『無垢の博物館』

オルハン・パムク著 『無垢の博物館』




裕福な家庭に生まれアメリカで経営の勉強をしたケマルは30歳になり、父の会社をまかされ、外交官の娘スィベルと婚約をした。仕事も私生活もすべてが順調に思われたが、偶然にも遠縁にあたるフェスンと再会したことで安定した生活は揺らぎだす。久しぶりに会った、18歳になったフェスンは美しい女性へと成長していた。ケマルはたちまち魅せられ、欲望を抑えられずにフェスンの処女を奪い、秘かに彼女と会い続けるのであったが……


「訳者あとがき」にもあるように、この作品からプルーストの『失われた時を求めて』を連想する人もいるだろう。回想を重ねていくという手法に加え、ケマルの姿はスワンと重ならなくもないうえ、プルーストの名前と『失われた時を求めて』についても言及されている。おそらくはパムク自身も意識していたことだろう。個人的には、作品の肌触りとしてはナボコフの『ロリータ』に近いようにも感じられた(ナボコフの名も作中で挙げられている)。道徳的とは言いかねる主人公は非常に饒舌なのであるが、それゆえにうさんくささも漂う。そして『ロリータ』同様にメタフィクション的構造が取られている。

しかし本作はまた、『失われた時を求めて』や『ロリータ』などと比べると、前衛的実験文学などではなくストレートな、「愛」についての小説だといえるかもしれない。これも「訳者あとがき」によると、トルコでは「フェスンがその外見的特徴以外にケマルが恋に落ちる理由が明らかではない、という類の批判」もあったようだ。ある意味では、この見方は正しいだろう。しかしこれは作品の欠点であるとは限らない。フェスンは薄っぺらな描写しかなされていないかもしれないし、ケマルはそれにふさわしい理由もないまま偏執的にフェスンに執着しているかのようだ。しかしだからといって、このような「愛」が存在しないということにはならない。「愛」というものは信仰同様に理不尽なものでもあり、そうであるからそれは「愛」なのでもあろう。

ケマルの「愛」は、引用符を付けているように、決して普遍的なものでもなければ平均的なものでもない。ケマルはフェスンの持物を掠め取る。8年間に4213本の吸殻を集め、拝借してきた日付まで記録し、ついにはこれらを博物館で公開することになる。ケマルが「偏執的」というのは比喩的な意味ではなく、文字通りでだ。これは歪んだ「愛」の形かもしれない。しかしだからといって、「愛」ではないといえるだろうか。文学作品には愚かであるがゆえに愛すべき人物や、愚直であるがゆえに崇高さを帯びる人物がよく描かれる。ケマルは愚かで愚直かもしれないが、愛すべきで人物であったり崇高さを感じてしまうようになるかは人それぞれだろう。それでも、ケマルのフェスンへの思いが「真実」であることは確かだ。


『ロリータ』はヨーロッパとアメリカとの関係の隠喩だとされることもある。『無垢の博物館』においてのトルコとヨーロッパの関係はどうだろうか。トルコのブルジョワたちはヨーロッパ的なるものに憧れを抱きつつ、アンビバレントなものも感じている。スィベルが、ケマルがフェスンが店員を務めている店から買ったブランドもののバッグが偽者であることを見抜いて返品させるのは、これを表しているとすることもできるだろう。本物と偽者を見分けるほどの眼力を身につけていると同時に、カネでこれを買うことができるかもしれないが、それは「偽者」に留まらざるを得ないというコンプレックスも抱いてしまう。

このように西欧に「遅れて」発展したゆえのアンビバレンスは、日本を含む多くの国や地域に見られるもので、普遍的な物語だということもできるかもしれない。富裕層の住む地域と発展の遅れた貧しく取り残された地域とが、すぐ近くに並存していながら決定的な断絶を抱えているというのもまた、都市化に必然的につきまとうものでもある。

しかしケマルはそういったことを突きつめて考えることはない。本作は1970年代から80年代のイスタンブルの匂いが刻み込まれているが、同時に「全て」を描きだしてはいない。左右の対立は先鋭化し、テロの嵐が吹き荒れ、政治的殺人が横行し、クーデターが起こる。ケマルはこれらを認識してはいても、関心を払いはしない。政治的人間の内面に迫ることもなければ、貧しさに取り残されている人々の苦境に思いを馳せることもない。彼にとって重要なのは、夜間外出禁止令によってフェスンと会える時間が制約されることだ。そしてこれはまた、イスタンブルという街の、そこに住むある種の人々の真実の姿でもあろう。

本作はイスタンブルの「全て」を描き出そうとしたものではない。堕落した身勝手なブルジョワジーの目に映るイスタンブルの姿であり、これもまたイスタンブルの一面である。ケマルの「愛」が、愛というものの全てやその本質を体現しているのではないが、同時にある「愛」の姿を描いているように。
ここでの「愛」やイスタンブルは、個人的なものであり偏っているかもしれないが、それだけに切実であり忘れ難いものともなる。


なお作者のパムクはこの作品発表後に実際に博物館を開くことを思い立ち、本訳書刊行後にそれを実現した。この博物館の非公式カタログともいえる作品の一部は、MonkeyVol.8で読むことができる。



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佐藤太郎(仮)

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