『かぐや姫の物語』と『竹取物語』

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は素晴らしい作品だったと思う一方で、こちらの無知ゆえに高畑のやりたかったこと、あるいは作中にあるやりたかったけれど諸般の事情によりやれなかったことの残滓などを、ほとんど汲み取ることができなかったのではないかという隔靴掻痒たる思いもあった。

で、少しは勉強せねばということで、保立道久著『かぐや姫と王権神話  『竹取物語』・天皇・火山神話』と「『竹取物語』と王権神話――五節舞姫の幻想」が収録されている『物語の中世』を読んでみた。




タイトルからもわかるように重複している部分もあるが、また補完し合っているところもあるので両方読むことによってより理解は深まるだろう。『物語と中世』は論文集で、『かぐや姫と王権神話』は新書というフォーマットもあり一般向けであり、付録として「竹取物語」の全文も収録されているので、とりあえずは『かぐや姫と王権神話』から手に取ってみるのがいいかもしれない。なお『かぐや姫と王権神話』で著者は第二章は「いくつもの目新しい論点を凝縮した上に、さらに前方後円墳は火山を象徴するものであるという前代未聞の仮説まで提出してあるので、しばしば叙述の飛躍を感じられるかもしれない」としているが、歴史や文学研究者の間で著者のこのあたりの主張がどの程度受け入れられているのかについては判断する能力が皆無なものでなんともいえない。

『かぐや姫と王権神話』での、『竹取物語』は「かなもじをベースとする最初の物語として「日本語」の鋳型となった」という点や、この物語の舞台となった具体的な場所の探求、「かぐや」の語源について、また求婚に失敗する五人の時間的排列は実際に起こった順序と語られた順序が逆になっている、つまり最後に語られる石上麻呂の転落死が最初に起こっていた、といったあたりも面白かったが、以下『かぐや姫の物語』について考えるうえで興味深かった点を中心に。


『竹取物語』が成立した時代というのはまた天皇制や神道が確立されていった時代でもあった。神道は道教をはじめとして様々な外来宗教、思想の混淆であり、また土着化された特異な「宗教」という面もあった。

「神道についていえば、もっぱら自然に対する「忌み」の心情が基軸となるのであるが、東アジアと比べた場合の、その最大の特徴は、その結晶軸が道教という異民族の民俗宗教であっただけに、開祖も経典も存在しなかった点にある。『古事記』は歴史書であって経典ではない。/そのために日本の神道は、東アジアの現世宗教とくらべても、宗教らしさがきわめて希薄となった。それは、いわゆる言上げをしないといわれる特徴であるが、それが、現世を超越する絶対的な価値を主張しないだけに、現存する秩序や国制、「礼」や「恭順」の秩序を、聖化し浄化してしまうという問題が発生する。そして。未開から文明への急速な移行の中で、その聖化が王権の血統崇拝、祖先神崇拝に向かい、その中で、日本の平安時代国家が、いわゆる天皇制の万世一系の国制意識によって、東アジアとの種差を強調するようになるのも一つの必然であった。こうして、神道は、東アジアのより理屈の勝った現世宗教と比べて、天皇制との関わりが深く、火山神話に由来する未開のMan-god崇拝の根をもちつづけた」(『かぐや姫と王権神話』 pp.206-207)。

『かぐや姫の物語』は原典に忠実な部分と高畑の創作の部分、そして原典を省略した部分とがある。この引用箇所には、『竹取物語』と『かぐや姫の物語』との差異についてのヒントがあるのかもしれない。原典では最後に天皇はかぐや姫が残した不老不死の薬を富士山頂で燃やすことになるのだが、この部分を高畑はまるまる省略している。

『竹取物語』の最後は、「歌物語」としての「一つの愛の物語が完結したことを告げている」が、さらに保立は『かぐや姫幻想』(小嶋菜温子)にも依拠し、こう書いている。「この時の天皇の行為は、たんに愛するものを失った男という枠組みにおさまるものではない。天皇は地上の王国の代表として、大臣公卿を招集して会議を開き、かぐや姫の形見を焼却する決定を主導するのである。それは、右の和歌の「あなたに会えない以上、不死の薬も何にもならない」という愛情の論理であるかのようにみえるが、『竹取物語』が、この手続きをむしろ国家的意思決定のプロセスとして描き出していることが大切である」(『かぐや姫と王権神話』 p.193)。

これは成立年代(著者はこれを「その執筆時期は陽成天皇が退位した八八四年以降、九世紀末」としている)も考慮に入れると説得力を増すことだろう。
『かぐや姫の物語』において高畑は、中世日本の持つ「未開」と「文明」とが混淆したかのような、アニミズム的世界を肯定することはできたとしても、『竹取物語』の結末でほのめかされる天皇が政治を主導するという姿を描くことは避けたという可能性もあるのかもしれない。


『竹取物語』そのものが、神道がそうであるように極めて混淆的な成立の仕方をしている。
最も大きな影響を与えているのが中国の神仙思想である。渡辺秀夫は『平安朝文学と漢文世界』において、いかに神仙譚を下敷きにしているかを明らかにしているという。例えば天人が降りてきて、かぐや姫を守ろうとしていた者たちがへたってしまう場面は、「ほとんどすべて中国の神仙譚を下敷きにしたものであ」り、また「「天女の罪」という話題も中国の種本の翻案」なのである。つまりこのあたりは「海外小説を種本にとった一種のホラー幻想」でもある。
もちろん『竹取物語』はそれだけにはとどまらない作品でもある。日本各地の神話と歴史(これらは当然ながら混じりあっている)が溶け込んだ、生々しい「政治」の物語でもある。

五人の求婚者たちはいずれも実在の人物をモデルにしているが、全てが戯画的に描かれていることに当時の政治への批評性を読みとることができ、またこれらの地位の高かった人物を嘲笑的に取り上げることができる政治情勢でもあったということでもある。

『竹取物語』の天皇のモデルとなったのは天武天皇であるが、「天武の時代以降、「天皇」号を公式に採用するにいたった」とされている。この天皇号の採用は「道教の神仙思想の影響があった」ことを津田左右吉は指摘している。また天武には「神女」の舞を目撃したという伝説がある。保立は「『竹取物語』は神仙思想を媒介として、天武の草創した律令制王国の新たな王権神話を反映していた可能性が高い」としている。「つまり、天武は、古来よりの吉野神話を継承・発展させ、天女と交通しうる神秘的な力量をもつからこそ天皇と呼ばれると、自己自身をカリスマ化することに成功したのである」(『物語の中世』 p.44)。

しかし天皇の求愛を拒むかぐや姫の姿は、「国土とそこに住む民はすべて王のもの」という「王土王民思想」への抵抗とも読める。戦前には『竹取物語』を「御不敬呼ばわりの声」もあったほどだ。かぐや姫は「国王の仰せごとを背かば、はや殺し給ひてよかし」と、臆することなく天皇の面会を拒否し、殺したければ殺せと言うのである。「私はこの言葉のもつ意味をけっして軽くみてはならないと思う。この言葉はおそらく、男女を通じて、日本文学史の中に初めて登場した国王への抵抗の言辞、しかもきわめて明瞭な言辞として注目すべきものである」(『物語の中世』 pp.34-35)。

このような物語が許されたのも、「天武の王権神話は、東大寺開眼会を頂点として、解体の道をたどった」時代でもあったためだ。「このような政治的経験、そしてその結果としての天武系王統の挫折が、『竹取物語』の歴史的前提であったことは確実だと思う。かぐや姫の物語の原形となる仙女・天女のイメージは政治的な神話の一部であったからこそ、人々に対する喚起力をもっていたのである。(中略)『竹取物語』は天武系王統の王権神話を「反映」してはいても、けっして王権神話そのものではありえない。むしろそれは天武系王統の断絶がなければ生まれえなかった物語であるというべきであろう。もし、天武系の王統が続いていたとすれば、天武の皇子と重臣たちを嘲笑するかのような中身で『竹取物語』が完成したというのは考えにくい。『竹取物語』の作者は、天武系王統が断絶し、天武と天女との交歓が国家神話としての本質を失い、過去の物語と化したことを確実に知っていた。彼は、それを前提として、王権神話の破片を再構成し、文学的想像力をはばたかせたのである」(『物語の中世』 pp.50-51)。


宮崎駿は高畑の『火垂るの墓』を、あの当時の状況を正確に描いていないと批判した(こちらを参照)。確かに巡洋艦の艦長を父に持っているにしては兄妹の置かれた状況も行動もあまりに不自然であるが、これは高畑自身も認めているように「現代」の子どもの視線を導入しようとしたために起こった歴史の改変であった(そもそも野坂昭如の原作が妹の死という事実をふまえながらもあくまでフィクションとして書かれた小説でもある)。
『かぐや姫の物語』においても、とりわけ都の屋敷に住むようになって以降のかぐや姫(あるいは「たけのこ」というべきか)の言動は「現代」の視線を取りいれたもののように思えるかもしれない(というか僕はそのように見てしまった)が、必ずしもそうとはいえないようでもある。

『源氏物語』には『竹取物語』を「物語の出で来はじめの祖」とする箇所がある。「どういう意味で物語の「祖」とできるのか」は「物語史研究においてつねに一つの難問であった」が、保立はここで「「物語」としての「かぐや姫伝説」=天女伝説と、「儀式・芸能」としての五節舞=天女の舞を統一として論じることを通じて、歴史学の立場から、これに接近」しようとする。

保立は「かぐや姫のイメージの原核には、天武の見た天女のイメージ、そしてそれを模した「五節舞」のイメージがあった」と想定している。
神話に基づく「五節舞姫から王妃に出身するという九世紀的な方式は生命を絶たれ」、「五節舞姫の貢進は公卿・殿上層が担う一つの儀式的な役割」となるが、「もちろん、とはいっても、五節舞が女性の宮廷社会へのデビューの場であるという事実に変化があったわけではない。むしろそれは平安京における宮廷舞踏会として、いよいよ華麗で美々しいものとなっていったというべきで、そのいわば平安京「美女」コンテストともいうべき雰囲気は『源氏物語』『枕草子』などの叙述に明らかである」(『物語の中世』 p.62)。

「五節舞は、一〇世紀以降、王妃候補の舞踏ではなく、それよりもワンランク下の女房身分の女性の出仕の舞踏になってい」く。「また、舞姫のみでなく、さらに階層的に下に位置する舞姫の付き添いの童女下仕をいれれば、五節の場を経過して出仕する女性の数はさらにふえていく」。「五節舞はただ美々しいだけのものおではな」く、「宮仕の道であった」。そして「五節舞は、身分が上であればあるほど、ほとんどはじめて露面=露わな顔を人前にさらされ、値踏みされるという経験」であった。そして「舞姫の年齢は、だいたい十二、三歳」なのである。「少女たちは緊張と疲労のあまりに体調を崩すことがしばしばだった」というのも起こるべくして起こっているというところだろう。
「このようにして、幼い少女らにとっては、五節舞への出仕が、一方で美女と認められることの面目感や羞恥心、他方で極度の緊張と男の視線に対する拒否という二律背反を引き起こすというのは当然のことであった。私は、『竹取物語』は、このような少女たちの心に直接訴えかけるものをもっていたのではないかと考える」(『物語の中世』 pp.66-67)。

『源氏物語』にある「物語の出で来はじめの祖」とは「女房文学の「祖」」であったのであり、こう考えると高畑の『かぐや姫の物語』におけるたけのこ/かぐや姫の、「少女」が「女」となっていくことへの違和感や拒否感というのは、必ずしも「現代的感覚」とだけしてしまうことはできないだろう。
もちろん、容姿によって値踏みされる「ミスコン」や、ローティーンの少女が体調を崩すほどのプレッシャーの中踊るというのは現代のアイドル産業などを想起させるし、このような男性からの視線は昔から変わらずに女性たちが浴びせかけられているものである。
『竹取物語』が重層的な物語であるように、『かぐや姫の物語』もまた重層的な物語であり、「現代」の視線を取り入れているようでそれを相対化しつつ、また古典を相対化するという両面を持っているだろう。「政治的」に見れば高畑とは相容れない部分があろうともこの題材を取り上げた理由の一つはここにあるのかもしれない。


『古事記』にはヤマトタケル命がミヤズ姫と出会った際に、姫の物忌衣に月経の血がついていたという話があるが、「ここには血を忌む感情よりも、それを生命力の象徴とみる観念の方が強い」(『かぐや姫と王権神話』 p.176)。
また「六世紀末の推古女帝から八世紀後半の称徳女帝までの一七八年」は、女帝は八代六人、男帝は七人であり、「王としての統治期間で比べると女帝-男帝の比は約七対六で女帝の方が長く、女帝の存在は別に不思議なことではなかった」という時代であった(『かぐや姫と王権神話』 p.98)。

「『竹取物語』の歴史的な背景を考える上で、ここで忘れずに述べておきたいのは、奈良時代後半における神道の成立の一面として、女性司祭の地位が決定的に後退したことである。この時期までは託宣を行う憑坐の役の禰宜はしばしば女性であり、神話の時代をひきついで女性の祭礼の上での位置は高かった。しかし、これ以降、有名な神社では、男の宮司が新しい祭礼職として登場し、社殿が建立され、荘重化され、国家的な助成や所領が増加して神社組織が形成されていった。これこそ神道のシステム化であったことはいうまでもない。/そして、このような女性司祭の後退は、ちょうど考謙・称徳女帝の死去以降、日本の王権中枢から女帝が最終的に排除されたことに対応していた。神話の時代が最終的に終了し、より組織的な神社のスステムが形成されたということは、同時に、神話の時代における女性の地位の高さの終了も意味したのである」(『かぐや姫と王権神話』 p.103)。

翁が家の繁栄のために婿を取れと言うのに対し、かぐや姫は「どうしてそんなことをしましょうか」と応える。「かぐや姫は結婚と性の結合自体を拒否する、自分の心身をはっきり自覚」するという「決定的なものである」(『かぐや姫と王権神話』 p.112)。
この「かぐや姫が自分の「変化の物=聖なる存在」としての性格を自覚し、結婚を拒否するという文章の運びは、世俗の束縛からの自由を表現してあますところがな」く、「女主人公の心理過程を描くところに強いはりあいを感じている作者が読みとれる」(益田勝実 『日本文学の歴史 3』)ともされるように、フェミニズム的観点から読むことは牽強付会ではないのであろう。『かぐや姫の物語』は『竹取物語』成立時に(とりわけ女性の)読者が抱いてあろう感情を汲み取りつつも、また「現代的」な視線も同時に存在しているのである。この点では『火垂るの墓』とは違う意識で物語が組み立てられているとしていいのではないだろうか。



この他にも『物語の中世』にはこの他にも興味深い論文が収録されている。
「虎・鬼ヶ島と日本海海域史」では平安時代にすでに虎の皮が輸入されており、「虎皮のフェティシズム」に捉われてもいた。これは「ファッションの問題にとどまることはできない運命」にあった。すでに『日本書紀』において人食い虎退治が登場するように、「「虎退治」は「日本的武勇」の象徴として語られる傾向にあった」。そして「古代以来の「虎退治譚」は、排外的・国粋的な武士のナショナリズムのイデオロギーとして再生し、中世を通じて養われてきた」のである。豊臣秀吉の朝鮮出兵において中心的な役割を果たした加藤清正には「虎退治」の「武勇譚」がある。このように「中世の最終末期、近世の初期に、現実の侵略軍事行動の中で「再生」する」のであった。

「秘面の女と『鉢かづき』のテーマ」の中で、「被衣」を「日本のチャドル」としているところも面白い。言われてみれば確かに似ているが、これは単に外見上の偶然ではないのだろう。「「そもそも秘面の風習自体は、アラブの女性のチャドルと同じように、日除けだとかオシャレだとか、様々な文化的意味をもっていたであろう。しかし、それが男の視線に対する羞恥あるいは拒否の感情を物語り、さらには文化の歴史的性格の問題としてみるならば、世界のどの地域においても基本的には家父長制的な社会関係と深く関わるものであったことは確かである。それ故に、秘面の風習の消滅は家父長制の歴史的形態の変化に関係する問題であろう」。


……と、このあたりは異論反論のある向きも多いかもしれないが、そこらへんも含めてこの二冊は面白く読んだが、いい加減長くなりすぎたのでこのへんで。



プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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