その男、「ホンモノ」につき

バートン・ケルマン著 『策謀家チェイニー』




本書に描かれるチェイニーの政治信条はアメリカの保守政治家のある種の典型ともいうべきもので、それ自体が際立っているのではないだろう。社会的公平よりも「自由」を重視する。しかしその「自由」の概念はひどく歪んでいる。反連邦、反税金であると同時に私的領域への公権力の介入への抵抗感はまるでない。
ブッシュ(子)政権発足時にこだわった減税と軍事費の拡大はその典型例であろう。共和党内部からですら現実的ではないとされた大型減税を押し切っている。

ブッシュ政権へのネガティブなイメージの少なからぬ面がチェイニーによるものかもしれない。
本書は大統領候補のブッシュのために副大統領候補の選定にチェイニーがあたる場面から始まる。結果はご存知の通り、選定にあたるはずだった人物がその座についてしまったのである。このエピソードは権謀術数を駆使するというチェイニーのイメージにあまりに忠実だ。

頭が切れて肝が据わっている。表舞台に立つより裏にまわる方を好み、徹底した情報収集を行うと同時に自らは秘密主義。敵を追い落とすためには手段を選ばない。たとえそれが共和党員であったとしても。

ブッシュとチェイニーは一心同体であったのではない。例えばブッシュは(その内容の是非はともかく)教育問題に熱心であったが、チャイニーはそもそも連邦政府が教育行政を行うことに懐疑的であった。ブッシュは貧しい労働者に(あくまで彼なりにだが)シンパシーを抱いていたが、チェイエイニーはそれをナンセンスだと考えていた。ブッシュはアファーマティブ・アクションに肯定的だったが、チェイニーは否定的であった。
それでもブッシュはチェイニーに引きずられていった。

その当選の経緯(フロリダでの悶着、一般投票数はゴアより50万票も少なかった)、さらに上院は共和、民主が拮抗していたことを考え合わせれば、ブッシュ政権は中道よりになると多くの人が予想したが、チェイニーはむしろ党派心をむき出しにした政策に奔走する道を選ぶ(オバマ政権が超党派にこだわって左右両者から非難を浴びて失速したことを考えると、これは政局的には「賢明」であったのかもしれない)。


イラク戦争へと邁進していくブッシュ政権を見ていて、僕は心から恐怖を感じた。それはブッシュが「ホンモノ」に思えたからだ。
「ホンモノ」、よくいえば理想主義者であるが、その実態は狂信である。
イラク戦争の動機として石油のため、あるいは父親を越えるためといった説がある。しかし本当にそうであったのだろうか。ブッシュは本気でイラクがアメリカの脅威だと考え、イラクに民主主義をもたらすことをミッション(この言葉には宗教的含意がある)だと思っていたのかもしれない。
日常生活においても、私利私欲にまみれた人間よりも「ホンモノ」の人間の方がたちが悪い。それが欲得ずくの行動であれば、どこかで打算的な妥協を行う可能性がある。しかし「ホンモノ」はそうはいかない。自らの正しさを信じきっているだけに手の施しようがないのである。

一般的には「天然」のブッシュを冷徹なリアリストであるチェイニーが掌の上で操っていたというイメージが強いだろう。
「ホンモノ」のブッシュを、私欲にまみれたチェイニーが利用する、その印象は本書を読めば少々揺らぐかもしれない。

本書にはチェイニーをアメリカの「ダークサイド」(ちなみにこの言葉を最初に持ち出したのはチャイニー自身であった。「我々はある意味で、いわば「ダークサイド」でも行動しなくてはならない」)の象徴として考える人には戸惑いを覚える記述がある。それはチェイニーが私利私欲を追求したわけではないという部分だ。チェイニーといえばハリバートン社の元CEOであり、石油業界とはズブズブの関係にあるとされている。しかし彼はまた、副大統領に就任するにあたってストックオプション等自らの利益につながる権利を放棄している。それも政治的パフォーマンスとしてではなく、彼らしく秘密裏に。

