『日本SF精神史』

長山靖生著 『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』




SFをイコール大衆的としてしまうことはできない。『惑星ソラリス』や『ストーカー』がSFなのでタルコフスキーは大衆的な映画監督だ、などと言う人はまずいないだろう。『ソラリス』の原作のスタニスワフ・レムは紛れもないSF作家であろうが、こちらも気軽に読み飛ばせるようなものばかりではない。

一方で大衆の意識にSFが寄り添うといことも十分にある。いや、なまじ「純文学」などよりはるかにそういった面が強いだろう(それゆえにかつてはSFは純文学系の人からは軽視されることも多かった)。
そう考えるとSFの歴史を辿ることによって、当時の人々の意識というものを探ることもできるのかもしれない。

本書はサブタイトル通り幕末・明治から戦後までの日本のSFの歴史、及びそれを生み出した精神史を扱っている。
「民権」をテーマとして扱ったものから「国権」への移り変わりなどまさに時代の流れを反映したものであろう。
また明治20年代には『浮城物語』などを擁護していた森鴎外が「大正期になるると冒険小説をを文学として評価するのを避ける態度を取った」(p.128)というのもなかなか興味深い。

海野十三の「遺言状放送」は「原子力の平和利用(不老不死をもたらす生命エネルギへの返還)の開発が失敗して、制御不能となって核爆発を招き、ひとつの惑星が滅亡する有様を描いている」(p.153)という。この作品が発表されたのは昭和二年のことである。ここらへんなどはSF的想像力の面目躍如というところだろう。

それにしても一番たまげたのはこの部分。
明治十八年に発表された末広重恭の『二十三年未来記』の序文についてである
「ここにサイエンチヒツクナーブエルとルビを付したうえで、「科学小説」という語が用いられている。おそらくこれは、日本で「科学小説」という語が今日的な意味で使われた最初の用例だった」(p.52)
この序文を書いた人物はなんと尾崎行雄! あの「憲政の神様」であります。尾崎は他にも未完に終わったとはいえSF小説も残しているという。明治十九年から二十年にかけて発表されたこの作品は「民権小説であると同時に、国権小説でもあったというべきか」(p.53)というのはまさに時代を映したものであろう。

「科学小説という名称は、その後昭和三十年代頃まで一般的にはSFの訳名称として使用される語だが、その命名者は尾崎行雄だったのである」(p.52)

これって有名な話なのかな? 僕は本書で初めて知ったもので結構驚いてしまった。
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