『父・夏目漱石』

夏目伸六著 『父・夏目漱石』




夏目伸六は漱石の第六子(次男)で、末の妹の雛子が幼くして亡くなったため末っ子として育てられる。本書は息子による父の回想でもあるが、その点では漱石は亡くなったとき数えでまだ九つだったもので限定的なものにならざるをえない。本書は漱石死去後の夏目家の人々や弟子たち、また伸六がその後の研究で明らかにしたこと(例えば漱石の母、著者からすれば祖母の出自についてなど)からなっている。


「伸ちゃんは達はとてもよかったのよ。だってお父様が一番病気のいい時に育ったんですもの」、伸六は一番上の姉のところでこう言われたそうだ。漱石は精神状態が悪化すると家族に理不尽な暴力を振るったというのは有名なエピソードである。伸六も行儀にうるさかった父と外食する際には緊張したそうだが、食事が咽喉を通らなくなるというほどではなかった。これが上の言葉を裏返すと「病気のわるい時」に育った上の姉二人は、ただただ父を恐れているばかりであった。「その怖いったらなかったわね」「だから私達、お父様とどこかへ一緒に行くのとってもいやだったわ」と姉たちは振り返っている。

伸六もこのような恐怖と無縁であったわけではない。父と相撲をとって遊んでもらっている時にも、「私の心の底には、いつ怒られるか解らないという、不安が絶えずこびりついて離れなかった。当時の私にとっては、いつ怒鳴られるか――たしかにそれが父に対する最大の恐怖だった」としている。

伸六には「自分が本当に父から気違いじみた取扱いをされた覚えは、ただの一遍しかなかった」。まだ小学校へあがる前のこと、兄の純一と一緒に漱石に散歩につれていってもらった。おそらくは子どもたちがせがんだのだろう。神社の境内の見世物小屋に入ると、射的場があった。弾が命中すると炎が燃え上がる仕組みになっており、伸六は本当に燃えているわけではないと思いつつも、驚異の眼でもって見つめていた。すると「純一、撃つなら早く撃たないか」と声がした。しかし純一は「その声に怖気づいたのか」、「羞ずかしいからいやだあ」と言って父の背後に隠れてしまった。「私は兄から父の顔へ眼を転じた。父の顔は幾分上気をおびて、妙にてらてらと赤かった」。
「それじゃ伸六お前うて」と言われたが、「羞ずかしい……僕も……」と、兄と同じように父の陰に隠れようとした。すると「馬鹿っ」という怒号が響き渡り、張り倒されると、「父は下駄ばきのままで踏む、蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを滅茶苦茶に振り回して、私の全身へ打ちおろ」したのであった。

ここで描写される純一の反応は少し異様である。「どうしたらよいのか解らないといったように、ただわくわくしながら、夢中になってこの有様を眺めていた」そうだ。おそらくは、末の子として甘やかされていた弟が、自分と同じように父から暴力を振るわれているのを見たことによる複雑な反応だったのだろう。

伸六は幼いの頃は「癇持ち」の、「不快な子」で、やたらと泣いていたそうだ。すると漱石は「泣くんじゃない、泣くんじゃない、お父様がついているから安心おし」となだめてくれた。「病気がわるい時」なら考えられない反応だろう。しかしこれも不気味なところがあるのかもしれない、と伸六には思えた。父が自分を溺愛したのは、「自分も私と同じ末っ子であり、家庭にも恵まれず、また父親からもあまり可愛がられなかったため、私の泣くのはきっと自分と同様、傍の者からいじめられて泣くのだろう、「だからお前にはこうしてチャンとお父様がついているから安心おし」という、いわば父の異様な妄想から出発した反射的行為に違いなかった」。

兄の純一からすれば弟ばかりが可愛がられてと思ったことだろうし、それがあのような反応につながったのかもしれない。後々まで純一はこの出来事を「ひどく面白おかしく話し」、「愉快な思い出」のごとく語り、伸六を憤慨させている。


射的場での漱石の「顔は幾分上気をおびて、妙にてらてらと赤かった」とあるように、その様子は明らかに平常とは違うものだった。漱石は常に暴力的であったのではなく、「病気」になって、精神に変調をきたした時に暴力的な衝動を抑えられず、家族に向けて発散させていたのであった。

精神が安定しているときの漱石はいたってよき父親である。子どもたちとふざけあい、「イロハがるたにわざわざ自分の方から割り込んできて、「屁をひって尻つぼめ」と「頭隠して尻隠さず」という札だけを必ず自分の前へ独占して、一生懸命にそればかり眺め据えながら、いざとなるとそれさえたちまち私等に横取りされていた」。

傍目には「一心不乱に父に親しみきっているように見えながら、その癖心の底ではどうしてもこの父に真の親しみを抱き得なかった、私の本当の気持ちを知ったとしたら、恐らく父としてもかなり淋しい気がしたのではなかっただろうか」。
伸六はこうして父を「欺き通した」ことについて、「病気を離れた真実の父に対して、本当に申し訳なかったという侘しい後悔の念を感ずるのである」。

ある日伸六が幼稚園から帰ってくると、母が女中をつけて兄弟で外に遊びに出したことがあった。「暗い中の間の仏壇の前で、その時母はジッと拝んでいた。家の中はシーンと静まりかえって、コソッという物音一つ聞こえなかった。しかし私はフッと、間の襖を一つ隔てた隣の書斎に父がじっと虎のように蹲っているのを、心のどこかかに意識した。仏壇の前で母は、たしかに泣いているようようだった」。母は「険悪な父の前に曝させまいという親心」で兄弟を女中をつけて外に行かせた。いつもなら転げまわって遊ぶのだが、この日ばかりは「途中で女中の買ってくれたお煎餅やジャミパンを味もなくボソボソとかじりながら、赤い夕日が遠く黒い屋並の果てに沈んで行くのを、じっといつまでも眺めていた」。


