「意地の悪さ」について

僕の中に赤い血が流れているせいか、子どものころは60年代の学生運動というものに(なにせ子どものころなのでこういう雑なくくり方)に漠然と好感と憧れを抱いていた。現在、とりわけ全共闘世代に関してどういう感情を持っているかは前に書いた小熊英二の『1968』の感想を参照してほしい。

全共闘世代へのかすかな共感が完全に消えたのは丸山眞男の『自己内対話』に書かれている有名なエピソードを知ったときだった。
丸山は当時、権威の象徴として吊るし上げの対象となっていた。確かに東大法学部教授にして日本の政治学の泰斗とあれば学生としてはそのような感情にかられるのかもしれない。しかし丸山に対する学生の攻撃はかなり異様なものであった。

「そろそろなぐっちゃおうか」「ヘン、ベートーヴェンなんかききながら学問をしやがって!」
これは『自己内対話』に丸山が書き記した吊るし上げの光景である。もちろんこれは丸山側からの見方であるので、学生側からすれば言い分もあるだろう。しかし、僕はこの光景に決定的なものが映っているように思えた。
それが「意地の悪さ」である。この丸山への吊るし上げは、思想上の問題でも権威への反抗でもなく、単なるルサンチマンに基づく「祭り」であったのではないか。

庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を初めて読んだとき、僕の感想は「薫クンいい子だな~。由美ちゃんかわええのう」というようなものだった(ほんとはもうちょっと真面目に読んだけれど、それでもこれと大差ない感想だった)。
高田里惠子の『グロテスクな教養』によれば、この作品はエリートによるパターナリズムの肯定という思想が見え隠れしている。

東大入試が中止になった年の日比谷高校三年の薫クンは、足の爪をはがしてうまく動けない状態からなんやかんやあってある少女と出会い、彼女の存在によって「男」になる決意をする。
傷ついたエリートがいたいけな少女を守るために「男」となる(つまり社会を担う側に回る決断をする)のである。責任ある「大人」へと、あるいはノブレス・オブリージュへと目覚めていく「教養小説」ともとれるし、言葉を変えれば度し難いほどの時代錯誤の反動ととることも可能かもしれない。

ご存知の通り『赤頭巾ちゃん』はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の、もう少し正確にいうなら野崎孝訳の『ライ麦畑』から強い影響を受けている。
『ライ麦畑』は実は結構やっかいといえばやっかいな作品で、その一つに「語り手」の問題がある。

素直に読めば、おそらくは精神病院かそれに類する施設にいるホールデン・コールフィールド君が自分自身を語った物語となるのだが、これで決定とはいかない。
ホールデンにはハリウッドにいるDBという兄がいる。この物語はホールデンが聞かせたものをDBが書き記している可能性があるし、あるいは精神の危機に瀕している弟の心の中にDBが入り込んで紡いでいる、つまりDBの創作であるという解釈も不可能ではない。
『赤頭巾ちゃん』もこれをふまえて、薫クンは最後に自分が「実は兄の書いた小説の主人公なんかじゃないかって気もするほどなんだ」とまでしている。

先にあげた高田の『赤頭巾ちゃん』評は的を射てると思うし、僕も同意する。
この解釈を知ったあとに「薫クン四部作」を読み返してみたのだが、それでも僕は薫クンを嫌いになることができなかった。

『ライ麦』は思春期特有の潔癖症ゆえの社会の「インチキ」への嫌悪をリアルに描いたともとれるが、金持ち坊ちゃんのわがまま放題の物語でもある。
薫クンの家はお手伝いさんなんかが普通にいちゃったりする金持ちだし、お兄さんたちは東大出身で、本人も周りから東大に行くのが当たり前と見られている。
こう考えるとブルジョワどもの下らないたわごとのようにも思えるし、事実その要素はかなりある。しかしそれだけではあれほど広く心を捉えることはできなかったであろう。

もちろんここにパターナリズムの臭いは大いに漂っている。だが、ここでポイントとなるのは作者を疑われる人物が「父」ではなく「兄」だということだ。これがパターナリズム(父親的温情主義!)の臭いを薄めている。またこの微妙な距離感によってある程度の客観化をはたしつつも、同時にわざとらしくない形でのシンパシーの表明に成功している。
少々まわりくどい言い方になってしまったが、DBにしろ薫クンの「下の兄貴」にしろ、(現実の存在としてであれ象徴的存在としてであれ)「弟」へのシンパシーに溢れていることは否定できないであろう。もしかすると、このシンパシーは少々的外れなものなのかもしれない。彼らは「弟」を買いかぶっているだけなのかもしれない。でも一つ言えるのは、ここには「意地の悪さ」というものがないのである。このために高慢に見下ろす鼻持ちならなさというものを逃れられているように思える。僕が「薫クン四部作」に対して否定的な感情を抱かないのはこれが大きいのだろう。

鮮烈なデビューを飾りながら長らく沈黙していた福田章二が庄司薫として舞い戻ってきた理由はなんであろうか。
一つには東大入試の中止という出来事が作家としてのインスピレーションを刺激したということがあるのかもしれない。
しかしより現実的な理由もあった。それが「丸山眞男を救いたい」ということだったのではないか。
庄司薫は東大で丸山の教え子であり、単なる教師と生徒を越えての精神的な師弟関係にあったようでもある。
『赤頭巾ちゃん』には丸山をモデルにしたおしゃべり好きの教授が登場する。「下の兄貴」と一緒にいる時にその教授とばったり会い、薫クンはすっかりマイってしまう。

たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、その夜ぼくたちを(というよりもちろん兄貴を)相手に、「ほんとうにこうやってダベっているのは楽しいですね。」なんて言っていつまでも楽しそうに話続けられるその素晴らしい先生を見ながら、ぼくは(すごく生意気みたいだが)ぼくのその考え方が正しいのだということを、なんというかそれこそ目の前が明るくなるような思いで感じとったのだった。(文庫版pp.37-38)

今読めば「素敵な先生だったのですね」というだけかもしれないが、庄司がこれを書いていた頃、丸山は「なぐっちゃおうか」などと学生から吊るし上げをくらっていたのである。
庄司にとって大きなテーマに、人間は生きていく中で「他者との比較・競争」をせずにはいられず、そこには「優勝劣敗」が生じ、必ず誰かが誰かを傷つけ、人間として大切ななにかを「喪失」していってしまうというものがある。ここから一度「総退却」するのだが、この部分を保留し、「封印」を破って舞戻ってくる。
一見理想主義的な言葉を弄ぶ全共闘が、極めて「意地の悪い」ことを自分の尊敬する恩師にしていることへの戸惑いや危惧がそうさせたのかもしれない。

丸山はそのエリート主義的発想や西欧中心主義が当時から批判されてきた。そのような批判を承知したうえで、あえてそのように振舞ってでも日本に近代を導入しなければならないという使命感のようなものがあったのかもしれない。
そしてその弟子たる福田章二は庄司薫となって、破棄されようとしているエリートの役割をもう一度浮かびあがらせようとしたのかもしれない。福田/庄司にとって、ここでのエリートの役割とは「みんなを幸福にするためにはどうすればいいか」という問題に精一杯取り組むことなのである。

「丸山眞男 を救いたい」というのはもちろん赤木智弘の「「丸山眞男」をひっぱたきたい」のもじりである。
赤木のこの文章を初めて読んだ時、僕はひどく嫌な気持ちになったことを覚えている。
当時赤木に対しては、主に左側から様々な批判が寄せられた。
「希望は戦争」などという言葉をレトリックにしても軽々しく使うことについて。また目の前の「弱者」を無視する左翼は既得権益の保護者という図式に「敵を間違えるな。それこそが権力者の思うツボ」というようなもの。あるいは「戦争によって社会は流動化する」ということが事実に反するという反論などがあった(陸軍の実態や赤木への反論については、やはり高田里惠子の『学歴・階級・軍隊』が面白い)。

これらの批判はピント外れのものもあればしごくまっとうなものもあった。しかし僕が嫌な気分になったのはそこではない。
赤木は丸山の軍隊体験に触れ、戦争という流動化が起これば中学にも進んでいないような一等兵が丸山のようなエリートを「イジめる」ことができることを象徴的に取り上げている。

丸山は60年代後半の運動家から毛嫌いされると同時に、丸山も彼らを嫌悪した。
「悪名高き」発言として、研究室を荒らされたことに対して「ナチスでもこんな蛮行はしなかった」というものがある。確かに学生たちの行動は最早単なる愉快犯の域に達しており、丸山としてはとても容認できるものではなかったのだろうが、それだけが嫌悪の理由ではない。

しばし指摘されるように、丸山の目にはある光景が蘇っていた。丸山は東大の助手時代に、講義に招いた津田左右吉が右翼から吊るし上げをくらった現場に居合わせた。丸山の目には60年代後半の学生の雰囲気が戦中のそれとダブって見えていたのであった。丸山は資料を守るために研究室に泊り込みを続けたことなどもあって体調を崩し、間もなく退官すると以後大学に戻ることはなかった。もちろん単に体調の問題だけでなく、あのような状態に陥る可能性を持つ学生と付き合っていくことに嫌気が差したということも大きかったのだろう。

赤木も触れているように、エリートであった丸山があのような体験を強いられたのは「思想犯」としての過去のための懲罰的なものであった。
苅部直の本を参照しているということは、赤木はこのような丸山の戦中体験を知っていたということであろう。それでもなお、あのような形で丸山の体験をレトリックに利用してしまうこと、これは僕にとっては極めて「意地が悪い」と映った。赤木のいわんとすることは理解できるし、それどころかある部分においては自分と近いとすら思えた。だからこそ、より一層あのようなルサンチマンを煽ることを目的とするような言説には耐えることができなかった。
このような「意地の悪さ」というのは、赤木の仮想敵ともいえる団塊の世代が丸山にしでかしたのと同じではないのか。この「嫌な気分」は、もしかすると庄司薫が60年代末に感じていたものと近いのかもしれないと思えてしまった。


……で、なぜ今になってこんなのを書いているのかというと、昔書こうとしたまま途中でほっぽいておいたのを、前回丸山眞男に触れたことで思い出して引っ張り出してみたからでなのでした。特に何があったということではないのですが、無理矢理に仕上げたので一応あげておこうということでありました。

ところで今、庄司薫と薫クンはどこでなにやってるんでしょう。





プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR