『アメリカ音楽史』

大和田俊之著 『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』




19世紀から現在までアメリカのポピュラー音楽史を「擬装」というテーマで読み解く。

アメリカのポピュラー音楽を駆動してきたのは「他人になりすます」欲望であることを論証する。自分を偽り、相手に成り代わり、別人としてふるまい、仮面をかぶる。こうした<擬装>願望が想像力の中心に備わっており、その欲望を原動力としてアメリカのポピュラー音楽は発展してきたのだ。(p.2)

ポピュラー音楽史に興味がある人はもちろんだが文化史のみならず「アメリカ」に興味のある人にとっても興味深く読めるのではないだろうか。

人種問題というのは過去も現在も、そして残念ながら、おそらくは将来に渡ってもアメリカ社会にとっては宿痾であり続けるだろう。人種問題がアメリカを崩壊に向かわせるという予想もないわけではないのだろうが、むしろ考えるべきはあれだけ様々な問題を抱えながらも現実の国家として、そして象徴としての「アメリカ」がなぜ生き延びてきたのかということなのかもしれない。


第1章で取り上げられるのはミンストレル・ショウである。白人が黒塗りしてステレオタイプ化された黒人を演じるこの出し物は、すぐに想像がつくように極めて差別的なものである。しかしここからもたらされたものは多層的でもある。
まずアイルランド人やユダヤ人といった被差別的立場にあった「白人」が黒人を演じることによって白人としてのアイデンティティを強化し、「自らを白く洗い清める」ことになる。後の章で触れられるティンパン・アレーの作曲家も多くがユダヤ人であり、差別されてきた彼らがさらに過酷な差別にあっている黒人(音楽)を「演じる」といういささか複雑な構造をとる。
また黒人自身が「演じられた黒人」を演じるようになるという倒錯めいたことまで行われるようになる。
そして「アメリカ音楽の父」とも呼ばれる白人のスティーブン・フォスターが多くの楽曲を提供していたが、不遇な生涯を送った彼は次第に黒人奴隷の心情に迫る曲を書くようになり、後には黒人の作曲家が取り上げるようにもなる。
章題は「黒と白の弁証法」であるが、これこそがアメリカ文化が今日に至るまで大きな影響力を発揮してきたダイナミズムの源であろう。

当然ながら人種問題はセンシティブなテーマであり、混淆ではなく分断を招くこともある。
左翼的イメージの強いフォークソングと右翼的イメージの強いカントリーを分けるものは何であろうか。
アメリカの田舎には失われたイギリスの民謡がより原型に近い形で残っているかもしれないということで愛好家が蒐集を始めた。次第にこれらはアメリカ独自のものという認識が広がっていく。これがアメリカのフォークソングとなっていく。もともとは反近代、反資本主義がスタート地点だったのである。
1920年代にブルースによって新たに黒人市場が開拓されると、今度は白人市場の開拓も試みられる。
カントリー・ミュージック最初のスターとされるジミー・ロジャースは実際には黒人音楽やミンストレル・ショウなどから大きな影響を受けていたのだったが、その認識が受け継がれることはなかった。
そして「「クレイジー・ブルース」のヒットをきっかけに発足したレイス・ミュージックは、結果的に<人種>による音楽ジャンルの分断を促進した。レコード会社のマーケット戦略によって音楽が制度的に分類されることで、南部音楽が歴史的に有していた人種混淆性が隠蔽される」(p.56)という結果となる。
「民衆」が市場に回収され、それが分断を招いたのである。

ここからがさらに複雑な展開となる。
左翼的な人々が民衆の文化に寄り添うという目的でフォークソングやブルースなどの蒐集を積極的に行う。ルーズヴェルト政権の誕生により、ニューディール政策の一環としてそれが支援されるようになる。
すると今度は右翼的な人々がそれに反発し始める(人種差別主義者であったヘンリー・フォードの例などがあげられている)。
結局赤狩り時代を経て保守的な人々の好む音楽はカントリーという名に統合されていく。これは音楽性を表すものというより政治性を表すものであったのである(カントリーの歴史はまさに「創られた伝統」といえるだろう)。


アメリカのポピュラー音楽の複雑さの最たるものはやはりジャズであろう。
現代においても僕のようなジャズをまるで知らない人間からすると「いったいどこまでがジャズでどこからがそうじゃないの?」という感じなのだが、専門家もこれにはっきりとした答えは用意できないだろう。心楽しい踊りだしたくなるようなビックバンドとしかめっ面で聴く前衛的なフリージャズを同じ「ジャズ」として括っていいのだろうか。

ジャズはその出自からして謎めいている。おおまかな源流はたどれてもはっきりとした起源を示すことは難しいようだ。
ジャズ揺籃の地がニューオーリンズであることは確実であるが、実はこの地はアメリカ的でない側面を持った場所でもあった。
例えば人種問題においては、もちろん差別や抑圧はあったが比較的混淆的であった。またクレオールの人々も多く、これは中南米などでは多く見られても北米では珍しかったのかもしれない。フランスやスペインなどのカトリック文化が強く、禁欲的ピューリタニズムと違って日曜などは祝祭的雰囲気が街に溢れていたようである。
このように出自からすると非アメリカ的とも思えるジャズが、いかにもアメリカという捉えられ方をする。この矛盾がマイナスにはならない。やはりジャズは全てを巻き込んでいくアメリカのダイナミズムの象徴といっていいのかもしれない。


ミンストレル・ショウからブルース、カントリー、ティンパン・アレー、ジャズ、ロック、ソウル、そしてパンクからヒップホップ、最後にラテンまでを本書は辿るのだが、アメリカ(音楽)は変わったのだろうか。
ギャングスタ・ラップに白人のティーンが「危険な黒人」を見てあこがれを抱く。これは黒人男性の性的能力を誇張してネタにしたミンストレル・ショウの裏返しのようにも思えてしまう。もちろんこれをただの偏見だ、差別だと片付けることはできず、「弁証法」として機能しているという側面もある。

ブルースやロックにおいては「クロい」というのは褒め言葉である(「ストーンズはクロいけどビートルズはそうじゃないよね」)。ジャック・ケルアックが「黒人になりたい」と言ったのは有名な話である。もちろんここには白人(あるいは「名誉白人」)の虫のよさも読み取らねばならない。

白人になりたがる黒人はどう受け止められるだろうか。マイケル・ジャクソンを考えてみればいいだろう。白人が「クロく」なることは許されても黒人が「シロく」なることは許されないのである。この圧倒的に非対称な人種関係を忘れてはならない。
肌の色がどれほど白くても一滴でも黒人の血が入っていたら、アメリカでは「白人」ではなくなる。フォアメリカ文学でもしばし取り上げられたテーマであるし、現在でも黒人の父と白人の母の間に生まれたバラク・オバマをためらいもなく「黒人」としてしまうことはかなりグロテスクなことであるのかもしれない(オバマがまだ売り出し中だったころ、一部の黒人から奴隷の子孫ではないオバマは「十分にクロくない」という意見もあったようにも記憶しているが)。
50年代に黒人のジャズミュージシャンたちが暖かく受け入れられたのはアメリカではなくフランスはパリであった。
このような暴力性をふまえたうえで、それでもやはり全てを飲み込みながら魅惑を放つことができてしまうというのが「アメリカ」の、そしてアメリカ音楽の強みといえるのだろう。


白人が黒人になりすまし、アフリカ系がアジア系のペルソナを用い、ユダヤ人は黒人のふりをしながら白人の地位を獲得する。それだけでなく男性は女性に異装し、中産階級の人間が労働者を装い、あげくのはてに宇宙人が地球上に現れる。アメリカのポピュラー音楽はこうした滑稽ともいえる<擬装>志向を中心に駆動してきたのであり、それはときに人種差別などの政治的正しさの基準にあきらかに抵触しながらも、アメリカ合衆国の華やかで下世話で活気のある音楽文化を育んできた。
<擬装する>アメリカ音楽――他者になりすます欲望のサウンドは今後もその音色を世界に響きわたらせるだろう
。(p.262)


ジョン・リーランドの『ヒップ』(感想はここ)あたりも合わせて読んでもらいたい。





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佐藤太郎(仮)

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