『九月、東京の路上で  1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』

加藤直樹著 『九月、東京の路上で  1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』




1923年9月1日に起こった関東大震災によって多くの人命が失われた。さらにそれに引き続いて、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れている」といったデマが流布し、数千人の朝鮮人、数百人の中国人、そして日本人の社会主義者なども多数が殺害された。

この虐殺に至るメカニズムは整理しやすいものかもしれない。日本人の間に朝鮮人への蔑視が広まり、また朝鮮半島を植民地支配するようになったことからある種の罪悪感も抱いており、それらが入り混じって、冷静に考えれば荒唐無稽としか思えないデマが現実に起こりうるかのように感じられてしまったのだとすることができるだろう。

また本書でも触れられているように、このデマを大きく流布させたのが他ならぬ警察をはじめとする治安機関であり、正力松太郎もその中心にいた。官憲はこのデマを信じたという面もあったが、また火事場泥棒的に煽ったとすべき面も強い。犠牲となった中国人は朝鮮人と間違われて殺害されたケースも多かったが、また中国人労働運動の指導者や潜在的なリーダー、そして仕事の減少で不要となった中国人労働者をついでに殺してしまえということで虐殺が行われたケースもあった。日本人の社会主義者や労働運動を行っていた人たちが殺されたのもまさにこれと同様であった。

虐殺の犠牲者の数が確定できないのは日本政府のサボタージュのせいであり、なぜサボタージュをしたのかといえば、警察などの治安機関、そして何よりも政府に責任が及ぶのを避けたせいであった。これには左右の政治勢力から批判の声があがったが、それでも処罰はおろかまともな調査すらされずに終わったのであった。

渡辺一夫は、『狂気について』の中で、後に振り返れば関東大震災とそれに引き続いて起こった虐殺が時代の変わり目であったのかもしれないといった趣旨のことを書いている。

「当時、陸軍大尉で野戦重砲兵第3旅団で参謀的な役割を担っていた」遠藤三郎は、「悪いとはわかり切っているが、しかし当時の兵隊は朝鮮人を一人でも多く殺せば国のためになり、勲章でももらえるつもりだった。それを殺人罪で裁いてはいけない。責任は、兵隊にそんな気持ちを抱かせ、勝ってにやらせておいた者にある」と語っているが、実際には、「結局、一人の軍人も朝鮮人・中国人殺害の罪で裁かれることはなかった」のである。
虐殺が起こったことそのものもひどいのだが、さらにはその責任をほとんど誰も取ることはなかったのである。本書にある烏山神社の椎の木をめぐるグロテスクなエピソードに代表されるように、むしろ加害者を「愛国」や「郷土愛」によって免罪するばかりか、英雄視する風潮すらあったのであり、大杉栄、伊藤野枝などを殺害した甘粕正彦が辿った足取りはまさにそれを端的に表すものだろう。虐殺加害者の免罪や英雄視は、まさにこの後の20数年の日本の行く末を暗示するかのような出来事であった。


本書の特徴は、こういった俯瞰的な情報も入れつつ、虐殺の現場に注目し、一つひとつの事例を当事者たちの証言などにより丹念に取り上げていることだ。この作業によってまさに「当時の朝鮮人や日本人、そして中国人が見たもの、経験したものを路上の視点で追体験」することとなる。

染川藍泉は当時43歳で十五銀行本店の庶務課長という、「典型的なエリートサラリーマン」であった。染川は2日の昼には流言を信じる人を「愚かな人」としていた。しかし避難先で青年団が「井戸に劇薬が入れてあるというから、諸君気をつけよう」という声を耳にするうちに不安にかられ、暴行されている朝鮮人を目にして「血祭りにすべきものである」とまで考える。朝鮮人が兵士に連れ去られると、「彼奴がなぐり殺されなかったのを惜しいように思った」と日記に書いている。染川はこの数日後には冷静さを取り戻し、「あまりに話しがうがちすぎている」と「朝鮮人暴動」を否定し、暴行に加わった日本人を批判している。しかしこの数日前、暴行の輪に加わろうとしたが染川を止めたのは彼の良心や理性ではなく、神経が過敏になっている群集に近づくと自分が朝鮮人に間違えられるのではないかという保身であった。

「19歳の演劇青年」、伊藤国夫は千駄ヶ谷駅前で自警団に取り囲まれていた。「畜生、白状しろ」「ふてえ野郎だ、国籍をいえ」「うそをぬかすと、叩き殺すぞ」とこづきまわされた。日本人で早稲田の学生だと学生証を見せてもききいれられなかった。教育勅語を暗誦しろなどと言われこれらには及第したが、「歴代の天皇の名をいえというのにはよわった」。自警団のなかにいた近所の人が気づき、伊藤は無事にすんだ。伊藤はこの出来事にちなみ、「千駄ヶ谷のコリアン」という意味で、千田是也を芸名とする。千田の中にあったのは自分が被害者になったかもしれないという恐怖心や、実際に被害にあった人たちへの追悼でもあったのだろうが、それだけではなかったのだろう。実は千田は、「そもそも短刀や杖を武器に、倒すべき「不逞鮮人」を求めて走って」いて、この目に合ったのだった。ここには加害者としての記憶も響いている。


染川や千田が瞬間的に激情にかられたことは、最早遠い昔の遠い出来事なのだろうか。
本書には虐殺が行われた現場の現在(2013年)の写真も多数収録されている。まさにこれは日本(人)にとって現在と地続きの事件であり、これを切り離すことなどできない。しかし正当化と忘却の欲求は虐殺発生直後から強く、著者はこの欲求が近年さらに高まっていることに危機感を覚え、本書を記すことになる。
染川や千田のような激情はこの瞬間に限ったことではなく、この後20数年に渡って日本を多い尽くすこととなる。このような激情に抗するには、これを過去の一時的なことだったと片付けるのではなく、誰にでも感染し得るものなのだという感覚こそが必要だろう。無論この虐殺を煽動した人間がいるわけで、「一億総懺悔」式に責任を曖昧化するのではなく、俯瞰的に全体像を明らかにする努力を継続していくことが必要であることは言うまでもない。同時に、虐殺の現場を(もちろんそれは真の意味では不可能なことでもあるが)「追体験」しようとする試みもまた引き継いでいかなければならないのである。




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