『国境の越え方』

2013年10月に亡くなった西川長夫の『国境の越え方』(1992年刊行、以下引用は単行本から)に収録されている「好きな国・嫌いな国――心理的な世界地図」は、今現在読むと、あるいは刊行当時よりも考えさせられるものが多いかもしれない。

まず西川はある雑誌のコラムを紹介している。これは朴慶南による、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組である高校生から、学校で「好きな国、嫌いな国」というアンケートがあり、韓国と北朝鮮がソ連と並んで嫌いな国の一位となったという投稿を受け、その後この投稿をもとに出演者の高校生とどう話したか、リスナーからの反応がいかなるものであったのかなどを紹介したものだ。

西川がこのコラムをここで取り上げた理由の一つが、西川自身が大学一年生を相手に同じようなアンケートを取っていたからである。もちろんこのようなアンケートを取るということ自体に暴力性が含まれており、「嫌いな国」を書くことを拒否する学生の声も紹介されている。西川もそのような暴力性に敏感になるべきだという立場であるとしていいのだろうが、それでもあえてこの種のアンケートを取っているのは、過去の同種の調査との比較をするためである。


1964年に行われたある調査の結果を紹介すると、好きな国は 1)アメリカ 2)イギリス 3)スイスとなっている。嫌いな国は1)ソ連 2)中共 3)韓国であった。

好きな国の上位にアメリカが、嫌いな国の上位にソ連が常にくるのは戦後の一貫した傾向であった。ただここ数年の西川がとったアンケートでは、ある大きな変動が生じていた。それは「今から四〇年、あるいは三〇年以前」なら思いつきもしなかったようなことで、好きな国の一位が日本になっているのである。

1988年から90年までのアンケート結果が表にされているが、好きな国ではいずれも日本が1位、それも圧倒的なトップになっている。
ここ数年テレビでは「日本(人)はすごいんです!!」的な番組があふれ返っており、これについて「自信を失った日本人の姿を表している」とされることが多い。確かにそういう面もあろうが、80年代後半に大学一年生であった世代は現在40代半ば、つまりテレビ局では番組プロデューサークラスであろう。「自信を失った」というよりも、バブルの絶頂期に培った夜郎自大的発想から抜け出せていないという面もあるのだろう。東京国際映画祭のあの件もまさにそういった印象であるし(「80年代的」なものの象徴であるともできる秋元康が絡んでいるとくれば、なおさらその印象は強くなる)、出版社にしても事情は似たようなものかもしれない。

学生のコメントも紹介されていて、そこには「僕は日本人だから文句なしに日本が好きだ」「母国を愛するのは当然です」といったものがあったという。西川は「自民党と文部省の愛国教育は完全な成功を収めていると思う」と(嫌味をこめて)書いている。さらに日本文化を相対化させるような課題を出すと、あたかもそれが侮辱であるかのような反発を示す学生もいるとのことである。


「ここで特に問題にしたいのは、日本人だから文句なしに日本が好きで、生まれた国だから愛するのは当然だ、という発想である。この命題は一見、論理的に見え、また有無を言わせぬ正しさをもっているように思える。/はたしてそうだろうか。この「だから」は論理的な必然性をまったく示していない。われわれは同じようにして、日本人だから日本が嫌いで、母国だから日本を嫌うのだ、といってもいいはずである。「文句なしに」とか「当然だ」といった強調の言葉がはからずも示しているように、この二つの文章は非合理な感情を自分と他人に強制している。まさにイデオロギー的な文章である。これは他者の介入を拒む自己愛の言葉ではないだろうか。学生のリポートに、日本人や日本文化の批判に対する苛立ちや感情的な反撥が目立ち始めているのは、おそらくこのこととかかわっていると思う(私がそうした事態に直面したとき、いつも反射的に思いだすのは埴谷雄高の「自同律の不快」という言葉である。埴谷が例外的に早い時期にスターリン批判に到達できたのは、おそらくこの「自同律の不快」ゆえであった)。ルーツ探しやアイデンティティ論が盛んである。そこには民族的な自己愛が入りこまないように注意しなければならない。比較文化論がクリエイティヴなものとして成立するか否かは、そこにかかっているだろう」(単行本版 pp.36-37)。


「他者の介入を拒む自己愛の言葉」はすでに80年代後半には大学生の間で流通し始めており、「日本人や日本文化の批判に対する苛立ちや感情的な反撥」も目立っていたのである。
なお「嫌いな国」に日本をあげている学生も相当数いることも合わせて論じられていることも付け加えておく。


80年代後半から90年に行われたアンケート結果を現在から見ると、さらに注目できる点がいくつかある。上記のように1964年の調査では嫌いな国の1位が「中共」であり、このアンケートでも嫌いな国の上位にも中国は顔を出してはいるが、好きな国の上位にも中国が顔を出しているのである。88年は3位、89年は2位であり、天安門事件後の90年でも5位にとどまっている。

戦後の傾向として共産圏の国への否定的な感情は一貫して強く、このアンケートで好きな国の上位に入っている社会主義国は中国ただ一国である。
一方で北朝鮮と韓国はともに好きな国の上位からはもれ、嫌いな国の上位には入り続けている。北朝鮮については社会主義国へのマイナスイメージという説明ができるかもしれないが、では韓国への否定的感情の根強さはどういうことなのだろうか。

1951年に東京都で行われた「人種距離」の調査についても触れられている。この調査は「白人」という項目はないにもかかわらず、「アメリカ人」などとは別に「ニグロ人」なる項目が設けられているように、おそらくは「中立的」な調査のつもりであったのだろうが、当時の差別意識が透けて見えるものともなっている(結果としても「ニグロ人」を嫌いとしている人が非常に多い)。

敗戦の6年後に行われたこの調査では、アメリカ人、イギリス人、フランス人への好意が極めて高く、ロシア人に対しては圧倒的に否定的感情が強い。旧枢軸国ではドイツ人への好感が高く、イタリア人については好き嫌い以前に関心が高くないことなどがわかる。
「シナ人」については嫌いとする人は多いがロシア人に比べるといくらか少ない。そして最も嫌いとしてあげられているのが多いのは、圧倒的に「朝鮮人」なのである。


昨今の「反中嫌韓ブーム」について、ひとくくりにされがちであるが「反中」的なものよりも「嫌韓」的なもののほうが多いという指摘がある。これについて、中国のことは(将来的には)大国だと認めざるをえないが韓国は日本よりも下であるという認識、あるいは下であってほしいという願望の現われではないかとする意見を目にしたことがあるが、このような調査結果をみると、そこまで「論理的」に考えてのことというよりは、単に日本人の中の差別感情が依然として根強い結果だとしたほうがいいのだろう。

ここ数年の日本の状況について、「貧すれば鈍する」の結果であり、逆にいうと日本の経済状況さえ好転すれば憑き物がおちたようになるだろうという見方もあるが、これらの調査、アンケート結果をみるとそのような考えはあまりにも楽観的すぎるような気がしてしまい、なんとも暗い気持ちになってしまうのであった。




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