『ナボコフ 訳すのは「私」』

秋草俊一郎著 『ナボコフ 訳すのは「私」 自己翻訳がひらくテクスト』




ナボコフの作品は代表的なものはいくつか読んではいるのだが、どうも好きになるというところまではいかない。頭が悪くて教養がなくて注意力散漫な読者である僕のような人間にはいささか高級すぎるのだ。
例えば『ロリータ』を、ある少女に魅了された中年男の破滅を描いた作品とだけしてしまうのは間違いとまではいえないがあまりに表層的すぎる。この作品には幾層にも渡る仕掛けがほどこしてある(本書ではもちろんそこにもたっぷり触れてある)。とはいえそこらへんを独力で読み解いていくというのは僕には無理なハナシでありまして。

しかし同時に、ナボコフについて書かれた本を読んでいると、時にはゾクゾクするほどの興奮をもたらしてくれるものもある。これは良質なミステリーを読み進んでいく感覚に近いのかもしれない。

ナボコフを読むうえでミステリーのアナロジーというのはあながち的外れではないだろう。
「ナボコフは英訳する際に、ロシア語でおこなった「犯行」の証拠を入念に隠蔽してから最小限度の変更でトリックの移植に成功している」(p.106)とあるように、本書でも著者はそのことを意識している。
作家ナボコフ、及びその読者について端的に表した部分がある。

(『賜物』や『アーダ』は)どちらも作家が持つあらゆる技法を駆使し、膨大な細部がこれでもかと詰め込まれているので、さっと一読しただけではあらすじを追うのですら困難だ。ただしナボコフの作品の場合、いわゆる「ポストモダン」の作品のように読者の多様な解釈を許す難解さというよりは、よく読めばある程度は「わかる」ように書いてある(ことが多い)点に注意しなくてはならない(目利きの読者や批評家でも、ナボコフについてはまったく的外れな意見、間違った内容を伝えることが多いのはそのためだ)。(「読書ガイド」p.34)

タイトルにある通り、ナボコフは自作の翻訳に積極的に取り組んだ作家であり、本書はその翻訳作業を通して表れるものからさらなる読解の高みへと昇ろうという試みである。そしてその試みは大成功しているといっていいだろう。

犯罪捜査では「現場百回」などといわれるが、本書で著者はナボコフ関連の文献を大量に狩猟したこともさることながら、テクストを繰り返し繰り返し読み重ねたことだろう。そこにないものを見てしまうのではなく、あっても見えない/見ていないものに光をあてる。

前にピンチョンについて書いた時に、ピンチョンはナボコフとは違って暖かみのある作家なのですよ、という趣旨のことを書いた(ちなみにピンチョンはコーネル大学時代にナボコフの授業を取っていた)。
しかしナボコフの代表作の一つに数えられる『ディフェンス』について書かれた章を読むとそのような考えは改めなくてはならないかな、とも思えてくる。

ご都合主義の二流作家ともされる父と技巧にとんだ作曲家であった祖父や「冷たく卑劣」なチェス・プロブレムしか作れないヴァレンチノフとを比べた場合どうだろうか。
「表面的には鮮やかだが内容は空疎な技巧と、拙いが人の心に訴えかける作品のどちらの肩を作者が持っているのか、ナボコフという作家の一般に流布しているイメージにとらわれると、逆に見えなくなってしまう」(p.137)
そして「ルージンの自殺が悲劇なのは、それが狂気の産物ではなく、やさしさの結果であるからだ。人が苦しむのはやさしさゆえなのであり、それこそがナボコフの解答なのだ。」(p.148)

ナボコフのやさしさ! なんだかナボコフに抱いていたイメージが根本から変わるような箇所である。
それで第七章の扉写真の捕蝶網をもって厳しい表情の半ズボン爺様を見ると愛らしいと思えてきたりして。

「重ねた唇」についての章はまさに探偵が事件を解明するがごときものとなっている。ロシア語版と英訳とを徹底して比較し、読みこむうちに、謎自体を認識できないかのような細部に作品全体を読み解く鍵が潜んでいることを明らかにする。まさにナボコフが授業で繰り返したという「細部を愛撫せよ」である。
この章はこう結ばれる。

おそらく、彼の作品にはこうした秘密がまだ隠されていて、私たちにはその発見が許されている。それは解釈によって生み出されるものではなく、初めからそこに埋め込まれたものだ。だからこそ作品に組み込まれた精緻なしかけに出会うとき、私たちはナボコフという人間がテクストの向こうに確かにいたのだと強く感じる。たとえ極めて特殊で、私的な形式だとしても、それは意思が宿されたメッセージなのであり、私たちがなにかの拍子に触れてしまうとき、逆説的ながらその私的さゆえに、それは体験となって残る。それをセンス・オブ・ワンダーと呼びかえてもよい。少なくとも、私にはそうだった。(p.112)

本書のエッセンスであり、ナボコフ読みのエッセンスでもあるのだろう。


一つ気になった点といえば英語やロシア語からの引用がたくさんあるのに縦書きなのですよね。何かこだわりがあったのかもしれないけど少し読みにくいのではないでしょうか。
え、どうせお前はロシア語なんてチンプンカンプンだし英語もひどいもので引用部分なんぞ読み飛ばしてるだろうって? まぁそうなんですけどね。

ちなみに著者略歴を見たら年下でしたね。
僕も歳とってきたもので最近は年下の優れた書き手を見ても「ふむ、近頃の若者もなかなかたくましいではないか」などと爺むさいことを思ってしまうのだが、本書の著者にはちょっと嫉妬を憶えてしまった。それくらい面白い本でありました。

秋草氏はこれも書いてるのね。読むか。




ナボコフ愛ったらやっぱこれかね。





プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR