『ふたりのヌーヴェル・ヴァーグ』

映画は『大人は判ってくれない』がカンヌ映画祭で絶賛を浴びたところから始まる(トリュフォーとレオーはまるで兄弟兼父子のよう!)。
そしてヌーヴェル・ヴァーグの代名詞ともいえるトリュフォー、ゴダール両監督の生い立ち、出会い、親友にして盟友となり、そして決別するまでが描かれる。
本作はあくまでトリュフォーとゴダールの関係が中心であり、ヌーヴェル・ヴァーグの全体像やそれぞれのプライヴェートな領域にまで深く立ち入るものではない。
二人の結婚(トリュフォーが配給会社社長の娘と、ゴダールのアンナ・カリーナやアンヌ・ヴィアゼムスキーと)なども大きな意味を持つものだったと思うけどそこらへんは全部すっ飛ばしてある。

僕はヌーヴェル・ヴァーグについてそれほど詳しいわけではないけど、僕程度の知識の人間でも特に目新しい情報というのはなかったし、全体的な作りもよくいえば正攻法、悪くいえばフツーというかありきたりともいえる。
それだけに入門編としてはいいのかもしれない。

やはりこの作品は情報としてというよりあの頃の雰囲気というものを見て感じるというところに主眼を置いて楽しむべきだろう。
若かりし日のインタビューやラングロワ解任騒動時のデモ、五月革命、そしてカンヌでのゴダールの暴れっぷりと対照的に戸惑いが表情に出てしまっているトリュフォー。う~ん、ここらへんはやっぱりたまらんかったわい。

そして後半で主役となるのがジャン=ピエール・レオーである。
『大人は判ってくれない』でトリュフォーの分身といえるるアントワーヌ・ドワネル役でデビュー。そしてトリュフォー作品のみならずゴダール作品にも数多く出演。さらにそれだけではなく助監督までこなしていた(時間の関係?かここらへんはなぜか触れられてなかったけど)。

そのレオーはトリュフォーとゴダールが「親権を争う二人の父親」のように彼を奪い合うことに引き裂かれる。
ここらへんはレオーの痛みであると同時に50年生まれの監督、62年生まれの脚本家のものでもあり、そしてもちろん観客の痛みでもある。

トリュフォーが『アメリカの夜』を撮ると、ゴダールは辛辣な手紙を寄越し、トリュフォーがそれに反論(「君はうまく立ち振る舞ってやりたいことばかりやってきたくせにいつも被害者面だ」!)。これを最後に二人は完全に断絶する。ゴダールの手紙にはレオーへの辛辣な手紙も同封されていたがトリュフォーはこれをそのまま送り返している。どちらが父親であったかは完全に勝負あったというところだろう。

ヌーヴェル・ヴァーグ本といえばやはりこれの山田宏一さんの『友よ、映画よ』もレオーの愛すべきキャラが全開でありましたが、ヌーヴェル・ヴァーグといばトリュフォーでありゴダールであると同時にジャン=ピエール・レオーでもあるのですよね。
エンド・クレジットで流れるのは『大人は判ってくれない』のオーディション映像。これにもグっときてしまいました。

そういえば日本にとってはいわくつき(?)の『家庭』からの引用もあって正座するレオーも拝めました。あれはあそこまでいくとギャグとしか思えないので腹を立てる人もいないと思うんだけど。



ちょww





本作の脚本の人の本。この人のゴダールの伝記も確か翻訳進行中とかいうのを見た気がする。英訳もまだみたいだけど。







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