『ヒトラー 上 1989-1036 傲慢』,『ヒトラー 下 1936-1945 天罰』

イアン・カーショー著 『ヒトラー 上 1989-1036 傲慢』『ヒトラー 下 1936-1945 天罰』





1998年から2000年にかけて発表されたイアン・カーショーによる巷間なヒトラーの伝記。上巻ではヒトラーの生い立ちから政権獲得をし絶頂に上り詰めるまでが、下巻では権力の絶頂からその死までが描かれる。

決定版といっていいであろうヒトラーの伝記の待望の邦訳で、僕も待ち望んでいた一人であるが、さすがに上下巻合わせて本文だけで二段組1500ページに迫ろうかという大部なもので、おいそれと手を出せずにいたがようやく。白水社はこれを出してくれただけで有難いのだが、あえて言わせていただくと、とりわけ下巻は注、参考文献などを含めると千ページ越えで、持ち歩いて電車の中で読むわけにはいかないどころか、家で寝っ転がって読むことすらおぼつかないほどであったもので、できれば四分冊くらいにしてほしかった。


この長さというのはもちろん第一に、詳細な伝記であるということからくるものだが、それ以外にも理由がある。カーショーは上巻の序文において、「私は伝記という形式にはいささか批判的だった」としている。「政治外交史よりも社会史に魅力を感じており、ましてや一人の人物に焦点をあてるなどとは考えたこともなかった」。第三帝国について研究をはじめるようになって、「私が関心をひかれたのは、かの異様な時代に普通のドイツ人がとった行動や態度であって、ヒトラーやその側近のことではなかった」。

しかし「「誤った」経路」によってついにヒトラーの伝記を書くことになったのだが、これは以前の考えを改めたということではない。本書がこれほど大部になった理由の一つが、ヒトラーの伝記であるとともに、カーショーのもともとの関心であった「普通のドイツ人」の反応等にも目配りされた、19世紀後半から20世紀半ばまでのドイツの社会史的記述を積極的に取り入れているためである。

また「訳者」・監修者あとがき」に、「研究史から見れば、本書は意図派と構造派(機能派)の架橋という問題意識に立脚して書かれている」とある。「すなわち、ナチズム研究では、ヒトラー個人がはやした役割を強調する意図派と、ナチ体制が多頭支配であることを重視してヒトラーを相対的に「弱い独裁者」と見る構造派のあいだで長く見解の相違があった。ナチズム研究は、体制の権力構造とそこにおけるヒトラーの位置づけをめぐって展開してきた。カーショーは、カリスマ支配の概念を導入し、「総統のために」自ら働こうとするドイツ社会の構造に光を当てることで、ナチズム研究のこの中核的な課題に独自のアプローチで迫ろうとしている」。
こういったヒトラー個人への関心にとどまらない視野の広さも、この長さの理由である。


カーショーはヒトラーを無能な異常者とするのでもなく、また戦略に長け、すべてを計算しきっていた恐るべき能力を持っていた人間とするのでもない。ヒトラーはあくまでピースの一つであったが、ではヒトラーというピースが欠けていたとしたらナチスは権力を奪取し、長期間に渡って維持し、一時的にとはいえあれほど支配地域を広げることができたであろうか。ゲーリングやヒムラーやゲッベルスがナチ党のトップであったらと仮定してみれば、その答えは明らかだろう。


カーショーはナチスの勢力拡大や政権獲得にあたっては、反ユダヤ主義よりも反ボリシェビズムの方が効果を発揮したと見ている。カーショーが何度も強調するように、ナチスを、ヒトラーを権力から遠ざけることは十分に可能であったはずだが、この点を共有していた保守派は、保身と権威主義からくる民主主義への嫌悪感、そして何よりもヒトラーを見くびっていたことでこの男を権力の座につけてしまった。ヨーロッパの多くに広がっていた反ユダヤ主義、社会ダーウィニズムへの信奉、ボリシェビズムへの恐怖心はナチスを生み出す下地になり、とりわけドイツでは、第一次世界大戦での敗戦を受け入れられず、その結果であるベルサイユ条約によって不当な迫害を受けているという被害者意識がナチスの養分となったが、それでもヒトラーが権力の頂点に上り詰める階段へのドアは必ずしも大きく開いていたとはいえない。それをこじ開けることを可能にしたのはヒトラーその人であるが、また保守派をはじめとする勢力がそれに手を貸したのであった。


本書で繰り返されるのが、「既成事実」である。これを前にした時、人間はどれほど無力になれることか。政権発足時、ヒトラーを積極的に支持したのはせいぜい三分の一強であった。しかし権力を握ったヒトラーが強引に「安定」を作り出すと、多くの暴力が繰り広げられ、迫害の模様は目の前にあったにも関わらず、これを支持する人はむしろ増えていった。ベルサイユ条約を挑発的に打ち破ると、ヒトラーに批判的であった人々でさえ喝采を送った。多くのドイツ人が「不当に奪われた」と考える権益や領土を「回復」していくことを強く支持したが、同時に戦争に対しては忌避感も強かった。それでも既成事実を重ねていくと、戦争への懸念は広まらず、むしろヒトラーが明らかに戦争の準備に入ってもこれを直視しなかった。領土の「回復」のみならず、中・東欧に広がる民族ドイツ人が迫害されているというプロパガンダを繰り広げ、ヒトラーは触手を伸ばし続けた(侵略戦争を開始すると宣言して始められた戦争などあろうはずもなく、ヒトラーもまた正当な領土の回復やドイツ人の保護を旗印にした)。

ついに戦争が始まったが、緒戦の勝利によって戦争への懸念は一層された。反体制派が壊滅した後、ヒトラーを排除できる可能性があったのは国防軍をはじめとする体制内の不満分子だけであったが、戦局が悪化するまで暗殺の実行に踏み切れなかったのは、ドイツ国民の多くがヒトラーを支持し続けたからであった。恐るべき悪運でヒトラーは暗殺の網を逃れ続けた。破滅が目の前に突き付けられ、ついに自殺することになるが、あの状況に至ってもなお暗殺もされずに反乱も起こらなかったのは、一度積み重ねられた既成事実というものの強力さを何よりも物語っている。

