衣食足りて礼節を知る

大阪市長・府知事選挙についてはすでにいろいろな人がいろいろなことを語っているので今さらという感じですが。

まず橋下徹については石原慎太郎、小泉純一郎に連なる系譜の政治家ということでいいだろう。
どのような系譜かといえば、それは体制内に身を置きながらあたかも反体制であるかのような印象を与え、それを求心力とするという点である。
石原は自民党の有力議員から都知事へというエスタブリッシュメントのド真ん中を歩んだ政治人生であるし、「自民党をぶっ壊す」と言って自民党総裁選に打って出た小泉については言うまでもないだろう。。両者とも自民党内では傍流だったかもしれないが、共に大臣まで努めているのだからあくまでそれは比較の問題である。

橋下は今回は既成政党を向こうに廻した形となったが、そもそもは当時政権与党であった自公が担いだのであり、一時は民主にも擦り寄っていた。


石原慎太郎は何もここ十数年で突如湧いて出てきたのではない。逆に言うなら、ここ十数年の間に石原のような存在を許容する空気が広がったとも考えられる。
これまでにも存在してきた体制内にいる反体制(っぽい印象を与える)政治家にルサンチマンという餌がばらまかれたということであろう。

ルサンチマンの歯車ががっちり噛み合うと、極めて厄介なことになる。
海の向こうでは共和党の大統領候補レースが始まっているが、カオスというよりギャグとしか思えない展開となっている。「まとも」と思えるのはせいぜいロムニーくらいで、ここにきてのギングリッチが顔のぞかせるなど、最早ジョークとしても成立してないほどである。
共和党がなぜここまで滅茶苦茶になってしまったのかといえば、それはルサンチマンへの依存があまりに過度になってしまったためだろう。
共和党が「ルサンチマン依存」を政治戦略として意識して始めたのがレーガン以降であろう。レーガンを支えた勢力の一つが「モラル・マジョリティ(道徳的多数派)」である。

ここでは「ルサンチマン」という言葉を強い被害者意識という程度の意味で使っている。
モラル・マジョリティは正しい多数派であるはずの自分たちが疎外され、アメリカは間違った方向へ向かっているという被害者意識を前面に掲げた。アメリカを間違った方向へ導いているのはリベラルなインテリどもである。ホフスタッターの有名な著作にもあるように、「反知性主義」というのはアメリカの「伝統」でもあり、そのような草の根の意識を拾い上げたのがレーガン以降の共和党の「強み」であった。

政治的にルサンチマンを煽るうえでのポイントは、これをエスタブリッシュメントが意識して使いこなしているかどうかということかもしれない。
ウォール街に陣取る「1パーセント」(クルーグマンに言わせれば「0.1パーセント」か)の連中にとっては中絶や同性婚などどでもいいことだろう。「政府こそが問題だ」と言ったはずのレーガンが軍拡に励み、私的領域への介入など連邦政府の権限を広げようとした矛盾などもどうでもいい。「税金を使って甘い汁を吸っている連中がいる」というルサンチマンを煽り立て、その結果得られた政治権力をコントロールできればそれで構わない。その落とし子がティー・パーティであろう。

レーガンやブッシュ、あるいは石原、小泉、橋下といった体制内における反体制(っぽい印象を与える)政治家は、エスタブリッシュメントにとっての利益を維持しつつも、それとは無縁のはずの大衆の意識を煽るという点で最適な存在なのであろう。


で、ようやく本題。
反橋下で論陣を張った中で注目すべきは内田樹かもしれない。
内田は「市場化」をキー・ワードに橋下を批判する。これは必ずしも的外れなものではないだろう。橋下が拠って立つエスタブリッシュメントとは何か。それは今や既成政党ではなく、括弧つきの(つまりイデオロギー的な)「市場主義」であろう。少々陰謀論的風味がお好みの方には、橋下のブレーンにマッキンゼー出身者がいると言っておこう。

さて、ではこの内田の分析が正しいとすると、ではなぜ反橋下は完膚なきまでに敗れ去ったのだろうか。
ルサンチマンにかられた人々に理屈は通じない。ルサンチマンの歯車が噛み合うと厄介だというのはこういうことである。
政策そのものの是非ではなく、「既得権益の代弁者」や「税金にたかる寄生虫」といったマジック・ワードの前には理屈はあまりに無力である。

といっても内田に注目すべきなのはこのためではない。
内田は経済学界隈では非常に評判の悪い反経済成長論者である。僕も内田の反成長論には全く同意しない。
この手の論者の根本的間違いは、第一に経済成長と高度経済成長を混同していることであり、第二にゼロ成長や低成長を現状維持だと思い込んでいることである。「もうこれ以上成長するはずがない」だの「バブルの狂騒はうんざり」といった御託は結構だが、では失業問題を経済成長抜きでどう解決するのか。この二十年間で、とりわけ低所得者の生活はいかなるものになったのかを考えてみてほしい。
ルサンチマンにかられた人々にとって理屈は通用するものではないが、それ以前に内田の理屈は少々ピントがズレており、そこが打てども響かない要因の一つであろう。

ここで思い起こすべきは1975年の都知事選かもしれない。
美濃部亮吉と石原慎太郎との間で激戦となったこの選挙は、最終的に美濃部が制する。美濃部都政はこの段階ですでに行き詰まりを見せていたが、それでも勝てたのは当時の経済情勢によるところが大きかったのかもしれない。高度成長期は終わったとされ、オイルショックにみまわれていたとはいえ、失業や貧困の恐怖にあえぎ、デスパレートな心情から「改革」を求めるような人はそう多くはなかっただろう。

橋下のツイートを見て思うのは「衣食足りて礼節を知る」という言葉である。政策の是非以前に、あのような下品極まる人間が首長に収まることを許容するなどということは「礼節を知る」人間にはとてもじゃないが耐えられることではないだろう。裏を返せば、それほど「衣食が足りない」状況なのであり、それこそが橋下のエネルギー源の一つであろう。

こう書くと、「そんなの大阪だけで解決しようにもどうにもならへんで!」という声が聞こえてくるが、残念ながらその通りで、最早一地方で橋下的ルサンチマン政治を押し返そうというのは厳しいのかもしれない。
おそらく大阪は、数年後には今より一層すさんだ街になっていることだろう。そしてそのような状況を認めざるをえなくなった時には、橋下はすでにとんずらこいていることだろう。それどころか、そのころには「橋下総理」が誕生しているという可能性を笑うことはできない。

橋下的なるものをなんとか止めたいと思っている人は、「民度」の低さを嘆いたり揶揄したりするのではなく、トンデモ精神論に逃げ込むのでもなく、まずは問題の所在を直視し、その具体的な解決方法を探るべきであろう。
橋下当選を嘆いている人のうちどれだけが、デフレや円高を放置したまま消費増税に邁進する野田政権が経済的のみならず、政治的にも危険な存在であると認識しているのであろうか。
ここらへんの認識のギャップが埋まらない限り、やりたい放題にやられてしまうという状況に抵抗などできっこないと思うのだが。




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佐藤太郎(仮)

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