監督!

映画に疎い人間にとって今ひとつよくわからないのが、映画における監督の役割である。
映画評とかを読んでいても「それって脚本家の手柄なんじゃ……」とか「結局凄いのって撮影監督なんじゃね」みたいに思ってしまうことが多かったりもする。

とはいうものの、やはり映画は監督のものなんだ、と思わせてくれる瞬間というものも確かにある。
このところヌーヴェル・ヴァーグだゴダールだのと考えてみたりもしたが、ここらへんの人がなぜあそこまである種の人をフックしたのかというと、そのような監督の個性というものを存分に押し出したということも一つあるだろう。
考えてみれば「カイエ」誌にて彼らが展開していた批評は「映画における作家主義」であったのだから当然といえば当然なのでしょうが。

「ゴダールの再来」なんて呼ばれた人は結構な数にのぼるだろうが、その中で1,2を争うほど戦慄な印象を与えたのがレオス・カラックスであったであろう。
「カイエ」誌に批評を寄せていたという経歴もさることながら、主人公の名にアレックス(カラックスの本名)を冠した三部作はトリュフォーのアントワーヌ・ドワネルものを連想させるし、ジュリエット・ビノシュとの関係はゴダールとアンナ・カリーナを思い起こさせる。

一般的に一番知名度が高いのは『ポンヌフの恋人』だろうし批評家筋から評価が高いのは『汚れた血』なのかもしれないが、僕にとってはデビュー作である『ボーイ・ミーツ・ガール』があまりに衝撃だったりする。

このシーンなんてのはもう理論や理屈ではなくもうただ圧倒されてしまった。デヴィッド・ボウイのデビューアルバムから引っ張ってくるとこもすごい。もうこの3分だけで凡百の映画千本が束になったってかなわない。まぁ個人的な思い入れだけなのかもしれないけど。
新作撮るなんて話もあるみたいだけどどうなんだろ。




監督といえばソダーバーグは嫌いじゃないけどあのリメイク版『ソラリス』を見てタルコフスキーの偉大さとおいうものを痛感したのですよ。
映像に霊性が宿るとか安易に使いたくはないけど『惑星ソラリス』の無重力シーンは同じ脚本で腕利きのカメラマンがいたとしても誰でも撮れるというものではないんだろうなぁ。
首都高のとことか寝ててもいいんでwここだけは外せないんだな。






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