『アメリカン・デモクラシーの逆説』

渡辺靖著『アメリカン・デモクラシーの逆説』




アメリカネタが続いてるが別にアメリカのことばかり考えているわけではないんだけど。


渡辺氏は「あとがきにかえて」で、自身を「アメリカ研究者としてのアイデンティティは、実はさほど強くない」として「基本にあるのは、あくまで人類学」であり、「アメリカはそのフィールド(研究領域)の一つ」だとしている。
渡辺氏のアメリカにまつわる本が他のアメリカ本と一線を画し、興味深くさせているのはまさにここにある。

本書も「ハリケーン・カトリーナ」後のニュー・オーリンズやゲーテッド・コミュニティ、メガチャーチ、「ボストンのバラモン」、インディアンによるカジノ、サモアなどを巡りながらアメリカについて考察をする。


僕なりに「アメリカの逆説」を考えると、その再帰性、絶え間ない自己言及性にあるのだと思う。
全ては結局アメリカへと回収されてしまうのだ。
本書でも保守とリベラルの対立が語られるが、どちらも反アメリカなどではない。おそらくは自分達こそが真のアメリカなのだという意識なのだろうし、その通りなのだ。
ポジはネガに、ネガはポジへと反転していく。


アメリカ社会を描いた本というと、どうしてもアメリカ特有の、もっといえば奇異な社会現象というものに注目してしまう人が多いだろう(というか僕がそうである)。
それは近年では主として頑迷な保守性やキリスト教への狂信的熱狂が思い起こされるだろう。
本書でも、キリスト教保守派が優勢となったテキサス州でトマス・ジェファーソンが教科書から削除され、代わりにトマス・アクィナスやジャン・カルヴァンが加えられたという事例が取り上げられている。

ジェファーソンといえば独立宣言の起草者として名高いわけで、これは「アメリカ」の否定なのではないか、とも思えるが一方でジェファーソン自身が矛盾に満ちた存在だと考えるとなかなか示唆的でもある。啓蒙的(政教分離を支持していたためキリスト教保守派から嫌われている)で人権という概念を広めた立役者であると同時に自身は奴隷所有者でもあった。

キリスト教保守派といえばアメリカの不寛容の象徴とみなされることが多いが、そのような存在の典型とも考えられるメガ・チャーチ(大規模な教会)の一つはハリケーン・カトリーナ後に積極的な救援活動にあたった。もちろんここに信者獲得のための下心を見ることもできるが、コミュニティとしての機能を否定することもできない。
このメガ・チャーチというものは宗教と資本主義を結びつけたものともいえ、これなんぞもまさに「アメリカ」である。
カトリーナをめぐる現象というのもなんと「アメリカ」的であることか。それにしても被害を大きくうけた地域が「低地第九地区」って……

ヒレデリック・マルテルの『超大国アメリカの文化力』からの引用がある。厳しいアメリカへの批判に出会うのもアメリカであるというのだが、これこそがアメリカなのであろう。

タイトルに「逆説」とあるように、本書はそのようなアメリカの入り組んだ姿を描いた本である。こちらでからまった糸をほぐしていたと思ったらあちらがこんぐらがってくる。「快刀乱麻を断つ」がごとき「わかりやすさ」を求める人には向かないかもしれないが、「アメリカ」を考えるうえで非常に役に立つ一冊であると思います。

「あとがきにかえて」でコメディアンのジミー・ティングルのハーバード大での卒業式での演説が引用されている。渡辺氏は「陽気で、楽天的で、寛大で、そしてフェアな、私を魅了してやまない希望のアメリカがあった」と結んでいるが、これなんかはイメージ通りのポジティブなアメリカの姿であり、これもまた、そしてこれこそがアメリカなり。






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