『はなればなれに』


僕はもともとDVDなんかを含めてもそれほど多くの映画を見るタイプではなく、ましてや映画館になんぞという感じなのですが、そんな人間でもスクリーンで映画を見ると「やっぱり映画はこうでなくっちゃ」という気になる。
特に家のしょぼいテレビで見たことのあった作品をスクリーンで見たりすると、その思いというのは一入である。

そういう訳でということでもないのだが、新文芸坐にてゴダールの『はなればなれに』がやっていて、ちょうど見に行けるタイミングだったもので行ってまいりましたとさ。
やっぱり素晴らしかったと思ったのだが、どうも感想はうまくまとめられなかったものでダラダラと適当に(っていつもそうだけど)。


『はなればなれに』といえば後によく引用もされる非常に有名なシーンが二つある。
一つがルーブル美術館を駆け抜ける三人で、無許可撮影だと知ったうえで周りの反応などを見ると一層味わいがある。




そしてもう一つがこのダンスシーンである。



この場面を見てああ、こうだったっけなぁと思ったのがアルチュールとフランツ(ランボーとカフカですね)に挟まれたアンナ・カリーナ演じるオディールの動きが結構カクカクしていたということ。これはピンっとぎこちない感じで肘を伸ばしていることが多いためにそう感じさせるのだろう。
この作品の撮影秘話などに詳しいわけではないのでわからないのだが、これって意図してこうなったものなのか、それともアンナ・カリーナがこういう感じに勝手に踊ってしまったのだろうか。いずれにいせよこの動きはオディールにふさわしいものに思える。

この作品でのオディールはちょっと天然入ってるというか不思議ちゃん系である。弥生人みたいな髪型で登場し、初対面のアルチュールに「髪型が流行遅れ」と指摘される(そもそもあの髪型はフランスで流行ったのだろうか?)。そしてそんなアルチュールに惹かれてしまう。

オディールの設定年齢がいくつかわからないが、英語学校に通いつつ叔母から看護婦になれと言われているところから考えると二十歳前後か。
精神的には女というより少女に近いようであり、同時に自分の性的魅力をある程度は理解しているものの(ダンスシーンでのゴダールによるナレーションで自分の胸に視線が集まるのを意識していることが語られる)それをうまく使いこなせてはいない。ファム・ファタルというにはやはり幼い。
ゴダールとアンナ・カリーナが別れたあとに作られた『気狂いピエロ』では、アンナ・カリーナはまさにファム・ファタルにして恐怖のハサミ女と化すのだが、ここらへんはあまりに露骨じゃないかね。

ゴダールの作品といえばアンナ・カリーナを筆頭に女優が非常に魅力的に撮られていることが多いのだが、描かれるタイプは違えど、撮る側がなんとなくある種の傾向を帯びてるようにも感じてしまう。
「シネフィル」なんていうとなにやら大そうなもののように思えてしまうが、要は「映画おたく」なわけで、ウブな女を支配したいし奔放な女に振り回されもしたいというSっ気とMっ気の間で揺れる屈折した憧れと、ミソジニー(女嫌い)とが微妙に入り混じるという点では、やはりゴダールは「おたく」的女性観(と僕が勝手にしているもの)と共振しているのではと思ってしまう。

と、まるで他人事のように書いてしまったが、『はなればなれに』でオディール、いやアンナ・カリーナが自転車に乗るときにやるウィンカー代わりの手信号には萌えざるをえない自分がいたりするのであります。どう見ても車など通っていない道なのに左手を広げて左折するとは!

フェミニズムからよく批判される男性作家が描く女性像に「処女か娼婦か」というものがある。
女性を処女としての無垢な存在としてか、娼婦としての汚れた存在としてかの両極端に描いてしまうということである。
もちろん話は全てそう単純にいくのではなく、ドストエフスキーの『罪と罰』のソーニャに代表されるように「聖なる娼婦」という形を取ることもある。「あれかこれか」としての「処女か娼婦か」というより、男性の欲望は両者に引き裂かれていると考えたほうがいいかもしれない。ゴダールの『女は女である』などはその典型ともいえるだろう。

ウッディ・アレンもかなりその傾向を帯びているように思える。アレンの場合は大都市で専門職に就いているようなインテリ女性が頻出する一方で、性的に少々奔放であるが天真爛漫な女性が登場することもある。
ゴダールはある時期(60年代末)以降すっかり素直であることを放棄してしまった。一方で、世を拗ねた気難しいおっさんの前にある日性的魅力を(無意識に)振りまきつつも、同時に純粋無垢でもあるかのような女の子が突然降ってくるという、外形的にはしょうもない男の妄想全開の『人生万歳!』を齢七十代半ばに突入してなお撮ってしまうウッディ・アレンのなんと実直なことか!
もしかして『ゴダールのリア王』(未見ですが)にウッディ・アレンが出演したのは、二人の共通する女性の趣味への目配せだったりして……なんてね。




閑話休題。
この作品というのはいい意味での前衛性(「一分間の沈黙」!)やいい意味でのひょいっと作ってしまったような雑さというか適当さ(強盗やるならいくらなんでももうちょっとしっかり計画練ってからでしょうに)が絶妙に絡み合う、多くの人が求めるところのゴダールらしさに溢れた作品なのですよね。なんてったって、でっかいスクリーンで見るあのタイトルバックの編集は最高でありました。
ゴダールとアンナ・カリーナが設立したアヌーシュカ・フィルムの第一作ということも考えるとほんとにもう、ね。








『ゴダールと女たち』か、そのうち読も。
若かりし日のゴダールと出会ったなら、映画の話にはまるでついていけそうにないが女の子の話なら結構ウマが合ってしまったりして。




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佐藤太郎(仮)

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