『レヴィ=ストロース伝』

ドニ・ベルトレ著 『レヴィ=ストロース伝』



2009年に101歳の誕生日を前に亡くなったレヴィ=ストロースの伝記。

原著は2003年刊行。レヴィ=ストロースは「核心部分については判断しないようにするが、生原稿を読めれば気がついた不正確な事実を指摘したい」ということで原稿に目を通し、「事実を明確にするか修正するかなりの数の指摘をした」(p.410)とのことである。
このような「本人公認伝記」というと、より正確と思う人もいる一方で「検閲」と感じる人もいるだろう。ただことレヴィ=ストロースに関しては、それほど神経質になる必要はないのかもしれない。

レヴィ=ストロースはいわゆる「フランス現代思想」の最重要人物の一人であるが、その他の面々(ラカン、フーコー、バルト、アルチュセール、デリダ等)と比べると、エキセントリックであったりミステリアスであったり、あるいはそのように見えるよう意図的に演出することがないように思える。
本書が多く依拠しているレヴィ=ストロース自身の『遠近の回想』を読んでいたせいもあるだろうが、本書を読んでも基本的にレヴィ=ストロースへの印象に全く変化はないし、おそらくは今後も「墓あばき」的な伝記的事実が発掘されるということはないのではないか。

レヴィ=ストロースの伝記にある程度なじんでいる人は本書によって新たな発見があるということはあまりないかもしれないが、それほどなじみがない人にとってはこまずはこの一冊ということになるのかもしれない。

もちろん、ご存知の通りレヴィ=ストロースの伝記的事実というのは平凡どころかなかなかにすごいものである。
若き哲学教師は早くに政治的挫折を味わい、民俗学へ傾斜しブラジルへ渡る。一端帰国し兵役につくがフランス軍はすぐにナチスドイツに降伏。ユダヤ人であるレヴィ=ストロースは当然極めて危険な状況にあったのだが、当人にその意識はなく、ヴィシーに出向いて教師に復職したいなどと願い出てもいる(「わたしにはいつも想像力が欠けていたのです」(p.118)」。その後なんとかフランスを脱出。曲折を経てニューヨークのニュー・スクールに辿り着き、ここで言語学者のローマン・ヤコブソンと親友にして盟友となり、彼との交友から「構造主義」が形成されていく。またここでは文化人類学者のアルフレッド・クローバー(アーシュラ・K・ル=グウィンの父)とも親交を結んでいる。そして戦後に書き終え、衝撃を与えることになる『親族の基本構造』の数学に関する補遺はアンドレ・ヴェイユによるものである。「構造主義」に対して支持と反発とが激しく分かれ、レヴィ=ストロースはいくつもの論争に巻き込まれるが、次第に彼はフランス知識人の代表として広く認識されていくようになる。

レヴィ=ストロースはひとたび論争となれば「自分がおそるべき論争家であることを紙面で証明」(p.203)したとされるように、容赦のない激しいやり方で応戦した。しかし彼はまた自らの「思想」というものには抑制的でもあった。「思想」と括弧をつけたが、後にブルデューがレヴィ=ストロースを批判した時、「レヴィ=ストロースは自分は哲学者ではないとくり返したが役に立たず、哲学者として非難されたのだった」(p.340)というところからもわかるように、「思想」を濫用することには慎重であり続けた。

ラカンとは一時は親密な関係であった。レヴィ=ストロースの離婚の際金銭が必要となり、貴重なコレクションの一部を手放したが、その一部はラカンが引き受けている(なお離婚などの私生活については本書ではフランス人らしく? 慎み深い)。しかしその関係は途絶え、エコール・ノルマルでのセミネール問題では、レヴィ=ストロースは「神秘主義的世界のセレモニーに変貌した「セミネール」は真摯な教育と両立しないと考え」、「「ラカンの名と自分の名を結びつけるジャーナリズムの悪癖」に抵抗した」(p.294)のであった。またフーコーには「「まえもって証明したいことがらを承知して、そのあとで論点を強める材料を探すかのように」主張するという印象をもっていた」(p.294)。さらにバルトに対しては、「S/Z』について賞賛するかのような手紙を皮肉で書いたのだが、バルトはそれを真に受けてしまったとしている。そしてアルチュセールの主著は読まなくてよかった、とも。

レヴィ=ストロースの長い後半生はやや保守化していったような印象を持つ人もいるかもしれないが、彼にとっては自らのあり方と一部の人が求めるものとはそもそも相容れなかったということなのかもしれない。


本書の翻訳が出るまで少々時間がかかったことについて、「訳者あとがき」でレヴィ=ストロースが元気なために「そんなに急いで訳出しなくてもいいのではないか」と思っており、「そんなに早くに亡くなるとは」とある部分には思わず「おいおい」と突っこみを入れてしまった(邦訳の年譜も「急逝」になっている)。翻訳が遅れた副産物として邦訳では原著刊行以後について著者の「追記」も収録されることになる。まあ、確かに僕もレヴィ=ストロースはなんだかいつまでも元気でいるような気はしてしまっていたのだが。

長生きした人について、あるいはもしあの人が長生きしたらと考えると不思議な感覚になるが、とりわけレヴィ=ストロースはそうだ(太宰治より年上!)。
レヴィ=ストロースは『野生の思考』でサルトルを厳しく批判した。サルトル(1905年生まれ)が「古く」、レヴィ=ストロースが「新しい」思想の担い手であると受け取った人も多かっただろうが、二人は同年代である。
サルトルと一時は盟友関係にあったのがメルロ=ポンティである。レヴィ=ストロースはこのメルロ=ポンティとサルトルのパートナーであったボーヴォワールとは同年生まれにしてアグレガションでは机を並べている。メルロ=ポンティは1961年に53歳で急逝するが、もしあと10年元気に仕事をしていれば哲学の歴史は今とはまた別のものであったかもしれないとも言われる。
60年代末になると今度はレヴィ=ストロースの西洋中心主義批判は西洋中心主義を単に裏返したものにすぎない(でいいんだっけ?)という批判がデリダからなされることになる。著者はポストモダンはお嫌いのようで、本書ではここらへんには触れられていないが。
レヴィ=ストロースとデリダは下手をすれば親子くらい歳が離れている。デリダも早逝というほどではなかったが、レヴィ=ストロースはそのデリダよりさらに5年長く生きることになろうとは、当時の人は想像もしなかっただろう。
こんなことを考えていると、ほんとに人間の運命というものはなんとも不可思議なものであります。

アメリカに渡ったレヴィ=ストロースは名前の表記の変更を求められる。だって英語読みすると「リーヴァイ・ストラウス」になってしまうから……てな部分があるのですが、今でも「現代思想入門」みたいな授業では、この話にからめた教師による親父ギャグが炸裂しているのだろうか。何回聞いたかわからんぞ。







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