『マザーレス・ブルックリン』

ジョナサン・レセム著『マザーレス・ブルックリン』




ボスであるフランク・ミナをみすみす殺されてしまった探偵のライオネル・エスログは犯人をあげることを決意する。フランクはライオネルら四人の少年を「セントヴィンセント少年の家」から拾い出し、アシスタントとして使い始め「ミナ一家」を作った人物であった。怪しげなゼンドー(禅堂)、うごめく日本人、巨漢のポーランド人、ファムファタル的女たち。陰謀、裏切りの予感、疑心がからみあい……

と、正統派のハードボイルドタッチのミステリー調であるし、実際にそのようにも読める。しかしそれにしては「過剰」な点も多い。
レセムは明らかにジャンルに対してメタ的視線で本作を展開している。「おまえはサム・スペードか」というセリフやチャンドラーからの引用、その他ハードボイルド作家への言及などからも明らかである。

なんといってもその「過剰」さは語り手を努めるライオネルの設定にある。
「フリークショー」とも呼ばれるライオネルはトゥーレット症候群(重度のチック)であり、思考が暴走しだすとそれを止められず実際に声に出してしまう(「フルネームはなんていうんだ、ライオネル?」「ララバイ・ゲストスター――」「何だって?」「アリバイ・エスモブ――」)。そしてそれ行動にまで出てしまう(警官の肩を叩きたくなって、そうなるともう止められない)。強迫観念に襲われ、それを押さえることが出来ない人物なのである(「カミソリのように薄い」リュウ・アーチャーと比較してみよ)。
50年前ならいざしらず現代を舞台にしているにしてはあんまりな珍妙なるジャポニズムといい、次第にこの人物の語る出来事を信用していいものかという気にもなってくる……

もちろんこれらはレセムが意図したものであろう。
孤児として育ち(マザーレス)父親的存在であったフランクを失った探偵たちはどう落とし前をつけようというのか。
原著は99年刊行であるが、ハイパーアクティブな探偵は世紀末にふさわしい存在となっている。


訳書は2000年刊行であるが、訳者あとがきによるとエドワート・ノートンが映画化権を取ったとあって、どうなっとるんかいなとちょっと調べてみると50年代に舞台を移して2013年の公開を目指すなんて話も。
映画化を考えると舞台を移したほうがいいんだろうけどそれじゃ「あえて」の部分が薄まってしまうようにも思えるんだよなあ。多層的な読みが可能なだけにそこらへんの処理を誤ると凡庸なものになってしまう危険性も高いようにも思えるが、さてどうなることやら。





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