バブルの後遺症?

マサオ・ミヨシの『オフ・センター』をぱらぱら読んでいたらなんだか不思議な気分になってきた。
この本は訳書は1996年、原著は91年に刊行されたものだが、収録されている論文は80年代、つまり日本がバブルの最盛期に書かれているのである。
考えてみるとぞっとしてしまうが、バブル崩壊後に生まれた世代が読んでいてもおかしくはない。そういう人たちはどのようにこれを読んだのだろうか。

収録論文全てにバブルの影が落ちているというわけではないのだが、第三章の「世界における日本バッシャーとバッシング」などは当時の時代状況を知らなければちんぷんかんぷんであろう。
ミヨシはここで欧米中心主義を批判すると同時にそれに付き従う日本人、あるいはその反動としてのナショナリズムに走るような人々を批判し、その背景にあるのがどうしようもない無知や怠慢であることを指摘する。

ご存知の通り(なのだろうか?)バブル最盛期、日本資本はアメリカの様々な動産不動産を買いあさり激しい反発を招いた。
肯定的にも否定的にも当時よく語られたのは、日本は欧米から見ていかに異質な国、民族であるかということであった。
否定的には不気味なエコノミック・アニマルとして、肯定的には行き詰った欧米的資本主義に取って代わる日本型経済システムの担い手として。

バブル崩壊以降に生まれた世代にはこれらはある種の既視感を覚えるかもしれない。
そう、当時言われていたことはほとんどそのまま現在の中国にあてはまってしまう。
現在日本でも中国人(あるいは韓国人)が○△の土地を買いあさっている、このままでは日本が中国(韓国)に乗っ取られてしまう、というようなことを言う人がいる。もちろん差別心を背景にした馬鹿げた妄想なのだけれど、ロックフェラー・センターやらなにやらを買いあさられたアメリカ人の恐怖というのもこのようなものだったのだろうか。

もちろんミヨシは当時の日本の状況というものを肯定的に捉えていたのではない。むしろ批判者であった。一方で、この論文を読んで感じるのは、多少の曲折はあるにしても基本的には日本という国の経済状況はこのまま進むという前提が働いているのではなかったのだろうか、ということである。

ちなみに僕は78年生まれなのでバブル全盛期というものの雰囲気がどのようなものであったのか、正確にはよくわからない。ただ後になって、例えばニューアカと呼ばれた人々の当時のユーフォリアとしか言いようのない言説にはかなり唖然とさせられたものである。

バブルの後遺症といっていいものかわからないが、未だに日本が経済的に長期低迷しているという現実を受け入ることができない人々がいる。これは必ずしも高度成長やそのあだ花のようなバブルを肯定する人のみではなく否定的な人にも多い。
後者が好むのが「成長より成熟」という言葉である。いや、成熟したいのなら勝手になさっていただきたいのですがね、この長期低迷によって経済的・社会的弱者はさらに厳しい立場に置かれるようになっているということがわかっておられるのでしょうか。

そして政策担当者にしてもそれをチェックする立場にある人も奇妙な思考と振る舞いをする。
日本が苦しんでいるのはデフレや円高であるのに、インフレや円安に警戒感を抱き、より低迷を深刻化するような政策を取っている。
もちろん「健康のためなら死んでもいい」よろしく「消費税増のためなら日本が滅びてもいい」という財務省や保身と権益にがんじがらめの日銀によってミスリードされているといえばそうなのであるが、それにしても少し考えれば奇妙なことをやっていることは明らかであるのにそこから抜け出せないというのは日本が経済的に破滅することなど有り得ないという思い込みなのかもしれないし、それは高度成長からバブル期に培われたものなのかもしれない。

両者に共通しているのは合理性よりも精神性を重んじるというところである。
その最悪の結託が震災後に出てきた「復興税」構想であろう。増税によって被災者と連帯することができるのか、増税で復興費用はまかなうことができるのか。いずれもまるで他人事のような思い込みからくる机上の空論であろう。
不況下に増税をすれば経済がさらに冷え込んで結果税収が低下するということは97年にいやというほど学んだはずなのにまるで懲りていない。しかも震災のような非常事態に、さらなる不合理な政策を行おうというのは狂気の沙汰であろう。

ここらへんはある種の自己啓発的な精神性と結びついているように思える。
消費税論議で増税派は世論調査の結果などから「すでに国民は覚悟ができている。決断できない政治家はけしからん」ということを言う。そりゃあんたらが散々っぱらミスリードした結果だろ、ってだけなのだが、これを「厳しい状況を生き抜く覚悟と力を持った我々と駄目な奴ら」と置き換えれば自己啓発的決断主義と相性がよくなる。「ビジネス誌/書」なんぞ個人的には自己啓発の一種だと考えている。そういえば80年代って自己啓発の時代でもあったんだよなあ……

と、マサオ・ミヨシの本とはまるで関係のない方向へ流れていってしまったが、やはり人間の思考というのは時代や状況によって激しく規定されてしまうのですね、ということで無理やりまとめてみたりすて。


え~と、本の方の感想としては、この手の人が陥りがちな隘路にはまっているという感じは否めない。いったいどこの誰に向かってこれを書いているのだろうか、という気分になってきてしまうんだな。なまじ言わんとすることはわかるし、それに少なからぬ共感を持っているだけにかえってそう思えてしまうというのが正直なところで。




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