『おにいちゃん ――回想の澁澤龍彦』

矢川澄子著 『おにいちゃん ――回想の澁澤龍彦』




図書館でふと目に入ったので読んでみました。

時系列を整理すると、矢川と澁澤は1955年に出会い59年に結婚。68年に離婚している。澁澤は87年に死去。本書に収録された文章は87年から92年にかけて書かれたもので、二篇を除けば澁澤の死後に書かれているという。

本書に一枚の写真が収められている。65年に由比ヶ浜にて撮られたもので、二人は向き合って砂浜に座っている。澁澤は袖と丈の短い着流しのようなものを着てあぐらをかいている。矢川はワンピースにハイヒール姿で足を崩し、顔は帽子の広いツバによって見えない。花札(?)をしているのがなかなかシュールである。

もし僕が、この頃に二十歳前後で、澁澤家に出入りでもしていたらこの二人をどう見たのだろうか。夢のようなカップルだと仰ぎ見るように崇めていたかもしれない。二人の間の影に気づくこともなく。

冒頭に収められているのは「おにいちゃん」という表題にもなっているエッセイである。
女姉妹の中一人男の子だった澁澤は家族から「おにいちゃん」と呼ばれている。矢川もそれにならうことになる。結婚後も。
喉頭がんを患い、すでに声を失い余命いくばくもなくなった澁澤を元妻は見舞いに行く。互いにこれが最後だということを感じながら、矢川の言葉に澁澤は筆談で応じる。二人の間のわだかまりも解けたようだ。矢川は別れ際にこうささやく。「もう一度だけ、おにいちゃんとよばせてね」(p.13)。

感動的な話だろうか。正直に言うと僕はぞっとしてしまった。(元)夫婦関係として考えるとやはりどこか歪んでいる。ある種の不健康さを感じずにはいられない。

矢川は結局この「不健康さ」というものから脱することができなかったのだろう。
本書の文章を読むと、二十年前に別れた元夫について綴っているようには思えない。パセティックとでもいうのか、やはり「病んでいる」という印象は拭えない。

うろ覚えなので名前は出さないが、ある人が「澁澤が矢川にした仕打ちは許さない」というようなことを書いていた。これには別れた後を含む複数のことがあるようだが、その一端には本書でも触れられている。矢川は澁澤の子を数度中絶していたのである。しかしそれも、恨み節というよりもとまどいや「仮想の母」となる「自己犠牲」の経験としている。

澁澤龍雄が澁澤龍彦を演じていたということは多くの人が感じていたことだろう。それが最もよく表れたのが「サド裁判」をめぐって人を喰ったような態度をとり続けたことだろう。
矢川は本書の中で、澁澤を少年、自身を少女として描く。初体験のくだりなどはまさに「ボーイ・ミーツ・ガール」のように思えてしまうが、考えてみれば出会った頃二人はすでに二十代半ばだったのであり、いくらウブだったとはいえ、やはり少年と少女とするには無理があっただろう。
なにより澁澤にとって矢川から離れなければならなかった理由は、彼女が「澁澤龍彦」の形成過程において身近にいたということではないだろうか。「龍雄」を捨て去り、「龍彦」が完成した時、「おにいちゃん」と呼ぶ存在を近くに置いておくことは避けたかったのかもしれない。

まったく逆の理由で、矢川は澁澤への執着を捨てられなかったのかもしれない。彼女にとって澁澤は、いつまでも肺を病んだ色白の、健康と家族を支えるためのカネを求めていた「少年」であったのだろう。「私こそが澁澤を一番わかっているはずなのに」という怨嗟が響き続けている。

矢川との離婚後に澁澤と結婚した澁澤龍子の回想も読んだが、ここでは澁澤は安心して「澁澤龍彦」でいられたようである。矢川にとってその姿こそが耐えがたかったのかもしれない。

95年に書かれた「あとがき」で矢川はこう記している。「ともあれ、これで長きにわたる離婚後遺症からようやくぬけだすことができれば、なにより幸いである」(p.187)。

糟糠の妻が成功した夫から捨てられるというのはよくあることだし、元妻が夫の真の「所有者」であったことを主張するような回想もよく書かれている。しかし矢川の場合、当人も詩人や翻訳家として成功を収めたことを考えると、この執着というものの痛ましさは一層に増す。


矢川は2002年に自ら命を絶つことになる。一説によると澁澤の年譜から矢川のことが一切削除されたことにショックを受けたのが引き金になったという。もちろん澁澤との関係のみに帰することはあまりに単純化しすぎなのかもしれないが、それでも本書を読むと、これもむべなるかなという気もしてしまう。


といって必ずしも暗い話ばかりというのではなく、澁澤の若き日についてはもちろんだが、例えば松山俊太郎との出会いの場面などはなかなか楽しい。
矢川とのデートに見知らぬ男を連れて現れた澁澤。紀伊國屋で洋書の注文をカウンターで書き込んでいたら、隣の人物も同じ本を注文しようとしていたのが目に入り意気投合したのだという。三人でそのまま風月堂に行きサドについて語りあかすことになる。

確か浅田彰が澁澤について、当時は洋書を手に入れるのが難しかったからあの程度でも通用した、みたいな嫌味を言っていたけれど(間違っていたらごめんなさい)、ぽちっとなで海外の古書店からすらも簡単に買えるようになってしまった現在ではこういう出会いもなくなってしまったのですよね。

まぁ僕なら、仮に素敵な女の子が隣で同じ本を注文しようとしているのが目に入ったとしても、見なかったふりをして素通りするどころか、何故か逃げるように立ち去ったりしそうでありまして。こんな人間には矢川の情念というものが痛ましくもあり、よくわからなくもあるのですが。

今ごろこれを読んでいることからもわかるように、僕は澁澤や矢川の熱心な読者というわけではないのだが、矢川は小説という形でも澁澤との関係について書いているようなので、これも機会があったら読んでみようなかな、と。




また加藤郁乎が澁澤との結婚中に矢川と関係を結んだことを暴露したということだが、こちらも未読なもので、少々下世話な気持ちで読んでみますかな。
『おにいちゃん』にも加藤がちらっと出てくるが、明らかに嫌悪感が込められていた。そりゃそうか。






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