『パンとペン』

黒岩比佐子著 『パンとペン 社会主義者堺利彦と「売文社」の闘い』




堺利彦の生涯を売文社解散までを中心に描く。
平民社については多くの文献があるが、売文社について語られることは少ない。「意外なほど知られていないのが現状」である日本の社会主義運動の「冬の時代」を支えた「編集プロダクションや翻訳エージェンシーの元祖ともいえる」売文社についての本であると同時に、堺利彦という他に得がたいキャラクターについても興味深く読める。


いきなりどうでもいいような話から入ってしまうが、堺には「真柄(まがら)」という娘がいる。この名は堺が訳したゾラの『多産』の登場人物であるマーガレットからとられたのだという。
真柄は後に回想録で「近所の男の子に「オーイ、まぐろ!」と追いかけられた」と記しているそうで、「まがらなんておかしな名は魚と一緒にされる!」ということだが、「堺はこの風変わりな名前がかなり気に入っていたらしい」(p.94)。
明治時代のスゴい名前といえばなんといっても森鴎外の子どもたち(於菟、茉莉、杏奴、不律、類。いくつ読めるかな?)が浮かぶ。昨今「キラキラネーム」なんてものが話題になることもあるが、これは明治以降の日本の伝統と言っていいだろう……かどうかは知らないが。
一方で夏目漱石は純一、伸六、筆子、恒子、愛子、雛子と、普通というかあまり愛想もない名を子どもたちにつけている。

漱石といえば1906年の東京市電値上げ反対運動にからみ、妻の鏡子がチラシまきのデモに加わったという誤報が新聞に載ったことがある。これを読んで驚いた美学者の深田康算は切り抜いた記事を同封した手紙を漱石に送る。漱石はこれに対し、「漱石は妻の鏡子が行列に加わったことを否定しつつも、行列することには賛成なので書かれてもいっこうに差し支えないし、自分もある点では社会主義なので堺枯川氏と同列に加わったと新聞に出ても少しも驚かない、と断言」(p.157)した返事をしたためている。
これは割りと有名なエピソードで、僕もどこかで見聞きした記憶があるのだが、なぜこのような誤報が出たのかということは本書で初めて知った。
大杉栄の「飼猫ナツメ」によれば、由分社(堺家)で「ナツメ」という名猫を飼い始めた(この名はもちろん漱石の『猫』からきている)。この猫は 由分社に出入りしている人々の間で有名になり、このデモの時も「アゝ之れがあの有名なナツメさんですか」などとおもちゃにしていたのを新聞のネタ集めをしていた記者が勘違いして記事にしてしまったのだとか。

大杉のこの文章はなかなかユーモラスである。もちろん社会主義に対する執拗な弾圧はすでに始まっていたのだが、どこか滑稽なところもある。
社会主義者には尾行がつけられていたが、その存在はお互いにがわかっていた。いないことになっている尾行に堺は普段は話しかけたりはしないのだが、見知らぬ町などでは尾行に道を聞いたりしたこともあったそうだ。
近藤憲二が尾行をまきたかったがなかなかうまくいかないので、仕方なく尾行にタバコを買ってきてくれるように頼み、その間にまいたという話をすると、大杉栄は「そいつは武士道に反するぞ」と言ったという(p.283)。大杉と武士道との関係についても本書にはなかなか面白いエピソードが描かれている。

もちろんその実態は決して牧歌的なものなどではなく、ついには1910年の大逆事件へといたるのである。
社会主義者の一網打尽を狙ったフレームアップであったので、堺も当然標的にされていたはずであった。堺が命拾いしたのは、皮肉なことに「赤旗事件」によって入獄中だったためである。赤旗事件を引き起こしたのは大杉栄らで、堺は警官との仲裁に入っただけのことであった。どさくさにまぎれて社会主義者弾圧の一環として入獄させられたのだが、このことによって命拾いするのである。この皮肉な出来事のきっかけとなった大杉は関東大震災の混乱に乗じて虐殺されることになるが、この時も堺は狙われてもおかしくなかったが、やはり獄中にいたために命が助かることになる。


少々話しを脱線させるが、大杉栄が入獄するたびに語学の勉強に精を出し、「一犯一語」といっていくつもの外国語をマスターしたのは有名だが、堺も獄中で猛烈に読書に励んだ。差し入れに大量の英独の原書を所望する手紙が残されている。
この手の話を目にするたびに、あれだけ執拗に弾圧しておきながら獄中では比較的自由に勉強を許すというシステムがやや不思議に感じられてしまうのであるが。
それはさておいて、映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作である『石油!』を書いたアプトン・シンクレアの『ジャングル』を、堺は差し入れてくれるよう頼んでいる。1906年に発表されたこの作品は、過酷な労働をはじめとするシカゴの食肉産業の実態を暴露したものである。これは1909年の手紙だが、堺はすでに1907年には『ジャングル』に目を通し、一部を訳している。もちろんこういう人はごく一部で、めずらしいからこそ注目されるのだが、当時の情報の伝達スピードを考えるとこのころの知識人には驚かされることも多い。


堺は青年時代に一時は身を持ち崩しかけたことがあったが、両親の死などに直面し生活を改める。本書を読むと改心して以降は「堺利彦良い人伝説の始まり」とでも言いたくなるくらいの人格者ぶりを発揮するようになるのだが、これは幸徳秋水など死者たちの影も影響しているのだろう。

赤旗事件での入獄から釈放されるとすでに大逆事件の判決は下っており、堺にはどうすることもできなかった。
同士であった幸徳秋水はじめ12人が処刑されると、堺は遺体を引き受ける。もちろんこれに対しても執拗な嫌がらせがなされる。堺はこれにとどまらず、生前には面識がなかった人の遺族まで訪ね歩く。遺族たちは白眼視されることとなったが、堺には非常に世話になったという証言を残しているという。

社会主義運動の「冬の時代」において、食い扶持を稼ぐために売文社を設立するのだが、堺一人は家族を養っていくくらいのカネを稼ぐことは十分に可能であった。売文社を作ったのは職にありつけない人に仕事を回すためであった。
大逆事件以降社会主義運動から離れた山口孤剣は、恩義のあった幸徳秋水に報いるために白米三俵を堺宅に届ける。堺ならこれを自分のものとせずに同士に配るはずだと思ったのだろうということだが、実際に堺は「今日僕の家に天から白米が降ツてきた。欲しい人は風呂敷を持ツて拾ひに来い」という葉書をあちこちに送り、貧しい同士に米を分けている(p.229)。

堺はユーモリストであり、それが売文社の経営にも十分に活かされた。大杉栄や荒幡寒村といった運動の方針をめぐって対立した相手にも寛容に接し慕われ続けた。一方で、かつては社会主義を讃えながらその過去がまるでなかったかのような文章を発表した新渡戸稲造を厳しく批判するなど一本筋が通った人でもあった。

尾崎士郎の回想が堺の人柄をよく表している。
堺に初めて出会った時、尾崎は「「叔父さん」とでも呼んでみたくなったという」。後に堺が総選挙に出馬した際、応援演説をするために会場に向かったが、すでに解散を命じられていて大混乱に陥っていた。警官に抗議をしたり聴衆に呼びかける人がいる中、「演壇に突っ立って黙って会場を見回している堺の顔ほど、沈痛な光を帯びているものはなかった」(p.348)。
また宮地嘉六は「堺さんに尾行する官憲の人で、いつしか堺さんの人物にひきつけられて個人的には敬意をもたずにゐられない人は間々あつたとのことである。私にはそれがうなづける」(p.190)という証言を残しているという。

こういうのを読んでいると、こんな人が身近にいたら「先生、一生ついていきます!」なんて気にもなりそうなものだが、現実にはそうはいかなかった。
前述の通り袂を分かつことになる大杉栄や荒畑寒村にとっては、運動家としての堺はヌルく感じられ、よりラディカルな方向へと向かう。
そして高畠素之らとの間に内紛が生じ、売文社は分裂、解散という結末を迎えることになる。
吉野作造らが民本主義の推進のために黎明会を設立する。それに先立って老壮会が結成されている。堺は「社会主義者は民本主義に浸透していかなければならない、という立場」であったが、高畠らは「産業の国有を主張している点で老壮会は社会主義的だ」(p.366)として老壮会に加わり、国家社会主義へと向かうことになる。

ここらへんの流れというのはいつの時代でも変わらないのだよなぁという感じで、今にいたるまで似たようなことが繰り返されているのだろうと思えてしまう。

ちなみに売文社が設立され、その広告を見ての初めての客は「耶蘇教の女学校の卒業論文の代作」だったそうであります。
やはり人間というものは、そうそう変わるものではないようであります。


著者の黒岩比佐子さんは本書執筆中に膵臓がんであることが判明し、あとがきにて「堺利彦のようにいつもユーモアを忘れず、楽天囚人ならぬ”楽天患者”として生きることで、きっと乗り越えていけるだろうと信じている」と書かれていますが、残念ながら本書が遺作となってしまわれました。


真柄の回想もそのうち読んでみようかな。







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佐藤太郎(仮)

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