『雑文集』

村上春樹著『雑文集』




タイトルの通り村上春樹の約30年にわたる単行本未収録の様々な文章を集めたもの。
本人も書いているように本当に雑多で、シリアスで長いものから1ページに満たない簡単な挨拶までいろいろあります。
この間もインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』が出たが(感想はここ)回顧モードに入っているのか小銭を稼ぎにかかっているのかはともかく、ファンとしてはありがたくうれしいものです。

本書は図らずも(いや、図ってのことか)村上春樹とはどんな作家なのかについての入門書にもなっています。
村上春樹って何考えて小説書いてんの?という疑問を持たれている方は「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」を読んでみるのが一番でしょう。この文章は作家村上春樹の力強くも感動的なマニフェストといってもいいもので、ファンならずとも必読といっていいでしょう。

っつーか村上春樹ってけーはくな小説書いてる人でしょ、きっと中身もかっこだけの薄っぺらな人間なんじゃねーの、なんてお思いの御仁には『アンダーグラウンド』に関連して書かれた文章を読んで見てほしい。ここから引用してみよう。

問題は、社会のメイン・システムに対して「ノー」と叫ぶ人々を受け入れることのできる活力のあるサブ・システムが、日本社会に選択肢として存在しなかったことにある。それが現代日本社会の抱えた不幸であり、悲劇であるかもしれない。(p.202)

あるいは人種、そして文化についてのかなりセンシティブなテーマを扱った「日本人にジャズは理解できているんだろうか」を読めば大分印象は変わるでしょう。

こう書くとなんだか重い話題ばかりかと思われるかもしれないがそうではない。
春樹ファンならご存知の通り、彼はすっとんきょうというか人をくったようなというか痙攣的というか、とにかくそんなユーモアの感覚を持った人でもあるのです。
『夜のくもざる』のアウトテイクはどれも好きだなあ。「愛なき世界」の「そしてそれ以来、世界は愛のないせっくすでいっぱいになってしまったの。おしまい。びよーん。」(p.376)ってここだけ引用して意味不明だろうけど、いやまあ意味あるんでしょうか。当人も意味がないように思えたとのこと。とにかく笑ってしまった。

あとネットの感想で「柄谷行人を読む馬」を危険な空目をしてしまった、というのがあったんだけど「からかってるのかな? いや、そんなこと断じてない」としているんだけど絶対悪意あるはずw

このシリアスな部分とアホみたいな(ほめ言葉ですよ)というのは、村上春樹という作家にとっては不可分な要素なのであろう。
ポール・オースターについて書かれた文章で、原稿を手書き時代に右手を酷使して身体のバランスがくずれるとバッハの「二声のためのインヴェンション」をピアノで弾いて修正したとあるが、これは単に肉体的なことではなく、精神においても両者でバランスを取っているのであろう。

と、まあいろいろ盛りだくさんなのですが、なんといっても印象深いのは村上春樹の「変わらなさ」である。もっとも本書収録の文章は手当たりしだい全て収めたわけではなく、本人がある程度納得したものだけなので当然なのかもしれないが、それにしてもいい意味で変わらない人なのだ。

春樹といえば糟糠の妻を捨てて若い女に走ることもなく、アルコールやドラッグにふけることも政治家に転身することもない。だからといってカントのごとく一つ所から出ることなく決まりきった生活をしているのでもない。結構波乱万丈といえばそうなのである。

小さくとも感じのよい(と僕は想像している)ジャズ・バーのマスターが小説を書き、うまくいっていた店をたたんで作家に専念する。80年代後半はギリシャやイタリアなんかを転々としながら小説を書き、その一つである『ノルウェイの森』が大ベストセラーになり、ただでさえ嫌われていた文壇だのニュー・アカ系の批評家だのから総スカンをくらい、ある種の「亡命」のようにアメリカに住む。そうこうしてるうちに世界的ベストセラー作家となり、今や最も有名な日本人の一人だといえる。

