『ソーラー』

イアン・マキューアン著 『ソーラー』





 彼はなんとなく感じの悪い、ちび、でぶ、禿げで、頭はいいという種族、どういうわけかある種の美女にもてたりする、あの種族に属していた。

こんな書き出しでこの小説は始まる。
主人公のマイケル・ビアードは、一言でいうなら「人間が小さい」。しかし、かといって「小市民」ではない。小市民が五回も結婚して、おまけに愛人を作りまくり、そしてノーベル物理学賞を取ったりするだろうか。

3部構成になっており、1部と2部はスラップスティック的面白さに溢れている。

共に不倫をしており、寝室を別にしている夫婦。新しい男と付き合い始めた妻の美しさに気づき、彼女が急におしくなってきたビアードはある深夜、テレビの女性の声を大きくしたり小さくしたり、自分もあれこれ声をだして女を連れこんでいる風を装って妻を嫉妬させようとする。二人分の足音をきしませるノーベル賞受賞者!
あるいは電車内で繰り広げられるポテトチップス戦争a.k.a.「うっかり泥棒」は抱腹絶倒である。


それにしてもこの作品は何をテーマにしているのだろうか。
ノーベル賞を取るような「聖人」も一枚皮をめくれば「ただの人」ということなのだろうか。
あるいは『文学部唯野教授』よろしく卑俗な学会の状況を揶揄したものなのだろうか。

当初ビアードは地球温暖化を認めつつも、「この惑星は」などと大仰な危機意識を煽る輩を敬遠している。ブッシュ対ゴアの選挙における泥沼の闘争をどっちもどっちのあほらしい出来事と感じているような「政治嫌い」でもある。
後半では一転して「ソーラー」の伝道師と化し、ブッシュのせいで温暖化対策が進まなかったことに怒りすら感じているようですらある。同時に彼の太陽光発電にかける意気込みは自らの特許を売り込むためというゲスな動機に基づいているようでもある。

ゲスな人間でもある瞬間には高貴な行いをするということだろうか。あるいは動機はゲスでも結果として善に貢献するということなのだろうか。あるいはゲス野郎はどこまでいってもゲス野郎だということなのだろうか。

理系の話題を小説のプロットに導入すると、この理系知識は小説世界において何らかの隠喩になっているとも考えられる。ではこれは量子力学的世界の隠喩としての小説?

中ほどで登場する戯画化されたポストモダン学者の意味するところはなんなのだろうか。ポストモダンの恣意性の告発? あるいは恣意的なポストモダン批判への皮肉?

原著は2010年発表なので、当然ながら福島第一原発の事故前である。
原発推進の共同事業体に関わる元物理学者からこんな内容のメールが送られてくるのを読むと、穏やかではいられない。
「(二酸化炭素排出による温暖化対策は)原子力が唯一の解決策であり、二つの悪のうちこちらのほうが害が小さいというのである。(中略)あらたに展開していくなかで、ときおりの事故、局所的放射能漏れ、最悪の事態が起こる可能性はないのか? だが事故がなくても、石炭は日ごとに破滅的状況をつくりだしており、その影響は全地球に及んでいる。チェルノブイリの周囲二十八キロの立ち入り禁止区域は、いまや中央ヨーロッパのなかで生物学的にももっとも豊かで多様性に富む地域であり、植物相と動物相の全生物種における突然変異率は、平均値とまったくおなじでないとしても、かすかに上まわる程度ではなかったか? それに、そもそも放射線は太陽光の別名ではなかったか?」(p.346)

典型的な「エコ」をの皮を被った原発推進論であるが、ではこの作品内において、これを批判しているのだろうか、肯定しているのだろうか。あるいはまた、このような一見論理的であるようでとんでもない暴力性を秘めた言説がまかり通る世界への告発なのだろうか。


他にもいくつもの読みの可能性があるが、あるいは意外とシンプルなものなのかもしれない。

第3部に入ってからは評価が分かれるかもしれない。ビアードの人格形成のくだりはいかにも図式的である。今さらこのような凡庸な説明をされても、という気にもなるのだが、これは意図して仕立てたのかもしれない。人間とはこのように凡庸で図式的世界を彷徨わさせられる存在なのではないか。完璧な善も、完璧な悪もない、ほの暗い灰色の世界。陳腐でありきたりではあるが、これこそが人間というものであることもまた事実である。

第3部に入ると趣もまた少々異なってくる。
ビアードは倫理上許されないあることをしでかしているのだが(この部分は「訳者あとがき」で盛大にネタバレなされているので要注意。まあミステリーではないですし、第1部での出来事なのでそう気にする必要はないかもしれませんが)この過去が再び忍び寄ってくる。

第3部に一番近い雰囲気を持っているのはウディ・アレン監督の『マッチポイント』かもしれない。
ラリーが続くテニス。ネットをかすめたボールは手前に落ちる? それとも向こう側?
自業自得か偶然が味方するのか。『マッチポイント』はあのような終わり方だが、『ソーラー』のビアードの運命はいかに。

『ソーラー』にしても『マッチポイント』にしても、人間という存在の真実の姿を抉り出すというより、人間なんて、あるいは社会なんてそんなものさというシニックな諦観と捉えたほうがいいのかもしれない。

とにかくマキューアンの筆が冴え渡る、非常に面白い作品でありました。




プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2011/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR