『ポル・ポト』

フィリップ・ショート著 『ポル・ポト  ある悪夢の歴史』




山形浩生の「訳者あとがき」によれば、本書は「現時点で最も詳細なポル・ポトの伝記」であり、「今後予想外のクメール・ルージュ文書が発掘されるという等の事件でもない限り、これ以上のものは今後もおそらく出現しないだろう」(p.680)とのことである。

当然ながら「きわめて高い評価」を得ているのだが、主に二つの大きな批判もあるという。
一つは「ポル・ポトやクメール・ルージュが歴史的にも類を見ない蛮行を展開したのか」という謎について、著者はそれを「カンボジアの国民性」に帰していることである。
本書に収録されている写真に、1960年代の内戦で、政府軍兵士が共産軍兵士の生首を勲章代わりに持ち帰っているというものがある(苦手な方は注意)。その後クメール・ルージュが行った蛮行も考え合わせると、カンボジア人がとりわけ残虐であるというイメージを抱いてしまうかもしれない。「序文」にはそれを補強するように、長い内戦が終わったあと、大臣の愛人に対して妻が硫酸をかけ大やけどをさせるというエピソードも引かれている。

確かに196、70年代になっても生首がゴロゴロしているような状況は驚くべきことではあるが、かつてはこれに類するようなことは世界中のどこでも見られたことだろう。これはカンボジア人特有の残虐性を示すものというよりは、人間の生命や尊厳に対しての感覚が近代からすると著しくズレていることを示しているだけではないだろうか。これらを残虐性を示す「国民性」としてしまうのは、山形も指摘しているように「「あまりに安易ではないだろうか」(p.683)という気になる。

またベトナム人やフランス人がカンボジア人はいかに怠惰かを語る証言もあるが、基本的に隣国の国民性を誉めるような国はないだろうし(ましてやベトナム人の多くはカンボジアをあからさまに見下している)、植民地支配をする側がされる側のことを「怠け者」呼ばわりするのもお決まりのパターンである。その他にも差別的という言葉はきつすぎるかもしれないが、偏見のある解釈というのが散見されるように思える。

そしてもう一つの批判が、ショートが「クメール・ルージュの蛮行が大虐殺(ジェノサイド)ではない、というちょっとわかりにくい理論を展開」(p.681)していることである。人口七百万人の国で、百五十万人もの犠牲者を出した行いがなぜジェノサイドではないのか。

本書の読後感というのはかなり奇妙なものである。「ポル・ポト」の伝記でありながら、「ポル・ポトとはいったい何者であったのか」という疑問がなかなか氷解しないせいなのかもしれない。そればかりか、ポル・ポトの影が薄いという印象さえ受ける。


ロン・ノル政府と共産主義者との内戦中、ほとんどの人が共産主義者の指導者はキュー・サムファンだと信じていたが、真の指導者は別にいた。「中堅レベルのカンプチア共産党員でさえ、共産主義の勝利からほぼ二年間は指導者の正体を知らなかった」(p.18)のである。
なにやら悪魔めいた謎の存在という気にもなるが、これはポル・ポトのパーソナリティからではなく、カンプチア共産党の秘密主義ゆえのことであった。

後にポル・ポトを名乗る(ポル・ポトは正体を隠すために用いた偽名の一つ)サロト・サルは、当時のカンボジアにあっては比較的裕福な家に生まれる。
少年期から青年期にかけて、後の独裁者を連想させるカリスマめいたエピソードも、残虐性を予言するような出来事もない。勉強は得意ではなかったようだが、かといって劣等性だったというのでもない。人当たりのいい性格によって知られ、その印象は後々まで多くの人が抱くことになる。

宗主国であったフランスへの留学がかない、かの地でマルクス主義へと目覚めていく。最もマルクスその人の著作を読み込んだわけではなく、それどころかスノーの『中国の赤い星』といった毛沢東に関する著作にすら目を通していなかったようだ。左翼が実はマルクスをきちんと読んでいないというのはよく見られる現象であるが、ポル・ポト(やその周辺)もそのような人間であった。
帰国後は教師となり、その評判は極めて良かったようだ。

このあたりを読みながら、こう考えてしまった。もし世が世なら、サロト・サルは政治的には少々アレでも、人間的には生徒からも尊敬されるような平凡な教師として一生を送ったのかもしれない。
一体何が彼を変えてしまったのだろうか。いや、彼は「変わって」などいなかったのかもしれない。ある種の「真面目」さや「善意」を、変わることなく持ち続けたのかもしれない。「靴に合わせて足を切る」という発想を受け入れてしまえるのを「真面目」さや「善意」と呼ぶとしたらの話だが。

金持ちと貧乏人とを平等にするにはどうしたらいいのだろうか。私有、共有に関わらず財産そのものを無くしてしまえばいい、財産というものが無くなれば、全員平等に持たざるものである。
こんなことを言えば、左翼に対して悪意ある人による冗談であるように思えるが、ポル・ポトらが行おうとしたのはこれに近い。最早共産主義とも社会主義ともつかない、名づけようもない奇怪なユートピア。

日本において、もし70年前後の赤軍派などの新左翼の「武装蜂起」が成功し、彼らが政権を握ったとしたら、これと似たようなことが起こったのかもしれない。
彼らの多くを動かしたのは「悪意」ではなかっただろう。ある種の「真面目」さや「善意」を持ち、それでいて現実から目を背け、学ぶことを拒否し、自己正当化と権力を保つために恐怖で人々をコントロールすることを厭わない。それでも、モンスターとして生れ落ちたのではなく、何かのきっかけでモンスターと化したのでもなく、我々と地続きの世界を生きていた人々であったはずだ。


ショートはポル・ポトの行いをなぜ「ジェノサイド」ではないと考えているのだろうか。

「ポル・ポト政権の恐ろしさをS-21と地域の関連施設ほど如実に示すものはない。それはその正体――敵を拷問して殺害する完全な全体主義的政権――のせいではなく、それらが抹殺主義をもっとも純粋なかたちで表すものだったからだ」(p.552)。
しかし、「S-21」はナチスによる強制収容所を連想させるが、それとは違うのだとする。
「S-21の役割は殺すことではなく、供述を引き出すことにあった。結末は死だったが、それはおまけでしかない」。そして「S-21の多くの部分は、気が滅入るほどどこにでも見られるもの」であり、「これは全体主義にだけ見られる現象」ではなく、「民主主義政府も同じ道をたどっていた」としてフランス軍によるアルジェリアでの行いを例にあげている。

山形は「かれらが死んだのは、故意によるものですらなく、多くはただの過失の結果だったのだ。ナチスが虐殺に有能だったとすれば、ポル・ポトたちは生かすことに(すさまじく))無能だっただけだ。これを同列には扱えないのではないか?」(p.682)とまとめている。このようなことは「瑣末な定義論にすぎないと思う人も多い」かもしれないが、「クメール・ルージュという邪悪な連中がやってきて、かわいそうな国民を虐殺してまわりました、といった簡単な話ではない」。

ポル・ポト(及びその周辺とその行い)はヒトラーよりもスターリンに、そして何よりも(とりわけ文革期の)毛沢東に近いが、さりとて似ているかと言われると微妙なようにも思える。むしろ比較すべきは、「陳腐な悪」であるアイヒマンなのかもしれない、これも裏返した形で。アイヒマンの実像は必ずしも命令に唯唯諾諾と従うのみの凡庸な官吏などではなかったし、ポル・ポトも同様だろうが。

クメール・ルージュの残虐性を国民性に帰してしまうのは安易であるのではとは既に書いたが、カンボジア特有の状況が強く働いたことも事実だろう。
かつてアンコール・ワットを誇った国もすっかり零落し、タイとベトナムという「大国」に挟まれながらフランスの植民地になっていた。第二次大戦によりフランスから(実質的に)日本へ、そしてまたフランスへと政治は翻弄され、独立後のシアヌークによる政権運営はあまりに気まぐれにして残虐であった。冷戦下における東西の綱引きの中でうまく立ち振る舞ったつもりでも、国の繁栄に結びつくことはなかった。またベトナムを押さえておきたい中国にとっては利用価値の高い国でもあった。これらの環境がなければ、あれだけの犠牲者を出す混乱は起こらなかったかもしれない。

しかし同時に、遠い国の遠い過去の出来事ではなく、特異な人間による異常な行動と言い切れるものでもなかったのではないかという思いもこびりつく。


フィリップ・ショートの本書についての講演はこちらで見れます。


こっちも読んでみようかな。


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Author:佐藤太郎(仮)
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