江藤淳に見られるように、アメリカ(に代表される主に欧米の外国)に行ったとたんしょうもないナショナリズムに目覚めてしまったり、逆に日本なんてもう終わり、さっさと見捨てて移住せよ的な無責任な放言や、あるいは「このグローバル化した世界で勝ち残るために云々」というような成功譚に酔った自己啓発方面に走ることもない。こういうのってかなりめずらしいのではないかと思う。さすがは俺が惚れた男、なんて自分の手柄のように思っちゃったりして。

僕がリアルタイムで春樹を読み始めたのは90年代半ばごろだった(あのころは批評系の雑誌などを読むとたいていは春樹をくさしてあって、自分はこんな人にはまっていいのだろうか、といささか疑念にかられたものだった)。そのころは30代半ばから後半にかけての人という印象が強く(実際は当時40代半ば)、今でもその印象というのがあまり変わらない。

春樹は僕からすると親の世代にあたるのだが(というか僕の母親と同じ歳なのである)、親というよりちょっと年上の兄か若い叔父という感覚を抱いてしまう。
ついでにどうでもいいことを付け加えると、春樹がデビュー作『風の歌を聴け』を夜中にキッチンのテーブルにむかって書いていたころ、僕は母の胎内にいた。そして僕の誕生日はヤクルト・スワローズ初優勝の前日のことで、これは確か陽子夫人と同じ誕生日である、。ちなみに僕は春樹を読むようになるずっと前からスワローズファンなのです。年に何回か神宮球場に行くけど「もしかしてハルキさんがいたらどうしよう」なんて思ってしまう。
え、だからなんだって? いやなんでもありません。キモくてごめんね。
80年に書かれたデイヴ・ヒルトンについての美しいエッセイも本書に収録されています。

ちなみに僕は一度だけ生ハルキを見たことがある。2004年に『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』を出版した時になぜか青山ブックセンターでイベントを行い、それに奇跡の当選をはたしたのである。思えばあれで人生のかなりの運を使い果たしたようで、その後はかなり陰惨な日々を送っておりますが。

そんなこんなで「どーせてきとーな寄せ集めでしょう」とお思いの方も読んでみると印象変わるかもしれません。
すでに書いているように僕は春樹の結構熱心なファンなもので、既読のものも結構あったけど初めて読んだものも結構多かった。だいたい未発表の文章も当然だが、安西水丸さんの娘さんの結婚式の祝辞(!)なんてどうやって手に入れろというんだ。それにファンであるがマニアとまではいかなくて、国会図書館なんかで昔の雑誌をあさるなんてことまではしてないので(やってる人いるんだろうなあ)やっぱりありがたかったです。

あと和田誠さんと安西水丸さんの解説対談も面白いです。「安西水丸は褒めるしかない」の意趣返しなのか褒めてるんだか褒め殺しなんだかわからない笑えるものとなっております。
ここで和田さんは「ピーター・キャット」(春樹のやっていたお店)に行ったときのことを話しているんだけど「僕が行った時は、店で16ミリのマルクス・ブラザースの映画をやってたかな」って!ああ、20年早く生まれていたなら!もっとも実際行ったとしたら「ジャズわかんねーし、マスター愛想悪いし、出版かんけーの客多いし、なんかここってなんか敷居高いなあ」ってなことになってたかもしれないけど。

安西 (略)たしかに彼は客商売するタイプじゃないし、「いらっしゃいませ」なんてよく言えたなとおもっているんです。
和田 言わなかったんじゃないの。お客に料理作って美味しいと言われると嬉しいとか、そういう人とはちょっと違う(笑)。 
(pp.417-418)

って確かにそんな感じだな。
跡地でもいいから行ってみたいって人は東京紅団さんを参照(こちら)。

個人的には81年に「海」に連載してた「同時代としてのアメリカ」がいつか日の目を見ないかなあと思うんだけど、無理だろうな。

ああっと、こんなに長く書くつもりじゃなかったんだけど。このへんで。



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佐藤太郎(仮)

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