『知識人とファシズム』

マイルズ・フレッチャー著 『知識人とファシズム』




丸山真男といえば日本の政治学において最も影響力のあった存在であり、今でもそうであるといってもいいかもしれない。一方で、現在では彼の提示した様々な学説は否定されているものも多い。
その中でもいくつか悪名高いものがあるが、その一つが知識人を「本来のインテリ」と「亜インテリ」とに分類したうえで「ファシズム」を担ったのは「亜インテリ」であり、(丸山を含む)「本来のインテリ」は消極的ながらも抵抗を示したという分析であろう。

本書では近衛文麿のブレーン・トラストであった昭和研究会に参加した蠟山政道、三木清、笠信太郎の動向を検証し、当時の知識人の中の「ファシズム」との親和性を描く(なお「ファシズム」という語は厳密に定義するのが難しいのだが、以下とりあえずここでは広い意味で緩く使う)。

蠟山も三木も笠も間違いなく学識豊かなインテリであり、さらに近衛からしてインテリといってもいいだろう。
訳者の竹内洋の長めの解説が巻末にあるが、そこで竹内は他ならぬ丸山自身も「近衛新体制に大きな期待を寄せた気配さえみえる」(p.280)としている。

彼らの目指したものを簡単にまとめるなら、ナショナリズムを梃子に強力な中央集権型システムを作り上げることだったといっていいだろう。
三人ともマルクス主義を分析の手段としては受け入れつつも、革命運動にはコミットしない。
彼らにとって答えを提供してくれているように見えたのはファシズムでありナチズムであった。

フレッチャーの視点で面白かったのは、丸山的には日本型ファシズムというものは極めて日本的心情に基づくものとなるのだが、これを知識人に関してはむしろ西洋の思想動向に反応したものであるとしていることろだ。
少なくとも昭和研究会に集ったような知識人たちは、ファナティカルな日本主義を理論的土台に据えたのではなく、西洋の「最新思想」を取り入れたうえでの思想展開なのであった。

では彼らはそのような思想を矛盾なく展開することができたのだろうか。もちろんそうではなかった。歴史がどのように展開したかを知っている現在からの視線ということを差し引いても、彼らの主張は行き当たりばったりの混交物にすぎないようにしか思えない。

例えば三木清である。彼はドイツでハイデガーに教えを受けたが、三木はハイデガーがナチに加わったことに批判的であったようだ。また中国人のナショナリズムというものに(少なくとも主観的には)本気でシンパシーを抱いていたようでもある。しかし同時に日本が満州を始め大陸で権益を広げていくことに批判的にはならず、日本が「東亜新秩序」において指導的役割を果たすことを自明視している。
どう見ても矛盾だらけにしか思えないが、そこにはまるで思いが至らないようである。

このようなことは三木に限ったことではなく、昭和研究会の性格そのものであるようだ。
笠は反資本主義的であり、昭和恐慌は資本主義崩壊が現実化するものと受け止めていたようである。昭和恐慌は高橋是清の登場によって収束するのだが、笠は高橋財政によってインフレが起こり、それが深刻な事態をもたらすという予測をしていた。
一方で昭和研究会には高橋亀吉も参加している。高橋亀吉は現在では日本のリフレ派の始祖の一人として見られ、当然ながら高橋是清財政に親和的であった。
笠は反資本主義的観点から経済統制を強めるべきだと考えたが、高橋はある程度の統制を考えてはいても基本的には親資本主義的であった。

このように昭和研究会自体が確固たる思想的基盤があってそこに人々が集まったというより、ある種の危機意識を共有した人々が、そこからくるある気分によって集まったというところだろう。
この「気分」の正体は二つある。
一つは経済情勢や国際情勢からくる危機意識であるが、もう一つは高揚感であろう。
そしてこの高揚感にも二つある。
一つはもちろんナショナリズムである。知的に洗練されていたはずの人々に様々な矛盾に目を閉ざさせたものは間違いなくこれであっただろう。

ではもう一つの高揚感とは何か。
本書は「昭和戦前期は暗い時代だったが、かれらにとっては輝かしい新しい社会という希望を与えてくれる時代だったのである」(p.274)と皮肉っぽく結ばれる。
官僚制が整備されて以降、知識人といえども在野であれば現実社会に与えられる影響は限られていた。エリートの自負が強い人ほどこれにはフラストレーションが溜まるだろう。そんな中、もし自分の考えが政治に反映され、それによって国の体制を根本から刷新できるのだとしたら。
知識人にとって期待の星でもあった近衛文麿のブレーンになるということはまさにそれを実現させてくれるように思えたことだろう。

インテリが嫌悪したと思われがちな国体明徴運動や2・26事件も彼らは肯定的に捉えた。中国への侵略に思想的基盤を提供しようと苦しい理論をひねり出そうともしてくれた。
昭和研究会に参加した人はもともと左翼的背景を持つ人が多く、そのことで「隠れアカ」だというような攻撃にもさらされた(まぁ実際にいたわけだけど)。そんな人々が大掛かりに、かつ堂々と政治の中枢にまで近づける状態が続いたのは、軍などからすればそれだけの利用価値があったということなのだろう。
近衛や昭和研究会にやや同情的に、軍部の独走に大して精一杯の抵抗を示そうとしたとの見方をする人もいるが、本書を読むとむしろ積極的に棹さしていったと受け止めざるを得ないだろう。


そしてなんとなくダブって見えてしまったのが突撃隊である。
昭和研究会に集った知識人たちは「ヨーロッパ・ファシズムにありがちな、闘争や暴力それ自体を賛美するということもなかった」(p.265)ということを考えれば水と油のように思えるかもしれない。

突撃隊は暴力実行組織であったと同時に、これを率いたレームは思想的には社会主義的であった。保守層や財界と妥協しなくてはならなくなったヒトラーにとって彼らは邪魔者と化し、「長いナイフの夜」という大粛清を迎える。
昭和研究会は1940年に大政翼賛会へと発展的解消されるのだが、この直前に「企画院内の「赤」に対して財界人が敵意を抱くようになったため、政府は経済新体制を声高に唱えてきた推進派と袂を分かつことを余儀なく」(p.259)され、1941年には笠のいた経済部会の主要メンバーは逮捕される(笠は朝日新聞の緒方竹虎のおかげで特派員としてドイツに逃れていた)。
結局両者は利用されるだけされ、必要なくなれば捨てられたという点では似たような存在なのかもしれない。


丸山真男が奇妙といってもいいほどに昭和研究会に集ったインテリを無視して行った日本型ファシズムの分析は、政治学の問題というより精神分析的な考察の対象なのかもしれない。
丸山は60年安保では現実政治にコミットすることを選んだが、後には距離を置き、その結果全共闘世代からやり玉にあげられた。非力で世慣れないインテリの挫折という役割を丸山自身も担ってしまううこととなる。その予感が彼にいささか奇怪ともいえる歴史分析をさせたのかもしれない。

一応つけ加えておくと、個人的には丸山は過去の人と切り捨てるべきではなく、まだまだ読む価値のある人だと思うし、せめて丸山くらい読んでからにしろよという思いにかられることが多いのですがね。


ちなみに原著は1982年刊行です。
まさか10数年後に日本が再びデフレに陥り、高橋亀吉が脚光を浴びるなんてことは著者は当時は想像もしてなかったのでしょうがね。
笠信太郎的反インフレ、親デフレ思想が地下水脈として日銀、大蔵省/財務省に生きつづけ……なんてことを言う人もいるし。
ここらへんの「インテリ」のコンプレックスとそれを利用しようとする人々というのは必ずしも遠い過去のお話とはいかないようでありまして。




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佐藤太郎(仮)

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