と、このように書くと夏目家は暗く沈んだ家庭であったように思えてしまうかもしれないが、漱石が「病気」の時以外はわいわいと楽しくやってもいたし、それは漱石の日記からも窺える。とりわけ雛子を失ってからの漱石は子どもたちを可愛がった。「夜愛子熱出る、氷で頭を冷やす、エイ子を相手に鞠をつく」「こたつで愛子とふざけて遊ぶ。御八つの焼芋を食ふ」「夜ストーブを焚き、子供と唱歌を歌う」といった記述が引用されている。
「伸六インキンタムシのことを南京魂と云ふ」なんてところは、小説のネタ探しをかねていたのかもしれないが、子どもらしい言い間違いや勘違いを素直に面白がる父親らしさがよく出ている。

ここに出てくる、伸六のすぐ上の姉である愛子は「私等兄弟のうちで、たった一人、少しも父をこわがらなかった」そうだ。「昨夜アイ子と寝る。夜中に、わが腹を蹴る事幾度なるを知らず」とあるように、よく父とも一緒に寝ていたそうで、ほとんど怒られることがなかったのはこの愛子だけだった。

愛子から下の子どもたちは機嫌を損ねると、縁の下や押入れなどに閉じこもり「示威運動」をしていた。伸六はというと「八十五銭の喇叭を買へと云ふのを排斥されたので怒つて縁の下へ這入つて仕舞つた。どうしても出て来ない。あい子が海苔巻きを縁の下に出すと、怒つて居る伸六も食ひたいと見え手、パクリと食ふのださうである。其の代わり口は決して利かない」。純一が怒って裸で縁の下にもぐりこんで、どうしても出てこず、人が近寄ると泥を投げるなんてことも漱石は日記に書いている。愛子はさすがに縁の下にはもぐらなかったようだが、「その代わり彼女は、よく湯殿の風呂槽の中へ篭城するのを得意とした」。
これも父の「病気のわるい時」に育った上の姉たちからすれば考えられなかったことだろう。

漱石がとりわけ愛子を可愛がったのは雛子のことがあってのことだろうが、またこんなことも父を面白がらせたのかもしれない。漱石は日記に「あい子怒つて曰く御立腹だから面会は出来ないよ」と書いている。これはどうやら、漱石の機嫌が悪い時に弟子たちが「今日は先生御立腹だから面会は出来ないよ」などとひそひそと話しているのを耳にして、それを真似たらしい。まだ幼い娘が「御立腹だから面会は出来ないよ」などと言って腕組みでもしながら口をとがらせている様子は、父親からしたらさぞ可愛らしく写ったことだろう。

漱石は甘党にして食いしん坊でも知られるが、胃を壊した後は胃に悪そうな菓子類は妻の鏡子が目につかない場所に隠しておいた。それでも漱石は午後になると書斎から出て、棚を開けたり閉めたりしながら菓子を物色していた。鏡子がいないと、「お菓子なら、ここにある、お父様」と愛子はすぐにありかを教えてしまい、漱石は「そうかそうか、愛子は、中々親切者だな」と御機嫌になって菓子をぱくついて書斎に戻っていった。


本書はまた、漱石の弟子たちを漱石の息子の目から見ての評としても面白い。弟子たちの多くが独占欲が強く、自己中心的でわがままで、といった印象は否めない。そのダメダメっぷりはついイエスの十二使徒と比べてみたくなるが、なんとかの子ほど可愛いというが、不肖の弟子であるだけに漱石もなおよく面倒を見たというところもあったのかもしれない。森田草平なんて何度匙を投げられてもおかしくないことをしでかしているのだが、漱石は根気強く世話をし続けた。

本書で一番笑ってしまったのはこんなエピソードだ。森田が法政大学で英語を教えていると、訳が曖昧でわかりにくい所があると質問に来た学生がいた。すると「僕に君、そんな難しいこと聞いたって解りゃしないよ、ハッハッハッハハ!」と他人事のように笑った。そのくせ「一向に要領を得ない上に、試験の点数だけは無闇と辛かった」。学生からしたら最悪の教師で笑い事ではないのだが、森田がこれをやるとなんだか彼らしくて思わず笑ってしまう。本書で語られている森田の珍エピソードの数々を読むと、まあ漱石が可愛がったのもわからなくはないと思える一方で、もし自分ならこんな人と付き合うのはまず無理だとも思えてもくるが。

寺田寅彦を別格とすると、弟子の筆頭格といえるのが小宮豊隆で、当人もそれを自認していたことだろう。しかし漱石の息子の立場からすると、この小宮は鏡子「悪妻」説を広めた張本人であり、本書にも複雑な心境が垣間見える。

小宮は学生時代から夏目家に出入りし、当然鏡子とも長い付き合いである。鏡子は気風がよく世話好きな面もあったため、小宮もそれに甘えていた。漱石が胃を壊して食事がとれない時に、小宮は鏡子に鰻をねだって漱石を閉口させたりもしている。
「小宮さん自身にしたところで、若い学生の頃は勿論のこと、父の死後もずっと、私の母とは親しくもし、随分と世話になった関係上、個人的には、別に、この母に、それほどの悪感情を抱いているという訳でもないのだろうが、ただ、絶対の父と俗物の母とを一対にして、おのが祭壇に安置してみて、始めて、異質に悩まされる御神体が、何ともいとおしくてならなかったのに違いない」。

漱石の命日の九日には「九日会」が夏目家で開かれていたが、小宮は森田と鈴木三重吉を相手に「もし先生が、もっといい奥さんを貰っていたら、果たしてどんな作品を書いたろうかと思うと僕は……」と、深刻げな面持ちで口をつぐんだことがあったそうだ。軽口ならいざしらず、よりにもよって夏目家で、真面目な話題としてこんな話を持ち出す神経は確かに理解し難い。鏡子はもちろん席を外していたのだが、伸六はこのやりとりを耳にしてしまい、「何と無意味なことをいう人か」と、「軽蔑の念」を覚えたとしている。

もっともこれは小宮に限ったことではない。長女の筆子が「結局あれね、うちのお父様もお母様も、子供を育てる上には全然失敗ね。二人とも無能力だわ」などと言うと、森田も「もし先生が筆子さんのような気立ての奥さんを持っていられたら――」などと「笑止な想像力をめぐら」せている。
伸六は森田や鈴木については愛すべき不肖の弟子のように感じながら小宮について冷ややかなのは、悪妻説云々もさることながら、個人的に折り合いが悪かったということもあるのかもしれない。

伸六も書いているように、だいたいが小宮などが望むような「よくできた妻」を娶っていたとしたら、漱石があのような小説を書いていたのかわかったものではなく、全くのナンセンスな仮定である。さらに本書にあるように夏目家の猫をめぐる鷹揚というか豪放磊落というか、そのようなメンタリティを持つ鏡子だからこそあの漱石の妻が務まったというところもあろうし、鏡子なくして小説家漱石はなかったとすらしてもいいだろう。

ちなみに伸六は筆子についてもかなり辛辣なことを書いている。この伸六はあるいは気質の点では漱石を一番受け継いでいるのかもしれない。漱石は手紙に「伸六は申年に生まれた子だけあっつて、生まれた時から頭に一杯毛が生えて居ます」などと書いているが、筆子の長男が子どもの頃は「無闇と色の黒い不器量な子」だったので、この甥っ子を「溝鼠(どぶねずみ)」と呼んでいたそうだ。筆子は「この溝鼠という名称が何としても気に食わぬらしく」(そりゃそうだ)、伸六の子どもの頃を「青んぶくれの、酷いけちん坊の、大変な癇癪持ちの……」と穿り返したそうだ。

このあたりはもちろん本気で罵り合っているのではなく、江戸っ子的なべらんめい調のやりとりなのだろうし、漱石も本来はこうした快活な口の悪さとでもいうべきものを持った人だったのだろう。それだけに漱石の「病気」のことを思うと痛々しさも増すのであるが、妻や子どもたちからしたらたまったものではなかったのだろうが。

『きみを夢みて』

スティーヴ・エリクソン著 『きみを夢みて』



アメリカ合衆国の作家は「アメリカ」というものを問い直す傾向が、他の国や地域に生まれた作家が自身の出身国に対してそうであるよりも強く出ることが多い。スティーヴ・エリクソンはその代表格ともいえる作家であり、本作もまさに「アメリカ」を問い直す作品となっている。

「この国は、よろめきながら物事を行う国だ。政治的な急進主義の中で生を受けたものの、それからの数年、数十年、いや数百年は、過激なことをするのをしぶり、あげくの果てに、これ以上はない過激なことをしでかすのだ。とはいえ、同様に、この国は――その中にある遺伝子が組み込まれているせいか――想像できないことを想像できるし、ひとたび想像できれば、それを成し遂げることもできるのだ」。


「だが、数年後の十一月初旬のこと」と、いきなり接続詞から書き始められるのは、我々が「アメリカ」というものをすでに夢見ていて、それでいてこの夢はまた終わることがないことを暗示しているかのようだ。エリクソンが見据えるアメリカは現実のアメリカ合衆国であり、そしてさらには「アメリカ」という概念を幻視する。

「十一月初旬」、それはあの男が大統領に当選した瞬間である。白人作家であるザンは、エチオピアの孤児院から、当選した男と同じ黒い肌を持つ少女を養子に迎えていた。白人の妻との間に生まれた息子は選挙の結果に飛び上がって歓喜する。そして茫然としている父親の姿にとまどい、「うれしくないの?」と問いかける。ザンはテレビで、崩れ落ちて顔を両手で覆っている若い黒人女性を見て、「中年の白人男性であるオレには、顔を手で覆って喜びを表す権利があるのだろうか」と自らに問いかける。「ザンは、ない、と結論する」。

ザンは40年前のロバート・ケネディの大統領選挙への挑戦と、バラク・オバマの当選とを重ね合わせる。ロバート・ケネディは、もともとは決してリベラルであったのではない。しかしアメリカ合衆国における、とりわけ人種問題の不正義を目の当たりにして政治姿勢を変化させていく。この結果、黒人たちからも強い期待を抱かれる政治家となる。そしてこれはザンの姿でもあった。保守的な家庭に生まれた右翼少年は、アメリカが看過出来ない問題を抱えていることを受けいれるようになっていく。

それにしても、なんという変化だろうか。40年前は黒人たちは白い肌の男に期待するより他なかった。しかし今や、黒い肌をした男が大統領となるのだ。しかしこの国は「よろめき」続ける。すぐにバックラッシュがやってくる。彼に期待を裏切られたと感じる人々もいれば、肌の黒い大統領になど耐えられないと、陰謀論に逃げ込む人もでてくる。

バラク・オバマを「黒人」としてしまうのは奇妙な、もっといえば異様なことだろう。彼の父は黒人であり、母親は白人だ。なぜ黒人と白人の間に生まれた子どもが、「黒人」となるのだろうか。オバマはアメリカ合衆国の奴隷の子孫ではない。そして彼は、ある人にとっては「黒過ぎる」し、またある人にとっては「十分に黒くない」。自らのアイデンティティの形成に苦しんだ。こういう人物は、作家にこそふさわしいのであって政治家向きではないと、ザンは考える。

本書を貫く大きなテーマは「mixture」であろう。人種の「混合」であり、文化の「混合」、これらを否定的にとらえる人もいれば、大いなる可能性を秘めた肯定的なものと受け取る人もいる。

ザンは小説家であり、DJのセミプロでもある。文学の、そして音楽のmixについての作品ともなっている。大きな役割を果たすのがデヴィッド・ボウイだ〔本作は2012年発表なので、もちろんこんなに早くボウイが亡くなるということはエリクソンは想像もしていなかっただろうが)。グラム・ロック時代にはそのファッションなどは日本からの影響も受け、70年代中盤からは今度はブラック・ミュージックからの影響を全面に出す作品を作る。ロックは、そしてジャズも、ヒップホップも、様々なジャンルの音楽を貪欲に吸収することでポピュラリティーを獲得していった。しかしこのような「混合」はまた、不安ももたらす。もう「新しい」、「オリジナル」なものを生み出すことなどできないのではないか。あるのはただ模倣のみなのではないか。しかしそれは本当に嘆くべきことなのだろうか。ザンの小説の登場人物は、未発表だったジョイスの『ユリシーズ』の剽窃を行おうとする。これ以上ないほどの「オリジナル」であるように思える『ユリシーズ』であるが、これはタイトルからも明らかなように、『オデュッセイア』を換骨奪胎した作品だ。

原題のThese Dreams of Youはヴァン・モリソンの曲のタイトルから取られている。北アイルランド出身のヴァン・モリソンが、「レイ・チャールズが撃たれた。でも、立ち上がりベストを尽くした」と幻視した光景を唄っている。ボウイの「ヒーローズ」をはじめとする歌詞は繰り返し引用され、ベルリンも作品の舞台となる。「ニュージャージー出身の女性パンク詩人」とはパティ・スミスのことであろう。ボウイが「ベルリン三部作」を作ったことや、エチオピア出身の養女シヴァは自身が「ラジオ」となるが、パティに「ラジオ・エチオピア」(エチオピアも重要なファクターであり、イタリアによる侵略戦争で大きな被害を受けた国であるとともに、ラスタファリアンにとっては特別な国だ)というアルバム/曲があることなど、ロックについてある程度知識がないと細かい所は理解しにくいかもしれないが、全体のテーマがわからなくなるということはないだろう。

エリクソンらしい重層構造となっており、またザンの芸術家である妻が剽窃騒動に巻き込まれたことや、アフリカから養子を迎えたことなどはエリクソンの自伝的体験をふまえているという。このようにメタフィクション的な作品ともいえるだろう。またリベラルの戸惑いや、書けなくなった作家であるザンが経済的に行き詰まり、抵当に入っていた家を失うという経済的苦境に陥ることなどは白人中産階級の没落を描いたものともできるし、本作は現在進行形のアメリカ合衆国の姿でもある。

エリクソンは現実のアメリカ合衆国の近現代史を描き、そしてまた概念としての「アメリカ」を幻視する。本作は楽天的な、「アメリカ」の夢と可能性を讃えるだけの作品ではない。しかし同時にアメリカ合衆国への絶望を語った作品でもない。アメリカは「よろめく」。惑いながら、それでも前へと進んでいこうとするのは、様々な人、文化が入り混じり、それを受けいれてこそなのである。そこに希望を見出す人もいれば、反動化する人々もいる。このような可能性とバックラッシュとが極端な形で表れるのもまたアメリカ合衆国の姿であろう。それでも、「アメリカ」では、「 想像できないことを想像できるし、ひとたび想像できれば、それを成し遂げることもできるのだ」。










続『ER』再訪

再放送をしていた『ER』をなんだかんだで結構見てしまっていたのだが、ついにタランティーノが演出を務めた第24話、「母親」までたどりついた。タランティーノは第1話を録画し損ねたことを悔しがって、その縁でついに演出まで果たすことになるというのは当時から宣伝文句でよく使われていた。

前にこちらに書いたように、今になって『ER』を見ると演出面なんかは割りと「ドラマっぽい」というか古風というか、保守的なところも見受けられるのだが、さすがにタランティーノ演出回は一味違っている。キャロルとスーザンの日光浴からのくだりはちょっとセルフパロディっぽくもあるが、それもまたタランティーノらしいとしえばそうかもしれない。



シーズン1の数話を見て、スターバックスをはじめとするコーヒーチェーンでおなじみのあの容器(なんていうのか知らない)がまだ使われていないと書いたのだが、実はその後ちょろちょろと登場するようになり(ベントンが街中のコーヒースタンドで買った時もこれで飲んでいた)、この24話ではついにジョージ・クルーニー演じるダグが出勤時にあのコーヒー(?)を手に現れる。



放送開始時には普及していなかったがその後急速に広まったとは考えづらいので、撮影開始時にはすでにかなり普及して一般化していたのだが製作陣が小物として取り入れず、その後今じゃみんなあれで飲んでいるではないか、ということになったのかもしれない。スタバは90年代前半から積極的に拡大していったようなので、90年代半ばにはああいった形態はすでに広く認知されていたということなのだろうか。

さすがにテレ東では一気に再放送を続けるということはなかったが、さて、シーズン2以降はどうしますかね。現在進行形で面白そうだが見れていないドラマがたくさんある中でわざわざ見ることもないかとも思ってもしなうが、やっぱり懐かしくもあり……


MONKEY vol.9

MONKEY vol.9



特集は「短篇小説のつくり方」。
村上春樹訳でグレイス・ペイリーの短篇、エッセイ、インタビューが収録されていて、ペイリーについて、そして短篇小説についての村上のインタビューもある。ペイリーについては村上は以前短篇集は全て訳すと言っていたものの、二冊が出たきりで止まっていたのは、ペイリーは「なにしろ骨だらけの文章なので見も心も疲れ」て、「二冊訳して、へとへとにな」ったうえに担当編集者でペイリーも好きだった岡みどりさんが亡くなってしまったせいもあって「足が遠のいて」いたそうだ。

僕もペイリーの作品は嫌いではないのだが、一方で村上が入れ込む理由というのはもう一つピンとこないところもある。ペイリーはフェミニストであり政治的意見も積極的に発言するタイプで、そういったスタイルは村上とは対極にあるとしていいのだろうし、村上は自身を長編作家とみなすが、ペイリーは長編を書かずに短篇が主戦場である。このあたりは対極にあるからこそ、というところもあるのだろうが、やはり短篇作家であったレイモンド・カーヴァーとの比較についても語られているが、村上がカーヴァーに入れ込むのはわかるにしても、やっぱりペイリーのどのあたりに引き込まれるのかは正直どうもよくわからないところでもある。まあペイリーに限らず、村上の短篇の評価の仕方というのは割りと独特なところがあって、長編の翻訳だと「いかにも」という感じのものが多いが、短篇は結構意外なところをついてきたりするような気もするが。

「これは玩具考案者である私の友人、ジョージのお話」という長いタイトルの短い話にはピンボールが登場する。ペイリーのこの作品は1985年発表なので、もちろん『1973年のピンボール』の後に書かれ、当然ながら当時は村上のこの作品は英訳されていなかった。ピンボールにメタファーを見出すということでは、やはり共振するものがあるのだろうか。

ペイリーは政治的主張を小説にあまり持ち込まないとされるが、エッセイ「旅行しているとき」は母と姉が南部をバスで訪れた際に体験した出来事を後になって知ったことを受けてかかれた、ペイリーの政治姿勢がよく表れたものになっている。これも「小説」として考えることも可能だろうし、そうであればリベラルな立場からのアメリカ史の一断面を描こうとしたものとしても受け取れるが、こうしたものばかりだったら村上は関心を持たなかったのかもしれない。とはいえこれは、聞こえはよくない言い方かもしれないが、このエッセイは普通に感動して考えさせられる秀作であるし、こういった方が一般的にはとっつきやすいだろう。98年に書かれたものだが、今だからこそぜひ目を通してほしい作品である。

ペイリーの81年のロング・インタビューではジョーン・ディディオンについて辛辣に語っている。ペイリーは自身をフェミニストだとしつつも、「大義(cause)」という言葉が好きではないとするが、またディディオンは「彼女はフェミニズムの大義のための害をなしていると思います」と語っている。僕はペイリーについてもディディオンについてもいい読者ではないもので文脈がよくつかめないが、このあたりはフェミニズム批評的にはどうなのだろう。



「超短篇」13本では、英語からの重訳になるが柴田元幸訳、カルヴィーノの「黒い羊」が、原始共産主義ならぬ原始資本主義が近代資本主義化していく過程で起こることを描いたさすがの寓話になっている。あまり大きな声では言えないが、個人的にはカルヴィーノは前衛的手法による実験的作品よりも、こういった寓話作品の方が好きだったりする。




「猿からの質問」では短篇小説を「一本だけ自分が書いたことにできるとしたら、どれを選びますか?」に、是枝裕和は志賀直哉の「剃刀」をあげている。「日常の中にあって、フッっと時折顔を見せる小さな暴力や暴力の描写が好きなんでしょう」とし、「そのあたりはレイモンド・カーヴァーに似ているなあ」と書いている。こういったテイストは僕も好きなもので、志賀の「剃刀」は未読なのでそのうちに読んでみよう。




岸本佐知子の連載エッセイ「死ぬまでに行きたい海」の「多摩川」にインスパイアされ、片岡義男がその「後半」を小説として書いているが、今号の「死ぬまでに行きたい海」では「YRP野比」が取り上げられている。「<YRP>部分のメタリックさと、<野比>のこの上ないのどかさ」からなるこの駅名は、確かに「一度見たら忘れられない文字列だ」。
「京急久里浜」と「京急長沢」に挟まれて「わいあーるぴーのび」と表記されている看板がなんともシュールでよい。


『アメリカの反知性主義』

リチャード・ホフスタッター著 『アメリカの反知性主義』



森本あんりの『反知性主義』は、アメリカ史のある一面を知るうえでも、また現在のアメリカについて考えるうえでも大いに役立ってくれることだろう。しかしホフスッタター的文脈で「反知性主義」について考えると、森本はいささかその明るい面を見すぎているようにも感じられた……のだが、比較しようにも肝腎のホフスタッターの『アメリカの反知性主義』は大分前に読んだきりであらかた内容を忘れてしまっていたため、久しぶりに再読してみた。

読み返してみるとやはり『アメリカの反知性主義』はホフスタッターの憂鬱さや苛立ちを感じさせるものとなっており、方や森本のほうは「社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だった」とあるように、その肯定的な面をより強く見ようとしたものとなっている。これはどちらが真でどちらが偽かということではなく、コインの裏表のようなものと考えたほうがいいのだろう。


ホフスタッターは「反知性主義」という言葉が広く使われるようになったのは1950年代のことだとしている。マッカーシズムが吹き荒れ、「知識人を惹きつける力は近年まれに見るものだった」アドレイ・スティーヴンソンが「凡庸」なドワイト・アイゼンハウアーに二度に渡って破れるという時代だ。1952年には「反知性主義という妖怪にひどく悩まされていたのは知識人だけだった」が、58年には「反知性主義は重大な、そして危険ともいえる国家的弱点だという考えを、大半の思慮ぶかい人びとが受け入れたのである」。

一方でホフスタッターは、「明確な定義もないまま、この用語はわれわれの語法のなかに忍び込み、現在ではさまざまな歓迎されざる現象を叙述するのに広く用いられている」としている。近年日本でも「反知性主義」という言葉が飛び交うようになり、それに対して言葉の濫用だという批判もあるが、しかしそもそも大元であるアメリカでもこのように使われていたのであった(「さまざまな歓迎されざる現象を叙述するのに広く用いられている」という点では、むしろ原著刊行の頃のアメリカでの使用のされ方に忠実であるとしてもいいのかもしれない)。

またこのような「濫用」はホフスタッター自身が招いたという面もあるだろう。反知性主義について論じるには、反知性主義とは何かを定義しなくてはならないはずだが、「本書では、厳密な――あるいは狭い――定義には固執しない」としている。実際に「反知性主義とは何か」の明確な答えを求めて本書を読むと、肩透かしをくらうかもしれない。ホフスタッターがここで試みたのは反知性主義を定義づけることではなく、「反知性主義はつながった一本の糸ではなく、時とともに勢いを変える多用な原因から力を引き出す勢力である」としてあるように、反知性主義としてまとめ得る現象の数々を集め、矛盾するかのようなそのさまざまな現象を個々の文脈に沿って解析することである。

あえて反知性主義を定義づけるなら、それは「知恵」を重んじるが「知識」を軽んじること、「知恵」のある者を称揚するが「知識」のある者(あるいは「知識」しかない者)を侮蔑するメンタリティとすることができるだろう。森本の言葉を借りると、反知性主義というと「知性的なことに何でも反対する」という「反・知性」というのをイメージしてしまうが、anti-intellectualismは「反インテリ」とでも訳したほうが日本語の語感においてはより正確に伝わるだろう。

ホフスタッターもこれをアメリカ合衆国のみに見られる特有の現象ではないとしているように、現実を見ずに机上の空論を弄ぶだけ、衒学的議論に終始して浮世離れしている、考えることはできても行動することは苦手、特権的環境によって得られた「知識」をひけらかして「普通の人」を小馬鹿にしているといったインテリに対する否定的イメージはアメリカや日本に限らず、あらゆる場所で見ることができるだろう。またインテリへの否定的感情は右翼的勢力と結びつきやすいが、だからといって必ずしも反知性主義がそのまま右翼的現象であるわけではない。ホフスタッターがあげる事例の多くが保守・右派層と結びついたものであるが、また左派的な反知性主義も取り上げられている。

「反知性主義は正反対の対立する諸勢力にみられる特徴である。実業家と労働組合指導者は、驚くほど似たような見方を知的階級に対してもちうる。さらに、進歩的な教育自体のなかにも、強烈な反知性主義的要素が含まれている。しかも進歩的教育をもっとも厳しく攻撃する右翼の自警団員も、自分たち自身の反知性主義を標榜する。もっともその反知性主義は、スタイルは違うが、進歩派ほどあいまいではなく、ずっと戦闘的である」。

本書のメインテーマはアメリカ史を振り返ることによって反知性主義とは何かを炙り出すことにあるというよりは、知識人と大衆の分断の歴史を描くことであり、幾度か「和解」が行われながら、かくもあっさりとそれ崩壊してしまった歴史を辿り、(原著刊行時の)「現在」の知識人像を明らかにすることで、この課題にいかにして挑むべきかを考察したものとなっている。


といった感じのことは頭に入っていたのだが、久しぶりに読み返してみると忘れていたことが多かったどころか、意味を取り違えて記憶してしまっていたところも少なからずあった。

僕が大きな勘違いをしていたところは、建国間もなくに起こった反知性主義の嚆矢ともいえる事件だ。強力な連邦政府を作るべきだと考える「フェデラリスト」と州権を重視するトマス・ジェファソンの間で激しい論争が起こった。僕はフェデラリスト側が「知性」を代表し、州権重視側(こちらはアメリカでは保守となる)が「反知性主義」的であったと単純化して考えてしまっていたのだが、ホフスタッターはフェデラリストが「反知性主義のイメージを先取り」してジェファソンを批判していたことを取り上げている。ジェファソンを「哲学者」だと評し、その「「空論的」リーダーシップがいかに不安定で危険か」、また「哲学者は政治のやり方も理論一点張りだ」というパンフレットが刊行されたのだという。まさにこれは典型的な反知性主義の表れである。「必要なのは知性ではなく、人格」だとされ、この点でもジェファソンは批判された。

しかしフェデラリストは反知性主義でジェファソンはその被害者だった、とするのは早計だ。「反知性主義でも教条的な平等主義者でもなかった」ジェファソン自身も、「農民と大学教授に道徳について書かせてみなさい。農民は大学教授と同等の、あるいはそれ以上の判断を示すでしょう。農民は人為的な規則に惑わされていないからです」とある手紙に書いている。
このように、建国間もなくに対立していた両勢力はともに反知性主義的傾向を持っていた。

とはいえ、アメリカ合衆国は一種の貴族主義によって運営されていっていた。これは権力と知識人との間に紐帯が存在していたという面でもある。これを完全に打ち壊したのが「ジャクソニアン・デモクラシー」のアンドリュー・ジャクソンであった。これ以降アメリカは、知識人との和解と決裂とを繰り返していくことになる。リンカン政権時、ウィルソン政権時、そしてフランクリン・ローズヴェルト政権時と、知識人との和解が図られるが、すぐに反動がやってくる。とりわけ20世紀に入って以降は右派勢力によるリベラル派攻撃と反知性主義とが結びつくことが多くなる。

ホフスタッターはケネディを取り上げ、彼が多読家であることから、「本を読むこと、さらに本を書くことは、知性があるという定評とその他必要な資質を兼ね備えた大統領候補にとってはけっして致命的な障害にならないことを明らかにした」とあるが、皮肉なことにケネディ政権の「ベスト&ブライテスト」たちの失敗によって、ホフスタッターが毛嫌いしているニクソン大統領への道が開けてしまった。そして反知性主義はこれ以降のアメリカでますます強まったように思える。こう考えるとインテリであることが誰の目からも明らかなオバマ大統領の誕生は、人種的バックグラウンド抜きにしても奇跡的なことのように思えてしまう。


大統領といえば、セオドア・ローズヴェルトは「喜劇的なまでに調子の高い声」で、「ニューヨークの名門一門がつかうお国訛り」で演説をしたため、「政治家としての経歴を不運なかたちで歩みはじめた」のだが、反知性主義を逆手に取ることで成功することになる。彼が全米で人気を集めたのは、「東部の富裕階級に属し、ハーヴァード大学出身の健筆家でありながら、カウボーイや義勇騎兵隊の兵たちとつきあう術も心得ていたのが大きな理由だった」。

ブッシュ・ジュニアはテキサス訛りを選挙で勝つために勉強して身につけたのだが、これもアメリカの伝統といえばそうなのかもしれない。ホフスタッターがスティーヴンソンの敗北について、反知性主義の表れだとする一方で反知性主義だけが要因ではないとしているところは、当時の文脈がわからないと理解できないのかといえばそうではなく、むしろ今の読者の方がよくわかるかもしれない。

スティーヴンソンには「ウィット」があったが、これは格好の攻撃の的となり、「道化」のように描かれることになった。リンカンやセオドア、そしてフランクリン・ローズヴェルトは「単純で親しみやすい」、「土俗性」のあるユーモアをうまく使った。「ウィットは知的に磨かれたユーモアである。ユーモアよりも鋭く、品位や洗練と結びついているため貴族趣味が強く感じられる」。このあたりもブッシュ対ゴアの選挙を思い起こさせるところである。


また完全に記憶から抜け落ちていたところといえば、「たたき上げ」についての記述である。ホフスタッターがベンジャミン・フランクリンを「知識人」に加えていたのは意外であった。フランクリンこそまさに「セルフ・メイド・マン」の代表格、むしろ反知性主義の側がかつぎそうな人物ではないのか。ホフスタッターも、「<たたき上げ>の理想は歴史的にピューリタンの説教とプロテスタントの天職思想から派生したもので、特別新しい考え方ではない。事実、ベンジャミン・フランクリンもこの考え方を説いている」としている。「ただし、フランクリン自身が、その俗受けするだけの処世訓にしたがって後半生を送ったわけではないことを見逃してはならない」ともしている。

「アメリカに特徴的な<たたき上げ>が目立つ存在となったのは、一九世紀はじめだった」とあるように、<たたき上げ>は建国時から広く理想化されてきた考えでは必ずしもなかった。そして自助を唱える文学作品が数多く生み出されていくようになったのもこの頃からであるようだ。

「自助の作家や<たたき上げ>の人びとが唱えた人格の概念には、彼らが漠然と天才と呼ぶものは入っていない」。
「生まれながらに卓越した才能をもつ人間は、人格を発展させる動機も能力もないと見なされていた。平均的な人間でも長所を伸ばし、常識を磨くことによって天才と同等、あるいはそれ以上の存在になれると考えられたのである」。

とはいえ、「自助の文学作家」と<たたき上げ>の意見は必ずしも一致していたわけではない。「自助の文学の作家」は正規の教育を受けるよう奨励した。一方実業界の<たたき上げ>は「こうした記述に納得していなかった」。
実業界では、無料公立学校が「より有能で規律ある労働者を産み出すと考える人びとと、税金を払いたくないとか教育は労働者の不満をつのらせるだけだと思う人びと」とに二分されていた。「彼らの意見がほぼ一致していたのは、教育をもっと「実用的」にすべきだということ、および高等教育――少なくとも昔の古典的大学がそう見なしていたもの――はビジネスには無益だということの二点である」。

「実業界は、高等学校レベルで職業・商業教育をおこなわせるため長いあいだキャンペーンを張り、おおむね目的を達成した」というのは、まるでここ数年の日本の教育「改革」を見るかのようである。

