『ムシェ  小さな英雄の物語』

キルメン・ウリベ著 『ムシェ  小さな英雄の物語』




ゲルニカ爆撃後の1937年5月から6月にかけて、バスク自治政府は子どもたち1万9千人をヨーロッパ各地に疎開させることを決める。ラモンとカルメンチュ兄妹はベルギーへと送り出された。兄と妹は割り振られた家族と引き合わされるために、さよならを言う間もなく離ればなれとなってしまった。カルメンチュのもとに眼鏡をかけた青年が近づいてくる。「やあ、僕はロベールだよ。ロベール・ムシェだ」と、彼は笑みを浮かべてスペイン語で話しかけてきた。

語り手の「僕」はこのロベールの生涯を追っていく。ロベールは労働者階級出身で、父が怪我をしたため家計を支えるために働かなくてはならず、成績優秀であったにも関わらず大学進学の夢は断たれる。裕福な家庭出身で後に作家となるヘルマンとの友情とやがて生じる齟齬。ロベールは筋金入りの反ファシズムで、新聞の特派員として短期間ながらスペイン内戦の取材も行い、ヘミングウェイやアンドレ・マルローなどとも面識があったようだ。フランコが勝利を収めると、子どもたちはスペインへと戻され、ロベールとカルメンチュも分かれることになるが、ロベールは彼女のことを忘れることなく、結婚して生まれた娘にカルメンという名をつける。そしてついに勃発した第二次世界大戦。ロベールはベルギー軍の一員として前線で戦い負傷するが、ベルギーはあっさりと降伏してしまう。ロベールはもちろん反ナチスでもあり、ヘルマンの誘いでレジスタンスに加わることになるが……


本作成立過程についてはその結末近く、及び訳者あとがきでも説明されている(ミステリーではないので先に知っていても問題ないが、「ネタバレ」が気になる人は訳者あとがきを読まずに本文にとりかかった方がいいだろう)。ロベール・ムシェは実在の人物であり、本書は「フィクション」とはいえ、おおむね事実に即しているようだ。ならばこの作品はあくまでノンフィクションであって小説とすべきではないのではないかという疑問を抱く人もいるかもしれない。しかし本作はやはり小説であり、それは資料の欠落を想像によって埋めただけの、ノンフィクションを名乗れないがゆえに「小説」と名乗っているような消極的なものではなく、歴史小説であるとともに小説を(再び)書くことをめぐる物語でもある。

こんな会話が交わされる。

「お前は英雄の物語を書くべきだよ」
「でも、僕にとって英雄は存在しないんだ。僕が魅かれるのは人間の弱い部分であって、偉業じゃない。英雄なんて恐ろしい気がするよ」
「そういう英雄のことを言っているんじゃない。ごくありふれた人たちのことだ。英雄はそこかしこにいる、昔も今も、ここにだって、世界中どこにでも。人のために身を捧げる小さな英雄が」

この会話がいつどこで、誰と誰との間で交わされたのかに辿り付くとき、読者は小説だからこそ達することのできる感慨にひたることになる。


ウリベがロベールという人物を取り上げたのは、もちろん何よりもロベールという人物が魅力溢れる存在であるからだろう。またそれだけでなく、その境遇についても並々ならぬ感情移入してしまう理由がいくつかある。

その中の一つに、ベルギーの言語をめぐる状況もあるだろう。「当時、ベルギーではフランス語が教養語で、フラマン語は労働者の言葉だった。そのため、労働組合の機関紙はフラマン語で書かれ、左派知識人の多くは、ナショナリストでなくともフラマン語を擁護する立場を取った」。
もちろん左派であるロベールもフラマン語を重視する。しかし彼は閉じられた思考をしているのではない。ロベールは大学に行くことはできなかったが、ベルギー人らしくというべきか、複数言語をマスターしたポリグロットであった。それを活かしてレジスタンスとして隠れ家に潜みながら、翻訳の仕事もしている。

「僕の言語はもっとも豊かな言語ではない」とロベールは考える。「オランダ語で、フランスとドイツの偉大な伝統の狭間にある言語で書く理由は何だろう?」と自問する。「僕を人間として、世界のなかに位置づけてくれるからだ」と呟くと、地面に当たって砕ける雨粒を見つめて歩きながら、拳を握りしめる。「ヘントのフェレル通りの労働者たちの言語なしに、僕は僕ではありえないだろう」

ウリベはバスク語で小説、詩を書いており、ロベールの自問自答は切実なものに感じられることだろう。ロベールもウリベも、もちろん偏狭な地域主義に陥っているのではない。しかし彼らはやはりこの言葉で書く理由がある。そしてそれは「ヨーロッパ」というものを否定するものではないはずだ。EUの本部はベルギーのブリュッセルに置かれている。もちろんEUが「ヨーロッパ」の理想を体現している(あるいはその可能性がある)かどうかはまた別問題であるが、現在の、そして未来のヨーロッパというものを考えるうえでも、読まれるべき小説であるだろう。

プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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