『ピンチョンの動物園』

波戸岡景太著 『ピンチョンの動物園』




タイトルからすると奇をてらったもののように思われるかもしれないが、木原善彦著『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』(感想はこちら)が入手困難な現状では、簡単に入手できる日本語で書かれた唯一の包括的ピンチョン論の単行本だが、それにふさわしい本格的論考である。

あとがきに「ピンチョンを語ることはむずかしい。それは、動物を語ることがむずかしいのと、きっと同じ理由による」(p.245)とあるように、「動物」を縦軸にピンチョンの長編作品を読み解いていく。

本書の一つの特徴としては『重力の虹』までと『ヴァインランド』との間に線を引き、「前半」と「後半」という形で考察がなされているところか。確かに長いインターバルをとって発表された『ヴァインランド』は『重力の虹』とは別の意味で衝撃を与えたかもしれない。ミチコ・カクタニの『逆光』への辛辣な書評から「しつこく見苦しいファンがピンチョン小説を模倣したような作品」という言葉が引用されているが、これはまさに『ヴァインランド』以降の「後半戦」のピンチョンに見られる特徴であろう。これを「わかりやすくなった」と取るか「作家として後退した」と取るかは様々だが、本書ではここに単なる技術論ではなく主題の変化も見て取る。

で、いろいろ書きたいことはあったのだけれど、「彼(ピンチョン)の小説世界のとらえどころのなさは、たとえば「あらすじ」を書くことがむずかしい、という素朴なむずかしさとなって表面化」(p.246)してしまうもので、そのピンチョンの作品を論じた本書を要約するのもまたむずかしくなってしまい、ちょっと試みたのですがどうにもうまく書けず、とにかく興味ある方は読んでみてくださいという感想にもなっていない感想になってしまうのですが。


とりあえず好きだったところをあげるとやっぱり『V.』についての章かな。
ピンチョンがビートニクからかなり影響を受けていることは前にも書いたけど、同時にアンビヴァレントな感情も抱いているのですよね。ピンチョンがメディアに背を向けて世捨て人のようにキャリアを重ねていくことにビート詩人の姿を重ねつつ、「ケルアックたちが自由を謳歌したはずのアメリカン・ロードは、五〇年代半ばに入ってすでに体制の管理下に敷かれてしまっていた。このとき、若きピンチョンの目には、車の所有はおろか、サルの愛したグレイハウンドの運賃すら払えずに街路で凍えているホームレスたちの姿が映っている」(p.46)。

ポストモダン小説といえば二項対立を脱構築するものだとまとめることもできるだろう。
本書に関連していることでは動物園においての見る/見られるという関係。隣人/他人。あるいはマスターとは、主人/師匠のどちらなのか。どちらでもなく、またどちらでもある。
一方でピンチョンとは本当にポストモダンという括りでいいのだろうか、とも思える。ポストモダンが遠心力をきかせた拡散へと向かうのに対して、ピンチョンの作品には確固たる求心力も働いているようにも思える。先に引用した箇所のように、ある意味ではベタな「左翼性」というのもその一つであろう。もちろんこれだけに還元してしまうというのは余りに不毛だということは百も承知だが。


まぁとにかく、そのようなピンチョンの目もくらむようなきらびやかな作品世界の一端を体験できる一冊になっていると思います。

トマス・ピンチョンを語ることはむずかしい。けれども、語らずにはいられない――。(p.247)

波戸岡さんと僕では考察のレベルがまるで違うけれど、うむ、ほんとにそうであります。

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佐藤太郎(仮)

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