「ハーヴァードのビジネススクールの学部長だったウォーラス・ドーナムは、中西部のあるビジネススクールに、労働組合組織の問題にかんする講座を開くよう提案したとき、「わが校の学生にマネージメントや経営方針に対する疑問を抱かせるものは望ましくない」との返答を受けた」そうだが、このあたりも、「実用的」な教育を望みつつ労働者に余計な知恵はつけさせたくないと考える昨今の日本の教育とも重なる。ただホフスッタッターも書いているように、カーネギーやスタンフォードら富豪によって設立された大学によって、いい意味でアメリカの大学教育が刷新されたという面もあるが、こういったことは日本ではどうだろうか。


「反知性主義は、この国の民主的制度や平等主義的感情に根差している」とあるように、ホフスッタッターも反知性主義に肯定的な面があることも認めている。すでに引用したジェファソンによる「農民」への信頼はその表れだろう。しかしまた、反知性主義は極端な形をとって表れることが多いのも確かだ。

急進主義に染まったドス・パソスは第一次大戦中にこう書いている。「あの馬鹿げた大学、そこに通う立派な若者たち、詰め込み教育者――あらゆるかたちのろくでもない文化や、中産階級的俗物主義をなくしてしまいたい」。

アメリカ共産党と比べて多様性を保っていて社会党の穏健派指導者ユージーン・デブズは「知的という語を非難のためにもちいいるべきではないと諌めた」。デブズはブレーンが必要であることを理解していたし、党は知識人を惹きつけるよう努力するべきだと考えていた。しかし同時に、「知識人の組織が労働者によって運営されるべきでないのとおなじく、労働者の組織も知識人によって運営されるべきではない」とも考えていた。「知識人が公職に就くことに対する彼の恐れは、社会主義運動内での階級分化や官僚制化に対する彼のおそれとおなじものだ」。これはジャクソニアン・デモクラシーと通底する発想でもある。

ジェファソンはもちろん、ドス・パソスも発想としては「善意」であったのだろう。しかしこの知識人への警戒感は、デブズのように比較的穏健な左翼指導者にとっても「恐れ」へとつながっていってしまう。


反知性主義は反近代主義という側面も持っている。これがもっともグロテスクに露出するのがキリスト教「根本主義者」においてだろう。徹底して近代化と戦おうとしたビリー・サンディは、「何千人もの大学卒業生がまっさかさまに地獄へ落ちる。もし私が一〇〇万ドルもっていたなら、九九万九九九九ドルは教会に寄贈する。教育に払うのは一ドルで十分だ」「神のことばと違ったことをいうなら、学者は地獄へ行け」と説教した。

「正統な教義に対する挑戦は、もはや軽視できなくなった。それほど勢力が強まり、社会の中心的勢力や上層部への浸透も進んだからである」というのは、現在のアメリカを見ているようでもある。

反知性主義が反近代主義という側面ももっているとすれば、当然男女平等などという発想はなく、むしろ固定的な性別イメージに固執することになる。「政治活動は男の特権」であり、「政治において重要な役割をはたす能力が事実上男らしさの決め手になる」。一方参政権を求める女性に対しては、「汚い政治活動という男の世界に女性が入り込めば、女性は堕落して男性化してしまう」。男女平等を求めることは男は男らしさを失い、女は女らしさを失うのだと考えられた。「長髪の男とショートヘアの女」という「改革者に向けられた古いきまり文句」は過去のものだろうか。すでに書いたように、セオドア・ロ-ズヴェルトはマッチョなイメージを打ち出すことによって大衆的な人気を獲得した。アメリカ共産党でもある時期までは「肉太の男らしさ」が要求され、ひ弱なイメージのある文学者は冷ややかな扱いを受けた。ケネディ対ニクソンの大統領選挙において決まり手となったのがテレビ討論であったとされるが、ケネディが若く清々しい、男性的魅力を振りまくことに成功したためだったすることもできる。そして公然と女性蔑視発言を続けるドナルド・トランプは、ここでもアメリカの「伝統」を体現しているのかもしれない。


このように、反知性主義そのものが右派的であったり左派的であるのではなく、左右どちらにも見られるものである。ではなぜ、それこそホフスタッターが本書を書くきっかけとなった1950年代のアメリカに典型的なように、とりわけ近年になって右派的反知性主義が目立つのだろうか。

大恐慌が起こると、「圧倒的多数の福音主義者が、いまや政治的にリベラルまたは左翼になってしまった」。しかし、「それでも、平信徒は牧師のように左傾化しなかった。保守派平信徒の多くは、新しい社会的福音主義運動の発展によって、教派の多数派と肌合いの異なる新しい「司祭階級」(ある右派教会人のことば)が生み出されると感じていた。こうして彼らのあいだには孤立感や無力感が高まり、勢力は弱まっていった。しかし、依然としてかなりの数にのぼっていた根本主義者は、こうした感情から、ニューディールに反対する狂信的右翼に加わったのである。十字架の根本主義に国旗の原理主義が加わったのである。原理主義は一九三〇年代以降、一貫してアメリカ政治における極右の重要な構成要素であり、強い根本主義者的思想傾向を示すことが多い。そして政治的原理主義のこうした流れを代表する者たちは、進化論論争にみられた庶民的反知性を保ち続けてきた」。

この粘り強さ、極右との合体、直感的な庶民性といったあたりは、日本の宗教右翼とも共通項を見出せなくもない。


と、2016年に読み返してみても(あるいはむしろ今だからこそ)、アメリカについて考えるうえでも必読書であるということが再確認できるし、またアメリカの現象のみに限らず、日本、そしてその他の地域について考えるうえでも示唆してくれるものは多い。

ところでホフスタッターの伝記あたりも訳されてくれないかな。そうすれば彼の危機感や動機といったものにさらに理解が深まると思うのだが。



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Author:佐藤太郎(仮)
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