『湛山回想』

『湛山回想』

石橋湛山の回想録。本書の親本は昭和26年に刊行されている。昭和24年ころから『東洋経済新報』に書いた文章を一冊にまとめたものである。かっちりとした自伝というよりは、ややルーズに、気の向くまま筆を走らせたというようなところもあるし、またちょうど公職追放が解除されようという時期であることを考えればそれなりの思惑も働いていると考えるべきなのかもしれない。

とはいえなかなか面白いところも多い。
湛山が甲府中学在学中にまだ27歳の「幣原校長」がやって来て辣腕をふるうのだが、この幣原校長とは幣原喜重郎の兄だったりする。
湛山は一校受験に失敗し、早稲田に進むことになるのだが、当時「校長」を努めていたのは鳩山和夫であった。しかしこの校長職は名誉職のようなものであったようだ。湛山が鳩山和夫を見たのは一度だけ、エール大学の名誉教授であったラッドが早稲田で講演をした時だった。「鳩山氏はその際エール大学か、何かのガウンをまとい、英語で紹介の辞を述べた。それから博士も講演をしばらく聞いていたが、その間しきりにアクビをしていたことを覚えている。講演者を何だか小ばかにしているようにも見えた」(p.66)とのことである。
鳩山和夫は後に政治家湛山とも深く関わることになる鳩山一郎の父にして、由紀夫&邦夫兄弟の曾祖父にあたる人物であるが、曾孫のことを考えるとこの「アクビ」も味わい深いというかなんというか。

また軍隊体験ではこんなエピソードもある。
高所恐怖症に悩まされた湛山はなんとあの「千里眼事件」の福来友吉に相談し、催眠術を施してもらい克服しようとする。五十嵐光竜という人物を紹介されるものの、結局効果なしですぐにやめてしまい、高所恐怖症も直らなかったそうである。

軍隊ではどんな扱いをされるものかと怯えていたが、あにはからんやひどい目にあうことはなかった。しかし「戦争そのものに対しては、不断に嫌悪の情をいだ」き、「戦争を恐怖」するのである。
射撃訓練の標的の下の看視壕に入った際の銃弾に身の毛がよだち、「もしこれが実戦で、この弾雨の中に飛び出さねばならぬとすれば、私には到底できそうもないと思った。その後の私の戦争反対論には、理屈の外に、実はこの実弾演習の実感が強く影響していたと思う」(p.134)という正直な告白は、マッチョ的勇ましさを誇示するような連中よりはるかに好感が持てる。


……と、いろいろと読みどころはあるのだが、現在最も目を向けるべきは湛山の経済政策についてだろう。
早稲田では哲学を学んだ湛山は、経済記者になるにあたって独学で経済学の勉強を開始する。そして「リフレーション」(この言葉は本書でも使われている)政策にたどり着く。

経済記者としての湛山が名を上げたのは旧平価での金本位制への復帰に反対の論陣を張ったことである。井上準之助は「金の再禁止をやってもよいが、それでは、金解禁に反対することで飯を食ってる連中が困るだろうと放言」したのだという。「たぶん私とか高橋亀吉君とか、小汀利得君とかをさしたのであろう。井上という人は、それくらいのことをいう人であった。しかしそれは必ずしも当たらない悪口とばかりはいえなかった。井上蔵相が無理な金解禁をやったために、経済雑誌あるいは経済記者が、大いにはやらせてもらったことは確かに事実であった。むろん、世の中のためには悲しむべきことであったが」(p.258)。


話を少々脱線させるが、田中秀征によると細川護煕は最近の野田佳彦にご立腹らしい(「細川護煕元首相はいま、野田政権をどう見ているか」)。「アホかいな」という感じである。野田がこんな奴だなんてことはとっくにわかりきっていたことでしょうに。細川はもともとこんなものという感じなのだろうが、「新土光臨調」みたいなものを今持ち出すという発想に好意的な田中秀征のピントの外れ方を見ると、この程度でかつてはリベラル派の政治家一の論客などと見られていたことにため息が出てしまう。
このようなレベルから政治は今も抜け出せていないし、その結果がこんなのを総理のイスに座らせてしまった民主党議員の罪は重さにつながっているのだろう(もちろん対抗馬に海江田のようなしょうもないのをもってきて事実上野田を後押ししたにも等しい小沢、鳩山もそこに含まれている)。

とはいうものの、ここ数ヶ月の政治の動きを見ると、僕も野田のことをナメていたのかもしれない。もちろん想像以上にとんでもない奴だったということだ。
考えてもみてほしい。震災直後に、一年もたたないうちに被災者そっちのけで政治が消費増税にかまけるなんてことを想像した人がいただろうか。適当なところでお茶を濁すのかとも思ったが、ここまで強引に事を進めようとまでは。しかもその前提とされているのが議員定数や議員歳費の削減だのという、復興とも財政再建とも本質的には無関係なことなのだから。


