『結婚式のメンバー』

カーソン・マッカラーズ著 『結婚式のメンバー』





フランキーは12歳の少女としては高くなりすぎた背を持て余し、やや年上の少女たちとはうまく付き合えず、親友と呼べる存在はすでに引越し、彼女の「メンバー」と呼べるのは亡くなった母親に代わって家事をする黒人の中年女性ベレニスと6歳の従弟ジョン・ヘンリーくらいだった。「緑色をした気の触れた夏」、軍務に就きアラスカに赴任していた兄が結婚をすることになった。フランキーは結婚式に参列し、そのまま兄夫婦と共にこの町を去ることを夢見はじめる。


思春期特有の繊細にしてエキセントリックに流れがちな心理を見事に描いているという点ではサリンジャーを想起せずにはいられないし、南部の気だるく物憂い雰囲気と、イノセンスな擬似家族とそれが揺らいでいく様はカポーティと肌触りが近いが、サンリンジャー・ミーツ・カポーティとしてしまうのでは時系列が転倒してしまう。『結婚式のメンバー』の発表は1946年で、カポーティの『遠い声 遠い部屋』は48年、『草の竪琴』は51年の発表であり、『ライ麦畑でつかまえて』も51年の発表である。村上春樹による「訳者解説」でも触れられているように、マッカラーズが『結婚式のメンバー』を執筆中に滞在した芸術家のコミュニティの「ヤドー」では、彼女はカポーティと親しくなっている。影響は相互的なものであったかもしれないが、年齢を考えるとマッカラーズがカポーティに影響を及ぼした度合いの方が強いとすべきだろう(マッカラーズの伝記であるヴァージニア・カーの『孤独な狩人』によると、後年マッカラーズはカポーティの文体などが自分のそれに酷似していることに不快感を持っていたようだ)。サリンジャーがマッカラーズを読んでいたのかはわからない。

カポーティやサリンジャーを訳している村上が関心を持つのは当然のようにも思えるが、では『結婚式のメンバー』がサリンジャーやカポーティの一部の作品とそのまま重なるかといえば、必ずしもそうとはいえないだろう。サリンジャーにしろカポーティにしろ、「イノセンス」といえば聞こえはいいが「退行願望」といってもいいものに支配され、あるいはとりつかれているとすることもできる。カポーティの一部の作品は、その体験を共有していない読者にまでノスタルジーを掻きたて、登場人物たちがどこまでも愛おしくなるのであるが、同時にそのようなイノセンンスが永続することはないこともわかっているだけに、さらにぐっと胸にくるものとなる。

しかし『結婚式のメンバー』では、フランキーはむしろ居心地がいいともいえるベレニスとジョン・ヘンリーとの関係から抜け出たいという願望を持っている。同時にあまりに後ろ髪を引かれているのであるが、これはフランキーの「幼さ」を表すものであろうし、また彼女の身長は年齢不相応なほど高いのであるが、性の目覚めはまだやってきていない。

フランキーとジョン・ヘンリーとの関係は『ライ麦畑』におけるホールデンとフィービーのそれを連想させる。フィービーはホールデンの妹でありながら彼の母親代わりというか守護天使的存在でもあり、ホールデンは彼女によって現実に引き戻されつつも、また自らがイノセンスの守護者たろうともする。6歳にしては小柄でありつつ眼鏡をかけているジョン・ヘンリーは、フランキーにとっては守るものであり守ってくれるものでもあろう。しかし物語後半でホールデンとフィービーが溶け合っていくのに対し、マッカラーズはジョン・ヘンリーにある運命をもたらせる。フランキーとベレニスの関係はまたフラニーとズーイのようでもあるが、サリンジャーが筆を置いた地点からマッカラーズはさらに物語を押し進めていく。

高すぎる身長や、自分の名前が気に入らずに勝手に改名してしまうことなどはマッカラーズ自身の体験であり、彼女がフランキーを自身と重ねているのは明らかだ。一方で、マッカラーズは1917年生まれであるが、作品の舞台は1944年の夏にしており、フランキーを自分より15歳ほど若く設定している。このように自伝的要素を多く取り入れながらも、相応の距離も取っている。基本的には三人称でありつつも、一人称に限りなく近づくかと思えば、語りのレベルにおいても距離を置くこともある。

フランキーはエキセントリックな行動を取るが、彼女が手を染める「犯罪」はやはり12歳のものだ。その幼さによって知らず知らずに大きなトラブルに近づいてしまうが、やはり彼女は守られている。とにかくここから出たい、ここではないどこかに自分の本当の居場所があるはずだと思うのだが、それは兄夫婦に連れて行ってもらうという願望を取るように、ここでも彼女は幼い。意を決して取る行動の結果も、年齢相応のものに落ち着く。

ある意味では典型的ともいえる思春期を扱った小説であるのだが、一方でマッカラーズは過度にフランキーと同一化することもなく、そこから脱した大人の視点から単純な「成長」や「喪失」といったところへ落とし込むのでもない。登場人物の幾人かに残酷な出来事が待ち構えており、またフランキーの心理も呪われたままであるようにも思わせる。

サリンジャーやカポーティーは自分たちが作りあげた物語に自らが飲み込まれていってしまうことになるのであるが、マッカラーズの幸福とは言い難い不安定な生活は自らの作品に飲み込まれた結果というよりは、こういった人物であったからこそこのような物語が紡げた、この描写ができたということなのかもしれない。そうなのだとすると、マッカラーズはサリンジャーやカポーティーと極めて近い位置にいながら、また決定的な違いというのをもっていた作家だとも考えることができるし、『結婚式のメンバー』はまさにそのような作品であるように思える。


『結婚式のメンバー』は渥美昭夫訳などがあるが、こちらは未読なので翻訳の比較はできないが、村上訳は結構「クセ」のある訳になっているだろう。とりわけフランキーとジョン・ヘンリーの会話であるが、12歳と6歳のそれとは思いにくいものになっている。これは『海辺のカフカ』のカフカ君が現実の14歳を描こうとしたのではないのと同じように、「リアリズム」を追求しようとしたものというよりは、作者と登場人物をべったりさせるのではなく、マッカラーズと作中人物の距離を表したものとできるのかもしれない。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳で、ある意味では原文に忠実ともいえるのだが、代名詞をあえてかなり忠実に訳文に反映したのと同じように、こちらも作品解釈込みの翻訳としたほうがいいだろう。若い女性の翻訳家がこれもあえて「現代」に寄せて訳したらまた大分違った印象になるのかもしれないし、いろんなタイプの翻訳家が訳し比べなどしても面白いタイプの作品だろう。


