MONKEY vol.11

MONKEY vol.11



特集は「ともだちがいない!」。

チャールズ・ブコウスキーの短篇と詩が収録されているが、「ブコウスキーの作品は案外スラングが少ない。なぜか。スラングは仲間内の通り言葉である。ブコウスキーには仲間、友だちがいない。ゆえに彼の(自伝的)作品にはスラングが少ない――この思考の連鎖から特集「ともだちがいない!」が生まれ」た。

柴田元幸さんはブコウスキーをビート・ジェネレーションの一部のように扱われることに違和感があったそうだが、それは「ブコウスキーはともだち0、ビートはともだちたくさん集団、という違いが大きいと思うから」で、確かにブコウスキーをどこかに括るというのは似合わないかもしれない。





柴田さんは未だにスマホはおろか携帯すら持っておらず、「携帯なしでどうやって生きられるのか?」と訊かれることがあるそうだ。これに「ともだちがいないから、必要ないんだよ」と冗談半分に答えていたが、「考えてみるとあんまり冗談じゃないかもしれない」としている。

これに反論させていただくと、むしろ携帯を持たないという選択ができるのは、社会的地位と本当のともだちがいてこそなのではないかとも思える。携帯が広く普及し始めたときは僕も「あんなもの金をもらったって一生持つものか」と考えていたのだが、まさに「携帯なしでどうやって生きられるのか?」状態に追い込まれた結果しぶしぶながら所有するに至った。ではもし携帯がなかったらどうなっていたかというと、それこそ「ともだちが(文字通りに一人も)いない!」ということになっていたのは確実である。スマホや携帯を持たないというのは、今となってはむしろ贅沢な選択なのだろう。

閑話休題。

「考えてみれば、アメリカ文学のヒーローたちって、あんまりともだちがいない」。
「エイハブ船長はともだち1(完全にあっちの世界に行ってしまった子供ピップ」
「ジェイ・ギャツビー ともだち1(語り手のニック・キャラウェイ)」
「ホールデン・コールフィールド ともだち0(死者、きょうだいを除けば)」

僕がなぜアメリカ文学は好きなのかがわかってしまった(笑)。そういえば作中人物ならぬ作家自身でも、ナサニエル・ホーソーンは一時完全に引きこもり状態だったことがあったし、サリンジャーも(実際はそれなりに人付き合いはあったのだが)隠遁生活を送ることになるし、やっぱりこういう作家に興味を持ってしまう。



そういえばホーソーンの伝記が出ましたね。




「猿からの質問」は、「あの時は危なかったなあ」。
なんといってもスチュアート・ダイベックの、ヘミングウェイ風でもあるサメに襲われかけた「クロール・キー」が出色である。証拠写真(?)もあるので実話なのだろう。このアンケートで「絶対この人に訊こう」と思ったのがダイベックだそうだが、その確信通りに三つもアイデアを寄せてくれた。「クロール・キー」以外の二つもすごい面白そうでぜひとも読みたいし、ダイベックはこの手の話だけでも一冊書けそう。





村上春樹の「アンデルセン文学賞のこと」と、「どれほど高い壁を築いて侵入者を防ごうとしても、どれほど厳しく異分子を社会から排斥しようとしても、そのような行為は結果的に我々自身を損ない、傷つけるだけのことです」という言葉が大きく報道されたアンデルセン文学賞の受賞スピーチ「影の持つ意味」の全文と英訳も、アンデルセンの「影」とともに収録されている。

受賞の条件の一つがスピーチでアンデルセンの業績に触れることで、ここで取り上げられたアンデルセンの「影」はデンマーク語の翻訳者が「この話はきっと村上さんの気に入ると思う」と勧めてくれたものだそうだ。この短篇「「影」も収録されているが、影と切り離され、影に支配されていってしまうこの寓話は「気に入る」どころかそのまま村上作品のようでもある。

「影」はアンデルセンとしてはかなり特殊な作品であるようだが、恥ずかしながらアンデルセンはまともに読んだことがなかったもので、これを機にいくつか読んでみようかな。


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佐藤太郎(仮)

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