総合映画としての『市民ケーン』

『ソーシャル・ネットワーク』はそのうち見に行くつもりだけどその前に何かと引き合いに出される『市民ケーン』を10年ぶりくらいに?見返してみた。




村上春樹はここ十数年「総合小説」を書きたいということを語っている。彼の言う「総合小説」がどういうものかは置いといて、仮に「総合映画」なるものがあるとすれば、それは『市民ケーン』こそがふさわしいだろう。

全てを手にしたかに思えた人間が全てを失っていく。あるいは巨大な成功を収めた人間がその内面において空虚であるというのは文学においてもよく見られるが、とりわけ映画好みの題材だといえる。

リアルタイムで見た人には実在の新聞王ハーストをモデルにしたという暴露的側面にも興味がいったことだろう(その「代償」はあまりに大きかったのだが)。
だがなんといってもこの作品を特徴づけるのはその構成と映像であろう。
「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ大富豪。ニュース映画で彼の生涯を振り返ろうとするが、さらに内容を深めるためにこの謎の言葉の真相を追う。
ゆかりの人物のインタビューをしていくというメタ構造になっており、また彼の生涯が一つの「真実」として明らかになるのではなく、芥川の『藪の中』=黒澤の『羅生門』のように微妙なずれを生じさせる。最後にわかる言葉の謎も、またいっそうの謎をかきたてるものでもある。

今回久しぶりに見返してみても「ああ、ここなんかで見たなあ」と思ったシーンがいくつもあった。もちろん『市民ケーン』がパクっているのではなく、その逆である。
陰影や奥行きというものを最大限に生かした映像の完成度というのはすばらしいし、すさまじい影響を後世に与えているのだろう。

僕は映画的教養というものがないのでこの映画がどれほどの意味を持つのかということを正確に理解することはできないのだが、まさに「総合映画」の最高峰であることは間違いないだろう。

しかし若干26歳でこの伝説的映画を作りあげたオーソン・ウェルズは、またこの映画によって呪われた映画作家ともなってしまったのである。

そんなこんなでVHSwを掘り返していたら前に日テレで放送した『ザ・ディレクター 市民ケーンの真実』という作品が見つかった。このころはナイターまだ延長してたんだな。




『市民ケーン』の製作過程を描いたもので、ウェルズの傲岸不遜な天才ぶりやハーストの激怒っぷり、映画会社のあわってぷりなどがよくわかる。
ウェルズ自身が「呪われる」ことをどれほど覚悟していたかはともかく、存命中の超のつく実力者を敵にまわすことを承知で作り上げられたのは若さゆえだったのかもしれない。
この作品では「バラのつぼみ」という言葉をウェルズがなぜ思いついたのかの爆笑事実も明らかにされます。そりゃまあハーストもブチ切れるわなw






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