『人間の暗闇』

ギッタ・セレニー著 『人間の暗闇  ナチ絶滅収容所長との対話』





終身刑判決を受け、控訴の結果を待っていたフランツ・シュタングルへのインタビュー(シュタングルは最後のインタビューの19時間後に心筋梗塞で死亡する)に加え、妻などシュタングルの家族、同僚であった親衛隊員、収容所からの生還者や収容所周辺に住んでいた人々、さらに「安楽死」計画に参加した者やナチ犯罪人の逃亡に協力したとされるカトリック教会関係者などへの丹念な取材によって、ナチの行いの中でも最もおぞましい出来事を浮かび上がらせていく。


シュタングルは「絶滅収容所」所長を務めた。この絶滅収容所は強制収容所としばし混同されるが、両者の性格はかなり異なるのだという。強制収容所はドイツ国内を含め十ヶ所以上あったのに対し、絶滅収容所はポーランドに四ヶ所だけ(この地理的な意味も大きい)、それも短期間だけ存在していた。強制収容所も収容者にとっては極めて過酷であったが、それでも生き残る可能性というのはわずかばかりとはいえあった。しかし絶滅収容所はそうではない。著者は「ほかの民族抹殺に比して、ナチスによるユダヤ人殺戮がきわめて残酷であるのは、ひとえに「絶滅収容所」の存在があるからだと言ってよい」としている(p.101)。

「ドイツは戦争犯罪を真摯に反省しているが日本はそうではない」ということを言いたがる人がいるが、日本が戦争犯罪について真摯に向き合っていないのはその通りだとは思うものの、ドイツにおいてもやはり戦争犯罪を矮小化しようとしたり、歴史修正主義が根を広げようとしていることは本書においても触れられている。そのような主張の代表的なものが、ナチスの蛮行を一部の人間のパーソナリティに帰するものだろう。ヒトラーやその側近たちは「狂人」であり、ドイツの「普通」の人々は「狂人」たちが何をしようとしていたのかを知らなかったし、止めようもなかったのだと。


フランツ・シュタングルは紳士的にして威厳のある人物で、看守の中には彼に好意といっていい感情すら寄せている人までいる。ある若い看守はこう言った。「われわれには一人の人間らしく見えます。この意味が分りますか? つまり、彼は知性を備えた存在だという意味です。フランツみたいに野獣のような男ではない」(p.7)。
「クルト・フランツは元コックだったが、野蛮な振る舞いが評価されてシュタングルの副官を務め、シュタングルがトレブリンカを去ったあと、約二ヶ月のあいだ、収容所をあとかたもなく解体する作業の指揮を執った」人物である。
クルト・フランツは、いわば「狂人」としての、野蛮で異常なナチを象徴する人物かもしれない。確かにナチにはこのような人物も多数含まれていた。しかしまた、シュタングルのような「知性」を備えた存在もまた数多くいたのである。
シュタングルは、自分は命令に従っただけだという他のナチ裁判でも見られたおなじみの自己弁護を行った。確かにこれは責任逃れのいい訳であるのだが、同時に真実でもあるのだろう。


シュタングルはオーストリア生まれ。軍人であった父は横暴であり、幼い頃は父の着ていた軍服を憎んでいた。紡績工場に勤め、マイスターにまでなったものの鬱屈とした精神状態に陥った彼は、警官の制服に憧れをいだき、警察学校に進むことになる。このあたりの制服が象徴する権威へのアンビヴァレントな感情というのは「いかにもナチになりそう」とも思えるが、事はそう単純ではない。
シュタングルはオーストリア警察でナチを取り締まる立場にいた。彼のことを早くからの非合法ナチ党員であったと疑う人もいるが(そうでなければなぜあそこまで出世できたのだろう、と考えられた)、当人はこれを否定している。オーストリアをはじめヨーロッパ全体の反ユダヤ感情は非常に強いものであったが、シュタングルはそのような面を表に出すことはなかった。妻は夫が反ユダヤ主義者ではなかったと振り返っており、これはおそらく事実であったのだろう。
オーストリアがドイツと合併され、シュタングルはナチに加わることになる。シュタングルがもともとナチのシンパであったのか、生き残るための方便として加わったのかは判然としない。
しかしこの夫婦の姿はある種の典型のようにも思える。シュタングルは当初は狂信的なナチという印象でもないのだが、同時にナチに加わることへの疑問や葛藤というものも窺われない。妻はナチを嫌っており、夫への信頼感は揺らぐものの、夫婦関係は破綻することなく夫の「仕事」には距離を置くことでこれを受け入れるのである。

シュタングルが出世の階段を昇っていったのは、おそらくはその「仕事熱心」さと「有能」さゆえであろう。収容所にたちこめる死体が発するすさまじい臭いに閉口させられながらも、そこから倫理的な問いが生まれることはなく「仕事」に邁進していたようである。
シュタングルの姿はまさに「普通」の人のそれであるとも言えるだろう。


とはいえ、「安楽死」計画を振り返る段になると、シュタングルの表情にも翳りが出てくる。さすがにこれは「普通」の人にはとても思いつくことではなかったのだろう。
強制収容所でのユダヤ人の殺戮というとガス室の存在がすぐに浮かぶが、当初は銃殺という方法がとられていた。ではどこからガス室というアイデアが生じてきたのだろうか。もともとこれは「医学会の大物」たちにより、障害者への「安楽死」として発案されたものであった。
医学会の大物ということは、当然ながら高い「知性」を有していたことだろう。このような人物たちによって、強制収容所でのガス室での大量殺人の種が撒かれたのである。クルト・フランツとはまた違った意味での「狂気」であるといえよう。彼らは後に、「自分たちが直接殺人に関与したわけではなく、単に「民族衛生」に関心のある人間として国の役に立つ仕事をしていたのだ」という「釈明」を行う(p.43)。

ヒトラーは1935年の段階でこの「安楽死」計画の構想を抱いていたが、39年、戦争に乗じて実行に移そうとする。そこでネックとなったのがカトリック教会の存在である。ヒトラーはカトリック教会が「安楽死」に反対であるとの認識を持っていた。そこでカトリック教会の「意向を探る」ことになる。様々な議論が内部で交わされたものの、最終的にはカトリック教会は事実上の同意を与えることになる。


シュタングルは終身刑の判決を受けているが、これはニュルンベルク裁判など戦後すぐの裁判によってではない。彼はブラジルへ逃れ、67年に発見され西ドイツへ送られ、ようやく裁判を受けることになったのである。なぜこのような逃亡と移住が可能であったのかについては、カトリック教会のナチへの協力を抜きにすますことはできない。

カトリック教会のナチへの協力については多くの見方がある。著者はローマ教皇ピウス12世とその側近の態度について次のように分析している。
第一にあげられるのがボルシェビズムに対しての不安である。ナチスドイツがソ連の防波堤になってくれているという評価をしていた。
そして第二の理由がナチスがドイツ国内においてカトリックを絶滅させるのではないかという恐れであった。ナチはカトリックへの思想の浸透をはかっていたが、聖職者への迫害は行っていなかった。しかしカトリック教会は不安を抱き続けていたのである。
これについて著者はさらにこう分析を行っている。それはカトリック教会内部に、「教会は(本質的に)デモクラシーだからである」という意見があった、つまりドイツ国内の多数が親ナチ、反ユダヤ主義である以上それに口出しすることはできない、内政干渉にあたるというものである。カトリック教会は43年に「安楽死」に反対する回勅を出しているが、これはドイツのカトリック教徒の「幅広い世論」が「安楽死」に反対となったためであるとしている。
さらにこれらに加えて、ピウス12世個人の親ドイツ感情と反ユダヤ主義も影響していた。
当時の欧米社会における反ユダヤ主義の根深さを表すものとしてこのような例があげられている。42年の時点ですでにポーランド亡命政府の密使がポーランド国内に潜入し、ユダヤ人の大量虐殺が行われている事実をつかみ連合国とヴァチカンに報告していたが、これがまともに取り上げられることはなかったのだという。

いずれにせよカトリック教会の沈黙はナチにとって有利に働いており、そればかりか戦後ナチの戦犯の逃亡に深く関与していたのではないかという疑惑が持たれている。
これについての著者の調査については異論があるという人もいるのかもしれない。様々な逃亡組織があったのは間違いないとしつつも、個々の事例を調べると「劇的でも組織的でもなく」、「きわめて複雑」であり、「組織が関与していたににせよ、最終的には一個人の自己責任のもとで遂行されたのである」(p.333)としている。確かに一部の高官は早くから偽造パスポートを入手し、外国とのコネをいかして巧みに脱出していたが、それは少数の例外だという。
この見解に「ナチ・ハンター」であるジモン・ヴィーゼンタールは「オデッサ」による支援があったはずだと憤っている。「オデッサ」は逃亡組織の中でも最も有名なものであるが、著者はこの組織を確認できないとしている。

では著者の言うとおり大規模な逃亡組織がなかったのだとすると、どのようにナチの戦犯は逃れていったのであろうか。
ここで大きな役割を果たしたのがやはりカトリック教会と赤十字であったことは間違いないようだ(プロテスタントの牧師にも逃亡を支援していた者もいた)。
大量の「難民」を支援する中の混乱でナチの戦犯とは気づかずに海外へ逃してしまったケースもある一方で、ナチだと知ったうえで逃したケースもまたあったようだ。
アイヒマンは偽名を使い修道院に保護を求め逃亡に成功している。アイヒマンを逃した司祭は偽名を使われていたために気づかなかったとしているが、この弁明を信じている人はほとんどいない。

シュタングルのケースで注目すべきは、彼が「本名」で赤十字からパスポートを手に入れたことである。これは赤十字がそうとは知らずに発行してしまったとももれるが、一方でファースト・ネームとミドル・ネームがさかさまになっており、シュタングルという苗字はオーストリアではありふれたものであることを考えるとあやしくも思える。シュタングルの脱出を手助けしたフダール司祭がその正体を知っていた可能性は高く、またフダール司祭が大量の「難民」の支援にあてた資金の出所は不明であるが、これはヴァチカンから拠出されていた可能性がある。

しかし驚くべきなのは、むしろシュタングルが長く「行方不明扱い」されていたことだという。アメリカは45年には絶滅収容所の存在をつかんでいたが、逮捕したシュタングルをオーストリア人に引渡し、オーストリア人は解放的な刑務所に入れ、シュタングルは当然のように簡単に逃げ出した。シュタングルはダマスカスから住所入りの手紙を妻へ送り、妻はシリアで夫と合流するのに親類はもちろん警察にも行き先を届けていた。一家は正確な名前を使ってブラジルに渡り、そこで本名を名乗るばかりかオーストリア大使館にも届けを出しているのである。

もちろんここに陰謀の臭いを嗅ぎ取る人もいるだろう。シュタングルは最終的にフォルクスワーゲンに職を得る。フォルクスワーゲンは逃亡ナチを積極的に雇用したとして批判を浴びている会社である(著者の調査に対しても非協力的であったそうだ)。やはりシュタングルも手厚い保護を受けていたのだろうか。しかし著者はこの「陰謀」を否定している。確かに元ナチの中には軍事知識などを買われて様々な国家機関に雇われた者もいたがそれはごく一部であり、シュタングル一家は長年つつましい生活をしたうえでようやくこの職を得た。そんな特権を行使できるのならもっと早くにしていたのではないか、としている。これにはカモフラージュのためだという反論もあるだろうが。

61年にはシュタングルは指名手配リストに載っていた。64年にはトレブリンカ(絶滅収容所)裁判が始まり、シュタングルの名は広く知られるようになったが、それでも67年の逮捕まで、本名で自由に暮らしていたのである。ブラジル警察はオーストリア警察からの照会があればすぐに逮捕できたであろうが、大使館はリストの調査すらしていなかったようであった。フォルクスワーゲンの社員の中には気づいた人もいたのかもしれないが、通報した人は誰もいなかった。シュタングルが逮捕されたのはヴィーゼンタールの個人的な情報網に引っかかったおかげであった。

このあたりも「陰謀」を疑いだせばきりがなかろうが、仮に大掛かりな隠蔽の力が働いていたのならもっとうまく擬装工作をしたことだろう(そもそも擬装すらしていなかった)。おそらくは、ナチの記憶を忘却したいという欲求と歴史への無知と無関心がシュタングルのブラジルでの「普通」の生活を可能にさせたのだろう。


収容所がいかなるものであったのかについては引用しなかったが、本書にはそのあまりに悲惨な実態が克明に記されている。

著者は「コルチャック先生」をガス室に送ったのはシュタングルだとされることが多かったのだが、これは彼が赴任する前の出来事であったことを明らかにしている。収容所でのシュタングルの振る舞いについても悪逆非道とされるもののいくつかは作られた話であるとしている。ここらへんはシュタングルに対していささか甘いのではないか、ストックホルム症候群とでもいうべきものに捉われてしまったのではないかと思う人もいるかもしれないが、これはできるだけ公正であろうと努めた結果なのだろう。それはナチやシュタングル個人に対してではなく、歴史に対して公正であろうとしたということなのだろう。

「人間の暗闇」とは狭義においてはシュタングルの絶滅収容所で果たした役割ということであろう。同時にナチ以前、そして戦後、さらにシュタングルのみならず、ナチに積極的にコミットした人間にのみならず、ナチを嫌いながら彼を愛し続けた妻や消極的であったにせよ結果としてナチに協力する形になった人々、そして忘却と無関心に覆われた人々をも含めて、まさに「人間の暗闇」を見せつけられるような本である。


なお本書の初版は74年にイギリスで英語で出版されている。邦訳は97年のドイツ語版から。
訳者あとがきによれば本書に登場した人物はクロード・ランズマン監督の『ショアー』に登場した人物と重なっている人が多いが、これはランズマンが本書を読んで中心的な資料として使い、登場人物を探し出して取材したためであるとのことだ。

実は『ショアー』は本は読んでいるのだけれど映画は見ていないのです。一度ある所で一挙上映を見る機会があったのだが長さにびびって行かなかったんだよなあ。やはりいつかきっちり見とかないといかんな。


著者のインタビューがあった





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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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