マッカラーズは1917年生まれで、67年に50歳で死去。2017年2月19日で生誕100年となる。『結婚式のメンバー』をはじめいくつもの作品が映像化舞台化されているが、マッカラーズの生涯もまた、そのまま小説や映画の題材にしてもいいような壮絶なものでもある。





『ヒトラーと物理学者たち  科学が国家に仕えるとき』

フィリップ・ボール著 『ヒトラーと物理学者たち  科学が国家に仕えるとき』





2006年に出版されたオランダのジャーナリスト、サイベ・リスペンスの『オランダのアインシュタイン』は大きな騒動を引き起こした。一般的にはそれほど有名ではないとはいえ、1936年にノーベル賞を受賞し科学界にその名を残すオランダ出身のピーター・デバイについて、リスペンスは「ナチと共謀していた」と告発したのだった。デバイはドイツでカイザー・ヴィルヘルム研究所で所長を務めていたが、ドイツ国籍を取ることは拒否し、39年にはアメリカに渡っている。そんなデバイが、ナチ党員でこそなかったものの実は「ナチ体制の熱心な支持者」であったという内容であり、「戦時中はアメリカに留まりながらもナチ当局と接触を続けており、それは戦争が終わったらひとまずベルリンに戻る可能性を残していたのではないか」とリスペンスは見た。

デバイの名前と関わりの深かったオランダの二つの大学はパニックに陥った。「デバイ自然科学研究賞」と「デバイ・ナノ材料科学研究所」はデバイの名を外すことを決定する。一方デバイがアメリカで勤務したコーネル大学は独自の調査を行い、「デバイはナチの同調者でも反ユダヤ主義者でもない」と判断し、学科名からデバイの名を外さないことを決めた。その後リスペンスの本について、「デバイの描写は偏っており、ナチの統治に対するデバイの反応は、大半のドイツ人科学者の反応とそれほど大きく異なっていたのではないという事実をあやふやにしている」といった批判がなされた。結局デバイの名を付した賞と研究所にその名が復活することになり、デバイの名誉は回復されたかのようだが、それで終わりにしていいものだろうか。

本書の主人公となるのは、デバイ、マックス・プランク、ヴェルナー・ハイゼンベルクという高名にして「英雄でも悪人でもない」科学者たちだ。彼らの姿を通して「ナチの党利に対する恭順と抵抗のあいだのグレーゾーンにおける科学者の大多数(そして一般市民)の多様な立ち位置が見えてくる」。


科学者たちは人文学者や社会学者に対して、「あからさまな反感を抱くとまでは言わないまでも疑いの目を向けることがある。彼らが整然とした科学の自己像を単に複雑にしているだけでなく、なぜ科学がそこまで精緻な検証を必要としているのか、想像できないというのだ。真実を明らかにしようとする仕事に従事する自分たち科学者をなぜほっといてくれないのかというのだ」。

しかし、「科学の純粋性を強調することは危険だ」とボールは書く。
「ナチス政権下のドイツ(第三帝国)で研究を行っていた科学者の対応を調べているうちに、彼らの多くの発想、たとえば科学が「非政治的」であり、「政治以上のもの」であり、「より高級な職業」であって、個人の義務および忠誠心を人間どうしのあらゆる交流の上位に置くと言い立てることが、今日の科学者たちから見聞きする見解に近いように思えて、私は落胆するしかなかった」。

いわゆる「ソーカル事件」前後の状況を論じた金森修の『サイエンス・ウォーズ』にも同じような問題が取り上げられていた。確かに一部の人文学者が数学をはじめ自然科学の用語をろくに意味も分かっていないにもかかわらず濫用するのは厳しく批判されてしかるべきだ。しかし科学者側にも、科学については科学者以外は口を挟むなといわんばかりの傲慢さや、さらには他分野を見下すといった驕りも見受けられた。ポストモダン系人文学者にしろ、科学者にしろ、自らに対する批判的検証を拒否すれば、堕落していくのは当然のことであろう。

「精緻な検証を必要とし」、実験等を通じてはっきりと実証されるまでは判断を保留する、と聞けば非常に立派な科学的態度のように思えるかもしれない。ではこれが公害問題だとしたらどうだろうか。目の前に明らかに被害を受けている患者がおり、そこには原因とおぼしきものがある。それでも、少なからぬ科学者がここで極度ともいえるほどの「保守性」を発揮するのであり、これは結果として企業や行政など加害者を利することになる。多くに公害問題を振り返ると、一部の科学者が誠実に問題に取り組まないばかりか、むしろ積極的に隠蔽や矮小化に協力したという例も枚挙にいとまがない。こういった科学者たちは原因が厳密に特定できない以上判断を下さないという消極的な態度をとるばかりか、告発の無効化にせっせと勤しむこともしばしばだ。批判が寄せられるとこのような科学者たちは、自分たちはやるべきこと、やれることを粛々と行っているだけで、政治的な意図などないと反論することになる。まさにこの「政治性」こそが問われているのに、科学者たちはこの問題にあまりにナイーヴであり続けている傾向は現在でも広く見られる。


1927年にブリュッセルで開かれた量子物理学に関するソルヴェイ会議で撮られた集合写真は、当時の物理学界がいかなるものであったのかを雄弁に語っている。「ドレスコードの厳しさと眼差しの強さとが調和しており、行動規範が守られて上下関係が尊重される、という抑圧的な態度が求められる雰囲気がうかがえる」。若き日のハイゼンベルク、デバイと共にアインシュタインをはじめとする早々たる顔ぶれがそろっているが、女性はマリー・キュリーただ一人しかいない。

当時の物理学者たちはアインシュタインの国際主義や平和主義に眉をしかめていた。その支持者ですら「政治と職業の別」を尊重していないと感じ、アインシュタインは「政治をもてあそんでいる」と非難された。「ドイツの物理学者たちは、政治的な問題にかかわりたくないと強く思っていた」。

自分はイデオロギーとは無縁だと主張する人間こそが元も根深くイデオロギーを内面化しているように、「非政治的」であることは極めて政治的な選択である。「ドイツの学者たちの政治から距離を置く態度は実のところ、ある特別な政治的立場をまとっていた。それは、ドイツの軍国主義と愛国主義を支持するという伝統を守りつつ、一方でそれと同程度に民主的なヴァイマル政府に反対するという意味で「非政治的」であった」。


本書の主人公たちは「英雄でも悪人でもない」。この三人に限らず、ドイツの科学者でナチスに積極的に協力したのはごくわずかだ。そして積極的に抵抗したのも、ごくわずかである。

プランクは非常に保守的であり、女性参政権には当然のごとく反対であったが、また女性が研究職に就くのを支援もした。ハイゼンベルクは「ユダヤ物理学」を否定し「アーリア物理学(または(ドイツ物理学)」を称揚せよという動きには反対したが、ナチス・ドイツが侵略を開始すると、その支配地域での講演ではアインシュタインの名を出すことを避け、また友人には著作からアインシュタインの名を削るよう助言している。
ハイゼンベルクが「ユダヤ物理学」を否定することを拒んだのは、そんなことをすれば物理学にとってマイナスになるからであって、それ以上でも以下でもなかった。プランクもハイゼンベルクもデバイもナチス政権下で同僚のユダヤ人を助けたが、それはその人が同僚であったからであって、彼らはナチスが進めるユダヤ人迫害政策そのものに反対することはなかった。


リスペンスがそうであったように、ナチス政権下で難しい選択を迫られた科学者(あるいは「普通」の人々)をナチスに抵抗しなかったからと断罪し、彼らは悪人だったと切り捨てるだけでは、自分たちはそうではないのだという上辺の満足感を与えるだけで、歴史の上っ面をなでるだけになってしまうだろう。そしてまた、歴史の後知恵で当時の人々を裁くべきではないとしてその内面に過度な同情を寄せて検証を拒むことも、歴史を隠蔽することになる。

この三人の「真意」は見えにくい。おそらくは当人たちにも状況が見えておらず、長く続くヒトラー政権で明確な信念や意図を持って行動していたのではないだろう。問題とされたデバイがアメリカ到着後もカイザー・ヴィルヘルム研究所と連絡を取っていたことは事実である。まだアメリカ参戦前のことであり、ドイツの勝利でこの戦争が終わる可能性は高いと考えていたとしても不思議ではない。彼が「ゲーム」を行い、アメリカとナチス・ドイツを両天秤にかけていた可能性はあるだろう。彼にはまたドイツに残っている身内がいた。デバイに同情的な人が主張するように、身内がナチスから迫害されるのを恐れたということもあるだろう。しかしおそらくは、何らかの深い意図があってのことというよりは行き当たりばったりに行動した結果、いったい何を考えていたのかが後世の人間からは見えづらくなったといったあたりではないだろうか。

デバイがアメリカに渡ると、少なからぬ人が彼がナチスのスパイなのではないかと疑った。とりわけ不信感を抱いていたのはドイツでの彼の振る舞いを知るユダヤ人たちだった。アインシュタインは、デバイがスパイだという証拠はないが信用ならない人物であると証言している。ナチスのユダヤ人政策に対するデバイの日和見的態度が、アインシュタインをはじめとするユダヤ人の不信感につながったのだろう。

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは「過去に目を閉ざす者は、現在にもやはり盲目となる」という有名な演説を行った(ちなみにヴァイツゼッカーの兄のカール・フリードリヒも物理学者であり、本書でも少なからぬ働きをすることになる)。
ロアルド・ホフマンはこれをふまえてこう言う。「過去の記憶がなければ和解もない」。「和解」とは「忘れる」こと、あるいは「忘れてもらうこと」ではない。デバイは戦後も沈黙を続けた。「彼の沈黙は明白な誤りだ」。彼は単に沈黙しただけでなく、自らの過去のふるまいについて内的な葛藤にみまわれることもなかったようだ。ホフマンはこの沈黙についてこう考えた。「デバイの戦後の沈黙は、彼が私たちに忘れてほしいと思っていたことを意味するのではないか」。

今さら過去のことを穿り返してもしょうがない、もう終わったことなのだと済ませ、忘却してしまえば、歴史から学ぶことはできない。言葉を変えると、現在の科学者たちはこの三人の言動から学ばねばならないことがあるということになる。

当時のドイツの学者たちは「非政治的」であったが、それは軍国主義的で愛国主義的であることを自明視して受け入れていた結果であった。プランクは悪法も法であると考え、ヒトラー政権誕生後の政策を受け入れた。これは国と時の政府とを同一視し、国が決めた以上粛々と従うべきだと考えたためであろう。「愛国心」とは往々にしてこのようなものである。ハイゼンベルクはナチスに入党することはなかったが、非常に「愛国」的であり、戦争開始後の彼の醜悪な言動を多くの人が証言している。


なおハイゼンベルクについては、『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したのか』でトマス・パワーズは、ハイゼンベルクは原爆開発に従事するふりをしながら実はサボタージュを行っていたのだとしているが、ボールはこの説を実在の怪しい資料や確認不可能な回想に基づくものであるとして否定している。「原子物理学者会報」ではパワーズの本は「フィクション」だと片付けられ、「悲劇的なまでにばかばかしい」という厳しい評価も紹介されている。以前にこちらに書いた時にどうも釈然としないとしたが、やはりボールらの判断の方が正しいのだろう。

ドイツが降伏するとハイゼンベルクらドイツで原爆開発に従事していた科学者たちは連合国の捕虜となったが、自分たちの置かれた立場がわかっておらず、傲岸不遜な態度を崩そうとしなかった。その理由の一つが、自分たちが原爆開発競争でアメリカの先を行っており、だとすれば無下に扱われることはないはずで、そればかりか自分たちの知識は高く売れるはずだとすらふんでいたこともあったようだ。広島に原爆が投下されても、ハイゼンベルクはしばらくはそれを信じることができなかったほどだった。アメリカの原爆の研究開発がここまで進んでいるとは想像もできなかったのだが、これは彼が取り残されていたということでもある。ハイゼンベルクはアメリカへの協力をほのめかしつつ、アメリカに渡るのではなく、ドイツが自分を必要とするからドイツに残りたいとしたが、アメリカなどからしたらこの態度は二重三重に「は?」という感じだったろう。戦後もハイゼンベルクは言を二転三転させ、サボタージュをしたかのようにほのめかすかと思えば、ナチスが十分な資金を提供しなかったから完成しなかっただけで、自分の能力をもってすれば実現は可能だったとも思わせようともした。誰もが口をそろえるのが、ハイゼンベルクが極めてプライドが高い人間であったということだ。彼はナチスに協力したと吊るし上げられることは御免であったが、また能力が劣っていたとされることにも耐えられなかったのだろう。サボタージュ説はハイゼンベルクにとって最も都合のいいシナリオであった。そんな彼が自分の過去の振る舞いについて後悔や反省を口にすることがなかったのは言うまでもない。

ドイツ敗戦直後には、ハイゼンベルクはアメリカに渡ったフォン・ブラウンのようになる可能性を描いていたのかもしれない。フォン・ブラウンにしても、本書で指摘されているように、彼が開発したV2ロケット等が実戦配備され多数の死者を出す以前に、その作成段階で強制労働などによって大量の死者を出している。戦後のフォン・ブラウンのアメリカでの「活躍」は冷戦の落とし子でもあるが、政治的のみならず、科学界においてこのような人物が受け入れられてしまったことは、どこまで汚点として認識されているのだろうか。


「政府の公式のスローガンは、「戦争のために物理学を利用しなければならない」であった。私たちはその順序を変えて、自分たち用のスローガンにした。「物理学のために戦争を利用しなければならない」」、ハイゼンベルクはこう語った。

「その物語では科学者たちを、舵を取る立場に置き、政治指導者たちを、何でも信じる愚かな集団へと貶め、国家が資金提供する軍事研究をほとんど抵抗のための活動費にし、ナチ体制の不潔な現実から、純粋で汚れていない科学を分離する。/しかし、ハイゼンベルクの言い分は、どれほど信じられるだろうか?」

戦前からハイゼンベルクと交遊があり、連合国でナチスの原爆開発についての調査にあたったハウトスミットは彼をこう評する。ハイゼンベルクが「ナチスと闘ったのはナチスが悪だったからではなく、ドイツにとって、少なくともドイツの科学にとって悪だったから」だ。

ルイセンコに入れ込んだものの物理学には口出ししなかったスターリンについて、トニー・ジャットは、スターリンは狂っていたが愚かではなかったと評しているという。実はナチスは「ユダヤ物理学」を弾圧したりはしなかった。人種主義に冒された一部の物理学者が暴走しただけで、ナチスは「ユダヤ物理学」が兵器開発に不可欠であることをわかっていたのだった。ハイゼンベルクなどが「ユダヤ物理学」を拒否しなかったのは英雄的行為などではなく、ナチスと利害を一致させていた結果でもあった。

ドイツの物理学者たちは「物理学のために戦争を利用しなければならない」とし、研究資金だけ得て面従腹背をしてナチスを出し抜いたつもりだったのかもしれないが、その研究がやはり兵器開発に寄与するものであることには違いなく、科学者たちは実際はナチスの掌の上で踊らされていただけなのであった。

それにしても、「物理学のために戦争を利用しなければならない」というハイゼンベルクの言葉は、今の日本ではことさらに不気味な響きを持つ。日本では基礎研究費が削られる一方であるのに対し、軍事研究というニンジンが科学者の前にぶら下げられているという状況になってしまった。まさにハイゼンベルクよろしく、軍事目的と上辺を装って予算を獲得して基礎研究に注ぎ込めばいいなどと考えている科学者もいるかもしれないが、それはこの歴史を知らないから出てくる発想であろう。武器輸出三原則を無効化して以降、安倍晋三は国内の軍需産業を支援し自ら武器商人と化して「トップセールス」を行っている。このような環境に批判的な視線を向けることなく、「非政治的」になって予算を得られるか否かだけに焦点を当てることは、ドイツの物理学者たちと同じ轍を踏むことになりかねない。本書の訳者の一人である池内了はこの状況に警鐘を鳴らしているが(本書の出版もその一貫であろう)、伝わってくる話ではその危機感は若手研究者にはあまり共有されていないようだ。

こういった現状はもちろん日本だけの話ではない。後半では少々くどく感じるほど倫理問題を取り上げ続けているのは、元「ネイチャー」の編集長であるボールが研究者と直に接する中で、依然として少なからぬ科学者にはびこるそのナイーブな「非政治性」に深く「落胆」させられたことが表れているようでもある。


そしてもちろん、これは科学者にのみ限られるのではない。
ヒトラー政権が誕生すると、多くのドイツ人が、すぐに瓦解するか穏健化するに違いないと考えた。ハイゼンベルクは1933年10月の手紙で、「多くの良いことも数多く試されているのです。善意を認めるべきでしょう」としている。同じ頃に、オーストリア出身のユダヤ人であるリーゼ・マイトナーですら、追放されたり投獄されたユダヤ人は共産主義の扇動者であるという印象を持っていると語り、手紙の中でヒトラーが「非常に穏やかで、弁舌が巧みで、人の気持ちを和らげるような」話し方であり、「このような調子が続きますように」とまで書いている。

ではメディアが権力に対して厳しく対峙していれば、独裁は防げるのだろうか。ゲッベルスは「反対意見を容認することの大切さを理解していた」。「フランクフルト新聞」は43年に発禁にされるまで、「ナチの政策に批判的な記事を数多く掲載した」。ゲッベルスは、ある程度の批判を許容することによってガス抜きを図りつつ、独裁であるという否定的感情を抱かせないことに成功したのであった。

「ヒトラーは、合法でさえあれば自分の好きなことが好きなだけでいることを理解していた」。ヒトラーは、ドイツ人の「法律に明記された規則には反対しない」という「本能」を利用したが、プランクのように悪法も法なりと考える人物は、ヒトラーにとってまさに理想的なドイツ国民だったことだろう。

その現実を見せつけられてもヒトラーやナチスが穏健化するはずだと信じきるのは正常化バイアスと呼ぶべきものだろうが、その次に蔓延したのが、イアン・カーショーがいうところの「致命的な無関心」だった。「一般的なドイツ人は、残虐行為を直接目の当たりにして嫌悪感を抱いた」というのは、「水晶の夜」などでもよく言われる。しかしまた、「政治および道徳的な問題として、「ユダヤ人問題」は単に彼らの日常に大きな関連があるものとして受け取られなかったようである」。そしてこうした「無関心」を保つためには、「強い意志を持たなければならなかった。状況に背を向け、自己に向けて、個人的には責任がなく、ともかく何かするほどの力はないと言いわけしなければならないからだ」。

1933年にベルリン大学に勤めたがすぐにイギリスに渡ったハンガリーの物理学者レオ・シラードは、ドイツ人の「功利主義」を指摘している。「彼らはこんなふうに問う。「なるほど、しかしそれに反対するとして、何のプラスになるというのだろう? 何の役にも立たないし、自分が損をするだけではないか。だとしたら、どうしてわざわざ反対しなければならないんだ?」。道徳的にみてどうかという論点はまったくないか、非常に弱い。あらゆる思考は単純に、自らの行動によってどのような結果が予想できるか、であった。だから私は一九三一年に結論に達した。ヒトラーは政権を掌握するだろう。ナチスの革命勢力が強いからではない。誰も抵抗運動を起こさないからだ」。

ヴァイマル共和国の混乱を収束させるためなら多少荒っぽいことをするのもやむをえない、そんなひどいことになるはずがない、ひどい話だが自分にできることなどないので仕方がない、自分には関係のないことだ、勝ち目のないことをわざわざして何の得になる? こうして多くのドイツ人はヒトラー政権を受け入れていった。
ではこれはドイツ人特有の反応だったのだろうか。「他の国家の人々なら、同じ状況で、より「尊敬すべき」流儀で対応できただろうか」。カーショーはこの問いに「私はそうは思わない」としている。

「ヒトラー政権で経済相を務めたヒャマル・シャハトは」、「多くの点でリベラルであった」。彼はナチス支持者となりドイツ帝国銀行の頭取にまでなったが、また「直感的に人種憎悪に反対」し、反ユダヤ的な政策はドイツを「国内では弱体化させ、海外においては孤立させるという理由で反対していた」。シャハトは37年にヒトラーと仲違いをして影響力を失い、44年には抵抗運動に加わり、ヒトラー暗殺未遂計画に連座しダッハウ収容所に送られたが生き延びた。シャハトはニュルンベルク裁判で「ヒトラーの政策が最悪のものとならないようにするために」政府に仕えたと主張し、無罪となる。

シャハトの弁明を文字通りに受け取るかはともかく、このように「多くの点でリベラル」で「 直感的に人種憎悪に反対」するような人間ですらナチスを支持したのであり、「ヒトラーの政策が最悪のものとならないようにするため」に政権に加わったのだと自らの振る舞いを正当化してしまうような人物によっても、ヒトラー政権は支えられていたのでもある。

ヒトラー政権を強く批判しアメリカに残ったアインシュタインにはドイツからの風当たりは厳しくなる。プランクはアインシュタインがこのような言動を取ることは「効果的」ではないとし、「アインシュタインが反ユダヤ的差別を黙って受け入れるなら、状況はこれ以上悪くならないと言っている」。さらには、主義に基づくアインシュタインの行動を「利己的であり無責任」とまでしている。
マックス・フォン・ラウエはナチスに嫌悪感を抱き様々な抵抗を試みることになる人物であるが、その彼ですらヒトラー政権誕生直後は「きみが何か政治的なことをすると、ドイツの科学者全員の責任にされてしまうのだ」と手紙に書いている。まさにドイツ流「功利主義」であろう。

これに対しアインシュタインはこう反論した。
「政治的な問題、広い意味で人間に関わる問題に対して、科学者は沈黙を守るべきというあなたの意見には同意できません。……そのような抑制は、責任感の欠如を意味するのではないでしょうか?……私は自分が言ったことの一語たりとも後悔していませんし、私の行動は人類に役立ってきたと信じています」。

アインシュタインはドイツのためでも、物理学のためでもなく、人類のための責任意識を抱いていたのであった。

「ヒトラー政権下で公務員として働き、またドイツ艇庫運動に参加したハンス・ベルント・ギゼヴィウス」はこんな言葉を残している。
「ドイツの不幸から私達が学ばなければならない重要な教訓の一つは、人々がいともたやすく無為の泥沼に落ちてしまう可能性があるということだ。個々に小利口さや日和見主義や臆病の犠牲者となり、やがて取り返しのつかないまま自分を見失っていく」。


本書にはパウル・ロスバウトのような、断固としてナチスに反対し、ヒトラーを打倒するため戦時中も危険を冒してイギリスに情報提供を行っていた科学者も登場するが、そのような行動を取ったのはほんのわずかだ。そしておそらくは多くの人がこう感じるのではないだろうか、あのような時代に生きていたとしたら、自分にはロスバウトのような英雄的行為などできないだろう、と。

想像してみよう。もしヒトラー政権下のドイツで科学者であったら何ができただろうか。国外に脱出するにしても、職はどうすればいい。海外で満足のいくポストを得られるなど、一流の研究者でもない限り望めそうにない。ドイツ語しか話せず国外に出たことすらない家族が移住に不安を抱えていたら説得できるだろうか。家族を残してドイツを去れば、残された家族は迫害されるかもしれないが、いったいどこまで連れていくことができるだろうか。配偶者と子どもと両親くらいならなんとかなるかもしれないが、一族郎党全てを連れて行けるほどの経済力がある人などほんの一握りだ。

安倍政権やトランンプ政権がナチスと同類であるとか、早晩ナチ化するといった言い回しは大袈裟であるだけでなく、「狼少年」となって本当の危機に対しむしろ鈍感となってしまうという批判もあるだろう。「悪魔化」したところで得られるものはなにもないという主張にも一利ないわけではない。しかし本書に登場する「英雄でも悪人でもない」科学者たちや「普通」のドイツ人の振る舞いを見れば、こういった可能性に臆病過ぎるくらいがちょうどいいのだと思えてくる。その萌芽に目を凝らし、少しでも芽吹く気配があれば、この事実と正面から対峙しなければならない。自分ばかりか、家族や友人の命を含めて全てを賭して抵抗運動に加わるべきか否か、そんな選択が迫られるようになってからでは、すでに手遅れなのであるから。


『ヌメロ・ゼロ』

ウンベルト・エーコ著 『ヌメロ・ゼロ』





1992年6月6日の朝、コロンナが自宅キッチンの蛇口をひねっても水は出なかった。隣に確認するとそちらでは異常はないとのこと。隣家の奥さんは止水栓を閉めたのではないかと言う。流しの下を見るとその通り、止水栓が閉められていた。ほんとに、あなたがたシングルは!
しかし妙だ。コロンナは止水栓の存在すら知らなかった。シャワーの水がぽたぽた落ちるのが気になって眠れないことだってあった。これを知っていればさっさと止めたはずだ。そう、つまり、何者かが夜中に侵入し、部屋の主がしたたり落ちる水滴の音で目を覚まさないように止水栓を閉じたということなのではないか。奴らの狙いはわかっている。

コロンナは大学中退後、校正や持ち込み原稿の下読み、ゴーストライターといった仕事でなんとか食いつなぐ生活を続け50歳になっていた。92年4月、そんな彼にシメイが接触してきた。依頼は本を書くこと、報酬は信じがたいほどだ。『ドマーニ(明日)』という日刊紙が立ち上げられることになり、しばらく創刊準備号として「ゼロ号(ヌメロ・ゼロ)」を出すのだという。そして『ドマーニ』は、実は創刊されないことがあらかじめ決まっている新聞でもある。何十ものホテルを持ち、地方テレビ局なども所有するいわくつきの人物ヴィメルカーテが、有力者やエリートに受け入れるために一芝居打っていたのだった。『ドマーニ』によってエリート層を窮地に陥れることが可能なのだと見せかけ、創刊断念と引き換えに彼をエスタブリッシュメントに加えさせるのが狙いだった。コロンナは編集部に加わりつつ、『ドマーニ』が志しの高い試みであったかのように見せかけるための編集長シメイの回想のゴーストライターを引き受ける。

『ドマーニ』の編集部に集められたのは、コロンナと同じようにキャリアに恵まれない一癖も二癖もある人間ばかりだった。コロンナは職場を共にするようになった、親子ほども年の離れたマイアに次第に心惹かれていく。この編集部にはまた、ブラッガドーチョという変わった名前の男も雇われていた。彼はシメイに与えられた事件だけでなく、独自の調査を行っており、それについてコロンナに情報を知らせていた。それは第二次大戦末期、そして戦後のイタリアをめぐるあまりに荒唐無稽な陰謀論のようにも思えたが、ついにある事件が発生する……


イタリア現代史にまつわる陰謀(論)を正面から扱ったこの小説は、小説家エーコの遺作にふさわしいものであろう。

ヴィメルカーテの設定はベルルスコーニを連想せずにはいられない。『ドマーニ(明日)』というのはもちろん皮肉になっていて、読者は92年という「昨日」のイタリアの姿を見せられることになる。またこれは作中のテーマとも深く関わるものでもある。メディアを使って成り上がろうとするヴィメルカーテと、彼に仕え自己の利益しか考えないシメイの姿は、痛烈なメディア批判となっている。自らの読者の知的能力をみくびり、どうせまともなものなど読まないのだからと低レベルな記事で埋めようとするシメイの不誠実さは、現在の日本の新聞、テレビ等からも感じられる。このように、ここで批判されるメディアの状況はイタリアだけのものではないし、あたかも日本のそれを指しているのではないかと思えてしまうことすらあった。

新聞は「昨日」のニュースしか扱えない。もう読者が知っていることばかりだ。これではテレビに勝てるはずもない。これからやるべきは「明日」を伝えることで、創刊される日刊紙は調査報道を重視し、新聞というよりは週刊誌に近くなるとシメイは言う。ここだけ聞くとそう悪いものには思えないかもしれないが、実際にシメイや他の編集部員が行おうするのは、自分たちでニュースを作り上げ、読者を誘導することである。事故一つをとっても、「運が悪かった」という証言と「市の責任だ。この高架橋に問題があることは前々からわかっていた」という証言のどちらを載せるかによって印象はまるで異なる。あるいは対立する二つの意見を掲載することで、新聞があたかも中立であるかのような印象を与えることもできる。証言やコメントを鍵括弧でくくれば、それだけで客観的事実であるかのようだ。

南部で工員が同僚を襲うことはあっても北部ではそのようなことは起こらない。なぜなら、南部の事件は新聞がセンセーショナルに書き立てるが、北部の事件は無視されるからだ。イタリアは南北の格差と対立が激しいが、北部の新聞は南部が貧しく粗野で暴力的だという印象を与えるニュースなら嬉々として報じる。

『ドマーニ』のパイロット版として作られるナポレオンの死亡記事や偽のマルタ騎士団の告発記事などは思わず笑ってしまうが、一方で日々のニュースがこのように作られているのだとしたら、読者が新聞を通して知っているつもりのニュースとはいったいなんなのであろうかという気持ちになってくる。

なお、ある裁判官を尾行して、彼が公園でぼんやりタバコを吸ったり、中華料理屋で箸を使って食事をしたり、エメラルドグリーンの靴下にテニスシューズを履いていることをもって「風変わりな言動」をする人物として信頼性を疑わせようとするという場面が出てくるが、注によるとこれは実際にあった出来事をもとにしているとのこと。2009年にベルルスコーニ所有の会社に多額の罰金を命じた判事をこの会社が持ち株会社となっているテレビ局が尾行して、この判事にあたかも奇行癖があるかのように報じたのだという。このあたりは日本でも、行政訴訟などで国に不利な判決を出した裁判官を右派週刊誌などが変人であるかのように書き立て正当性のある判決か疑わせるミスリードを行うというのはお馴染みの光景である。


メディアの堕落は陰謀論を育む。あいつらが報道している事はウソばかり、真相を知っているのは自分たちだけなのだと思い込むのは陰謀論者の典型例である。とりわけ近年ではネットの普及によって、かつてであれば主要メディアが頬かむりしてすませてきた不祥事等が暴かれることによって、このような陰謀論者はますます力を得ている(携帯電話などすぐにすたれると話していた92年の『ドマーニ』編集部の牧歌的なことよ!)。

また、陰謀論を取り扱うには注意が必要でもある。荒唐無稽な馬鹿げた話を頑なに信じることは愚かであるように思えるが、では荒唐無稽なことは、そのすべてが事実無根のでたらめなのであろうか。別々の事件のバラバラの断片を繋ぎ合わせることで真実の姿がおぼろげながら浮かび上がってくるように思えてしまうことを、パラノイア的幻覚だと言い切ることができるのだろうか。とりわけイタリアのような歴史を持つ国では。

ブラッガドーチョの祖父と父はファシストだった。彼はその轍を踏むまいと極左に加わる。しかしここで彼が目にしたのは、極左組織にも諜報機関の扇動者が潜入していることだった。毛沢東に入れあげていた60年代後半の西ヨーロッパの極左であるが、毛沢東政権下でどれだけの人命が失われたのかについては全く無知であった。一方で極左による暴力とされたものの中には、様々な陰謀が絡んでいたものもあった。いったい何が真実なのか。ブラッガドーチョの父はガス室はなかったとは主張しない。しかしファシズムを擁護する立場からニュースを疑い、息子もその影響を受けた。さらにこうした体験から「もう何も信用しない」と言う。ユダヤ人虐殺はなかったとは言わないが、月面に着陸した宇宙飛行士の影を見ると怪しげに思えるし、湾岸戦争はほんとうに起こったのかと感じてしまう。「おれたちは偽りに囲まれて生きている。嘘をつかれるのだと知ったら、疑いながら生きなければならない。おれは疑う。いつだって疑う」。

ブラッガドーチョは絵に描いたようなパラノイアに冒された陰謀論者のようだ。しかし壊れた時計も一日二度は正しい時を指す。彼が追う疑惑は陰謀論者の馬鹿げた幻覚なのか、それとも彼は真実に近づいているのだろうか。


60年代後半から80年頃にかけて、イタリアでは不可解な事件が頻発し、現在でも真相は謎のままであるものも多いが、ある程度その背景が透けて見えているものもある。
本作でも言及されるロッジP2など、話を聞くだけでは馬鹿げた妄想に思えてしまうのだが、実在した組織である。右翼が白色テロを起こすことで緊張状態を作り出し、場合によっては反共軍事政権の樹立をも視野に入れ、これに警察など治安機関も関与していたという疑いは濃厚だ。CIAが元ナチや元ファシストを雇い入れ、反共の道具として利用していたことも事実である。カトリック教会の一部がナチやファシストの残党を匿い、南米に脱出させていたことも事実である。本作で中盤以降のキーとなる、NATOやCIAがヨーロッパ各地の極右と連携してテロなどを起こしたグラディオ作戦も実際に行われた。これを取り上げた、コロンナらが見るBBCの番組も実在している。

こういった本来であれば世界がひっくりかえるような事実を見せられても、多くの人がこれをなんとなく流してしまった。陰謀論を含めてセンショーナルな情報があたりまえのように流通している結果、衝撃の事実に衝撃を感じなくなっている。メディアのもう一つの得意技が、ある事件に対し別の事件をぶつけることで情報を相殺することだ。
「問題は、新聞というのはニュースを広めるためではなく、包み隠すためにあることだ。Xという事件が起こる。伝えないわけにはいかないが、そのおかげで当惑する人間があまりに大勢いる。そこで、同じ号に、ぎょっとするような大見出しの記事を載せるんだよ、母親が四人の子どもを惨殺、国民の貯金が無に帰する恐れ、ニーニ・ビクショを侮辱するガリバルディの書簡発見、等々。すると、Xという事件も情報の大海におぼれてしまうわけだ」。


反ユダヤ主義を掻きたて、ついには大虐殺に至る下地を作ったものの一つが「シオン賢者の議定書」である。この話にならない馬鹿げた内容を真に受けたり、偽書だということを知りつつ反ユダヤ主義を煽るうえで有用だとして利用した人間もいた。このように、陰謀論は現実の脅威である。『プラハの墓地』は数多くの実在の人物と実際の事件を取り上げ、「シオン賢者の議定書」がいかに作られたのかを幻視する。

やはり数多くの実在の人物と実際の事件が登場する『ヌメロ・ゼロ』は、『プラハの墓地』とコインの表裏の関係にあるだろう。陰謀論を弄ぶことがどれほど危ういかを描いたのが『プラハの墓地』ならば、信じがたい現実をその信じがたさゆえに否認したり、あるいは逆に陰謀論に馴れきることでアパシー状態に陥り、無批判に恐るべき現実を受容し流してしまう可能性が生じることを示唆するのが『ヌメロ・ゼロ』である。といっても、もちろんエーコは、陰謀論扱いされているがこれは現実なのかもしれないといった安易な形に落とし込みはしない。その終わり方は、オリバー・ストーンの『JFK』とは対照的であるとしていいだろう。

陰謀論を、あるいはその逆に、荒唐無稽に思える馬鹿げているとすらいっていほどの現実をどう扱えばいいのかは難しい問題である。後になって振り返れば、ドイツやその周辺のユダヤ人がヒトラー政権樹立直後に、なぜ脱出するなり打倒に動くなりの行動に移らなかったのかと思ってしまかもしれないが、1920年代のヒトラーはちょび髯の道化師としか見られておらず、ナチスが勢力を急拡大させてもそのイメージを引き続き持ち続けた人が多かった。またユダヤ人を含め、少なからぬ人がヒトラーは政権の座に就いてもその任に堪えかねてすぐに逃げ出すかエスタブリッシュメントに屈すると考えた。ミュンヘン一揆直後にヒトラーをあなどるなと叫んだら、そちらのほうが頭のおかしい人扱いされたことだろう。いったいなにをどこまで真に受けて、それにどう対処すればいいのかに、決定的な答えはない。


ブラッガドーチョは、いかにもミラノ的な居酒屋の主人が実はトスカーナ出身だと聞いて、「トスカーナ人に対しては、なんの敵意もない。彼らだってちゃんとした人たちなのだと思うよ」としつつ、子どもの頃のこんな話を思い出す。「不似合いな結婚をした知り合いの娘の話になったとき、いとこがほのめかしてこう言うんだよ、フィレンツェのすぐ南に壁を築くべきだってね。すると、母はこう言ったんだ、フィレンツェの南? ボローニャの南でしょう!」

ベルルスコーニ政権を支えた勢力の一角に、経済的に恵まれた北部を停滞にあえぐ南部から切り離し独立させるべきだと主張する北部同盟がいる。「南に壁を築くべきだ」というのは、ベルルスコーニ時代には笑い話の冗談で済ませることはできなくなる。腐敗しきったベルルスコーニが権力に執着する理由の一つとして囁かれたのが、訴追をさけるためというものだった。訴追されかねない人間が権力の座についてしまったというよりも、訴追を避けるために権力の頂点にのぼりつめようとしたのであった。こんな人間が権力の座に長く留まることなど不可能に思えるだろうが、現実は20年近くも政治の中心であり続け、今なおその影響力を完全に排除できないでいる。そしてご存知の通り、ベルルスコーニの力の最大の源泉が、テレビ、出版等の巨大メディアコングロマリットを支配していることである。

ベルルスコーニをトランプに置き換えても、多くがそのまま通じてしまいそうなほどである。イタリアの「昨日」を描いた『ヌメロ・ゼロ』は、世界の「今日」を描いたものとなっている。こんな馬鹿げたことが起こるのはイタリアだからだ、まともな民主主義国家ならばこんなことは有りえないなどとは、現在どの国の人間も口にすることはできなくなってしまった。

この現実にどう立ち向かえばいいのか、無力感に襲われもするが、中山エツ子は「訳者あとがき」で、エーコの映像作品『記憶について(Sulla memoria)」からこんな言葉を引用している。「私たちの存在は私たちの記憶にほかならない。記憶こそ私たちの魂、記憶を失えば私たちは魂を失う」。
過去を、そして今のこの現実を、私たちは記憶し続けなければならない。


エーコであらば長編に仕立ててもいいであろう題材が中篇といってもいい長さにおさまっているのは、2015年、死の1年前の83歳の時に発表したという年齢のせいもあったのだろうか(この年齢でこれだけのものが書けるのもすごいが)。個人的には最後にすっと脱臼させるような終わり方は嫌いではないが、エーコの作品としてはトップクラスとは言いかねることも確かではあろう。筋運びにややぎくしゃくしたところが見られるし、もう少し練れていればと思わせるところもある。とはいえ、『プラハの墓地』に引き続いて、「現在」への危機感がこの作品を書かせたことは想像に難くないが、ではテーマばかりが先走っているのかといえばそうではなく、やはりエーコらしさを楽しめる作品ともなっている。


本作は予備知識があまりなくともそれなりに楽しめるとは思うが、やはりイタリア現代史についてはある程度知っておいてから読んだほうがいいだろう。
『イタリア現代史』(伊藤武著)はコンパクトに概観できるし、60年代から80年前後にかけての「鉛の時代」についても当然扱われているので、まず手にしてみるのにいいだろう。




『ゴッドファーザー PART3』で描かれたヨハネ・パウロ二世の不可解な死や銀行家が橋から吊るされた死体として発見されたあの事件などについても『ヌメロ・ゼロ』に言及がある。



エーコの小説家としてのデビュー作である『薔薇の名前』は、中世の修道院を舞台にしつつ実はアクチュアルなイタリアの政治状況が編みこまれているといったあたりは『光の帝国』(伊藤公雄著)も参照してほしい。イタリア現代史を扱った『ヌメロ・ゼロ』は、小説家エーコの原点回帰という面もあったのかもしれない。





ミルハウザーの気遣い

NHKラジオ第一で放送されている『ミュージック・イン・ブック』(水曜午後9時半)に柴田元幸さんが出演していて、スティーヴン・ミルハウザーについて面白いエピソードを披露していた。

昨年ミルハウザーは来日したが、それ以降特に用はなくとも週に一回はメールをくれるようになるくらい「人なつっこい」人であるのだが、その作品もあって「フォーマル」な印象を持たれることが多いだろう。

メールが普及する前から手紙のやり取りはしていたが、アメリカの作家はたいてい二度目からは互いをファーストネームで呼び合うものの、ミルハウザーはずっと「ディア・ミスター・シバタ」とし、手紙の最後にはスティーヴン・ミルハウザーとフルネームでサインしていた。急ぎの用ならこちらにとメールアドレスを教えられ、ミルハウザーもメールをやっているのかと驚いたそうだが(そういえばポール・オースターは未だにファックスを使っているのだろうか……)、そこで柴田さんがうっかり「Moto」と他の作家にやるように署名したところ、ミルハウザーは「Motoでいいのか。日本人はみんなフォーマルだからずっとミスターなんとかと呼び合うのかと思っていた」とのことである。

イメージが違うといえば違うのかもしれないが、こういう気遣いをしてくれて、でもちょっとずれているようなといったあたりはミルハウザーっぽいような気もしてくる。




『ムシェ  小さな英雄の物語』

キルメン・ウリベ著 『ムシェ  小さな英雄の物語』




ゲルニカ爆撃後の1937年5月から6月にかけて、バスク自治政府は子どもたち1万9千人をヨーロッパ各地に疎開させることを決める。ラモンとカルメンチュ兄妹はベルギーへと送り出された。兄と妹は割り振られた家族と引き合わされるために、さよならを言う間もなく離ればなれとなってしまった。カルメンチュのもとに眼鏡をかけた青年が近づいてくる。「やあ、僕はロベールだよ。ロベール・ムシェだ」と、彼は笑みを浮かべてスペイン語で話しかけてきた。

語り手の「僕」はこのロベールの生涯を追っていく。ロベールは労働者階級出身で、父が怪我をしたため家計を支えるために働かなくてはならず、成績優秀であったにも関わらず大学進学の夢は断たれる。裕福な家庭出身で後に作家となるヘルマンとの友情とやがて生じる齟齬。ロベールは筋金入りの反ファシズムで、新聞の特派員として短期間ながらスペイン内戦の取材も行い、ヘミングウェイやアンドレ・マルローなどとも面識があったようだ。フランコが勝利を収めると、子どもたちはスペインへと戻され、ロベールとカルメンチュも分かれることになるが、ロベールは彼女のことを忘れることなく、結婚して生まれた娘にカルメンという名をつける。そしてついに勃発した第二次世界大戦。ロベールはベルギー軍の一員として前線で戦い負傷するが、ベルギーはあっさりと降伏してしまう。ロベールはもちろん反ナチスでもあり、ヘルマンの誘いでレジスタンスに加わることになるが……


本作成立過程についてはその結末近く、及び訳者あとがきでも説明されている(ミステリーではないので先に知っていても問題ないが、「ネタバレ」が気になる人は訳者あとがきを読まずに本文にとりかかった方がいいだろう)。ロベール・ムシェは実在の人物であり、本書は「フィクション」とはいえ、おおむね事実に即しているようだ。ならばこの作品はあくまでノンフィクションであって小説とすべきではないのではないかという疑問を抱く人もいるかもしれない。しかし本作はやはり小説であり、それは資料の欠落を想像によって埋めただけの、ノンフィクションを名乗れないがゆえに「小説」と名乗っているような消極的なものではなく、歴史小説であるとともに小説を(再び)書くことをめぐる物語でもある。

こんな会話が交わされる。

「お前は英雄の物語を書くべきだよ」
「でも、僕にとって英雄は存在しないんだ。僕が魅かれるのは人間の弱い部分であって、偉業じゃない。英雄なんて恐ろしい気がするよ」
「そういう英雄のことを言っているんじゃない。ごくありふれた人たちのことだ。英雄はそこかしこにいる、昔も今も、ここにだって、世界中どこにでも。人のために身を捧げる小さな英雄が」

この会話がいつどこで、誰と誰との間で交わされたのかに辿り付くとき、読者は小説だからこそ達することのできる感慨にひたることになる。


ウリベがロベールという人物を取り上げたのは、もちろん何よりもロベールという人物が魅力溢れる存在であるからだろう。またそれだけでなく、その境遇についても並々ならぬ感情移入してしまう理由がいくつかある。

その中の一つに、ベルギーの言語をめぐる状況もあるだろう。「当時、ベルギーではフランス語が教養語で、フラマン語は労働者の言葉だった。そのため、労働組合の機関紙はフラマン語で書かれ、左派知識人の多くは、ナショナリストでなくともフラマン語を擁護する立場を取った」。
もちろん左派であるロベールもフラマン語を重視する。しかし彼は閉じられた思考をしているのではない。ロベールは大学に行くことはできなかったが、ベルギー人らしくというべきか、複数言語をマスターしたポリグロットであった。それを活かしてレジスタンスとして隠れ家に潜みながら、翻訳の仕事もしている。

「僕の言語はもっとも豊かな言語ではない」とロベールは考える。「オランダ語で、フランスとドイツの偉大な伝統の狭間にある言語で書く理由は何だろう?」と自問する。「僕を人間として、世界のなかに位置づけてくれるからだ」と呟くと、地面に当たって砕ける雨粒を見つめて歩きながら、拳を握りしめる。「ヘントのフェレル通りの労働者たちの言語なしに、僕は僕ではありえないだろう」

ウリベはバスク語で小説、詩を書いており、ロベールの自問自答は切実なものに感じられることだろう。ロベールもウリベも、もちろん偏狭な地域主義に陥っているのではない。しかし彼らはやはりこの言葉で書く理由がある。そしてそれは「ヨーロッパ」というものを否定するものではないはずだ。EUの本部はベルギーのブリュッセルに置かれている。もちろんEUが「ヨーロッパ」の理想を体現している(あるいはその可能性がある)かどうかはまた別問題であるが、現在の、そして未来のヨーロッパというものを考えるうえでも、読まれるべき小説であるだろう。

プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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