もちろんこれに反論するのは簡単である。直接的に報酬を受けなくとも、政治献金などを通じてカネはいくらでもまわってくる。また再選戦略の一環として環境保護政策を歪めるくだりなどはまさにチェイニーの私欲の表れとも取れるであろう。
しかし、僕にはこうも思えてきた。チェイニーという男もまた、ブッシュと同様に「ホンモノ」なのではないか、と。

チェイニーはブッシュ(父)政権での湾岸戦争時の国防大臣であったが、当時のバグダットまで攻め込まないという選択を支持している。チェイニーの「リアリスト」としての一面を象徴する話であろう。しかしチェイニーは後にこの決定を後悔するようになっていく。
チェイニーにはいくつか政治的変化がある。もともとはレーガノミクスには懐疑的であったが、90年代に入ると考えを変え、サプライサイド重視の政策の熱心な信奉者になっている。これは経済政策に限った話ではなかった。

チェイニーをネオコンと同一視する人もいるが、必ずしもそうとはいえない。
「世界同時革命」を夢見たトロツキストの成れの果てであるネオコンとは違って、「チェイニーは革命による民主主義の確立にはあまり熱心でなかった」(pp.312-313)。もちろんネオコンと利害が一致する部分もあり、彼らを政治的に利用しようとはしていた。しかしそのチェイニーの心境にも少しずつ変化は訪れていたようだ。

訳者あとがきによると、チェイニーは彼に好意的とはいえない本書を気に入り、周囲に読むように勧めているのだという。本書が「ちゃんと調べてある」からであり、これは「歴史の評価は気にする」(p.525)チェイニーらしい振るまいなのかもしれない。
しかしそう考えると、チェイニーの911以降の振るまいはいかにも奇妙なように思える。

911以降、チェイニーとその側近は暴走を開始し、ブッシュ政権はほとんど崩壊状態にまでいたる(しかしあの状態で再選されてしまうというのもすごい話だけれど)。
「ダークサイド」の象徴的行為として拷問の容認や違法性を強く疑われる盗聴などが行われた。
グアンタナモで行われたのは「ソ連式尋問」の名残であり、その「方法はソ連情報機関の尋問を耐え抜くために米軍パイロットたちがかつて受けていた訓練をもとに編み出されたという噂もあった」(p.248)のだという。
これなど、アメリカの自己否定ともとれるような凄まじい行いに思えるのだが、「歴史の評価を気にする」チェイニーがなぜそのような行動にまで及んだのだろうか。後世の目を気にするのであらば、むしろ自制心がきいてしかるべきなのではないか。

こういうことなのかもしれない。チェイニーは本気でこれはアメリカを守るためだと信じていたのだ。普通に考えれば911以降のブッシュ政権の振るまいはアメリカを深く傷つけるものであると受け取られよう。しかしチェイニーにとっては、いつかはわかってくれるはずだ、我々がどれほどアメリカのためを思っていたかを、ということだったのではないか。

このような発想になると最早倒錯的としか思えない行動に出る。
日本でもようやく『フェア・ゲーム』が公開されるが、チェイニー自身がどこまで積極的に関わっていたかはともかく、内実を知りながら容認していたことは間違いないCIAの身元をリークしたこの一件など一線を越えたどころの話ではないはずだ。
ちなみにこの身元をバラした人間は少なくとも四人おり、その中の一人はあのごっつい体型で日本でもおなじみのアーミテイジである(これを考えるとアーミテイジに未だにありがたがってご意見頂戴している日本の連中はなんなのかと思えるが)。

この件によりチェイニーは腹心のスクーター・リビーを失う。その影響もあってか、二期目のチェイニーは威光もすっかり衰え、友人への誤射など醜態とすらいえる姿をさらしていくことになる。

最初でも書いたように、政治家チェイニーは理解しがたい闇というよりも、むしろあからさまなほど直接的な振るまいを行った副大統領であった。一方で彼の内面で何が起こっていたのかというのはなかなか判断が難しくもある。

アメリカを知るという点でもいろいろ考えさせられる本であるが、それ以上に「ホンモノ」の恐ろしさというものを実感させられるような一冊でもあった。

プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR