『小澤征爾さんと、音楽について話をする』&『同じ年に生まれて』

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』




タイトルの通り2010年11月から翌7月まで、約半年に渡って行われた村上春樹と小澤征爾による対談。

僕はクラシックで曲とタイトルが一致するのはベートーヴェンの「運命」と「第九」くらい……というのがあながち誇張ではないような人間であるのですが、それでもなかなか面白く読めた。
小澤は「あとがきです」(「です」がついているのがなんだか可愛い)で春樹を「正気の範囲をはるかに超え」た音楽好きだとしているが、そのような相手に音楽を語れるというのは小澤にとってもなかなか楽しいひと時だったのかもしれない。


クラシックに疎い人間が抱く疑問に指揮者の役割というものがある。指揮者ってそんなにありがたがるものなの? という気がうっすらとしていたのだが、本書でその仕事を少しイメージできたような気もする。
無理矢理映画に例えると、優秀な脚本家と腕ききのカメラマンがいればそれだけで映画は傑作となるのだろうか。そこにはやはり監督の役割も必要となる。脚本家は作曲家、カメラマンはミュージシャン、監督は指揮者というところだろうか(見当違いかもしれないけど)。

それにしても譜面を読む、しかもそれが楽しい体験だというのはドレミの区別すらあやしい人間にはよくわからないのでありますが。仕事上の義務のみならず没頭できるものだというのはどういう感じなのでしょう。
ただ考えてみれば、録音されたレコードだって音楽の歴史を考えれば比較的最近のことで、それまではこのようにしてイメージを膨らませるしかなかったのかもしれませんが。

しっかし学生時代にお師匠の斉藤秀雄から「このあいだ練習したベートーヴェンの二番のシンフォニーの楽譜を頭からここにかきなさいって言われるんです(p.230)って話はすごいね。総譜を「一時間のあいだにどれくらい書けるか試されるんです」って、指揮者になるのも大変だ。

カラヤンやバーンスタインとの師弟関係についてもよく語られているが、なんといってもバーンスタインが印象深い。いい意味で「良きアメリカ人」だったのだろう。上下の区別をつけたがらず、フランクでありながら(小澤はカラヤンは先生を付けるがバーンスタインのことはレニーと呼ぶ)「面と向かって誰かにはっきり何かを言いつける、注意するということが苦手な人だった。そういうことはまずしない。逆に人の意見を求める」(p.203)ような感じだったのだとか。その分いろいろとやっかいな目にもあったようだが。


とはいえやはりクラシックのは不案内な人間にとっては、ユージーン・オーマンディに可愛がられてオフィスを自由に使わせてもらっていた際にタクトを失敬したのが秘書にばれてしまったようなエピソードのほうがさらに楽しめたのでありますよね。
「モンキー・ビジネス」に収録された時も思ったのだが、活字にできないグレン・グールドのエピソードってのもそそられるところであります。

途中「インターリュード」という少しくだけた会話で藤圭子の話が出て、春樹がその娘が宇多田ヒカルだと教えるのだけれど、小澤は「ひょっとして英語で歌う、顔立ちの濃い人?」(p.276)と反応してどうも違うかなという雰囲気になるのだが、間違いだとすると誰と間違ったのでしょう。ここらへんもなんだかおかしかった。ちなみにここで春樹が言う藤圭子のエピソードって初期のエッセイでも書いてましたよね。

よくわからないといえば「このおにぎり食べていいかな」「どうぞどうぞ。お茶もいれましょう」(p.163)とか「これはおいしいね。マンゴ?」「パパイヤです」(p.226)紅茶を飲んで、「これ、砂糖だよね?」「砂糖です」(p.291)みたいなやりとりをわざわざ残してるんですよね。小澤は手術後で体力つけるために栄養をしっかりとらなければいけない時期だったということで、その感じを出そうとしたのかな。
いや、ここは不用だというのではなく、唐突に現れては消えるこのやりとりが妙におかしくて吹き出してしまい、周りから気味悪がられたということなのですが。

村上春樹に過小評価されている能力があるとすれば、それは対談の構成能力かもしれない。本書もそうだしエッセイ集のおまけの安西水丸さんなんかとの対談なんかも編集者ではなく春樹自身が構成しているわけだが、ここらへんは絶妙なんだな。

他にトリビア的なことといえば桐朋学園時代の英語の先生って丸谷才一だったんですね。ウィキペディア見たらのってましたね、有名な話なのかな(春樹もこの本の中でウィキペディアで調べ物してましたw)。もっとも「ジェームズ・ジョイズの『ダブリン市民』なんて読まされました。そんなのわかるわけない(笑)」(p.132)ということだったようですが。

小澤は英語が十分にできずにバーンスタインの言っていることがよく理解できなかったことなどをしきりと悔いるのですが、海外で活躍してる人が「英語ができない」と言うと謙遜のケースも多いのでしょうが小澤の場合どうもガチくさい。それで突き抜けられてしまうのが小澤の魅力でもあるのだろうけど。
「日本の場合、自己をナマに主張すると、なんとかかんとか……って言葉がありますよね。よく言うじゃないですか。なんていったっけなあ」「出る杭は打たれる?」「えーと、そんなやつ。それに似たやつ」(pp.367-368)って他に「そんなやつ」ってあるかな?日本語でもこんな感じなんですから。

春樹も「始めに」で書いているように、「一般的な意味でのインタビュー」ではなく、小澤の音楽生活を網羅的にカバーしたものではないので、クラシックや小澤個人のファンからすれば「あの話を聞いてくれよ」みたいなのがあるのかもしれませんが、門外漢にとっては一見とっつきにくいこのようなこの形がかえって興味を持続させてくれるのかもという気もしました。


