『カステラ』

パク・ミンギュ著 『カステラ』





リサイクルショップで買ってきた冷蔵庫が、前世がフーリガンであったのではないかと思うほど凄まじい音をたてる。しかし「僕」はいつしか冷蔵庫がたてる音になれ、そればかりか、冷蔵庫という存在自体が愛おしく思えてきて、冷蔵庫マニアになっていく。修理はもう無理だと言われると、「僕は冷蔵庫の原理、構造、そして冷蔵の歴史について学び始めた」のである。アメリカには「象を冷蔵庫に入れる方法」というジョークがあるが、これを教えられた「僕」は「とりあえず何もかも全部入れてみる」ことにする。そしてついに、父も母も大学も百八十万人の失業者も三十六万人のホームレスも国会議員も大統領も冷蔵庫に入れることになる……

表題作の「カステラ」は、まさにこの短編集のエッセンスであるかのようだ。近代というものへのアンビヴァレンス、そして倦怠。主人公たちは、多くの場合冴えない人物であるが、かといって不幸のどん底にいるというほどでもない(それに近づいている人物もいるが)。軍事政権によって身の危険を感じるような社会情勢ではなく、餓死者があふれかえっていたり、劣悪な公衆衛生によって疫病が蔓延しているのでもない。しかしこの社会に圧迫され、資本の論理によって出口のない、逃げ場のない場所へと追いたてられているかのようでもある。そしてあまりに巨大で茫漠としたその相手と、どのように対峙すればいいのかを考えることすら難しい。同時に近代や後期資本主義は単なる呪いばかりでなく、冷蔵庫に現れたカステラのように、奇跡と呼べなくもないものをもたらすこともあるのかもしれない。とはいえこの奇跡が、あるいは奇妙な出来事が、どこにつながっているのかはやはり判然としないのでもあるが。

日常からするりと逸脱していく奇想はカフカ的というよりも村上春樹的であるし、台湾の呉明益による『歩道橋の魔術師』も想起できるが、東アジア固有のもというのではなく、ある種の社会に孕まれる普遍的なものだろう。北米の、日本の、西ヨーロッパの、中国沿岸部の大都市などの読者は、この韓国の作家がつむぐ物語を「私の物語」のように感じることだろう。


「ヤクルトおばさん」は「市場がすべてを解決する」というアダム・スミスの言葉の引用から始まる。「僕」は「経済学の父が残したこの優れた一文をそらんじる」と、「一羽のドードー鳥のように安らかな気持ちになる」。もちろん、この気のいい動物がどのような運命を辿ったのかを考えると、これは強烈な皮肉であることは言うまでもない。「僕」は『お笑い経済学辞典』を読んで、人間がドードー鳥にした仕打ちを学び、「失業が人類最大の苦痛の一つとなった」世界の歴史を知り、文字通りに糞詰まりに、つまりとてつもない便秘に襲われる。

「コリアン・スタンダーズ」では、学生運動の隆盛もとうに去り、そんなことは若者にとって歴史の一コマとなってしまった時代に取り残されるように農村での運動に賭けた先輩から、テレビ局の下請け制作会社に勤める「僕」がある奇妙な依頼をされるという話であるが、まさにこのあたりも後期資本主義的アイロニーに満ちたものとなっている。

80年代村上春樹的テイストも感じさせつつ、その「軽さ」と後期資本主義への倦怠感とはより強く直接的になっている。そしてこのリアリティは、現在の日本の、とりわけ若い読者にとってはより響くものであろうし、まさに「私の物語」として受け取れることだろう。


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佐藤太郎(仮)

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