『ヒトラー 上 1989-1036 傲慢』,『ヒトラー 下 1936-1945 天罰』

イアン・カーショー著 『ヒトラー 上 1989-1036 傲慢』『ヒトラー 下 1936-1945 天罰』





1998年から2000年にかけて発表されたイアン・カーショーによる巷間なヒトラーの伝記。上巻ではヒトラーの生い立ちから政権獲得をし絶頂に上り詰めるまでが、下巻では権力の絶頂からその死までが描かれる。

決定版といっていいであろうヒトラーの伝記の待望の邦訳で、僕も待ち望んでいた一人であるが、さすがに上下巻合わせて本文だけで二段組1500ページに迫ろうかという大部なもので、おいそれと手を出せずにいたがようやく。白水社はこれを出してくれただけで有難いのだが、あえて言わせていただくと、とりわけ下巻は注、参考文献などを含めると千ページ越えで、持ち歩いて電車の中で読むわけにはいかないどころか、家で寝っ転がって読むことすらおぼつかないほどであったもので、できれば四分冊くらいにしてほしかった。


この長さというのはもちろん第一に、詳細な伝記であるということからくるものだが、それ以外にも理由がある。カーショーは上巻の序文において、「私は伝記という形式にはいささか批判的だった」としている。「政治外交史よりも社会史に魅力を感じており、ましてや一人の人物に焦点をあてるなどとは考えたこともなかった」。第三帝国について研究をはじめるようになって、「私が関心をひかれたのは、かの異様な時代に普通のドイツ人がとった行動や態度であって、ヒトラーやその側近のことではなかった」。

しかし「「誤った」経路」によってついにヒトラーの伝記を書くことになったのだが、これは以前の考えを改めたということではない。本書がこれほど大部になった理由の一つが、ヒトラーの伝記であるとともに、カーショーのもともとの関心であった「普通のドイツ人」の反応等にも目配りされた、19世紀後半から20世紀半ばまでのドイツの社会史的記述を積極的に取り入れているためである。

また「訳者」・監修者あとがき」に、「研究史から見れば、本書は意図派と構造派(機能派)の架橋という問題意識に立脚して書かれている」とある。「すなわち、ナチズム研究では、ヒトラー個人がはやした役割を強調する意図派と、ナチ体制が多頭支配であることを重視してヒトラーを相対的に「弱い独裁者」と見る構造派のあいだで長く見解の相違があった。ナチズム研究は、体制の権力構造とそこにおけるヒトラーの位置づけをめぐって展開してきた。カーショーは、カリスマ支配の概念を導入し、「総統のために」自ら働こうとするドイツ社会の構造に光を当てることで、ナチズム研究のこの中核的な課題に独自のアプローチで迫ろうとしている」。
こういったヒトラー個人への関心にとどまらない視野の広さも、この長さの理由である。


カーショーはヒトラーを無能な異常者とするのでもなく、また戦略に長け、すべてを計算しきっていた恐るべき能力を持っていた人間とするのでもない。ヒトラーはあくまでピースの一つであったが、ではヒトラーというピースが欠けていたとしたらナチスは権力を奪取し、長期間に渡って維持し、一時的にとはいえあれほど支配地域を広げることができたであろうか。ゲーリングやヒムラーやゲッベルスがナチ党のトップであったらと仮定してみれば、その答えは明らかだろう。


カーショーはナチスの勢力拡大や政権獲得にあたっては、反ユダヤ主義よりも反ボリシェビズムの方が効果を発揮したと見ている。カーショーが何度も強調するように、ナチスを、ヒトラーを権力から遠ざけることは十分に可能であったはずだが、この点を共有していた保守派は、保身と権威主義からくる民主主義への嫌悪感、そして何よりもヒトラーを見くびっていたことでこの男を権力の座につけてしまった。ヨーロッパの多くに広がっていた反ユダヤ主義、社会ダーウィニズムへの信奉、ボリシェビズムへの恐怖心はナチスを生み出す下地になり、とりわけドイツでは、第一次世界大戦での敗戦を受け入れられず、その結果であるベルサイユ条約によって不当な迫害を受けているという被害者意識がナチスの養分となったが、それでもヒトラーが権力の頂点に上り詰める階段へのドアは必ずしも大きく開いていたとはいえない。それをこじ開けることを可能にしたのはヒトラーその人であるが、また保守派をはじめとする勢力がそれに手を貸したのであった。


本書で繰り返されるのが、「既成事実」である。これを前にした時、人間はどれほど無力になれることか。政権発足時、ヒトラーを積極的に支持したのはせいぜい三分の一強であった。しかし権力を握ったヒトラーが強引に「安定」を作り出すと、多くの暴力が繰り広げられ、迫害の模様は目の前にあったにも関わらず、これを支持する人はむしろ増えていった。ベルサイユ条約を挑発的に打ち破ると、ヒトラーに批判的であった人々でさえ喝采を送った。多くのドイツ人が「不当に奪われた」と考える権益や領土を「回復」していくことを強く支持したが、同時に戦争に対しては忌避感も強かった。それでも既成事実を重ねていくと、戦争への懸念は広まらず、むしろヒトラーが明らかに戦争の準備に入ってもこれを直視しなかった。領土の「回復」のみならず、中・東欧に広がる民族ドイツ人が迫害されているというプロパガンダを繰り広げ、ヒトラーは触手を伸ばし続けた(侵略戦争を開始すると宣言して始められた戦争などあろうはずもなく、ヒトラーもまた正当な領土の回復やドイツ人の保護を旗印にした)。

ついに戦争が始まったが、緒戦の勝利によって戦争への懸念は一層された。反体制派が壊滅した後、ヒトラーを排除できる可能性があったのは国防軍をはじめとする体制内の不満分子だけであったが、戦局が悪化するまで暗殺の実行に踏み切れなかったのは、ドイツ国民の多くがヒトラーを支持し続けたからであった。恐るべき悪運でヒトラーは暗殺の網を逃れ続けた。破滅が目の前に突き付けられ、ついに自殺することになるが、あの状況に至ってもなお暗殺もされずに反乱も起こらなかったのは、一度積み重ねられた既成事実というものの強力さを何よりも物語っている。

言うまでもなく現在との安易なアナロジーには慎重であるべきだが、それはナチスの歴史から学ぶものがないということにはならない。一つ違えば愚かなデマゴーグで終わっていたかもしれない男が、強大な権力を手にし、それを長期間保ち、あれだけの破局を引き起こせたのはなぜなのか、この浩瀚なヒトラーの伝記から学ぶべきことは、むしろ現在のような時代であるからこそ数多くある。そして「なぜ、ドイツ人はヒトラーに心酔しえたのか、抵抗しなかったのか、最後まで付き従ったのか、という本質的な問題は(……)まだすべてが解明されたものとはみなされていない」ことの重みは、現在の日本だからこそ噛みしめるべきことでもある。


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佐藤太郎(仮)

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