んでもってついでにといっては失礼ですが、勢いで小澤征爾と大江健三郎の対談本も読んでしまいました。

『同じ年に生まれて』




こちらもタイトル通り1935年生まれの両者による2000年に行われた対談。

小澤はあとがきにあたる「語り合えてよかった」で「ほぼ10年おきに重要な対談を行う機械を得てきた」(文庫版。p.224)としているが、この10年後に村上春樹との対談を行うことになる。こちらの対談が刊行されたのは2001年9月(つまりあの9.11の月)のことで、『小澤征爾さんと』とのほうは震災を挟んで対談が行われているのですよね。2021年、大丈夫か。

春樹が本書を読んだかどうかは『小澤征爾さんと』では触れられていないが、『小澤征爾さんと』を読み終えてから『同じ年に生まれて』を読むと(逆でもいいけど)おそらく春樹は『同じ年に生まれて』を読んでいて、反面教師にしてとまではいっていいかはわからないが、少なくとも差別化を図ろうとしたのではないかということは推測できる。

『小澤征爾さんと』の「始めに」で春樹はこの本を「いわゆる「有名人同士」の対談みたいなものでもない」(p.19)としている。裏を返せば『同じ年に生まれて』は「いわゆる有名人同士の対談となっている。

『同じ年に生まれて』はもともとは読売新聞に掲載されたものに追加の対談を行ったものだが、文庫の解説で読売新聞文化部記者の尾崎真理子は「できれば芸術論、教育論、日本人論へと豊かに発展して行くような対話の場を、世紀の変わり目であるこの年に是非とも届けた」かったとしている(pp.227-228)。
このような試みは諸刃の剣ともなる。プラスに出れば多岐に渡る話題を読者は楽しめるだろうが、マイナスに出ると散漫な印象批評の羅列にもなってしまう。
本書でいえば二人の子ども時代の話や小澤が音楽に興味を持つきっかけ、初めてのピアノのエピソードなどは楽しい一方で、ネットの普及でハングリー精神が云々などという「日本人論」や若者論は、年齢を考えれば仕方ないのかもしれないがやはり首をひねらざるを得ない。ただこういうのは日本の(特に新聞や論壇誌)なんかには好まれるし、本書は良くも悪くもその枠内にある。

春樹の方はここらへんには禁欲的である。震災後の対談では「原発事故はこれからどうなっていくのだろう、日本という国はこれからいったいどこに行こうとしているのだろう、という切実な話」(p.281)が行われたことが記されているが、その会話は収録されていない。
話題はあくまで音楽についてであり、話を散漫にしないように毎回緩くテーマを決めている。
まぁここらへんは「文化人」なるものに何を期待するかの好みの違いでもありましょうが。

この二冊を続けて読むことでより鮮明になってきたこともある。それは小澤の教育にかける意気込みである。大江との対談の一部は奥志賀高原で小澤が主宰するアカデミーで行われたものであり、村上はこの奥志賀高原のヨーロッパ版ともいえる「小澤征爾スイス国際音楽アカデミー」を取材している。病を得てからの心境の変化ではなく、十年以上も前から取り組んでいたのである。現役の指揮者として活躍しながらこのような活動もするというのはかなりめずらしいようであるが、それだけ小澤の熱意がの表れなのだろう。

僕は前述の通りクラシックにはまるで疎く、小澤がどういうタイプとして評価されているのかはわからないが、この二冊を読むと斉藤秀雄、カラヤン、バーンスタインなど複数の師に非常に恵まれ、それだけにその受けた恩を後輩にも渡そうという気持ちが人一倍強くなったのだろうという印象を受けた。そう思えるのってほんとに幸せなのだと思う。
それにしても両方で話題にのぼるロバート・マンはすごい。92歳で依然として優れた耳を持ち、厳しくも的確な指導を続けている。


最後に小澤、大江それぞれの話から印象深かったところを抜き出してみよう。

小澤のの兄(オザケンの父親じゃなくてそのさらに上の長兄)は音楽を本格的に始め、非常に優秀で征爾にも強い影響を与えたのだが…

あんまり優秀なもんで、神経質になり過ぎちゃって、それで早死にしたんです。親父にとって兄貴は生きがいだったというとおかしいんだけど、もう兄貴のことだけやってればいいというような感じだったんです。親父が死ぬ半年くらい前に、僕に兄貴のことを頼むんですよ。僕は、兄貴の才能をうんとよく知ってましたし、尊敬もしていたんだけども、その才能をちゃんと生かさないでがんじがらめになっているという場面で歯がゆい思いもしていた。兄貴は結婚もして子供もいましたしね。そういうのを見ててすごい心が痛かった。才能ある人がすべてうまくいくわけじゃないというのを目の前で見ていたわけです。(p.25)


こういうのって切ないですよね。それにしてもあの小澤家ですごく優秀ってどれほどのものだったのでしょう。

大江の妻はご存知の通り伊丹十三の妹である。「やっと結婚してもらった」のだがその新婚生活は……

家内によりますと、僕は発音が明晰じゃないし、内容もわからないものだから、結婚して一年半くらいは僕の話は八割分からなかったそうです。
(中略)
こちらは、なにか謎を秘めたような感じの彼女の対応を、美しいと思っていたんですが
。(p.78)

謎めいて美しいじゃねーよw 早く気づけって!
いろいろ言われることの多い人ではありますが、こういうのを読むとやはり大江健三郎、憎めないと思えてしまいます。


小澤の自伝的エッセイ。これもそのうち読んでみよ。



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佐藤太郎(仮)

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