『内訟録』 政策寄りの感想

細川護煕著 『内訟録』 





細川政権は「平和」な時代のファンタジーだったのではないかと書いたがどういう意味か。

とにかくこの日記の中に出てくる政治課題は現在のものといってもいいほど、ほとんど変わっていないのである。裏を返せばすでに問題は噴出しており、早急に手を打たねばならないものばかりだったにも関わらず、その問題の深刻さを政治の中枢にいる人間もメディアも、そして国民も正確に理解していなかったのである。

外交的には北朝鮮の核疑惑はかなり緊張を高めており、アメリカは海上封鎖をするとしたら、自衛隊が協力できるかどうかさぐりを入れてきている。
またコメ問題で大モメであったのだが、ここでの(少々ピント外れの)議論は現在のTPP問題と重なる。
ロシアは放射性廃棄物を日本海にドブドブ捨ててたりもする。

そして何よりも経済問題である。
日本はすでに不況に苦しんでおり、円高に悩まされ、大蔵省はひたすら増税を迫ってきている。

「平和」な時代というのは何も外交に限ったことではない。
不況といっても株価は1万9千円の攻防、円高といっても102円程度、結局は110円近くまで戻すことになる。

景気対策としての減税が検討されるが、大蔵省は減税とセットで消費税増税をしようとする。ここらへんは財源がどうというより消費税を上げたいがばかりに減税しやってもいいというような倒錯した印象である。
宮沢は細川に助言していたと書いたが、この問題でも大蔵省側につく藤井裕久蔵相のクビを切ることを迫ったそうである(田中秀征の証言。p.248)。
藤井裕久ってあの藤井?と思った方、そうです、あの藤井です。
ちなみに宮沢も藤井も大蔵OBであるが、藤井はこの頃から既に(というか芯から)大蔵/財務省べったりなのでありましたとさ。

11月4日(p.154)の記述に、大蔵省は減税と消費税増は16ヶ月離せば十分としているのに対して、アメリカは少なくとも24ヶ月以上は離すべきとして、これに関して財務省高官(すぐあとに名前の出るサマーズのこと?)を派遣して云々というのがある。これは蔵相(つまり藤井)が断ったそうで、細川はこれに「内政干渉気味の物言いは快からず」としている。いや、まぁ確かに内政干渉なんだけどさ、今となっては国賊といわれようがケツ舐めといわれようがいっそ全てサマーズにまかせてれば……なんて気にもなってしまうんだがね。


ある人は現在の民主党政権のグダグダっぷりに「結局はさきがけが駄目だったということに尽きるのではないか」というようなことを言っていた。藤井と大蔵省との関係を官房副長官として間近で見ていたはずの鳩山由紀夫は藤井を財務相に起用し、社民連からさきがけに合流した管直人は藤井を官房副長官として官邸に迎え入れることになる。いったいこの人たちは細川政権から何を学んだというのだろうか。

前回細川政権を思い起こすことの苦さというようなことを書いたが、ポイントはここにある。
細川政権を「平和」な時代のファンタジーとしたが、当時日本経済が現在の状況にまで落ち込むと想像していた人がどこにいただろうか。思い返せば「不況」といってもこの頃は「小遣いが減らされて飲み会が減らせれちゃったのを新橋の飲み屋で酔っ払い親父がグチる」みたいなことをテレビでよくやっていたように記憶している。
当時としてはこの認識は仕方なかったのかもしれない。しかし現在の状況はまるで違う。にも関わらず、未だにそれに毛がはえた程度という認識しかしていない人間(政治家、官僚、メディア含む)がいかに多いか。現在でも「日本は十分に豊かなのだから経済成長などもう必要ない」といった反経済成長論が幅をきかせている。

現在の日本の政治に欠けているものはプラグマティズムであると思っている。
僕は心情としては資本主義が嫌いだし、醜悪な金持ちには反吐が出る。しかし今、現に困っている人を助けるにはどうしたらいいのだろうか。カネが必要なのである。もちろんカネで全てが解決するわけではない。しかしカネで解決できる問題もあるし、その問題はきれいごとの精神論では解決できない。そのカネを行き渡らせるために必要な条件は何か。簡単にいえば好景気の時と不景気の時とどっちが困っている人が多いかということである。これは好悪の問題ではないはずだ。まして現実政治に携わる人間ならなおさらのはずである。

細川政権というのは旧来のイデオロギーに基盤を置いた(とみせかけての談合体質の)55年体制から抜け出し、新しい時代にふさわしいプラグマティズムをもたらしてくれるものという期待を抱かせたのだが、その実あくまでファンタジーの領域に留まり続けていたのである。そしてそのファンタジーに酔った人の中には、そのままここから抜け出せない人も多い。これは高度成長とバブルを直接体験した世代に多い「病」(という言い方をあえてする)であるようにも思える。
今となってはすでに山積していた問題に手をつけずに「政治改革」という名の選挙制度の変更にうつつを抜かしただけの政権のようにも思える。

細川は実は必ずしも小選挙区制の導入に積極的ではなかったのだが、これで動き出した以上流れを止めるべきではないと突き進んだ。人々は(僕を含めて)それに熱狂したのだが、そもそも「政治改革」によって何がどうなるという具体的なイメージをどこまで結んでいたのだろうか。
細川は「政治改革」が頓挫すれば政権を退く覚悟であったし、それさえなされればすぐにでも政権を退くつもりであった(っていうかどっちにしろさっさとや~めたってするつもりだったんじゃないかい)。
これについて本書で証言した人々は好意的な反応が多いのだが、考えようによっては「政治改革」を求心力として利用できるだけ利用し、そのあとは知ったこっちゃないという極めて無責任な姿勢ともとれる。逆にいうと求心力さえ働かせ続ければ具体的に何をしようとしているかに関わらず政権を維持し、動かせ続けることができるということであり、それを最も学んだのが小泉純一郎であったのだろう(小泉はもともとは小選挙区制に強硬に反対していたことを思えばさらにその皮肉度は増す)。

「さきがけが駄目ということに尽きる」ということには全くの同意なのだが、実を言うと僕は当時、さきがけに大いに期待していた。
僕は小泉政権、あるいはその支持者を最初から最後まで苦々しい思いで見ていたのだけれど、これを準備したのは他ならぬ、僕がかつて大いに期待したはずの細川政権であったといっていいだろう。
そしてさきがけの残党が中心となった民主党政権はこの有様である。
細川政権について考えると、この決まりの悪い事実に直面せざるをえない。

もちろん「苦い」体験だからといって目をそむけ耳をふさぐばかりではいけないのであって、ここから何がしかの教訓を引き出すべきなのだろう。
一つあげるのなら、それは現実政治に携わる人間はファンタジーの世界に逃げ込んではならないとういことだ。今抱えている問題は何で、その問題の具体的解決にはどのような対処法を取るべきなのか。思い込みのトンチンカン理論や組織防衛のみの官僚への丸投げ、あるいは精神論でしのげるレベルでは最早ないのである。それが許されたのはあくまで時代が「平和」であったからなのだから。


そういや今パラパラ見返していたら9月14日(p.73)でのBBCのインタビュアーのフィリップ・ショートって『毛沢東』とかの著者のかな。こういう発見も楽しいっちゃ楽しいのだけどね。

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佐藤太郎(仮)

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