から80年前後にかけての「鉛の時代」についても当然扱われているので、まず手にしてみるのにいいだろう。




『ゴッドファーザー PART3』で描かれたヨハネ・パウロ二世の不可解な死や銀行家が橋から吊るされた死体として発見されたあの事件などについても『ヌメロ・ゼロ』に言及がある。



エーコの小説家としてのデビュー作である『薔薇の名前』は、中世の修道院を舞台にしつつ実はアクチュアルなイタリアの政治状況が編みこまれているといったあたりは『光の帝国』(伊藤公雄著)も参照してほしい。イタリア現代史を扱った『ヌメロ・ゼロ』は、小説家エーコの原点回帰という面もあったのかもしれない。





『沈黙  サイレンス』

『沈黙  ――サイレンス――』

長編小説を映画化した場合、原作にこだわりすぎた結果として、原作を未読の人には意味がわからず、読んでいる人にはあれが足りないこれが足りないとなってしまうということがままある。その点この『沈黙  サイレンス』は、スコセッシが長年温めていた企画だけあって見事にまとめあげられていて、原作をほぼ忠実になぞりながら、独立した作品としてもきっちり一作に収めている。


とはいえ、直前に原作を読み直してから行ったものでどうしても両者を比較してしまいたくなってしまい、まずは本筋とはいえないここから。


ロドリゴは井上について、見るからに禍々しい存在を予想していたのであるが、目の前にいる人を喰ったような飄々とした老人がその井上であることを知り驚く。このあたりは原作も同じである。

「茫然として、彼は老人を見つめた。老人は子供のように無邪気にこちらを眺めて手をもてあそんでいる。これほど、自分の想像を裏切った相手を知らなかった。ヴァリニャーノ師が悪魔と呼び次々と宣教師たちを転ばせた男を彼は今日まで青白い陰険な顔をした男のように考えてきた。しかし眼の前には、ものわかり良さそうな温和な人物が腰かけていた」。

しかし映画の観客は、ロドリゴとこの驚きを共有することはないだろう。イッセー尾形が井上役だといった予備知識ゼロで見始めたとしても、井上の登場の仕方は意味ありげであり、彼が重要な人物であることが初登場時に示される。原作でもロドリゴはこの老人の一見温和な様子の裏に潜む狡猾さを目撃しているのであるが、これがどれほどの人物であるのかは読者には示されない(この部分はロドリゴがしたためている手紙という形式のため、読者はロドリゴ以上の知識を持てない)。

原作では冒頭で恐るべき拷問である「穴吊り」への言及があり、ヴァリニャーノは「日本には今、基督教徒にとって困った人物が出現している。彼の名はイノウエと言う」と警告を発する。ヴァリニャーノは、井上と比べれば「さきに長崎奉行として多くの切支丹を虐殺したタケナカなどはたんに凶暴で無智な人間にすぎない」と言う。そして「悲しむべきことに」、「彼はかつて我々と同じ宗教に帰依し、洗礼まで受けた男なのだ」。だからこそ井上は、「前任者タケナカとは全く違った蛇のような狡猾さで、巧みな方法を駆使し、それまでは拷問や脅しにもひるまなかった信徒たちを、次々に棄教させ」ることができるのであった。
ロドリゴは日本潜入前に、「やがて日本に上陸した後、おそらく出会うかもしれぬこの日本人の名を記憶にとどめるため、馴れぬ発音を私たちは口のなかで繰りかえ」すのであった。

井上をめぐるこのあたりの描き方は原作の方が効果的であろう。映画でもマカオでロドリゴが井上の名前を耳にして強烈な印象を抱いていたとすることは難しくなかったはずだが、あるいは脚本を長年に渡って切った貼ったしているうちに削られてしまったのかもしれない。

原作では井上とい存在はロドリゴとガルペのみならず読者にも冒頭で強く印象づけられている。しかも井上が元キリスト教徒だけあってキリスト教を知り尽くし、主観的にはともかく第三者から見れば、フェレイラやロドリゴが井上の術中にまんまとはまっていくというのは、この物語が与える多義的な印象にとって重要な部分でもあるので、本筋とは関係ないとしたが、単にエンターテイメント的効果の問題に留まらない微妙だが大きな改変部分だとすることもできるかもしれない。



『沈黙』という小説は、単に長さの問題だけでなく映像化しにくい要素を抱えている。三人称、書簡体、日記と複数の視点とナラティブが混在しているためだ。このあたりをどう処理しているのかが一つの注目であったのだが、スコセッシはボイスオーバーという好みが分かれる手法を恐れない監督だけあって、一人称部分はそのものずばりで描いていた。スコセッシの作品ではおなじみのもので違和感を覚えた観客はあまりいないと思うが、その分原作のナラティブの使い分けといったあたりは後景に退くことになっている。語りの問題というのは小説と映像の最大の差異であり(映像作品で完全な一人称の再現は不可能といわないまでも非常に困難である)、むろんこれに唯一の解があるというのではない。

遠藤がこうした手法を用いたのは、『沈黙』という作品に複数のテーマが内包されているからであろう。神の沈黙、キチジローに代表されロドリゴらにも潜む人間が抱える弱さとその救済、そして日本人カトリック作家による、日本という場所でキリスト教徒になりえるかという疑念といったあたりが主なものである。これらは「信仰をめぐる問い」と一くくりにすることも可能であり、スコセッシがこの作品に惹かれたのはまさにここであろうし、その結果として映画『沈黙』は確かにきれいにまとまってはいるのだが、原作に孕まれていた「いびつ」さというのがそがれているようにも思えた。

それを象徴するのが、基本的には原作に忠実でありながら、ここだけは大きく改変した最後のパートである。遠藤は読みにくい「漢文体」の「切支丹屋敷役人日記」をエピローグとして結末に置いており、実際にここは読み飛ばされたり、意味がよくつかめなかった読者も多かったようで、こちらに書いたように遠藤は自作解説を行わなくてはならないほどであった。もちろんこの人を遠ざけるようなわかりにくさや曖昧さこそが遠藤の狙いであったのだろうが、映画『沈黙』ではこれをオランダ商館員ヨナセンの日記を引き伸ばす形で処理し、結末は観客が誤解のしようのない形になっている。井上の術中にはまってキリスト教が「日本と申す泥沼」に敗れていくという、普遍宗教であるはずのキリスト教の普遍性への疑念を描いたものともとれてしまう原作には、少なからぬクリスチャンが居心地の悪さを覚えることだろうが、映画をその結末まで見れば、このような居心地の悪さは生まれないだろう。
スコセッシが直接的に描いたあの場面は遠藤自らが解説しているように原作からも引き出せるものであり、必ずしもエッセンスまでをも改変したわけではないが、やはりその印象は大分異なるものにもなっている。


微妙な印象の違いといえば、聖書的イメージとの類似と差異というのもあるだろう。キチジローからは誰もがユダを連想するだろうし、明らかに重ね合わされている部分がある。しかし同時に、キチジローはユダと違って首を吊らないように、遠藤は意図的にあえてずらしているところもあり、これこそがこの作品の肝の一つであろう。彼のような人間も救われるのかというのは遠藤の問いでもあり、非常にスコセッシ的な問いでもある。この部分は原作と映画は明確に共有している。しかし映画では、ロドリゴはかなり露骨に自らをイエスと重ね合わせているのであるが、原作では捕らえられたロドリゴは、予想と違いその「のどか」な捕われの日を送る中で、「自分が多くの殉教者や基督のように、悲劇的で、英雄でないことに幻滅さえ感じ」ることになる。

ロドリゴはキチジローの密告によって捕われる直前にこう考える。
「人間には生まれながらに二種類ある。強い者と弱い者と。聖者と平凡な人間と。英雄とそれに畏怖する者と。そして強者はこのような迫害の時代にも信仰のために炎で焼かれ、海に沈められることを耐えるだろう。だが弱者はこのキチジローのように山の中を放浪している。お前はどちらの人間なのだ。もし司祭という誇りや義務の観念がなければ私もまたキチジローと同じように踏絵を踏んだかもしれぬ」。

まさに彼は踏絵を踏むことになる。つまり、ロドリゴが「転ぶ」ことになるのは、独善的な信仰のみを盲信し教条主義に陥るのではなく今苦難に見舞われている弱き者にこそ寄り添わねばならないという一種の悟りを得た結果のみだけではなく、ロドリゴ自身が捕らえられる前から、自分はキチジローと同じ弱さを持っているのではないかという疑念を抱いており、まさにその弱さゆえであったのではないかということもまた示唆されている。もちろん映画でもこのあたりは汲み取られていて、フェレイラの見るからに、明らかに自信なさげな、目線をそらすおびえたような様子は、彼が己と信仰の強さへの自信からあえて転んだのではなく、弱さに押し潰された結果であることも表しており、当然ロドリゴもまたそれを共有することになっているであろうと思わせるのであるが、映画ではロドリゴについてはこの部分の描写は弱い。

死ぬことになるのに「みんな、平気なのか」とロドリゴが問うと、同じく捕われの身にある女は「パライソに行けば、ほんて永劫、安楽があると石田さまは常々申されとりました。あそこじゃ、年貢のきびしいとり立てもなかとね。飢餓も病の心配もなか」と答える。「ほんと、この世は苦患ばかりじぇけえ。パライソにはそげんものはなかとですかね、パードレ」、そう訊ねられると、ロドリゴは「天国とはお前の考えているような形で存在するのではない」と言いかけるのであるが、口をつぐむ。ロドリゴは「天国とはきびしい税金も苦役もない別世界だと夢みる」百姓たちの、「その夢を残酷に崩す権利は誰にもな」いと思い、「そうだよ(……)あそこでは、私たちは何も奪われることはないだろう」と言う。

ここでロドリゴは、信仰を棄てずに「パライソ」に行く覚悟を決める(というかむしろそれを積極的に望む)百姓たちの信仰心の篤さに感動しているのではない。土着化した信仰がキリスト教から離れていっていることは日本で布教を開始してから感じてきたが、まさにそうであることを見せつけられるのであり、彼がそれを正さないのは、同情心からであってこれこそが真の信仰だと考えたからではない。

しかし、 キリスト教にとってイエスの死とその復活とが信仰の核であり、最初期の伝道師たちは次々と殉教を遂げ聖人となっていったように、殉教はキリスト教の普及にとって欠かせないファクターであり、まさにイエズス会はそれを恐れぬ団体である。この世の辛さからの救済を求めて死を願う日本人百姓と、あえて殉教を望むかのような宣教師たちに違いはあるのだろうか。そもそもロドリゴとガルペはあまりに危険だという警告を振り切って日本に潜入したことを思えば、布教やフェレイラの棄教の噂の真相を確かめたいという目的もあるとはいえ、殉教すること自体を望んでいたという部分もないとはいえないだろう。この「のどか」な捕われ生活を送っているときは知る由もないが、後にガルペはロドリゴと違い殉教することになる。転ぶことを拒み、信徒とともに死ぬことを選ぶガルペはこれに忠実であり続けた。一方ロドリゴは殉教しない、あるいはできない自分が、「多くの殉教者や基督のように、悲劇的で、英雄でない」という事実を突きつけられ、自分がキチジローと変わらないのではないかと「幻滅」し、「言いようのない不満」を覚える。

こう考えると、原作ではロドリゴが耳にする神、あるいはイエスの声は、彼が自己防衛として頭の中で作り出しているようにも思えてくるのであるが、映画ではロドリゴはより直接的に自分をイエスと重ねているため、「実際」にこの声を聞いているという印象の方が強まる。もちろん映画でもそれは逃避的幻覚、幻聴であるとも解釈できるため、必ずしも原作から逸脱しているとはいえないが、やはりその肌合いというのは多少異なることになる。

