『永遠の故郷』

吉田秀和著 『永遠の故郷』




2006年から2011年まで「すばる」に連載されていたものを『夜』『薄明』『真昼』『夕映』の4冊にまとめたもの。

クラシック音楽批評の大家による自伝的エッセー。
かっちりとした音楽評論でもなく自伝というのでもなく、過去によって蘇る音楽、あるいは音楽によって蘇ってくる過去についてとでもいえばいいのか。
「もともと、この連載は方に力を入れないでぶらぶら歩きをしているうちに、目に映り、記憶の底から浮かび上がってきた歌があったら、それを拾い上げてもう一度嚙みしめ、味わってみたいと考えてやりだしたのだった」(『夜』p.89)とのこと。

まず断っておかなければならないのは僕はこの本をきっちり読むことができないということである。
理由は単純でクラシック音楽の素養というものが皆無であるためだ。
様々な固有名詞が出てくるが具体的なイメージを結べるのはほんのわずかであるし、手書きの譜面がたくさん引用されているが頭の中でまるで音が鳴らない。おまけにこちらもふんだんに引かれる詩についても疎いときている。こんな人間がこの本を読む資格などあるのだろうかという気にもなる。それでも僕は(あくまで僕なりにだけれど)本書を楽しく読んだ。

お年寄りの話を聞くと、正反対の二つの反応をしてしまう。
時代の変化についていけずに頭が凝り固まり、自己正当化と記憶の捏造にばかり励み、ただひたすら現状を蔑むだけのような人の話を聞くのは当然ながら辛く、一分だって耐えられない!という気分にさせられることがある。

一方でこの人の話をいつまででも聞いていたいと思わせてくれる人もいる。
それは遠い外国についての話を聞くのに少し似ているのかもしれない。現実にあるようには思えず、どこかファンタジーのようでもあり、それでいて空を見上げ風が頬をなでると、あぁ、あの話の国の人もこの空を眺めて同じ空気を吸っているんだという手触りが湧いてくるかのような。

もちろん本書の読後感は後者である。
すでに述べたように、多くはちんぷんかんぷんであったのだけれど、それでもこの世界にひたっている気持ちよさというものがある。これは知らない外国語で朗読される詩を聴き続けるようなものかもしれない。

それにしても長生きというのも不思議なものだと思う。
『夜』の書き出しは「中原中也にフランス語の手ほどきをしてもらったといっても、それは高校一年のせいぜい一年あまりのこと」なのである。
実家に小林多喜二が何度か来て合奏したというエピソードにしても、遠い過去と思い込んでいたことが確実に現在とつながっていると思うとほんとに不思議な気分。

語られないこともある。
『夕映』の最後はシューベルトの「菩提樹」で締めくくられるが、これを導くのは文字通りの戦争の足音であり、トーマス・マンの『魔の山』の最後と溶け合う。
しかし戦争の足音やその残したものについては触れていても、直接的な戦争体験はでてこない。
ここらへんについてはインタビューがあった(こちら)。
それだけ重い体験として今もあるということなのだろう。
亡くなった夫人についてもあまり触れないようにしてあるが、これも同様なのであろう。

以前に「100歳になったら」というのを書いた。
村上春樹が漱石の『三四郎』の新しい英訳について寄せた序文についてなのだが、そこで僕はこう書いている。

三四郎が上京したのが1908年。春樹が上京したのが1968年。ちょうど60年違う。ここではこの間にだいぶ日本も変わったよ、という文脈なのだが、僕はむしろたった60年なんだ!と思えた。
三四郎は数えで23歳で上京。つまり1968年には83歳で、生きていても不思議ではないのだ!

遠いと思っていた過去は意外と近く、そう思うと感慨というものもまた違ってくる。
83歳どころではなくもう100歳近い吉田秀和が見続けた、聴き続けたものをまだまだ知りたいと思う。

そういえばハイネの詩にシューマンが曲を書いた「私の馬車はゆっくり走る」について

この二つのモチーフが交代する中で、曲は進行する。そうして、詩の最後、三つの奇妙な影のような姿が消えてしまったあとも、しばらく―ピアノだけで二七小節も―モチーフ一つを続けたあと、やっと終わる。
 おかしな、おどけた、悪夢のような―現実と非現実。幻想の世界が混って、あるいは並行する中で、ゆっくり進行してゆく音楽。「村上春樹の小説みたい」という人もいるかな
。(『夕映』p.63)

とあるのだけど、村上春樹読んでいるのかな。ちょっと意外? でもないのかな。
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佐藤太郎(仮)

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