『贖罪』

イアン・マキューアン著 『贖罪』




今頃読んどるんかい!って感じでありますが。

全体は三部+エピローグという構成だが、中でも第一部が素晴らしかった。
エピグラフにジェイン・オースティンが引かれているが19世紀イギリス小説っぽくもあり、ある出来事が起こる/起こらないというのは当然フォースターの『インドへの道』を連想させる。またチェーホフや少々のドストエフスキー風味というものも感じさせてくれる。

1935年のイギリス、ナチスの影は無視できないほど迫っていたが、少なからぬ人がまた楽観視もしていた。タリス家ではそれを反転させたかのように、幸福が欲望や猜疑心によって破局へと向かっていく。各人それぞれのエゴイズムがぶつかりあい、絡み合って引き返せなくなってしまう。これでもかと人間のエゴイズムを抉り出すところは本当に出色。

第二部は全てを失いかけた男が愛によって救いを得ようとする物語になっている。
そして第三部は犯した罪に向き合い、とりかえしのつかないことをしでかしたことに贖罪は可能なのか……というところからこの作品世界がいかなるものであったかが明かされる。
エピローグとして加えられる1999年のパートでは物語全体の構造が明かされると同時にメタ的な小説家論ともなっている。
このように、この作品はエゴイズムについて、愛について、宥しや贖罪についてであると同時に小説/小説家論でもある。

マキューアンの作品を読むたびに思うのだが、小説家を目指す人が現役の作家の中で真っ先に研究の対象とすべきなのはマキューアンの作品なのかもしれない。
扱うテーマもさることながらその技術というのは飛びぬけているんじゃないだろうか。ある程度キャリアを重ねるとどうしても自己模倣に陥ってしまいがちだけれど、マキューアンにはその傾向があまり見られない(最新作の『ソーラー』と『贖罪』とを比較してみよ)。それを可能にしているのがマキューアンの小説家としての技術であろうし、この『贖罪』においてもそれは遺憾なく発揮されている。

『贖罪』には資料とした本を巡って盗作騒動があったのだが(ガーディアンの記事参照)、仮に同じプロットの着想を得たとして、これだけの作品に仕立てることができる作家がどれだけいようかという風に思えてくる。
ちなみにこの盗作騒動の際にはピンチョンもマキューアン擁護にまわったのです(ここ参照)。

『贖罪』は映画化もされていて、こちらもまずまずの評価なのですが、原作読んでから見ようということでまだ見てないのでありますが。
それにして三部の最後のアレはどうやったのかな。ナレーション処理なのかな。こちらは脚本家の力量が試されますね。






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佐藤太郎(仮)

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