『パレードへようこそ』

『パレードへようこそ』



1984年6月、ゲイ・プライド・マーチの日、マークはテレビで炭鉱労働者のストライキのニュースを目にする。ストは長期化しているがサッチャーは強硬姿勢を崩そうとはしない。マークは炭鉱労働者への支援を思い立つ。最近ゲイへの警官の嫌がらせが減ってきているのはなぜだ? それは警官が炭鉱労働者への弾圧に動員されているからだ。ゲイと炭鉱労働者はサッチャーをはじめ共通の敵がいる。ならば連帯できるのではないか。こうしてLesbians and Gays Support the Miners(LGSM)を立ち上げる。しかし反応は芳しくないものだった。募金集めを開始するが、組合側からの反応はなかったが、直接電話をかけたウェールズの炭鉱町ディライスからは受け入れるとの返事をもらう。組合員のダイがやって来るが、電話に出た高齢の女性はよく聞き取れておらず、組合はLGSMのLをロンドンのLだと思いこんでいた……


セクシャル・マイノリティーと炭鉱労働者、いかにも相性の悪そうな組み合わせに思える。実際に偏見や誤解などもあったが、それらを乗りこえ連帯していったという実話を基にしている。映画としてみると、登場人物は少々類型化されていたりするようなところもあるが、そういった批判が野暮に思える作品となっている。


冒頭でSolidarity Foreverが流れる。
「組合が我らを強くする 連帯よ永遠なれ!」



この歌がここで流れる意味を考えると、陳腐な言い方になるがまさに現在の日本でこそ見られるべき作品だと思えてくる。

ここ20年ほど、日本では「市民運動か労働運動か」といった作為的な虚偽の二者択一が迫られることが多くなっている。労組の支援を受けているはずの政党の政治家が労組を誹謗すると、それをあたかも「筋の通った、勇気ある」発言であるかのように評価されてしまうことさえある。もちろん連合をはじめ既存の日本の労組がいろいろと問題を抱えていることは否定できない。しかし労組が衰退すると何が起こるのかというのは、まさに日本の労働現場の状況が表している。

労組を十把一絡げに否定的に言及する政治家やメディアの人間は、それが何をもたらすのかわかったうえであえてやっているとするべきだろう。またそのようなプロパガンダ(とすべきだろう)を真に受けて、労組を排除し、その影響力をそぐことこそが「新しい市民運動」なのだと主張まで表れるしまつである。

このような状況は必ずしも日本のみで起こっているとはいえないだろう。労組の影響力は多くの国で低下する一方だが、方やまさにゲイ・ライツをはじめ、アイデンティティ・ポリティクスはその存在感を増しているようにも思える。しかしこの両者というのは競合関係であらねばならないのだろうか。この作品は世界の多くを覆うこのような状況に一石を投じているかのようだ。


LGSMの支援を受けて、組合員たちはBread and Rosesを謳いあげる。
「この人生は暗く厳しい 生まれてから死ぬまで 体と同様 心も飢えている 'パンとバラを パンとバラを’と」 「私たちはパンのために闘う そしてバラのためにも」



まさにこの作品のエッセンスであるかのような歌であると同時に、これはケン・ローチ監督の『ジミー、野を駆ける伝説』とも響きあうものだろう。人はパンのみに生きるのではない、そう言えるのはすでにパンを手にしている人なのかもしれない。人はパンがなければ生きられない。しかし同時に、パンさえ手に入れば人生の困難がそれですべてが解決するのでもない。パンのために闘い、バラのためにも闘う。バラのために闘い、パンのためにも闘う。これは矛盾することではないはずだ。

奇しくもこの作品と『ジミー、野を駆ける伝説』はイギリスでは同じ2014年に公開された。オールド・レフトと揶揄され、泡沫的な扱いしか受けていなかったジェレミー・コービンがまさかの労働党党首の座に就くのはこの翌年のことである。コービンを支持したのは「古い左翼」だけでなく、若い世代でもあった。この作品と『ジミー、野を駆ける伝説』はイギリスの、あるいは世界の少なからぬ地域の雰囲気と共振したものであるとしてもいいのかもしれない。


しかしこう考えると、この邦題はいかがなものかと思えてしまう。
原題はPride、これはゲイ・プライドと労働者の誇りとのダブルミーニングになっているのだろうし、マイノリティーや労働者、様々な社会的経済的弱者が誇りある生活を営むことができるようにするための闘いへの賛歌にもなっている。

前半でマークが炭鉱労働者への支援を呼びかけると「アカ!」と野次られる。形としては労組が敗れてストは終結した。LGSMの活動は無意味だったのだろうか。85年のゲイ・プライド・マーチでは炭鉱労働者との連帯を訴えようとするLGSMの面々に、政治はダメだ、明るい雰囲気でやりたい、政治的主張をこめた旗を使うなら最後尾に行け、今はパーティの時代だ、と圧力がかけられる。しかしそこに連帯への返礼として労組が大挙してやって来る。ゲイ・プライドの横断幕と、手と手を握り合う伝統ある特別な組合旗が翻る中、共に列の先頭に立って行進するのである。

ここで流れるのがThere Is Power in a Unionだ。



こうしたストーリーからすると、『パレードへようこそ』という邦題は完全に作品のメッセージを取り違えているようにしか思えず、むしろこの作品の主張とは逆の人々(つまりLGSMを排除しようとした人たち)におもねっているようにすら感じられてしまう。Prideと『ジミー、野を駆ける伝説』は日本でも同じ2015年に公開されたのだが、このつながりというのが見えにくくされてしまっているのが日本の現在の政治状況の反映ともなってしまっているかのようでもある。


それにしてもアンドリュー・スコットを見ると「おお、モリアーティ」とつい思ってしまう(カンバーバッチ主演のBBCの『シャーロック』のモリアーティ役の人です)。人間というのは一度植え付けられたイメージから抜け出すというのは難しいものなのである……



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Author:佐藤太郎(仮)
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