ここ数年の消費増税議論を見ていると、どうしても昭和恐慌の大きな要因となった旧平価での金本位制への復帰とダブってしまう。
旧平価での金本位制は一部の人間によって断行されたのではない。むしろ推進派が多数であった。政治家はもちろんメディアや財界も旗振り役となって破滅的政策へと邁進した様は、現在にそっくりそのまま移植されているようですらある。

湛山は池田成彬の回想を読み、池田が当時蔵相だった井上準之助に金解禁を強く求めていたことに驚いている。「財界はこぞって旧平価の金解禁を要求した」のであり、「当時、これらの人々は、金解禁をすれば、日本の産業の合理化を促進し、輸出を増し、景気が回復すると思ったのである。これは今日でも、しばしば金融引締政策等の理由として唱えられるところである」(p.333)とある。さらに湛山は、「この財界の金解禁促進論には、相当利己的な点もあった」という指摘もしている。不景気によって資金があまり、その運用のために金を解禁してもらって海外にこれを出したかったのだという。

現在の財界が消費増税を煽っているのは、そのバーターとして法人税減税があるからだと言う人もいる。一方では「改革病」、また一方では近視眼的利己性という財界の体質はこのころから何も変わっていないのかもしれない。
野田を見ていて恐ろしいと感じるのは、その政策的判断に合理性というものがまるで働いていないことだ。長期に渡る不況にデフレ、さらに震災というショックを抱えたまま増税に邁進することがどれだけ愚かかということを論理的に説いたところで、「とにかくやらなければならないからやるのだ」と返されて終わってしまいそうである。
本来であれば「合理性」の塊であろうと想像される経済人にしても、主観的にはともかく、はたから見るとこれまた不合理極まる発想に立っているようにしか思えない。どう考えたって現在最優先にすべき経済的課題はデフレと円高であろう。

「また武藤山治氏は、まことに立派な人であったが、昭和四年の夏ごろまで、旧平価金解禁が、いかに不合理なものであるかに気がつかなかった。これに気がついたのは、彼の経営する鐘紡の資産内容が急激に悪化するのを見てからであると、氏は私に告白していた。武藤氏ほどの財界人でも、そうであった。一般に財界人は、自分の身に火がつかないと、ほんとうのことに気がつかない傾きがある」(p.334)。
「経営者として成功した人を政治家に」なんて声があがると、経営者だからといってマクロ経済に理解があるわけではないという批判があるが、湛山はそのことを身を持って体験していたのである。ここらへんは最近のクルーグマンの「アメリカは企業じゃないし」や「プレイボーイ・インタビュー:クルーグマンに聞く」でも触れられている。

スメサーストの『高橋是清』(前書いた感想はここ)では井上準之助の不可解な政策的転向について触れられているが、「井上蔵相が、当時ほんとうには、どう考えていたかに、疑問をもつのである」(p.334)とあるように、湛山もこれには腑に落ちなかったようである。
もともとは「三土蔵相の軽率なる金解禁を止めに行った一人」であり、「急激な旧平価金解禁が決して良い結果をもたらすものでないぐらいのことは心得ていたに違いない。にもかかわらず、わずか半年足らずの準備で、金解禁をしたのは、どうしたわけか」。湛山は一つの推測をしているが、「疑念は、今も去らぬのである」としている。

井上準之助を毒していったものは、おそらくは精神論であったのだろう。当時このような政策の間違いを犯したのは日本だけではなかった。イギリスではチャーチルが積極的に金本位制への復帰を進め、それに反対するケインズとやりあっている。井上としては、その政策の結果何が起こるのかではなく、「列強」の一員たるべき日本が金本位制に復帰するのは当然との思いが先走ったのかもしれない。

いつの時代でも安易な精神論ははびこるものだが、それを打ち破る助けとなってくれるのは歴史からの教訓であると思う。しかしたかだか十数年前に景気が上がりきらない中での消費増税という大失策をやっておきながら、そこから何も学んでいない人々を見ると、結局このような精神論に打ち勝つことはできないのかと絶望的な気分にもなってしまうのだが。

それにしても早稲田出身の政治家や記者なんて掃いて捨てるほどいるわけだから(野田も早稲田出身)、有名な先輩の回想録くらい読んでみてはいかがでしょう(今ごろこれを読んでる僕も偉そうなことは言えないのですが)。もっとも尊敬している政治家として湛山の名を上げるのに限って、その政策への理解が極めて怪しいように思えてしまうのだが。そういえば田中秀征も湛山についての本を出してたっけ(未読なのでどういうものかは知らないが)。

「戦後の日本の経済で恐れるべきは、むしろインフレではなく、生産が止まり、多量の失業者を発生するデフレ的傾向である。この際、インフレの懸念ありとて、緊縮財政を行うごときは、肺炎の患者をチフスと誤診し、まちがった治療法を施すに等しく、患者を殺す恐れがあると唱えた」(pp.328-329)。

これは戦後間もなくの経済政策についてだが、約60年前の日本にすでにこんなことを言っていた人がいたのですよ。
湛山や是清のことを考えると、もう少し先人の知恵に耳を傾けようではないかと思うのですがね。






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