『フェルトリネッリ』

カルロ・フェルトリネッリ著 『フェルトリネッリ』


1992年に発表されたポール・オースターの『リヴァイアサン』は、男が爆死をするところから幕を開ける。オースターがアメリカ人であり、アメリカを舞台にした小説であることを考えれば、ユナボマーからインスピレーションを得たことが想像される(この作品発表時、まだカジンスキーは逮捕されていなかった)。

もしかすると、この小説にはさらにもう一人インスピレーションを与えた人物がいたのかもしれない。
僕は戦後のイタリアの政治、文化状況などに少々興味があり、いくつか本を読んでいるうちにジャンジャコモ・フェルトリネッリのことを知った。フェルトリネッリが最後、自ら仕掛けた爆弾によって死を迎えた(とされている)ことを知った時、オースターの『リヴァイアサン』が浮かんできた。
フェルトリネッリの死は1972年だが、ちょうどオースターがイタリアの隣国フランスに滞在していたころではないだろうか。扱いは当然大きかったであろうし、記憶に深く残っていたとしても不思議ではない。


大富豪であり、革新的な出版社、書店の創設者であり、左翼活動家であり、謎の最後を迎えることになるジャンジャコモの軌跡を、息子が追ったのが本書である。

1926年に新興の資産家一家に生まれたジャンジャコモは左傾化していく。1950年に当人が書き、イタリア共産党に提出された自伝的文章がその経緯を簡潔に伝えている。

父は金融界において世界でもっとも目立った人物でした。(中略)私は完璧なまでに伝統的な育ち方をしました。つまり、乳母がいて快適な日々を過ごし、家族で旅行するという生活を送っていたのです。(中略)一九三六年に、母が広大な庭園を購入し、工場労働者、肉体労働者、農場労働者たちが何年もかけて造園しました。私はじきにこの労働者たちと仲良くなり、生まれて初めて、私が知っている輝かしい世界とはまったく別の世界があることを知りました。私は労働者たちの生活を理解するようになり、家族を養うことがどれほど大変か、賃金がいかに不十分であるかを知り、また、彼らがいつ失業するかわからないという不安をつねに抱えていることを知りました。(中略)その後、一九三八年から三九年にかけて、国際的な事件に関して激しい論争が起こり、すでに苦難の日々を送っている労働者にとって、戦争は深刻な脅威となり始めました。このとき、戦地に赴くのは、戦争は必要だと声高に叫んでいる上流階級の人間ではないことに気づきました。それどころか、裕福な人間は戦争で利益を得ようとし、労働者は犠牲にされていたのです。(pp.64-65)

資産家の子どもが、罪悪感やノブレスオブリージュ的使命感から左傾化していくというのは珍しいことではないだろう。フェルトリネッリが特異なのは、彼は一貫して左翼陣営にとどまりつつ、また実務能力や商才も持ち合わせていたことである。

共産党と協力し、様々な事業に取り組む中で、フェルトリネッリの大きな転機となったのが「図書館」の創設である。左翼思想や労働運動に関したものに限らず、幅広い様々な歴史的資料をかき集め、研究施設としての性格も兼ね備えたこの図書館の創設によって、フェルトリネッリは単なる資産家の息子というだけではない注目を浴びていく。

「民衆書籍共同組合」は、安価なペーパーバックで質の高い本を次々と生み出していくが、次第に経営に行き詰ってくる。その建て直しに送り込まれたのがフェルトリネッリであった。結局彼は、この事業を引き継ぐような形で出版社「フェルトリネッリ」を立ち上げ、またフェルトリネッリ書店も創業する。

66年に「未来の書店はどのようなものになるのか」というインタビューに答えている(カルロは「アマゾン・コムの騒々しいサイバーワールドが出現する三十年も前」と但し書きをつけている)。
「書店はジュークボックスのようになっていて、そこには書籍はなく、キーとボタンがあるだけなのです。あなたはそこへ入っていって、署名を選び、ボタンを押す。機会はもっとも近い印刷工場につながっていて注文を知らせ、注文は倉庫に転送されて、選ばれた書籍の本文がパンチされたテープになって出てくる。あっという間に巨大なオフセット印刷機が印刷を開始し、注文に応じた活字と言語と装丁で選ばれた書籍を書店に送ってくる」(pp.252-256)

単に未来についての想像だけでなく、現実にフェルトリネッリ書店は革新的なことを次々行った。チェーン展開をいかした品揃えを誇ると同時に、店の個性も追求した。まだほとんど普及していなかったピンボールマシンを置き、コカコーラ売り場にダーツ。壁にはポスターがベタベタと貼られ、ジュークボックスがありレコードもたくさんあった。ある店員は「フェルトリネッリ書店はローマのディスコの第一号店でした」と振り返る。「十四歳か十五歳の子供たいが書店に置かれたジュークボックスから流れてくる音楽に合わせて踊るなんて、これはスキャンダルでしたね」(p.254)

また作家と直接会えるイベントが行われ、フェルトリネッリ自らも仕入れに加わったた「ちょっとした仕掛け」も置かれた。「毛沢東に似せて作られたマリリン・モンロー、蛇の姿をした銀のベルト、ネクタイ、萌黄色のミニスカート」などが「路上市のように、書店のレジ係りが枝編み細工のバスケットにどさっと入れ」、「レジ係りは「愛し合おう、戦争はだめだ」というメッセージが書かれている駐車標識を持っていた」という所など、現在にまで連なる様々な個性的な書店の雛形のように思えるものである。

また出版社も、単なる左翼の宣伝文書の出版のようなものだけではなく、国内的には「63年グループ」と親密な関係を結び、国際的には世界文学の旺盛な紹介者であった。

フェルトリネッリの生涯そのものが映画などの素材にするには魅力的に思えるが、この出版業にまつわるエピソードも無類の面白さである。
ソ連当局からにらまれていたパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』の出版をめぐってはスパイ小説さながらの冒険が繰り広げられ、キューバに渡りフィデル・カストロの回想録を完成させようとするところでは、一転してコメディのようですらある。またカストロの反ホモセクシャルとそれを批判したフェルトリネッリ、そしてその後の展開というのもなかなか興味深い。
また67年には、チェ・ゲバラ解放のために5万ドルを用意してボリビアに乗り込んだなどという証言をする人もいるが、これは確認されていない。しかしボリビアで逮捕される数日前に飛行機を確保しようとしていたことは間違いないようだ。「たぶん、誰かを飛行機でボリビアから出国させるためだったのだろう。いったい誰を?」(p.300)

『ドクトル・ジバゴ』の出版にいたる経緯、またハンガリー動乱の評価などをめぐってフェルトリネッリは共産党と袂を分かつことになるが、彼は一貫して左翼陣営に留まる。そればかりか、68年以降は急進化し、地下にもぐることになる。

これまでの話から堤清二を連想された方もいるかもしれないが、80年代に、当時隆盛を極めていたセゾングループの長が地下活動に従事するなどということが想像できるだろうか。もちろんこれには当時のイタリア独特の政治状況があった。
80年代は言うまでもなく、60年代ですら日本で革命が起こると本気で考えていた人はほとんどいなかったであろうし、逆に素朴な形での戦前回帰が起こるとも思っていなかったであろう。三島由紀夫は危険なイデオローグではなく滑稽な道化であった。しかしイタリアは違った。西ヨーロッパで革命が起こるとすればそれはイタリアであろうと考える人は多かった。また白色テロも横行し、ファシストによるクーデターは現実の脅威として認識されていた。

60年代におけるフェルトリネッリの政治力が実際にどの程度あったのかは判然としない。アメリカなどの情報機関にとっては、フェルトリネッリは「ヨーロッパにおけるカストロ主義の代理人のボス」であり、フェルトリネッリはこのころ「橋の下で死体を見つけたら、それは私だ」(p.372)という言葉を残している。当局からも狙われ、メディアからは執拗なバッシングを受ける。実際にはキューバの「代理人」などではなかったし、ネグリとは相互に不信感を抱いていたというくだりからもイタリアの左翼期待の星というわけでもなかったようだ。一方で彼には、潤沢な資金と豊富な人脈があったことも確かで、そこに期待をかける人々がいたのも間違いない。

69年のフェルトリネッリについて、著者はこう分析する。
「たぶん彼は、苛立ちと(政治的にも個人的にも)、予期せぬ出来事と、狂信的言動と、武器に誘惑されたことと、正義に対する誇大な願望と、慢心と(慢心のない厚かましさなどあるだろうか)、秩序と規則に対する観念のために、間違った方向に導かれてしまったのだ。死後の言い訳をする必要はない(道徳的にも、歴史的にも、政治的にも」(p.334)

本書の記述を読むと、革命の理想に殉じたというよりは、ファシズムが勃興することへの恐れのほうが行動の動機になっているようにも思える。またそのような自分を英雄化してしまい、状況を客観視する能力を失ってしまったということもあるのだろう。地下にもぐったジャンジャコモの姿は痛々しく、理想と希望に燃える革命家のそれなどではないように写ってしまう。

そして1972年3月14日、ミラノ郊外の高圧電線用の鉄塔の下で、倒れている男が発見される。爆発物に吹き飛ばされたようだ。ヴィンチェンチオ・マッジョーニという名の身分証明書を持ったその男の財布には、二枚の写真が入っていた。一枚は若いブロンドの女性で、ジャンジャコモの新しい妻であり、もう一枚の十歳くらいの子どもは、本書の著者である息子のカルロであった。


まぁとにかくすごい男の「面白い」話なのであるが、これで完全に終わりということでもない。
自ら仕掛けようとした爆弾の誤作動により爆死したと考えられているが、謀殺だったと主張している人もいる。
本書には主人公の職業から、さまざまな文学者が登場する。イタリア人ではカルヴィーノ、モラヴィア、エーコなど。もちろんパゾリーニも登場するが、最初の出会いはあまりうまくいったとは言えなかったようだ。このパゾリーニの死も、事故的な事件とする人もいれば一種の自殺だったという人もいる。そしてまた、謀殺を主張している人も。

思い返してみれば僕がイタリアのこのような状況に興味を持ったのは「モーロ事件」が単なる過激派による元首相にして時期大統領が確実だった人物の誘拐殺人に留まらず(それだけでもすさまじいわけですが)、その裏でなにやらすさまじいことが行われていたということを知ったのがきっかけだったような。
日本では60年代末から「政治の季節」はしぼみつつあり、72年の浅間山荘で決定的に終わったとされることが多いが、70年代のイタリアというのはまだまだすごい状況を呈していたのである。


原著は99年にイタリアで刊行された。ついに翻訳が!と思ったら英訳からの重訳なのね。いや、出るだけいいんですけど。実は英訳は何年か前に買っていてパラパラ読んではいたもので。そういえばパゾリーニの厚い伝記も持っているんだけど、こっちも誰か頑張ってくれい。

イタリア語、わからない……







パゾリーニの伝記はこれね。






モーロ事件はこの本とかいくつかある。




モーロ事件を扱った映画に『夜よ、こんにちは』がある。最後の「あったかもしれない可能性」が痛々しい。



イタリア現代史はこれが勉強になった。






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佐藤太郎(仮)

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