『紀元二千六百年』

ケネス・ルオフ著 『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』





戦時中の日本が「ファシズム」であったのか否かは未だに意見が分かれている。これを否定する意見としては、日本には一党独裁やカリスマ的指導者やそれを支える大衆運動の不在をあげる。ルオフはすこし定義を広げてでも日本ファシズム体制であったとしたほうがいいと考えているようだ。また妥協的な意見として「日本型ファシズム」と呼ぶ人もいる。解説で原武史が紹介する丸山眞男の日本は「上からのなしくずし的ファッショ化」を迎えたという説はその一例であろう。

僕は政治学を勉強したわけでもないので、どの意見が説得力があるかの判断を下すことはできない(どれもそれなりに説得力を感じてしまう)。このように意見が分裂するというのは、日本における「近代」(あくまで括弧つき)の「鵺」的な性質によるのではないだろうか。

幕末期、政治を左右したのは天皇の取り合いだった。孝明天皇は倒幕など考えたこともなかったし、長州は「朝敵」であった期間が長かった。「尊皇攘夷」のはずがいつの間にやら擬似「王政復古」に「近代化」という結末を迎える。
明治は当初からひずみを抱えたうえでのスタートであったし、1945年の敗戦はそのひずみがついにクラッシュを起こした帰結なのかもしれない。

本書はそのようなひずみが極まったともいえる、1940年に迎えた「紀元二千四百年」の研究である。

1937年に日中戦争が起こり、1940年といえば日本は「暗い谷間」の時代に突入していたという印象を持っている人も多いだろう。しかしそのような「暗さ」は実は戦争末期のことで、1940年は「暗い」どころか消費社会が活気づいていた時期であったという。

ルオフはその象徴として観光に注目する。
「紀元二千四百年」は政府にとってナショナリズム強化のイベントであると同時に、民間にとっては観光によるビジネスチャンスの到来でもあったのである。官、民、そして学に文化人も加わっての狂想曲が繰り広げられる。

人気観光スポットとして伊勢神宮や橿原神宮などが注目されるのはすぐに想像がつくが、それのみでは終わらない。神武天皇の東征のルートとされた地域にとっては大きなチャンスであるし、それ以外にも観光資源の開発に力を入れる地方が様々にあった。
宮崎県もその一つである。当時は観光資源に乏しい地方であったのだが、大仏二郎ら文化人も協力して観光名所に仕立てていく。
もちろんこれはグロテスクな歴史でもある。「聖蹟」が次々と作られていく。現在でも「平和の塔」として残っている建物は、もともとは1939年に「八紘の基柱」として建設が開始された。この塔の建設には万里の長城などアジアの名所から集められた石が使われているという(第3章注57)。
このかいあってか、宮崎県の1940年の団体観光客の数は34年のほぼ4倍になったそうである。

さらに驚くべきは、植民地への観光がごく当たり前に行われていたことだ(繰り返しになるがこれは戦時中のことである)。
朝鮮半島に対して、日本が創氏改名など過酷な同化政策を行っていたことは周知であろうが、朝鮮半島を「観光資源」として考えた場合、同化を進めすぎると「観光地としての魅力」がなくなってしまうというジレンマなどは異様としか言いようがないが、このような異様さを当時の「日本人」のほとんどが感じることはなかった。

満州でも観光資源の開発に力が注がれた。
「聖地」は日本のみにあるのではない。柳条湖事件の発端となった日本軍と中国軍との小競り合いが行われた場所など「聖地」が次々と指定され、バスツアーで巡られた。
「紀元二千六百年」の年に、ハルビンでいかに観光客を呼ぶかのアイデアを練っていたのと同時期、そこからわずか15キロほど離れた場所では「七三一部隊」が人体実験を繰り返していたのである。


日本の「近代」の「鵺」的性質と書いたが、このようなグロテスクなことは日本でのみ行われていたのではない。
「神話」を政治力に変えたといえばすぐにナチスが浮かぶが、ナチスはまた「観光」も奨励していた。
植民地への同化政策はフランスやイタリアにも見られたし、スペイン内戦ではなんと内戦中にすでに戦地が「聖地」と化していたという。
とはいえ、これらのあらゆる要素を導入し続け、迷うことなく内面化していった日本という国や「日本人」は際立っているようにも思えてしまう。


ルオフは近年に至っても、皇位継承問題などで「万世一系」思想が根強く残っていることに驚いているが、「神話」の影響はこれに留まっていないだろう。
「パワースポット」などと称されて人気を集めている場所がどのような所か意識したうえで行っている人がどれだけいるだろうか。「紀元二千六百年に際してつくられ、「神武天皇聖蹟」と記された石碑は、但し書きを添えられることもなく、いまもそのまま残されている」(p.292)という。
神武天皇陵をはじめとして、実在しなかったと考えられる天皇の天皇陵も、現在も依然として国から「聖地」として扱われている。これは伝統に基づくものではなく、明治以降に人工的に行われるようになったことだと考えた方がいいことだろう。

戦争責任を考えるうえで、「庶民」は被害者か加害者かというのは結論のでない議論であろうが、少なくとも、日本を破滅的泥沼の戦争へと駆り立てたイデオロギーを当時の「日本人」の多くが内面化していたことは否定できないであろう。1940年における紀元二千六百年の狂想曲はまさにそのことを表しているかのようだ。
そして現在でも、そのような「神話」の内面化から必ずしも無縁となったとは言いきれないのではないだろうか。



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