『ジャパナメリカ』

ローランド・ケルツ著『ジャパナメリカ』




先日タワーブックスにて『モンキービジネス』英語版刊行記念ということで柴田元幸さんとテッド・グーセンさんのトークショーがあって行ってきたのだけれど、そこにケルツさんも飛び入り参加。そういえば『ジャパナメリカ』読もうと思ったっきりだったなあってなことでようやく。


ローランド・ケルツはアメリカ人の父親と日本人の母親を持ち、作家であり東京大学などで教鞭もとり、そしてPublic Spaceという文芸誌の副編集長でもある。『モンキービジネス』の英語版を引き受けたのがこのPublic Spaceということでトークショーにも登場(本人は聞いてないよ状態だったが)。


本書は英語でアメリカ人に向けて書かれた(あとがきによればそのことを強く意識しながら書いたそうである)アニメ、漫画を中心とした日本のポップカルチャー、及びそのアメリカへの影響についての本である。
こう書くととにかく「ニッポンやっぱすげぇぇぇ」的な礼賛モードであったり、あるいはその軽薄さを冷笑的に描くようなものを想像されるかもしれないが、バランスの取れたいい本であった。

アメリカにおいて日本のアニメが大きな存在感を示しており、それはストリーや作画の質の高さによるものであることが描かれる一方で、日本のアニメ業界、特にアニメーターを取り巻く環境というのがかなり劣悪なものであることもきちんとふまえられている。そしてその元凶となったのが他ならぬ手塚治虫であったことも。
アメリカ人は日本のアニメ作家が大金持ちになっていると思っているようだが、宮崎駿のような一部の例外を除けばそのようなことはほとんどない。アニメではないが「パックマン」の開発者の悲しすぎる感じがそれを雄弁に語っている。

あるいは村上隆の少々(というかかなり)眉唾のご高説が引用された後にそれを批判するアメリカ人学者のコメントもちゃんと拾っている。

ケルツはもちろん日本のサブカルチャーへの愛があるのだが、それを自己満足に垂れ流すのではなくきちんとした取材に基づかれている。インタビューも村上春樹からアニメやゲームの製作者や経営者、そして日米の市井のオタクたちまで広範囲に行われている(村上春樹はアニメや漫画について語っているのではなく一般的な日本の状況についてですので誤解なきよう)。

アニメ作家やその卵たちだけでなく経営陣にも注目していることも特徴にあげられるだろう。
作家が優れた作品を生み出す一方で経営陣はうまくやってきたとはとてもいえない。
近年で一番有名なところでは『ポケモン』がアメリカで成功したにもかかわらず日本の会社は正当な利益配分にあずかれずアメリカの配給会社にごっそり持っていかれたことがあげられている。
これは相当苦い経験であったと同時にこれまでの、ある意味では牧歌的ともいえる経営を見直そうという機運にもなり、そこにビジネスチャンスの到来を見る人々も紹介される。

しかしこのようなことを諸手をあげて歓迎すべきことなのかは、本書を読みながらいささか疑問にも感じてしまった。

コンサルト会社出身でDGHの経営者である石川真一郎はこう言う。(「アニメが最も想像力を発揮するのは、才能あるアーティストが自由に本領を発揮するときである」ということに同意しつつ)「ただし、それがうまくいくのはウォール街のビジネス手法に精通した、本格的なプロの経営者が経済面をバックアップした場合に限られる」(p.278)
あるいは東京アニメセンターのゼネラルプロデューサーの久保雅一のこの発言はどうだろうか。「もちろん、我々はピクサーやディズニーと競争したいと思っているが、本音でいえば、狭いサイバースペースに閉じこもっている若者を、現実の、三次元世界に復帰させることが主な目標です」(中略)「現代の若者に、本物の会話の喜びを体験してほしいんだ」(pp.303-304)

このような「ビジネスマインド」に溢れる人や「古風」なパターナリズムに基づく発想をするような人々の下で、日本のアニメはその独特の生命力を失うことなく発展することができるのだろうか。
ある部分では括弧つきの「成功」を収めるのかもしれない。しかし同時に失われるものも大きくなるような予感もする。ある意味ではその最も醜悪な形が政治家や官僚による「クールジャパン」の換骨奪胎にあるのかもしれない。


……なんてことを偉そうに書いてしまったが、実は僕はとりたててアニメや漫画のファンというのではないのですよね。もちろんアニメや漫画だからという理由で遠ざけることはないが、積極的消費者ではないのである。今チェックしてるのって一つもないし。
それでもマット・アルトによる現状のアニメ分析にはうなずいてしまった。

「アルト氏の説では、アニメ媒体が最高潮に達したのは一九八〇年代というかなり前のことで、当時のアニメ作家は物語へのアプローチがよりリベラルか、パンクロック的なアナーキーな要素に満ちていて、国内でも海外でも、観客が求めるものよりも、自分が表現したいことを優先していた」(p.257)
しかし九五年の『新世紀エヴァンゲリオン』によって自意識過剰に陥ってしまったのではないか、とアルトは続ける。「あの作品を境に、日本人はアニメを真剣に受け止めるようになったという人は多い。海外の観衆も関心を持つようになり、美学全体が変わった。描写が細かくなり、精巧になったが、必ずしも良くなったわけではない。アニメはハリウッド映画のようなレベルに達した。実際には、日本製アニメという孤高の媒体は終わった」(p.258)

かつての日本のアニメ業界に非常に問題があったことは間違いないだろう。ビジネスマインドに欠け、ツケは末端のアニメーターが払うことになり、その劣悪な環境もあって後継者問題は深刻化している。このような業界慣習は改められてしかるべきであろう。
また近年に入りストーリーにしろ絵作りにしろ極めて質の高い作品が生まれていることもまた事実であろう。
ただ一方で、やはりどこか魅力がそがれていっているようにも感じてしまうのは三十路を過ぎた人間の単なるノスタルジーなのであろうか。

本書に登場する(穏便に言って)独特の進化を遂げた性描写のある「ヘンタイ」漫画/アニメの件を読むと、「やはり野に置け蓮華草」ならぬ漫画/アニメという気もしてくるのですよね。


パトリック・マシアスさんも当然(?)登場してましたね(こちらもまだ読んでないのだが)。





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