細川インタビューから透けて見えるもの

また同じことの繰り返しでありますが。

9月18日、19日の朝日新聞の朝刊に「野田佳彦の指南役」として細川護煕のインタビューが載っていた。これを読んで二重の意味で気が重くなった。

細川が政界を引退してすでに10年以上がたつ。細川の中で現実政治の時の流れが止まっているのも仕方のないことなのかもしれない。それにしても、である。
「藤井裕久さんが民主党税制調査会長になって良かったと思います。若手のペラペラ話す人たちよりも安定感、安心感のある人を国民や官僚は求めていると思います」(19日)だそうだ。
そりゃ官僚は喜んでいるでしょうよ。藤井については他ならぬ細川の『内訟録』の感想でも書いたが(ここ)、細川政権時に蔵相として大蔵省と一体化して増税に邁進し、見かねた宮沢喜一が藤井を切るように進言している。自分が体験したことから何一つ学んでないのかいな。

細川はとっくの昔に引退した人であり、このようにしゃしゃり出てくることは醜悪であっても害はないという考えもあるだろう。僕も細川が今の政界の状況にさほど影響力があるとは思っていない。問題は、状況証拠から察するに、野田の現状認識がおそらく細川のそれと大差がないということだ。

野田は25年前の自民党にいれば「いい政治家」であっただろう。人事に気を廻し、政策的には官僚に丸投げする。政治家からも官僚からも嫌われることがなかっただろう。僕がタイプ的に野田に近いと思う政治家は森喜朗だ。森も冷戦下のバブルの絶頂期にでも総理になっていればあんなことにはならなかったのかもしれない。

前に細川政権を「平和な時代のファンタジーだった」と書いた。
一見すると危機感にあふれ、「待ったなしの改革」(この手の人たちはこの言葉が好きだね)を志向しているようで、あくまで既成の枠内からはみ出るものではなかった。官僚の権益問題はある程度認識していても、最も肝心な政策能力こそが疑わしいという認識はまるで持っていない。それが細川の藤井への評価に表れている。

細川政権時には既に平和な時代は終わりかけていた。まだバブルの残り香は漂っていたが、あの頃抱えてした問題はほぼそのまま現在にまで引き継がれている。さらには当時は想像もしない事態が出来している。それがデフレだ。
細川がデフレという状況に対して無知かつ無関心なのはもうしょうがないだろう(脱線すると現金をすでに確保した資産家にとってはデフレは歓迎すべきことですらある)。

自称財政再建論者が全く信用ならないのは、増税や緊縮財政に言及することはあっても不況やデフレに対してほぼ無関心なことだ。
不況下では当然税収は落ちる。さらにデフレ下では経済はどんどん縮小していくために財政はますます悪化していく。本当に財政再建をしたいのならまずデフレから脱却し、景気を上向かせることを最優先に考えなければならないはずだ。

一般論としても不況下、しかもデフレという状況で増税を議論すること自体がどうかしていると思うが、さらに震災という強いショックに襲われた中での増税議論など正気を疑われても仕方ないだろう。

世代論というのはあまり好きではないのだが、これには世代的バイアスというものが関わっているように思える。
あくまで傾向としてだが、ある年代においては問題に対する解答が間違っているのではなく、問題そのものを正しく捉えることができない人が多いような印象を受ける。
その年代とは高度経済成長とバブルを直接体験した人々だ。1957年生まれの野田はまさにそのど真ん中にいるといえるだろう。

西ヨーロッパや北米では1970年代にはすでに失業が深刻化している。一方日本において失業問題が前景化してくるのは90年代半ばに入ってからである。この約20年のタイムラグによって、日本の「底」を低く見積もる、あるいは「底」が抜ける恐怖の欠如というメンタリティが植えつけられてしまったのだろう。

日本の政治やその周辺において極めて奇妙なのは、雇用問題がないがしろにされていることである。ある世代にとっては失業の恐怖や、たまたま学校を卒業して就職する年が不況であったばかりに一生が左右されるという状況を実体験したこともなく、それについて想像力を働かすこともできないのだろう。

問題そのものを正しく捉えられなければ、当然ながら正しい解答は導き出せない。そこで登場するのが精神論である。増税論議がまさにそうだ。
「遅かれ早かれ消費税は上げねばならないのだから、それなら早く上げたほうがいい」という考えが転じて「俺は増税という厳しい状況を受け入れる覚悟と能力がある。なんでも先送りの時代に適応できない連中は俺たちの足を引っ張る邪魔者だ」という似非ダーウィン主義的自己啓発的決断主義に陥る。
政治家や大手メディアの間になぜあれほど増税論が跋扈するのかを考えると、財務省はこのような「選民思想」をくすぐるのがうまいのであろう。

円高においても同じことがいえるだろう。円高の最大の問題は雇用が大きく失われることだが、円高万歳論者がこれについて論理的に反論しているのに出くわしたことがない。持ち出すのはもちろん精神論だ。
「円高は時代の必然であり、望むと望まざるとに関わらず適応しなくてはならない」ってな具合に。

震災対応にしてもそうだ。
野田は負担を先送りしない、現役世代で賄うという考えのようだが、(とりあえず原発問題は置いておくと)百年どころか千年に一度級の大地震と大津波の復興を、なぜたまたまこの時代に生まれた人々のみによって担われなくてはならないのだろうか。我々が「選ばれた人」だからとでも言うのだろうか。

仕事は選り好みしなければ簡単に見つかり、学生は高望みをしていて、ブラック企業にしがみつかなくてはならない心理は「自己責任」なのだろう。彼らの頭の中の世界ではそのようだ。

近年の政治について考えるといつも同じことを繰り返してしまうのだが、とにかく過去の過ちから学び(97年に消費税を上げて以降税収はどうなったのだろうか)、現実に対して常識的な対応をしてくれればそれでいいんですよ。これすらも高望みなのでしょうか、いやはや……

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佐藤太郎(仮)

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