『ミア・ファロー自伝』

『ミア・ファロー自伝 去りゆく者たち』




映画監督の父と女優の母のもとに生まれ、九歳で小児麻痺を患うが回復して……というくだりは正直言ってそう面白いものではない。興味深くなるのはフランク・シナトラとの出会いのあたりからだ。

シナトラとの最初の出会いは十一歳の時で、この時は父親がシナトラに「手を出すなよ」(p.107)と言ったのだとか。シナトラに光源氏的欲望があったのかは知りませんが、八年後に再会すると二人は親子ほどの年齢差を乗り越えて結ばれることになる。

あとダリと親しかったというのは初めて知ったのだけれど、性的関係はなかったようだけどこういうのを考えるとやっぱりファザコンだったのかねえなんて思ってしまうのだが。

女優としてのミアの出世作は『ローズマリーの赤ちゃん』であるが、この作品を巡ってシナトラとの間には亀裂が入ってしまう。
撮影中のポランスキーのエピソードなどはなかなか興味深い。
それにしても「シャロン(・テート)は妖精のように可憐で、容貌だけでなく心も美しい」(p.153)なんてのを読むと心が痛む。

シナトラとの関係に悩んでいた時に、妹のプルーデンスがマハリシ・ヨギの講演に誘い、二人はインドのマハリシのもとに修行に行くことになる。
ここでビートルズの面々とも合流することになる。「ホワイト・アルバム」収録の「ディア・プルーデンス」は、なかなかなじめなかったプルーデンスのためにジョンが作った歌なのだけれど、プルーデンスの受け止め方は少々違ったようだ。



「私(プルーデンス)にしてみれば、とにかく出来るだけ長く瞑想していたかったの――あの聖なる場所で、あの貴重な時間をいっときも無駄にしないように。ある晩、部屋で瞑想していたらジョージとジョンが入ってきた。ギターをかきならし、『オブラディ、オブラダ、なんとかなるさ』って歌いながら。ポールも加わって三人で来て歌っていったこともあったわ。私を元気づけようとしていたのね、優しい人たちだから。それは嬉しかったけれど、ほんとうは一人にしてほしかった」(p.170)

プルーデンスを励ますビートルズの面々というのは長らく感動的なエピソードだと思ってたのに、実際ははた迷惑な行為だったとは!

「バンガロー・ビル」の話も出てくるが(ほんとに虎狩りに行くと言って出ていったそうな)、自分のことが唄われていると知ったビルはどんな気分だったのだろう。それにしても実名で歌詞にしてしまうジョン!




「ホワイト・アルバム」収録の「セクシー・セディ」はマハリシへの幻想から覚めた後に作ったジョンの痛烈な皮肉。個人的にはこのころのジョンの曲の感じが一番好きかもしれない。




インド生活から一番早く脱落したリンゴ抜きのビートルズやマイク・ラヴなんかとの写真が収録されているが、シンシアとジェーン・アッシャーも写ってる(ちなみに「バンガロー・ビル」の女性の声はヨーコ)。
当時のことを書いた本とか読むとこのころのシンシアへのぞんざいな扱いがひどくて泣けてくる。
ポールはもしジェーンとそのまま結婚していたらどんな人生になっていたのだろう。ファンもみんなジェーンを応援していて、リンダと付き合い始めたのは大不評だったんだっけか。結婚生活に関してはポールもいろいろあるよなぁ。今度のはどうなるのやら。


閑話休題。
その後ミアは指揮者のアンドレ・プレヴィンと再婚。二人の間の子どもをもうけ、さらにヴェトナム反戦運動をきっかけにたくさんの養子を迎えるようになるが、結局二人は別れてしまう。

ここまでが半分。ここからが本番といってもいいでしょう。ついにウディ・アレンのお出ましである。

ウディ・アレンはまず冷酷な変人パラノイアとして描かれる(ウディのためにわざわざ新しくシャワー室をしつらえたのに排水溝が真ん中にあるというだけで二度と使用しない!)。
原著の出版は97年で、後に触れる裁判の余韻も冷めやらぬ中であり、ウディの行動について公正な評価とすることはできないだろう。本書にはシナトラやアンドレの写真は収録されているが、ウディ・アレンのは(当然ながら?)一枚も収められていない。

なんといってもすさまじい展開をみせるのは、ディランという養女を迎えるあたりからだ。これ以降のウディは変態小児性愛虐待魔として描かれる。
それまで子ども嫌いであったはずのウディだがディランのことは溺愛するようになる。それも「偏執的」なと言っていいほどに度を越して。
そして韓国から養女に迎えていたスンイは、ウデイのことを嫌っていたはずなのに態度が少しずつおかしくなってくる。

ミアはついにウディが撮ったスンイのヌード写真を発見することになる。
さらにディランに対して性的虐待に及んでいるという疑念は確信に変わる。

裁判というのはウディがミアに対して二人の間の実子と何人かの養子の保護監督権を要求するために起こしたものである。結果からいうとミアの勝利であるが、ウディの性的虐待疑惑については灰色という形で終わっている。
警察も十分に証拠はあるとしながらも被害者に配慮してということで起訴しないことに決める。ここらへんは性犯罪を裁くうえでつきまとう難しさであるのでなんとも難しい。

もちろん本書はミア側からの見方なのでウディ側からすればいろいろ反論もあるだろう。
そもそもミアはウディと出会った時、実子、養子合わせて七人の子どもを抱えており、ウディが本当に冷酷な子ども嫌いならミアをわざわざパートナーに選ぶだろうか。本当にここに書かれているような人間ならば、なぜそんなに長くパートナーでいられたのかという疑問も湧く。二人は法的には結婚しておらず、最後まで同居しない。結婚はウディが避けたがったが、同居に関してはウディのみが避けたのではない。
二人の間に当初から行き違いがあったことは確かであり、その積もりに積もった鬱憤がスンイの件で爆発したとも考えられる。

もっともディランへの性的虐待というのは根拠もなく言い立てている被害妄想とも考えにくく、仮にウディがここに書かれていることを本当にやっていたのだとしたら、これは擁護のしようもなくとんでもない人間ということになるのだが。

一方でスンイのことはまた別に考えるべき問題かもしれない。
八歳から「親子」であり、まだ十代であった少女と五十のおっさんが肉体関係を結ぶというのはやはり倫理的に問題があると考えるのが普通であろうし、ミアが受けたであろうショックは凄まじいものがあったことは想像に難くない。
しかしスンイとウディはその後正式に結婚し、今現在にいたるまで(おそらくは)幸福な結婚生活を営んでいるのである。好意的に考えるなら「究極の純愛」とする人もいるかもしれない。
あのスキャンダルでウディのキャリアが断たれていてもおかしくなかっただろうが、無傷とはいかなくとも何とか乗り越えてしまったのはスンイとの関係が一時のお遊びではなかったせいもあるだろう。

それにしてもこれをフィクションとして書いたなら「やりすぎ」「リアリティがない」という評価をされたかもしれない。真実がどこにあるのかはともかく、人生というものはかくも複雑怪奇なものなのであるということを思い知らされる一冊でありました。


あとどうでもいいけど裁判の最中にウディにインタビューする「タイム」の記者のウォルター・アイザックソンというのが出てくるんだけど(p.334)これって『アインシュタイン伝』や『ステーブ・ジョブズ』の著者のあのアイザックソンだよね。だからなにってことでもないけど。



プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR