『紙の民』

サルバドール・プラセンシア著 『紙の民』




フェデリコ・デ・ラ・フェはメキシコで幸せな結婚生活を営んでいた。ただ彼には一つ、おねしょという欠点があった。それでも妻のメルセドは暖かく受け入れてくれていた。娘のリトル・メルセドが誕生し、メルセドを挟んで二人でシーツを濡らすこととなる。しかし、リトル・メルセドはおまるで用を足すことを覚える。ついに我慢できなくなったメルセドは娘を置いて家を去る。十年間の鬱状態を経て、過激な方法で夜尿症を克服したフェデリコ・デ・ラ・フェはリトル・メルセドと共にロサンゼルスへ向かうが……


と、さわりの部分だけを取ってもどんな話なんかいなと思われるかもしれないが、キーとなることだけでも、紙で作られた人(紙の民!)、「土星」との戦い、フェデリコ・デ・ラ・フェ率いるEMF、キカイガメ、聖人のプロレスラー、ベビー・ノストラダムスなどなど。

視点人物がくるくる入れ替わり、活字の組み方も時に三段組になったかと思えば四段組にまで。上段と下段で会話を交わし、ついには横組みに黒塗りまでなんてことを書くとたいそう前衛的な小説のように思われるかもしれないが必ずしもそうではない。

訳者あとがきによると著者は三年間にわたってガルシア=マルケスの『百年の孤独』を繰り返し読み続けることによってインスピレーションを得たという。「「メキシコ文化からハリウッド映画まで、ありとあらゆる要素を自在に飲み込みながら、独自の世界を作り上げていく雑食性と強靭な想像力」を持ち、「メキシコ出身で、少年時代はマンガを読んで育ち、のちに『百年の孤独』を貪り読んだだけではなく、最高の作家はジェームズ・ボールドウィンだと語り、カート・ヴォネガットへの敬意を見せつつ、僕の小説はザ・スミスの曲のようなものなんだ、と語」っているそうな。

確かにガルシア=マルケス・ミーツ・ヴォネガットという雰囲気はある。
途中挿入される手書きのイラストなどもろにヴォネガットの影響を感じさせる(初期村上春樹もそうだけどヴォネガットに影響を受けた人はこれをやってみたくなるんだな)。
前衛的でありながらあくまでポップな世界観もヴォネガット風味か。
しいて言うとテーマ的には『チャンピオンたちの朝食』に近いかなぁ。あくまでしいて言うとだけど。

『百年の孤独』といえば一つの町の誕生から消滅までを神話的に、かつ現代史的暗喩を絡ませながら、ローカルでありつつも同時に世界全体を語りつくすような作品である。
『百年の孤独』が世界を濃縮させたものだとすると、本作の世界は「分裂病」的(という言葉をあえて使う)拡散、そしてオフ・ビートな雰囲気である。

僕がこの作品を読みながら浮かんできたのは、ガルシア=マルケスやヴォネッガットもさることながら、リチャード・ブローディガンであった。
詩的な(あるいは病的な?)想像力の飛翔、アシッド風浮遊感、そして打ち捨てられた者へのセンチメント。
本作はほこりをかぶって部屋の隅で忘れられていたブローディガン的要素を、ポンとほころを払い、現代風にあつらえ直し、かつ文学的には少々高級なフレーバーをまぶしたもののように感じられた。

作者は僕と同年代だけど、今世界を語るとすればこうならざるをえないというようなものは世代感覚としてよくわかるような気がする。


あと付けたしとしては、メキシコ絡みで「副司令官」といえばどうしてもマルコス副司令官が浮かぶのだけれどそこらへんはどこまで意識してたのかなぁ。

それからサトル・サヤマも登場するのだけれど、初代タイガー・マスクが佐山聡だなんてことはかえって今の日本人の方がわからないかもね。
メキシコではプロレスが独特の位置にあるということはよく言われるけど相撲に近い感覚なのかな? ちょっと違うか。



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佐藤太郎(仮)

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