『アクロイドを殺したのはだれか』

ピエール・バイヤール著 『アクロイドを殺したのはだれか』





読む順番が前後してしまったが、『シャーロック・ホームズの誤謬』(感想はここ)がなかなか面白かったので手にとってみました。
翻訳は2001年の刊行ですが原著は98年。この時バイヤールは京大に客員教授として来日していたのだとか。


推理小説は一般的には「閉じられた作品」と考えられがちである。ある事件(大抵は殺人)が起こり、探偵役が真実を究明し解決に至る。ここには多様な解釈の可能性などないようにも思えるが、もちろんさにあらず。他ならぬ『開かれた作品』を書いたウンベルト・エーコの小説第一作が『薔薇の名前』という推理小説であったことを想起すればいいだろう。

エドマンド・ウィルソンの有名な(悪名高い?)言葉に「誰がアクロイドを殺そうが知ったことか」というのがあるが、しかしその「アクロイド殺し」は本当に解決していたのだろうか。バイヤールはその真相に迫る。

バイヤールは文学の教授であり精神分析家でもある。『ホームズの誤謬』が文学批評寄りに『バスカヴィル家の犬』の真相に迫ったものだとすると、本作は精神分析と探偵小説との密接な絡み合いが堪能できる。
「精神分析理論が参照したもっとも重要な三つの文学作品――『オイディプス王』、『ハムレット』、『盗まれた手紙』――がいずれも推理小説の構造を持つ作品であることは注意していい」(p.148)とあるように、精神分析と推理小説は切っても切れない関係にあるといってもいいだろう。

バイヤールがここで試みるのは作品の深層構造を解き明かすことであり、この作業はまさに無意識を探る精神分析のそれと重なる。
『アクロイド殺人事件』の謎を解くには「書かれていなかったこと」を読みこまなければならないと思われがちである。しかしポーの「盗まれた手紙」がまさにそうであるように、むしろ「書かれていながら誰もが読み落としていること」にこそ注目すべきなのかもしれない。
そう、エルキュール・ポワロこそが妄想にとりつかれた狂人だったのではないか。
彼の思い込みに満ちた穴だらけの推理を、我々はなぜそのまま受け入れ、実際に書かれていることに目を向けなかったのだろうか。

バイヤールの指摘するように確かにポワロの推理は強引で穴だらけである。一方で、「真犯人」を名指しするバイヤールの推理は本当に緻密に構成されているのだろうか。こちらもいささか強引な印象も受けてしまう。もちろんここで問うべきはバイヤールの「探偵」としての能力ではないだろう。問うべきはバイヤールはどこまで本気/狂気であるのかということなのかもしれない。


訳者あとがきによるとバイヤールは「応用文学」を実践しているのだという。これは従来行われてきたような精神分析を文学批評に応用するのではなく、フロイトを読むために文学を応用しようという試みだという。
『ホームズの誤謬』と同様そこらへんに興味のない人は多少まどろっこしく感じるかもしれないが、ミステリー論としてももちろんだが、ミステリー小説そのものの快楽も与えてくれる。



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