『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』

ジェイムズ・ミラー著 『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』




「本書は輪郭においてはミシェル・フーコーの生涯を年代順に追うものだが、伝記ではない。また、彼の非常に多くのテクストに関する一解釈を提供するものであるが、その著作の包括的研究書でもない」(p.3)と序文にあるように、伝記的事実とフーコーの思想とを往還しながら進められる。

なかなか面白かったのだが、同時に伝記的事実を用いてフーコーの思想に近づこうというのは危うさも秘めているように感じられた。なにせフーコーといえば「作者」の特権的存在を疑った理論の一翼を担っただけになおさらである。

フーコーの伝記といえばやはりこれかなというディディエ・エリボンの『ミシェル・フーコー伝』と比較すると、最大の特徴はアメリカでのLSD体験やゲイ・カルチャー、とりわけSMに強く魅了されたことを重視していることろか。
ここらへんは確かに興味深くもあるのだが、「黒革のジャンパー、黒革のズボン、黒革のツバつき帽子、そしてプレーのための種々の「性具」」(p.274)を買い込むフーコーの姿をどこまで思想と絡めるのかは評価が分かれそうだが。
著者自身はそのような危うさや懸念というものも自覚しているように思え、そういう点で単なるスキャンダルの暴露やフーコーの思想を単純化しているというわけではない。

本書を読むとフーコーが貫いた「統治されまいとする決然たる意思」(p.345)は、結果としてはその思想を矛盾に満ちたものしているようにも思え、またある意味では「実存的」動機に基づいた知的展開だったようにも感じられてしまうというところも評価は分かれるかもしれない。

その反ヒューマニズムによりそれまでは左翼陣営からは危険視もされていたが、68年のパリでの五月革命に先立つ三月、チュニジアの大学で教鞭をとっていたフーコーは学生の反乱に強いシンパシーを憶え、一転してラディカルな闘士に変貌を遂げた。またフーコーの「汚点」と多くの人が考えるであろうイラン革命への熱狂なども、理屈よりも心情、もっといえばそこに「美」すら見出していたというふうに考えるといろいろと腑に落ちるのだが、そのように腑に落ちてしまっていいのかとも思えてしまう。

エイズが広がりを見せ始めていたころ、「死が怖い」という友人にフーコーは「死はおそれるものではけっしてない」とし、こう言ったという。「〈それに、若者への愛のために死ぬこと。これ以上に美しいものがありええるだろうか?〉」(p.370)。
バタイユへの言及がいくつかあるが、死そのもを耽美的に捉えてるかのようなところはバタイユ的とも感じられてしまう。

エイズを突きつけられる中でのフーコーの言動というのはそれのみでも一冊書けてしまうほど興味深いものであり、著者が元々フーコーに取り組むきっかけとなったのはこの頃に関するある噂であった。
フーコーをセクシャリティの観点から読み解こうという人には注目すべき点が多いのだろうが、同時にセクシャリティの問題とは最も私的な部分だけに、そこらへんを重視しすぎてフーコーの思想を「囲ってしまう」ことには個人的にはいささかためらいも憶えるのだが。

原著は93年、邦訳は98年刊行とやや時間がたっていることもあり、本書で特段目新しい事実を知ったというのは少なかっのだが、その中で一つ面白く気に入ったエピソードがあった。

1971年、フーコーはオランダのテレビでチョムスキーと対談する。政治的に最も先鋭化し、マオイストととすら共闘が成立していた時期であり、チョムスキーでさえ「理解できない」ラディカルな意見を披露する。
この対談の司会者は「自称アナーキスト」で、真面目な雰囲気をぶち壊してやろうと本番中もフーコーに赤いかつらをかぶるようにせっついていたという。
そしてフーコーは出演料の一部として「大麻の塊」を受け取り、これを「チョムスキーのハシッシュ」と呼んでいたのだとか(p.209)。さすがオランダ、思わず笑ってしまった。

この映像の舞台裏ではこんなことが行われていたとは!








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