言うまでもなく現在との安易なアナロジーには慎重であるべきだが、それはナチスの歴史から学ぶものがないということにはならない。一つ違えば愚かなデマゴーグで終わっていたかもしれない男が、強大な権力を手にし、それを長期間保ち、あれだけの破局を引き起こせたのはなぜなのか、この浩瀚なヒトラーの伝記から学ぶべきことは、むしろ現在のような時代であるからこそ数多くある。そして「なぜ、ドイツ人はヒトラーに心酔しえたのか、抵抗しなかったのか、最後まで付き従ったのか、という本質的な問題は(……)まだすべてが解明されたものとはみなされていない」ことの重みは、現在の日本だからこそ噛みしめるべきことでもある。


『完全版 1★9★3★7』

辺見庸著 『完全版 1★9★3★7』






一九三七年、盧溝橋事件があり南京大虐殺があった年であり、翌三八年には「国家総動員法」が、「国会では法案に多少の批判的質疑はあったものの、なんのことはない、全会一致で採択」されることになる。

辺見は二〇一六年末に刊行された「過去のなかの未来――角川文庫の「序」にかえて」でこう書いている。

「戦争と侵略の遂行に不可欠なこの基本法には、もともと市民への強制や罰則条項を(治安維持法があったからとはいえ)ふくまなかったのである。それはなにを意味したか? 戦争と「侵略へのコクミンの自発的協力が前提され、期待され、非協力や反戦運動の可能性など、はなから想定もうたがわれもしなかったのだ。その時代に、わたしの祖父母が生き、両親たちもニッポン・コクミンとして生活し、父は、他の人びとと同様に、まったく無抵抗に応招し、中国に征った。そのなりゆきまかせと没主体性について、死ぬまでにいちどはほじくっておきたいとわたしはおもっていた」。

「二〇一六年現在のナゾをとくヒントは過去にこそあるとおもいいたった。すなわち、人間の想像力をこえる、酸鼻をきわめる風景の祖型は一九三七年に、つとにあったのである」。


盧溝橋事件以前から日本は中国への侵略を開始していた。では「1★9★3★1」や、あるいは「1★9★4★1」ではいけないのか。「べつにいけないということはない」としつつ、辺見はこう書く。「こう言うのが許されるならば、わたしは一九三七年に正直惹かれつづけ、そうこうするうちに一九三七年はわたしのなかで他からぬきんでた「1★9★3★7」(「イクミナ」または「征くみな」)という謎めく表象となり、わたしを悩ませ、苦しめつづけた。それはたんに「一九三七年」と事務的に記すだけではもったいないほどに、ニッポンとニッポンジンの出自、来歴、属性、深層心理を考えるうえでどうしても欠かすことのできないできごとが目まぐるしく撞着しあいながらあいついだ年であったのだ」。

「ニッポンジン」はもちろん一九三七年の前から「ニッポンジン」であり、二〇一七年もいまだ同じ「ニッポンジン」であり続けている。それが煮詰めた形で露出したのが一九三七年であった。辺見は南京大虐殺を中国人の目を借りて描いた堀田善衛の『時間』や、中国での日本兵の残虐行為を、おそらくは自身の実体験をふまえて書かれた武田泰淳の『汝の母を!』を中心に、小津安二郎、丸山眞男のような従軍経験者の回想などの、「その細部[ディテール]についてぶつぶつかた」っていくのが本書である。

何よりも辺見がこだわるのが、自身の父についてだ。中国に兵士として赴いた父は、おそらくは中国人を殺したことがあると辺見は考えていた。殺したことがあるどころか、さらなる残虐行為にすら手を染めたのではないかという疑いも持っていた。癌に冒され、余命いくばくもなくなった父に、これについて質問しようと準備までしていたが、結局訊くことはできなかった。何を行ったのかを語ることがなかった父。何があったのかを訊くことができなかった息子。これこそが、「ニッポンジン」が八〇年前と変わることなく「ニッポンジン」であり続けさせているものかもしれない。

「墓をあばくことで結果するかもしれない驚愕と狼狽を、いまさらみたくもないという気持ちもあった。いや、わたしじしんいまさら絶句したり、うろたえたりしたくはないという、これはいかにも奇妙なことばだが、<じぶんじしんへの忖度>によって墓穴をのぞきこみることを避けてきたのである。うらをかえせば、いったん墓あらしをすればこの湿土の暗がりからなにかがあらわれてくるのかについて、一九四四年生まれのわたしには、幼年期から小耳にはさんでいたことも少なからずあるので、うすうす見当がついていたともいえる。それは陽の光に晒されるべきではないと権力者たちだけではなく世間のみなに配慮されて、じっさい大っぴらに晒されてこなかった、目も耳もうたがうほどのグロテスクであり、それとうらはらの秩序と統制、そして、細かい網の目状の管理と「おもいやり」と自己規制と相互監視と無関心にうらうちされた、壮大な沈黙と忘却である。それらは敗戦とともにかんぜんに清算され消失したニッポンの心的機制なのではなく、敗戦後もほとんど無傷で生きのこり、表面はじんじょうをよそおいながらも、まったくじんじょうならざるげんざいと未来を形づくっている古くからのメカニズムでもある。である以上、いまといまの行く末を知るために記憶の墓があばかれなければならない」(上 pp.26-27)。


辺見が行うのは「墓あばき」だけではない。「じぶんじしんへの忖度」とは問いかけることを忌避することであり、自分にも刃を向けなければならない。一九三七年の日本にいたら、中国との戦争を侵略と認識したのだろうか。そうできたとしたら、召集令状がきたときにどう対応すべきだったのか、何ができたのだろうか。中国で捕虜の殺害を度胸試しとして命じられたら、周囲の兵士が中国人女性たちを漁り、強姦を繰り返していたら、いったい何ができたのだろうか。
父(の世代)に対して問わなかったことと、「じぶんじしんへの忖度」として己への問いかけを行わなかったことはコインの表裏だろう。殺された中国人たちは集合的な数字としてあったのではなく、一人一人の人間であった。そして凶行に及んだ日本兵もまた、一人一人の人間であった。


辺見の父は敗戦後、放心したかのように玉の出ないパチンコを延々とやったり、妻や子どもたちに暴力を加えた。典型的なPTSDの症状のようにも思えるが、一方でかつての上官が訪ねてきたときの異様な敬礼の光景や、酔って朝鮮人への差別を口にするなど、「戦争の被害者」としてのみで済ませることはできない部分も息子は見ていた。父は戦後も天皇誕生日には、日の丸を掲げ続けたのである。

地方紙の記者となった父は、勤務先でペンネームを使って当時の回想を連載したことがあった。ようやくこれと向き合うことができた辺見は、この連載の文章の奇妙さに気づかされる。自分の小隊が拷問を行った記述には、「文法的におかしなところがある」。「受動態と能動態が不自然にいりまじり、明示すべき主語がはぶかれたりする」。「だれの意志でもなく、自然発生的にぜんたいがそういうことになったとでもいうのか」。

辺見の父は分遣隊の隊長だった。つまり、「拷問の責任は、形式的にもじっしつ的にも、分遣隊の隊長だった父にあったはずである。じぶんが命じておきながら、あるいは拷問を承認しながら、「哀れ」だの「残虐極まる」だのと老人に同情していたかのように記述し、非道の責任を明記せず、悪のせいを「拷問には慣れているらしい上等兵」に、さりげなく負わせている。卑怯ではないか」。
父の文章からは、「コノオドロクベキジタイハナニヲイミスルカ?」という問いがすっぽり抜けていた。

元日本兵による中国での残虐行為の証言は多いが、自身がそれに加担したことを認めた例はそう多くない。辺見が例外的存在としてあげるのが武田泰淳であるが、日本兵による残虐行為を正面から見据えた武田の『汝の母を!』への反応が今一つであったように、この作品は兵役につかなかった人間にとってすら居心地の悪いもので、戦後もこれから目をそらし続けたのは日本社会全体の「じぶんじしんへの忖度」とすべきであろう。

「責任主体をはっきりさせるのではなく、ぎゃくに、責任をかぎりなくかくさんさせ、ついには無化していく無意識」は、辺見が書くように父に特有のものではなく、「ニッポンジン」全体に見られたものであり、現在も見られるものである。

堀田善衛は『方丈記私記』に、東京大空襲の八日後、「小豆色の、ぴかぴかと、上天気な朝日の光を浴びて光る車の中から、軍服に磨きたてられた長靴をはいた天皇が下りて来た」のに出くわしたことを書いている。ここで堀田は「廃墟での奇怪な儀式のようなものが開始された」のを目にする。「まばらな人影がこそこそというふうに集まってきて」、かなりの人数が集まると、「涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申し訳ない次第であります」といったことを小声で呟いて、土下座をしたのである。

戦争を開始し、敗色濃厚になってもなお戦争をやめようとしない天皇への批判の言葉はいっさい出なかった。堀田はこう書く。「私は本当におどろいてしまった。私にはピカピカ光る小豆色の自動車と、ピカピカ光る長靴とをちらちら眺めながら、こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとるものだろう、と考えていたのである。こいつらのぜーんぶを海のなかへ放り込む方法はないものか、と考えていた。ところが責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまり焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあるということになる! そんな法外なことがどこにある! こういう奇怪な逆転がどうしていったい起こり得るのか!」。

真に恐るべきは、この光景を冷ややかに、さらには憤りをもって見ていたはずの堀田が続けてこう書いていることだろう。「とはいうものの、実は私自身の内部においても、天皇に生命のすべてをささげて生きる、その頃のことばでいわゆる大義に生きることの、戦慄を伴った、ある種のさわやかさというのもまた、同じく私自身の肉体のなかにあったのであって、この二つのものが私自身のなかで戦っていた、せめぎ合っていたのである」。

辺見の父が「明示すべき主語」をはぶき、「受動態と能動態が不自然にいりまじ」った文章を書いて責任の所在をぼかしたことと、戦後に天皇の責任が問われることがなかったのは、相互に支え合った結果だ。責任を問われたくないから責任を問わないし、責任を問わないことで責任から逃れようとした。またこれは、父の世代に対して「じぶんじしんへの忖度」から、問いかけを行わなかった子どもの世代、さらにその下の世代にも関わるものである。

一九三三年に小林多喜二は特高に虐殺された。自白を引き出すための拷問ではなく、はじめから殺すことが目的の、あまりに凄惨な暴力であった。新聞各紙は「決して拷問したことはない。あまり丈夫でない身体で必死で逃げまわるうち、心臓に急変をきたしたもの」という「警視庁特高課のコメントをうのみにした」記事を掲載したが、「これを信じた読者は少なかっただろう」。

さらに「一九六七年一月に国会で虐殺のじじつかくにんをもとめられた当時の稲葉修法相は、「答弁いたしたくない」とつっぱねている。公知のじじつなのに答弁したくないという「答弁」が公的にまかりとおり、メディアもとくにさわぎはしなかった。

一九三六年には「共産党潰滅の功労者に恩遇」が与えられ、「叙勲・賜杯」が行われたが、その中に多喜二虐殺に関わった特高が含まれていたにも関わらず、「わたしの知るかぎり、この「栄典」は戦後も公式に撤回されていない。撤回し反省すべきだというマスコミの論調も寡聞にして知らない」。

小林多喜二が殺されたということは皆わかっていたが、これは「スルー」された。そして戦後になってもなお続ける居直った答弁もまた「スルー」された。
「解説」で徐京植は、二〇一三年にオリンピック招致のため安倍晋三が原発を「アンダーコントロール」であると「厚顔無恥な虚言」をしたにもかかわらずこれを「歓迎し喝采」した人々を見て、「日清、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争当時から、おそらく人々はこうであったのだろう」と思ったとしている。、戦中の日本人は政府や軍部に「ダマされていた」のではない。「ダマされたのではなく、それをみずから望んだのだ。自己の利害や保身のために、多かれ少なかれ国家や軍部と共犯関係(辺見庸のいう「黙契」)を結んだのである」。

辺見はこう書く。
「ニッポンジンは、はたして敗戦で「始めて「自由なる主体となった」か。ニッポン軍国主義にはほんとうに終止符が打たれたのか。超国家主義の全体系の基盤たる「國體」は、かんぜんにあとかたもなく消滅したのか。だとしたら、安倍晋三なるナラズモノは、いったいなにから生まれ、なににささえられ、戦争法案はなぜいともかんたんに可決されてしまったのか。「この驚くべき事態」は、じつは、なんとなくそうなってしまったのではない。ひとびとは歴史(「つぎつぎになりゆくいきほひ)」)にずるずると押され、引きずりまわされ、悪政にむりやり組みこまれてしまったかにみえて、じっさいには、その局面局面で、権力や権威に目がくらみ、多数者やつよいものにおりあいをつけ、おべんちゃらをいい、弱いものをおしのけ、あるいは高踏を気どったり、周りを忖度したりして、いま、ここで、ぜひにもなすべき行動と発言をひかえ、知らずにはすまされないはずのものを知らずにすませ、けっきょく、ナラズモノ政治がはびこるこんにちがきてしまったのだが、それはこんにちのようになってしまったのではなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか」(下 p.222)。


辺見庸と村上春樹。早稲田出身という以外にはさして共通点のなさそうな二人であるが、二人の父はともに兵士として中国に赴き、そして息子たちはそこで何があったのか、何を見聞きしたのかを、父に最後まで問うことができなかった。

村上のデビュー作『風の歌を聴け』には中国とそこでの戦争のイメージがすでに存在している。そして南京虐殺が登場する最新作の『騎士団長殺し』にいたるまで、この関心は繰り返し作品に表れている。

一九四四年生まれの辺見と四九年生まれの村上を同世代としてもいいのかもしれないが、一方で戦後生まれの村上と、まだ見ぬ息子の写真を中国から所望する父の手紙が残っている辺見とでは世代的に隔絶があるとも考えられる。

この二人の類似と差異はこの『1★9★3★7』と川上未映子による村上へのインタビューである『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中からもうかがえる。

村上はこう言っている。
「日本人は自分たちだって戦争の被害者だという意識が強いから、自分たちが加害者であるという認識がどうしても後回しになってしまう。そして細部の事実がどうこうというところに逃げ込んでしまう。そういうのも「悪しき物語」の一つの、なんというのかな、後遺症じゃないかと僕は思います。結局、自分たちも騙されたんだというところで話が終わっちゃうところがある。天皇も悪くない、国民も悪くない、悪いのは軍部だ、みたいなところで。それが集合無意識の怖いところです」(p.97)。

『ねじまき鳥クロニクル』の中の「動物園襲撃」については、村上はこう語っている。
「虐殺の話。日本兵が動物園の動物を殺したり、脱走兵を殺したりする。あれ、たしかバットで殴るんですよね。その行為自体はもちろん「悪」ではあるんだけど、その個人レベルの「悪」を引き出しているのは軍隊というシステムです。国家というシステムが、軍隊という下部システムを作り、そういう個人レベルの「悪」を抽出しているわけです。じゃあ、そのシステムは何かというと、結局のところわれわれが築き上げたものじゃないですか。そのシステムの連鎖の中では、誰が加害者で誰が被害者か定かにはわからなくなってしまう。そういう二重三重性みたいなのは、常に感じています」(p.89)。

「悪」を抽出システムは「結局のところわれわれが築き上げた」というのは、「わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべき」という辺見の問題意識と重なっているだろう。

辺見の父も、村上の父も、志願して好き好んで戦地に赴いたのではない。そういう点では戦争の被害者であるが、その被害者が国家というシステム、軍部という下部システムに飲み込まれて加害者となるし、そのシステム自体はそもそもが「われわれが築き上げた」という点ではやはりその加害者性を見逃してはならない。村上の視点はそこが強いだろう。一方で辺見は、父が何をしたのか、そして父がなぜそれを戦後も語らなかったのか、自分はなぜそれを訊けなかったのかにこだわる。それこそが天皇をはじめとする支配層の戦争責任を問えなかったことにもつながっているのではないかとする点では、辺見と村上の意識は微妙に異なっているようにも考えられる。

いずれにせよ、兵士の息子の世代によるこの問いかけが孫の世代(これは僕がまさにそうである)にまで受け継がれているかといえば悲観的にならざるをえず、だからこそ今このタイミングで辺見や村上の世代がこのように語っているのだろう。問われているのは「「わたし(たち)」の世代でもあり、それは問い続けることができるのか、という問いである。



『みみずくは黄昏に飛びたつ』

村上春樹語る 川上未映子訊く 『みみずくは黄昏に飛びたつ』





村上は「作家同士の対談というのがもともとあまり好きではない」としている。「しかしインタビューという形式で他の作家と話しをするのはなかなか悪くないと思っている。インタビューするのも、インタビューされるのも、相手次第でかなり興味深いものになるはずだと考えている。インタビューというフォーマットにおいては、インタビュアーの責任と、インタビューの責任とがはっきり区分されているからだ」ともしている。
ということで本書は対談ではなく、あくまで川上による村上へのロング・インタビューとなっている。

第一章は2015年7月に行われ「MONKEY vol.7」に掲載されたもので、これについてはすでにこちらに書いた。残りは2017年1月から2月にかけて行われ、『騎士団長殺し』脱稿直後ということでこの作品を中心に村上の創作についての態度や考え、方法論などが語られている。『騎士団長殺し』についてはこちらに。


一般論として作家や、あるいは創作者の言葉をどこまで正直に受け止めるかは慎重であるべきだろう。べつに嘘をついたり煙に巻いたりするつもりはなくとも、作者だから「正解」を知っていると読者は考えるべきではない。作品はそれが発表された時点で、作者からも独立している。

村上は読者の読みを限定したり誘導したりすることには禁欲的なタイプの作家であるため(ある解釈を示してしまった後で「これは作者のというよりは、あくまで僕の個人的意見ですが(笑)」と冗談めかしているが、これは小説家の態度としては極めて正しい)、本書においてもすっとぼけているように映ったり、暖簾に腕押しといった感じに受け止める人もいるかもしれない。村上春樹初心者が「村上春樹による村上春樹入門」というのを期待すると少々肩透かしをくらうことだろう。

村上は自分の作品がリーダブルであることに自信と誇りを持っているが、実際は近年の村上作品は過去作との対照なくしては理解が難しくもなっており(作品単体では意味不明ということではなく、なぜこのようなことをしようとしているのかという意図においてということ)、これを個人的には「大江健三郎化」と呼んでいるが、こういう文脈をふまえている読者にとっては行間からにじみ出るものを興味深くすくいあげることもできる。


川上は「騎士団長」が自らがそうであると名乗る「イデア」について質問するが(プラトンによればイデアというのは本質的に善であり、悪のイデアというのはそもそも原理的に存在しない)、村上は有名な比喩だが「中身はよく知らないけど」と返す。「イデア」という言葉を使う以上調べたり、整理しておこうとは考えないんですか、と訊くと、「ぜんぜん考えない」といった調子である。川上は「それは本当ですか」と何度も訊くが、答えは変わらない。

これをどう受け止めるべきか。調べもせず何も考えていないのに書けるなんてすごい、というのも、いい加減に書きやがって、となるのもピントがズレているだろう。別の個所で、「やっぱり出産のイメージを引き寄せますよね」と訊かれ、「たしかに」と答えつつ、村上はこう続ける。

「書きながら、そういう考えは浮かぶ。でも、「これは出産のメタファーだな」とか考え出したりしたら最後だから。(……)「これは出産であり再生である」みたいなことを書き手が考え出したら、もう最後です。頭を使って考えるのは他の人にまかせておけばいい。それは僕の仕事じゃない」。

おそらくこの部分は率直な本音だろう。イデアについてまったく調べていないというのは真に受けるべきではないと思うが、イデアとは哲学史においてかくなるものであり、従ってここで「イデア」という言葉をあえて使うのはかくかくしかじかの意味がこめられていて、といったことを意識して書いてしまっては負けになる。

村上の作品は(『騎士団長殺し』がまさにそうであるように)冥府下りをはじめとして各地に見られる普遍的な神話や古典との関連性で語られる。

村上はこう語っている。「あらゆる国のあらゆる民族の神話には、たくさんの共通するものがあります。そういう神話性が各民族の集合無意識として、時代を超えて脈打っていて、それが地域を超えて世界中でつながっている。だから、僕の小説がいろんな国で読まれているとしたら、それはそういう人々の地下部分にあたる意識に、物語がダイレクトに訴えかけるところがあるからじゃないかなと考えています」

また本書でもちらっと言及されるように、英語圏ではしばしば『源氏物語』をはじめとする日本の古典文学と重ねて論じられる。蓮見重彦はかつて『小説から遠く離れて』で村上作品(を含む近年の日本文学の多く)は定型的な構造をなぞっているだけだとしてその「凡庸」さを厳しく評価したが、「普遍性」と「凡庸」さは紙一重でもある。これを作者の側で意識して、凡庸さから逃れようと「勉強」をはじめてしまえば、それは「知的」なものになるかもしれないが、物語が本来的に持っている力強さは色褪せてしまいかねない。『オデュッセイア』を換骨奪胎したジョイスの『ユリシーズ』は奥深い多層的な作品であり知的興奮をもたらすものであるが、では『オデュッセイア』にあったような、誰もが没頭できるプリミティブな物語の力強さを持っているかといえば躊躇せざるをえない。村上は当人の弁とは異なり、おそらくはかなりの「勉強」を実はしているとおぼしき形跡は多々あるが、いざ小説を書くという際にはそれを出来る限りシャットアウトしようとしているといったあたりが実態ではないだろうか。

同じモチーフを繰り返し使うことについては「でもそんなこと言ったら、ブルーズシンガーは同じコード進行で毎日歌っているわけじゃないですか。しょうがないじゃん、ねえ(笑)。と思うしかない」とする。
「これは前と同じだ、まずいな、変えよう、みたいな気持ちにならない?」と訊かれると、「僕の場合、昔書いたことってほとんど忘れちゃってるから、そんなに気にならないというところはあります」と返している。

これも「忘れようとしている、気にしないようにしている」と考えたほうがいいだろう。
村上はそれが「凡庸」だと知的な人間から蔑まれようとも、物語の強さを信じているし、だからこそ凡庸さから逃れようという欲求を抑え込もうとしている。


繰り返し書いているが、『海辺のカフカ』以降の作品は過去作の「語り直し」という要素が非常に強い。それを物語を生み出す能力の枯渇、ただの自己模倣と見なす人もいるだろう。
村上はボルヘスのあるエピソードを引き、「僕らは結局、五つか六つのパターンを死ぬまで繰り返しているだけなのかもしれない」としつつ、「ただ、それを何年かおきに繰り返しているうちに、そのかたちや質はどんどん変わっていきます。広さや深みも違ってきます」と付け加えている。

「それでも前進していると感じられるのは、どういうところで感じられるのでしょう」という問いには、「文章です」と簡潔に答えている。「僕にとって文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろな要素がありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します」。

一人称から三人称への移行、村上の言葉を借りれば新しいヴィークル(乗り物)を手にしたことで、かつて語った物語がまたどのように転がっていくのかを試す、そういったことをおそらくは確信的に行っている。

『騎士団長殺し』は再び一人称に回帰した。村上は繰り返し「悪」の物語に対し「善き物語を書こう」という意志を持っているとしている。当人はこの意志はもとからあったもので、80年代までの作品でもそういうところはあるとしているのだが、やはりこれは、それだけに帰するべきではないが、オウム真理教事件を受けてから強く意識するようになったものだとすべきだろう。村上は語り直しによって、かつての物語を「善き物語」へと仕立てなおそうとした。『騎士団長殺し』は三人称によって試みられたことを、一人称というかつてのフォーマットで行おうとした、逆輸入的作品であるとすることができる。

川上はかつて使っていた「僕」という一人称について、「その「僕」だけに可能なモラトリアムや甘えの構造も含んだ、切なさとしか言いようのないものが表現されているじゃないですか。(……)その切なさみたいなものを、読者は懐かしんだり、初期のほうがいいね、とかみんな言うわけです。時代は関係なく、それが一九九〇年代でも、二〇〇〇年代でも、その時々にのっぽきならない「切なさ」を生きている人たちにダイレクトに響く」として、またあのような手法で書きたいとは思わないかと訊くと、村上はあっさりと「思わない」と答えている。

「僕にはそういう懐かしいという感じはないから」とし、昔の作品も「読み返さないね」とつれない。これは、橋はすでに焼き切ったのでもう戻れないということなのだろう。

もちろんそれがうまくいっているかどうかはまた別に問われなければならない。『ねじまき鳥クロニクル』は移行期の危ういバランスの上に奇跡のように成立したものであり、これ以降の作品については村上の試みがうまくいっているかといえば、個人的にはそうであると手放しに思うことはできないし、とりわけ80年代までの村上作品に深くなじんだ読者であるほど、同意見の人は多いかもしれない。


このインタビューでは基本的には訊かれたくないであろうことや、厳しい質問はなされていないし、そのあたりに物足りなさを覚える人もいるだろう。『1Q84』や『騎士団長殺し』を読めば、村上と父との関係について訊きたくなるのは当然のことだろうが、これは遠回しに触れられるだけだ。

しかし『騎士団長殺し』の「私」をはじめ近年の主人公の趣味嗜好がかつてよりアッパークラス化していて、「三十代の主人公の目が、年相応よりも肥えてきている感じがするんですよね」というのは、川上が嫌みを言っているように聞こえなくもない。「だんだん富裕層の雰囲気が出てきています」という指摘に村上は「そう言われればそうかもしれない」としている。村上作品の主要登場人物はそれなりになんとなく金を持っているのが多いのであるが、これが近年上ぶれしていっていることに無自覚であるのはまずいだろう。

村上は36歳だったことが、あるいは15歳だったことがあるので、自分が経験したことのない年齢と違い「普通に書けてしまう」としているのだが、同じ36歳といっても当然ながら時代が違えばそのあり方は異なることになる。村上は実年齢である80年代の36歳と、作中の主人公の年齢である2000年代の36歳との置かれた社会環境の変化などにいささか無頓着すぎるように思えるし、それが作品の質にも悪影響を及ぼしているという印象は否めない。

さらに直接的なのは、おそらくはフェミニストとしてこれだけはしっかり訊いておかねばということであろう、村上作品における女性のあり方についてだ。
川上は「女性であることの性的な役割を担わされ過ぎている」と感じる読者も結構いるとし、「物語とか、井戸とか、そういったものに対しては、ものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない」のではないかとする。村上がピンときていないようなのでさらに、『ねじまき鳥』や『1Q84』において「男性側の役割が、無意識の領域で戦う」ことであり、「そうか、今回もまた女性が男性の自己実現のために、血を流して犠牲になるのか」と読まれてしまうと続ける。

こう問われてもやはりすれ違っているように思えるやりとりが続く。こういう言い方をしてしまえばそれまでよということになるが、考えてみれば村上と川上ではまさに親子ほど年齢が違うわけで、川上と同世代の僕が自分の親の世代のことを考えると、まあ仕方がないよな……ともなってしまう。それで済ませてはいけないんだろうけど。

ではそんな川上がなぜ村上作品を読み続けるのか。川上は「眠り」を取り上げる。「「眠り」でお書きになった主人公のような女性は、今まで一度もお目にかかったことがありません。これは本当に驚くべきことです」。
村上はこの作品が英訳され「ニューヨーカー」に載ると、当時無名だったこともあってハルキ・ムラカミを女性作家だと思い込んで「女の人から「よく書いてくれた」ってファンレターが何通も来」たと振り返っている。

もちろんこれは、村上がフェミニズム的意識から女性の置かれている立場や不安を描き出そうとしたのではなく、結果としてそうなったとすべきだろう。作者の「意図」を超えて、フェミニストである川上ともこれで「信用取引」が成立したように、これこそが物語というものの強さを表すエピソードだとすることができよう。


『ミズーラ  名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』

ジョン・クラカワー著 『ミズーラ  名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』





モンタナ州第二の都市、人口七万人ほどのミズーラ。保守的な政治風土に浮島のごとくある大学のリベラルな雰囲気は、大学関係者以外の住民からは必ずしも歓迎されていない。しかし例外がある。それがミズーラ大学のアメフト部、グリズリーズだ。グリズリーズは市民の誇りとなっており、収容人数二万人を超えるスタジアムは毎試合ほぼ満席となるほどの人気っぷりであった。2010年から12年にかけて、そのグリズリーズの選手たちからレイプされたという告発が相次いだ。クラカワーは本書で二つの裁判を軸に、大学における、そしてアメリカ合衆国におけるレイプやそれをとりまく環境を描き出す。


ある調査によると、「米国で発生する強制レイプのうち、警察に届け出があるのは五パーセントから二十パーセントにすぎない。訴追されるのはわずか〇.四パーセントから五.四パーセントで、当該の暴行の罪での禁固を含む有罪判決が下されるのは〇.二パーセントから二.八パーセント。この数字はこのように考えることもできる。つまり、この国でレイプ事件が起きたとき、九十パーセント以上の確立で加害者は刑罰を逃れるのだ」。

グリズリーズの選手たちが起こした事件は特異な例ではない。体育会系のみならず、大学全般で性暴力が蔓延している。そして無論大学のみならず、一般社会でも依然として性暴力は蔓延り、加害者たちの多くが訴追すらされていない。なぜこのようなことになっているのかにはいくつかの理由があるが、最も大きな要因は「レイプ神話」が根強くあるからだろう。

被害者たちが警察に訴えるのをためらうのは、それ自体がさらなる心の傷となるからであるのは容易に想像がつく。病院で証拠採取のための検査を受けていると、そこで再びレイプされたかのような気分にさせられたという証言がある。そればかりでなく、いざ告発を決心しても様々な嫌がらせに合うことになる。

警察や周囲からまず疑われるのは、それが虚偽の訴えではないかということだ。実際にはレイプの虚偽の告発というのは極めて稀なのであるが、その数は実体よりも多くイメージされている。もちろん数少ないことは皆無だというのではなく、本書にも虚偽の告発によって有罪判決を受けた例に触れられているし、どのような事件であれ慎重な捜査と公正な裁判が求められることは言うまでもないが、レイプ事件に関しては他の犯罪よりも、むしろ被害を訴え出た側に疑いの目がまず向けられてしまう傾向が強い。

またレイプというと「スキーマスクをかぶり、ナイフを振りかざし、女性を茂みに引きずり込むやつだという共通認識がある」が、実際にはレイプの85パーセントが顔見知りの犯行によるものであり、本書で主として扱われるのもまさにこのケースである。

顔見知りで、しかも合意の上で酒席をともにしたり家で二人きりになれば、それが性行為にまで合意を与えたものだと解釈されかねず、多くの裁判ではそこが争点とされる。

被害者はレイプされる危険を感じれば泣き叫び、力の限り抵抗するものだという思い込みがあるが、これもそうとは限らない。力づくで性行為を求めてくる相手だけに、被害者はここで抵抗すればさらなる危険にさらされるのではないかという恐怖心に襲われる。またパニックに陥って身動きできなくなることもある。しかし抵抗しなかったことは同意の印と見なされてしまいがちであり、さらには苦痛や恐怖であげたうめき声を「あえぎ声」だとしてこれを合意の印だとする法廷戦術がよく取られる。

クラカワーがことわりをいれているように本書の描写にはショッキングな箇所もあり、僕も読むのがつらくなるところも多々あった。読んでいるだけでこうなのだから、実際にレイプの被害にあった人が負うことになる心の傷はすさまじいものであろう。しかし、実際にはレイプ被害を矮小化され、とりわけ名門大学の学生や有望スポーツ選手が加害者となると、「前途ある若者の将来を奪っていいのか」といったような加害者への同情論が巻き起こることとなる。

レイプという犯罪に実態に基づかない誤った固定観念を抱き、さらにその被害を矮小化する数々の「レイプ神話」によって、被害者は告発が困難となり、裁判でもさらなる苦難に見舞われることになるのである。

日本の性犯罪発生率は世界的に見て少ないということが言われる。確かに統計上はそうなのであるが、悪名高き痴漢の横行などを考えると、これを鵜呑みにしていいのだろうかという気分になってくる。本書で被害者たちは様々なセカンドレイプにさらされることが描かれるが、日本では被害者へ向けられる視線はさらに厳しいものだろう。つまり性犯罪の発生数が少ないのではなく、被害者がそれだけ訴えづらい状況に追い込まれているだけなのではないかという疑念を抱かざるを得ない。いずれにせよ、日本でも「レイプ神話」は蔓延っており、それを打破するためにも本書は日本でも広く読まれるべきものであろう。


しかし同時に、とりわけ日本でこれを読む際には少々注意を要するところもある。
キング群で長く性的暴行捜査班を指揮していたレベッカ・ローは「ダブルスタンダードがあるんです」と言う。「裁判官は弁護人よりも検察官に高いレベルの真実性を求める傾向があります」とし、「検察官が法廷で真実でない発言をし、被告人が有罪となった場合、弁護側は上訴し、有罪判決を覆すことができます。しかし、弁護人が真実でない発言をしたとき、それに相当する抑止力はありません。被告人が無罪となると、検察側は上訴できないのです」と語っている。

日本では裁判官はむしろ検察よりも弁護人に「高いレベルの真実性」を求める傾向にあるし、また無罪判決が出ても検察側は上訴することができる。これらは冤罪が発生する可能性を高めているという指摘は多い。

もちろんレイプ事件に限って検察側により高い真実性を求めるといったことが行われているのであればそれは是正されるべきであるが、クラカワーはそこからさらに踏み込むかのような書き方までしており、推定無罪の原則や弁護人の正当な弁護活動にまで結びつけるかのような部分は危うさもある。もちろん裁判の勝ち負けにだけしか関心がなく、醜悪な言動を取る弁護士が多数いることは事実であろうし、とりわけアメリカでは富裕な被告人がスター弁護士を雇って陪審員から不可解とも思える評決を引き出すのに成功するということは頻繁に起こっており、憤りを覚えることもわからないではないのだが、同時にアメリカでも冤罪は少なくないことも押さえておかなくてはならないだろう。

レイプ犯の多くが顔見知りであり、本書で大きく取り扱われるのもそのケースである。性行為が行われたことに疑いがなければ、争点は同意の有無になる。当然ながら文書等の物的証拠が残っているはずもなく、証言の信憑性が最大のポイントとなる。強いショックにさらされることで、事件後に被害者が、傍から見れば奇妙とも思える言動を取ることはしばしばある。また証言が揺れたり、虚偽の訴えだと疑われたくないと思うあまり曖昧であったり矛盾した証言を行えば、弁護人はそれらを徹底的に突いてくる。弁護人は原告や原告側の証人が信頼に足る人物ではないという印象を陪審員に与えようとし、それに成功すれば裁判の流れは決まったも同然となる。

本書で描かれる裁判の模様を読むと、弁護人に強い不快感を覚える読者がほとんどであろう。陪審員の一人も、無罪の評決を出しながらも弁護人の悪辣といっていいほどの、容赦ない尋問に不快感を持ったと言っている。

弁護人は法廷において「レイプ神話」を徹底的に利用する。そして陪審員はその戦略に乗せられてしまう。「レイプ神話」の虚構が喝破され、被害者を貶めることに傾注するようなえげつない法廷戦略をとればそれが陪審員の心象にマイナスに働くようになれば、弁護人も戦略を変えざるを得なくなるかもしれない。最大の敵は誤った固定観念を与える「レイプ神話」であり、これを打ち破ることこそが多くの被害者が告発を行えるようになり、裁判で公正な判決が得られるようになり、レイプを減らすことにもつながるはずだ。

悠長なきれいごとといえばそうかもしれないが、日本によくいる、普段は冤罪問題になど何の関心も払っていない、それどころか冤罪問題に取り組む人権派弁護士などを冷笑していたはずなのに、こと性犯罪に関してだけは突如態度を変えるといった人間を見ると、かえって原則論から踏み外すような危うさには慎重であらねばと思えてくる。ここをおろそかにしてしまうと、それこそ恣意的な裁判や、あるいはバックラッシュや陰謀論が蔓延してしまうことにもなりかねないだろう。


なお本書では連邦司法省がミズーラの件に関心を寄せ、地元の右派が反発するというアメリカでは起こりがちな事態にも発展したことも描かれている。オバマ政権は大学内での性犯罪の蔓延にも熱心に取り組んでいたのだが、こういった試みはトランプ政権の誕生によってご破算になってしまうことだろう。トランプはその過去が暴露されるばかりか、選挙期間中も女性に対して醜悪な言動を公然と繰り返したが、それにも関わらず当選したというよりも、それゆえに当選したとすることもできる。これは人種問題と同じで、それだけトランプのような人物が大統領に当選してしまったというのは深刻なことであるのだが、少なからぬ日本人がその深刻さをきちんと理解していなかった(あるいは今でもその本質について理解していない)のは、日本社会における人権への無関心やそれへの侮蔑の蔓延という形で表れている。


もう一つ付け加えると、本書には18歳の加害者が、性についての知識をもっぱらポルノから得ており、「潮吹かせ」たかったと説明したという事例が登場する。「それまでに見たポルノの影響で、スミス[加害者の男性]は、膣の潮吹きが女性の性的快楽の至上の表現であり、指を膣や肛門に猛烈に突っ込むことでその反応を引き出せると信じていた」。

ポルノでの描写を「普通のセックス」だと思い込んでそれを再現しようとするというのは日本でも聞く話であり(というか、日本製ポルノが世界的にどう受け取られているのかを合わせて考えると、日本でこそ深刻に受け止めるべきだ)、きちんとした性教育の必要性を痛感させられる。近年日本では性感染症が増加しているという調査もあるが、これは日本の性教育が全く機能していないことを表すものだろう。そして十数年前に安倍晋三をはじめ自民党右派が派手に暴れ回ったことで日本の性教育をさらに委縮させたという事実は、いくら強調してもしすぎることはない。

『分解する』

リディア・デイヴィス著 『分解する』




原著は1986年に刊行された、デイヴィスの「実質的」なデビュー作である。いかにも短編小説といった形にまとめた作品もあれば、ほんの数行の、作品の構想メモではないかと思いたくようになるほどのそっけないもの、あるいは散文詩に近づいているような作品まで、多種多彩な短編集となっている。

その中で、本書収録の作品の多くが不安というものをモチーフにしている。「セラピー」や「情緒不安定の五つの兆候」といったタイトルにあるように、精神医学的な意味での不安もあれば、この世界や日常にぱっくり口を開けている、形容のできない不安に侵食されていくかのような作品もある。

この「不安」のヒントになっているのが、夫であったポール・オースターとの離婚をめぐる経過を描いたかのような作品であろう。気まずさや苛立ちと共に、過去のほのぼのとしたかのような回想風のものまであり、元夫の立場から書いたオースターの『孤独の発明』と読み比べてみるのもいいだろう。表題作の「分解する」は、女性と別れた男が彼女との過去を金銭的に計算して清算しようとして、かえって混乱していくことになるが、ここにデイヴィスの心理をつい見たくなってしまう。

とはいえ、もちろんデイヴィスは凡百の私小説作家などではない。「フランス語講座 その1 Le Meurtre」はフランス語の授業の模様を再録しているかのようで、血生臭い香りが漂ってくることとなる。「バイオリンのスズキ・メソードの創始者、鈴木鎮一の自伝をコラージュ」した「ある人生(抄)」や「W・H・オーデン、知人宅で一夜を過ごす」は伝記から適当に抜書きしたようでいて、並みの人間にはできない独特の雰囲気を醸しだすことに成功しており、デイヴィスの面目躍如といった作品になっている。デビュー作には全てがあるなんてことが言われるが、デイヴィスはやはりデイヴィスであり、その世界を堪能できる。


なお「訳者あとがき」で岸本佐知子は、「フランス文学のすぐれた翻訳家」としても知られていたデイヴィスが「フランス語の翻訳はひと区切り」として、「近ごろではさまざまな言語に関心の対象を広げている」ことに触れている。「ドイツ語、スペイン語はすでに習得し、現在はノルウェー語、オランダ語を独学中で、スペイン語で『トム・ソーヤー』を読んだり、オランダ作家A・L・スネイデルスやノルウェー作家ダーグ・ソールスターの小説を翻訳するなど、さまざまな試みに取り組んでいる」。

こちらにあるように、デイヴィスはノルウェー語を辞書を使わずに独習するという、なんとも凄まじいことをしているのであるが、これはフランス語をはじめとしてヨーロッパの複数の言語に通じているからこそできることで、良い子は真似をしないように!(というかできないが)。


またオースターは『内面からの報告書』で、かつてより直接的にデイヴィスとの過去について触れている。


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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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