『結婚式のメンバー』

カーソン・マッカラーズ著 『結婚式のメンバー』





フランキーは12歳の少女としては高くなりすぎた背を持て余し、やや年上の少女たちとはうまく付き合えず、親友と呼べる存在はすでに引越し、彼女の「メンバー」と呼べるのは亡くなった母親に代わって家事をする黒人の中年女性ベレニスと6歳の従弟ジョン・ヘンリーくらいだった。「緑色をした気の触れた夏」、軍務に就きアラスカに赴任していた兄が結婚をすることになった。フランキーは結婚式に参列し、そのまま兄夫婦と共にこの町を去ることを夢見はじめる。


思春期特有の繊細にしてエキセントリックに流れがちな心理を見事に描いているという点ではサリンジャーを想起せずにはいられないし、南部の気だるく物憂い雰囲気と、イノセンスな擬似家族とそれが揺らいでいく様はカポーティと肌触りが近いが、サンリンジャー・ミーツ・カポーティとしてしまうのでは時系列が転倒してしまう。『結婚式のメンバー』の発表は1946年で、カポーティの『遠い声 遠い部屋』は48年、『草の竪琴』は51年の発表であり、『ライ麦畑でつかまえて』も51年の発表である。村上春樹による「訳者解説」でも触れられているように、マッカラーズが『結婚式のメンバー』を執筆中に滞在した芸術家のコミュニティの「ヤドー」では、彼女はカポーティと親しくなっている。影響は相互的なものであったかもしれないが、年齢を考えるとマッカラーズがカポーティに影響を及ぼした度合いの方が強いとすべきだろう(マッカラーズの伝記であるヴァージニア・カーの『孤独な狩人』によると、後年マッカラーズはカポーティの文体などが自分のそれに酷似していることに不快感を持っていたようだ)。サリンジャーがマッカラーズを読んでいたのかはわからない。

カポーティやサリンジャーを訳している村上が関心を持つのは当然のようにも思えるが、では『結婚式のメンバー』がサリンジャーやカポーティの一部の作品とそのまま重なるかといえば、必ずしもそうとはいえないだろう。サリンジャーにしろカポーティにしろ、「イノセンス」といえば聞こえはいいが「退行願望」といってもいいものに支配され、あるいはとりつかれているとすることもできる。カポーティの一部の作品は、その体験を共有していない読者にまでノスタルジーを掻きたて、登場人物たちがどこまでも愛おしくなるのであるが、同時にそのようなイノセンンスが永続することはないこともわかっているだけに、さらにぐっと胸にくるものとなる。

しかし『結婚式のメンバー』では、フランキーはむしろ居心地がいいともいえるベレニスとジョン・ヘンリーとの関係から抜け出たいという願望を持っている。同時にあまりに後ろ髪を引かれているのであるが、これはフランキーの「幼さ」を表すものであろうし、また彼女の身長は年齢不相応なほど高いのであるが、性の目覚めはまだやってきていない。

フランキーとジョン・ヘンリーとの関係は『ライ麦畑』におけるホールデンとフィービーのそれを連想させる。フィービーはホールデンの妹でありながら彼の母親代わりというか守護天使的存在でもあり、ホールデンは彼女によって現実に引き戻されつつも、また自らがイノセンスの守護者たろうともする。6歳にしては小柄でありつつ眼鏡をかけているジョン・ヘンリーは、フランキーにとっては守るものであり守ってくれるものでもあろう。しかし物語後半でホールデンとフィービーが溶け合っていくのに対し、マッカラーズはジョン・ヘンリーにある運命をもたらせる。フランキーとベレニスの関係はまたフラニーとズーイのようでもあるが、サリンジャーが筆を置いた地点からマッカラーズはさらに物語を押し進めていく。

高すぎる身長や、自分の名前が気に入らずに勝手に改名してしまうことなどはマッカラーズ自身の体験であり、彼女がフランキーを自身と重ねているのは明らかだ。一方で、マッカラーズは1917年生まれであるが、作品の舞台は1944年の夏にしており、フランキーを自分より15歳ほど若く設定している。このように自伝的要素を多く取り入れながらも、相応の距離も取っている。基本的には三人称でありつつも、一人称に限りなく近づくかと思えば、語りのレベルにおいても距離を置くこともある。

フランキーはエキセントリックな行動を取るが、彼女が手を染める「犯罪」はやはり12歳のものだ。その幼さによって知らず知らずに大きなトラブルに近づいてしまうが、やはり彼女は守られている。とにかくここから出たい、ここではないどこかに自分の本当の居場所があるはずだと思うのだが、それは兄夫婦に連れて行ってもらうという願望を取るように、ここでも彼女は幼い。意を決して取る行動の結果も、年齢相応のものに落ち着く。

ある意味では典型的ともいえる思春期を扱った小説であるのだが、一方でマッカラーズは過度にフランキーと同一化することもなく、そこから脱した大人の視点から単純な「成長」や「喪失」といったところへ落とし込むのでもない。登場人物の幾人かに残酷な出来事が待ち構えており、またフランキーの心理も呪われたままであるようにも思わせる。

サリンジャーやカポーティーは自分たちが作りあげた物語に自らが飲み込まれていってしまうことになるのであるが、マッカラーズの幸福とは言い難い不安定な生活は自らの作品に飲み込まれた結果というよりは、こういった人物であったからこそこのような物語が紡げた、この描写ができたということなのかもしれない。そうなのだとすると、マッカラーズはサリンジャーやカポーティーと極めて近い位置にいながら、また決定的な違いというのをもっていた作家だとも考えることができるし、『結婚式のメンバー』はまさにそのような作品であるように思える。


『結婚式のメンバー』は渥美昭夫訳などがあるが、こちらは未読なので翻訳の比較はできないが、村上訳は結構「クセ」のある訳になっているだろう。とりわけフランキーとジョン・ヘンリーの会話であるが、12歳と6歳のそれとは思いにくいものになっている。これは『海辺のカフカ』のカフカ君が現実の14歳を描こうとしたのではないのと同じように、「リアリズム」を追求しようとしたものというよりは、作者と登場人物をべったりさせるのではなく、マッカラーズと作中人物の距離を表したものとできるのかもしれない。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳で、ある意味では原文に忠実ともいえるのだが、代名詞をあえてかなり忠実に訳文に反映したのと同じように、こちらも作品解釈込みの翻訳としたほうがいいだろう。若い女性の翻訳家がこれもあえて「現代」に寄せて訳したらまた大分違った印象になるのかもしれないし、いろんなタイプの翻訳家が訳し比べなどしても面白いタイプの作品だろう。


マッカラーズは1917年生まれで、67年に50歳で死去。2017年2月19日で生誕100年となる。『結婚式のメンバー』をはじめいくつもの作品が映像化舞台化されているが、マッカラーズの生涯もまた、そのまま小説や映画の題材にしてもいいような壮絶なものでもある。





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Author:佐藤太郎(仮)
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