『アンドレ・ヴェイユ自伝』

アンドレ・ヴェイユ著 『アンドレ・ヴェイユ自伝  ある数学者の修行時代』





モロ文系人間としてはヴェイユといえばやはりシモーヌなのですが、その兄である高名な数学者のアンドレの自伝。

ヴェイユ兄妹は、もちろん「お母さん、息子の成績が良すぎるからといって私に嘆いた母親は初めてですよ」(上p.12)と言われてしまうように個人的資質による部分も大きいのだろうが、またヨーロッパの、そしてフランスの教育システムが作り上げたといえるのかもしれない。
幼いころから当然のごとく古典(語)教育を受ける。医師である父親は読書家というわけではなかったが、シモーヌの死後遺稿を整理する際に、ギリシャ語からの引用も苦もなく清書したというが、これはリセでの教育のたまもののようだ。そしてバカロレアの試験対策などによっても人文学的素養も身につけていくが、これはアンドレにとっては必ずしも受動的なものではなかった。

数学者というと、これはもちろん偏見であるのだが、どうしても「変人」というイメージを抱いてしまう。下巻で佐武一郎が回想しているが、1955年に日本に来たアンドレは日光の湖畔でいきなり「泳ごう」と言い出し素っ裸になって泳ぎ始めてしまったのだという。ここらへんも常人には「奇行」のように思えてしまうが、アンドレの場合だからといって数学のことしか頭にないというタイプではない。

ヨーロッパの人文学の古典にも通じているが、インドの『マハーバーラタ』などにも興味を持ち、実際にインドで教職についたりもしている。この時受け入れ側にいたマスードはフォースターが『インドへの道』で献辞を送った人物であったそうだが、アンドレはここではかなり苦い思いをすることになる。
その他にも鈴木大拙などの名前も出てきて、キリスト教思想はもちろんだが東洋思想にも興味を持っていたようである。しかしそれも、本書の記述を読む限りでは、実存的不安や心理的欠落を埋めようとしてというより純粋に知的好奇心に基づいているようにも思える。ここらへんはシモーヌとは交差しているようですれ違っているようでもある二人の共通項と差異を考えるうえで面白いかもしれない。

なんといっても圧倒的なのは第二次大戦中のアンドレの辿った軌跡である。
あわや死刑にされそうになったり兵役忌避者として、そして軍人としていくつもの国を渡り歩き、またドイツへ降伏後のフランスへの帰国など冒険に満ち溢れているのだが、他の部分と同じように、基本的には淡々と綴られる。これは本書の最大の特徴ともいうもので、そっけないようでいて時おり自虐的ユーモアやはぐらかし、また少々毒のきいたブラック・ジョークを織り交ぜつつ諦念と哀しみも感じさせるような文章は、あえてこういう言い方をするが、いかにも「ユダヤ的」知識人ということなのかもしれない。

前にアドルノの伝記を読んだ時に、ユダヤ人にとって相当に危険が高まっているにも関わらず、せっかく脱出したのにまたドイツに戻ったりというところで冷や冷やさせられたりしたのだが、ドイツのユダヤ人でもこうだったのだからフランスのユダヤ人にとってはなおさらナチスの真の危険性を見抜くまでには時間がかかったのかもしれない。
アンドレの記述などを読んでもどこか「呑気」とすら思えるようなところがあり、一つ違っていたら一家もろとも悲惨な運命を辿っていたのかもしれない。
レヴィ=ストロースの回想録でもどこか「呑気」であったような印象を受けたので、これはアンドレに限ったことではなかったのだろう。

そのレヴィ=ストロースは脱出に成功し、その後ブラジルに渡ることとなる。
人文学的にはアンドレはシモーヌの兄であると同時にレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』の協力者でもある。
アンドレもなんとか脱出に成功し、一家をアメリカに呼び寄せることも叶ったが生活は苦しく、能力に見合った教職も得られないところにレヴィ=ストロースがサンパウロ大学のポストを用意したのだとか。
しかし一家と共にアメリカへ渡っていたシモーヌはイギリスへ向かい、そこで痛ましい死を迎えることになる。さすがにこの場面はアンドレの筆致もかなり感情を露にしている。

アンドレは序において本書ではシモーヌについてあまり触れていないという断りを入れ、その理由としてペトルマンの『詳伝シモーヌ・ヴェイユ』に協力したことを挙げている。
確かに「シモーヌの兄」という扱いは心楽しいものではないだろうし、禁句とまではいかなくともそれに近い雰囲気もあったようだ。しかしそれは嫉妬というよりも、二人の間の精神的絆の深さ故なのかもしれないという気もする。本書に収録されている二人で写った写真を見るとそういう思いはなおさらしてくる。アンドレが不在の時にヴェイユ家のアパルトマンにトロツキーをかくまった話など伝聞でもかなり面白そうだが、ここらへんの出来事への禁欲的姿勢もそれを表しているのかもしれない。

フランスが解放され、アンドレは一時帰国した後にブラジルへの帰途「突然オランダ語が読めるようにな」る。これは冗談なのか本当なのかわからないが、やはり天才、とにかく様々な外国語をあっさりと習得してしまうのである。そしてそのオランダ語の新聞にて、広島に原爆が落とされたことを知った場面で本書の幕は降ろされることになる。
サブタイトルにあるように「修行時代」の終わりを意味するものであると同時に、アンドレ自身はもちろん原爆の開発に関わってはいないのだが、狭いサークルの中では比較的身近な人間がこの巨大な暴力を解き放ってしまったという事実も、ナチによるユダヤ人虐殺や妹シモーヌの死という現実などとともに一種の「イノセンス」の終わりを突きつけられたということなのかもしれない。


たくさんの有名数学者とのエピソードなどはわかる人が読めばいろいろ面白いのだろうが、残念ながらここらへんは僕にはまるで知識がないものでなんとも。ただそのような人間でもなかなか興味深く読める自伝でした。


アンドレの娘シルヴィの本。これも読んだのだが、個人的には期待してたのとは少し違っていたけど。





レヴィ=ストロースの回想録というのはこちら。








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