『戦時下の経済学者』

牧野邦昭著 『戦時下の経済学者』




戦時下(本書では第二次大戦中の日本)における右翼と左翼といえば固定的なイメージを抱きがちであるが、その実態はかなりねじれている。とりわけ経済学という分野においてはその傾向はいっそう顕著であった。

教授グループ事件で検挙され、東京帝大を休職中だった有沢広巳は陸軍に設けられた秋丸機関に所属することになる。
もちろん有沢の第一次大戦中のドイツの総力戦についての知識がかわれてのことであるが、このころの経済学が今日イメージされるような「右」「左」にきれいに分かれていたのではないことも示している。

当時は、大まかに分ければマルクス主義、自由主義、日本独自の経済学を志向するグループに分類されるのだが、これもすっきりと線引きできるものではない。

日本においては反共を第一のむねとする人が多かったのたが、だからといって必ずしもこれらの人が自由主義を意味するのではなかった。むしろ自由放任よりも計画経済を採用しようとする動きも強く、ある面ではこれが「左」であったはずの人間を「右」へ結びつけもした。

このねじれにさらに拍車をかけたのがイデオロギーをめぐってである。
蓑田胸喜といえば粗野な右翼の活動家というイメージであるが、山本勝市のような自由主義経済派とも反共という点から結びつきがあった。

学説に基づく協力、対立構造というものももちろんあったのだろうが、大きな要因となったのはイデオロギーであった。


経済学がイデオロギーの役割を果たした戦時期には、経済をめぐる論争はそのままイデオロギー論争と化すことになった。つまり、資本主義原理の変革を伴う経済統制を主張するにしろ、市場の重視を訴えるにしろ、何を言っても「マルクス主義」「アカ」そうでなければ「自由主義者」「資本主義擁護論」として批判されるというダブルバインド状態が生じることになった。(p.148)


これを経済学自体が未整備だったうえに戦時下という特殊な状況が招いたもの、ということもできるだろうし、実際その部分が大きいだろう。
同時に現在これを過去のことと簡単に流してしまっていいのであろうか。

経済学という存在自体に不信感を持つ人は多い。
これは、一つには経済学は自然科学ではないにもかかわらず、あたかも客観普遍の科学であるかのような振る舞いをする経済学者の存在。
さらにそのような経済学者に限って、あたかも自分はイデオロギーに捉われていないかのごとくいいながら極めてイデオロギー的な言動に走ることが多い。

僕自身は経済学にはまるで門外漢なのであるが、それでも五十年前百年前と比べると経済学は確かに進歩していると感じる。
一方で経済学というものの限界をわきまえない経済学者、あるいはイデオロギー的振る舞いをする経済学者というものも相変わらず存在している。
僕としても経済学自体の有用性を否定するものではないが、同時にその学問自体に孕まれる危うさやその限界というものも頭にいれておかなければならないものだと思っている。そういったことを考えるうえでも示唆してくれるものが多い一冊であるように感じた。

経済学史についてあまり予備知識がなくとも歴史書としても読めるのでそちらに興味のある人も。


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佐藤太郎(仮)

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