誰もが誉め言葉として、映画『沈黙』が原作に忠実であると口にするし、改変した結末のエッセンスをも含めて実際にその通りであるのだが、同時にこうした差異から生じる微妙な肌触りの違いというのもある。


当然ながら、映像作品の価値とは原作をいかに再現するかにかかっているのではない。原作との間に差異があるからといって、スコセッシの『沈黙』の価値が低下するというのではない。
文学作品をいかに映像化するのかというのは文字通りに山のような試みが重ねられてきており、絶対の正解というものが存在しないどころか、ある意味では敗北があらかじめ決定付けられている試みであるとともに、また文学とは違う形での勝利の可能性というものを映像作品は持っている。
スコセッシの『沈黙』は映画単体としても完成している素晴らしい作品であるが、二つの『沈黙』を対比的に見るのも面白いし、篠田正浩版は未見なのだが、この三者を比較してみるとまたいろいろなものが見えてくることだろう。もし映画を観て原作を未読であれば、ぜひとも一読していただきたいし、原作を読んだが映画を観るのは迷っているという人がいれば、ぜひとも映画も観ていただきたい。このようにしてさらに探求を重ねることができるタイプの作品になっている。


そういえば前作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』はこれとはまったくテイストの異なる作品なのであるが、こちらに書いたように、このはちゃめちゃな物語も意外なほど原作に忠実でもあった。テーマ、作風のみならずバジェットからして全く違うのであるが、それでいてやはりどちらも紛れもないスコセッシ印の作品ともなっており、スコセッシという監督の個性についてこのあたりから考えることもできるのかもしれない。


ついでにいくつか。
キチジロー役が窪塚洋介であることも、結構意見が分かれるかもしれない。窪塚の演技力の問題ではなく、キチジローというキャラクターを考えると、もっと軽い感じのお調子者風でよかったのではないだろうかとも思えた。そうであれば、こういう人物があのような行動を取るからこその痛切さというのがより一層のものとなったであろう。世が世なら、彼は頼りがいはないが気のいい男として、平々凡々、それなりに幸せな人生を送れたはずである。それが自分の「弱さ」をこれ以上ない形で突きつけられ、救済を信じて死ぬことすらできずに呪われたように生き延び、それでも救いの可能性を求め続ける。ところがこれが窪塚では、顔の整った造型を含めて見るからに「悩める青年」風になっていて、彼の苦悩がかえって一般化されることで、その効果が弱まったようにも感じられてしまった。原作でキチジローのお調子者っぷりが描かれ、ロドリゴは少々呆れつつ微笑ましくも彼を見つめるのであるが、映画ではキチジローはどこにあっても孤立しているような姿で描かれており、常に「実存的」な悩みに煩悶しているかのように見えてきてしまう。
まあハムレットをどういった人物像にするかというのは演出家の腕の見せ所で、現在進行形で何種類ものハムレットが今も生み出され続けているように、このあたりにも絶対の正解があるわけではもちろんないので、あくまで個人的な解釈と好みによると、というところである。

それから、気にならない人にはまったく気にならないが、ひっかかる人にはどうにもひっかかるのが言葉の問題であろう。映画では英語で交わされている会話が一応ポルトガル語でしゃべっているという設定になっていることには微苦笑してしまったが、ただでさえ資金集めに苦労した作品だけにこれはやむを得ないだろうと同情する。そもそもが、原作でも「ここはいったい何語で話しているのか」というような場面もあるので(上の引用の場面でも、ロドリゴは短期間で方言を聞き取れるようになったのだろうか、そして彼は自分の意思を十分に伝えられるほどの日本語を身につけたのだろうか、それとも信徒たちはポルトガル語で言われたことをきちんと理解できるのであろうか)、目くじらたてる必要はないとは思うのだが、「ロドリゲス」と言われると、う~むとならないこともないが。


プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR