「日本リベラル」をめぐる憂鬱

田中秀征著 『日本リベラルと石橋湛山』




『湛山回想』の感想で田中秀征に批判めいたことを書いたが、読まずにくさすというのも良くないので目を通してみた。

石橋湛山の総合的な評伝というよりは政治家としての湛山により焦点をあてている。
田中は湛山の側近だった石田博英の元で学んでいる。いわば孫弟子のようなものであり、「序」では「石橋先生」と呼び、「石橋湛山の存在は、戦後史の奇跡だと言ってもよい」という表現からもその心酔ぶりが窺える。

では田中(あるいはその周辺の政治家)は湛山の思想的後継者といえるのだろうか。本書を読んでいて、僕は90年代以降の「リベラル派」とされた政治家の限界というものを見せつけられたような気分になってしまった。


湛山といえば大正時代から植民地を捨て自由貿易を重視する「小日本主義」を唱えていた。戦中も筆を曲げることなく、気骨のあるジャーナリストとして知られた。政治家転身後は、消極的ながら再軍備を認める一方で反共路線とは一線を画す独自の外交姿勢でもならした。

この路線での湛山の先見の明は評価されるべきとは思うが、どうも田中の教訓の引き出し方が妙であるように思える。
湾岸戦争を例にしたこんな部分がある。「折から、イラクがクエートに侵攻するという紛れのない不正な事件が起き、国連の集団安全保障機能が息を吹き返した。湾岸戦争における国連が認知した多国籍軍の行動は、それ以後の安全保障体制の充実強化について大きな希望を与えたのである」(p.171)。

誰に「希望」を与えたのかが不明な文章だが、文脈からすると国連中心に世界の秩序を維持すべきと考えている人ということだろう。
国連を中心とした「集団安全保障」を評価するということが言いたいのだろうが、湾岸戦争直後ならともかく、本書刊行の2004年にもなって湾岸戦争が「希望を与えた」なんてことがよく書けるものだというのが正直なところである。

僕も湛山の外交に対する姿勢を基本的に肯定的に受け止めているが、現在湛山を評価する際に最も語られるべきはやはりその経済に対する考え方だろう。
意外と言ってはなんだが、田中は本書において、分量的には控えめながら湛山の経済政策のエッセンスをかなり掴んでいるようにも思える。

湛山は政治家に転じたことを次のように振り返っている。「私が、終戦直後、評論家から政治家になる決意をしたのには、二つの理由があった。その一つは、敗戦後の日本経済の建て直しには、昭和初頭の「金解禁問題」の経験を生かさねばならぬと確信したこと。第二は、大正八年から昭和六年にかけて一三年間にわたる「金解禁論争」によって、言論機関が政府の施策に及ぼす影響力には限界があることを痛感したからだ」。
これを受けて田中はこう書いている。「終戦によって、せっかく「新しい経済を建設する」絶好の機会が訪れたのに、またもや性懲りもなく、緊縮財政などによるデフレ政策が頭を持ち上げ始めた。彼はそのことに強い危機感を抱いて政界進出の決意を固めたのである」(p.212)。

「金解禁問題」についても、田中は浜口・井上コンビを英雄視するような俗論に惑わされていない。「結局、このときの金解禁の決断には、国の威信や選挙公約、あるいは井上準之助蔵相の功名心などの”経済外的要因”が大きな影響を与えている。もはや金解禁は、純粋な経済問題ではなくなってしまっていたのである。(中略)旧平価による金解禁の実施は既定路線となっており、そのために、内外の政治や経済の動向を希望的に観測して読み違えたのである」(p.223)。
そして「最悪の時点を選んで」金解禁をした浜口首相は貴族院でこう弁明した。「私は大体に於て今日の不景気の原因の大部分は国際的の原因であると存します。外部から参ります所の不景気に付いては、我々の支配する範囲外であります。力及ばぬのであります」
田中はこれでは、「すなわち、不景気は金解禁によるものではなく、自分の責任ではないということになる」(p.224)と批判している。

全くその通りだと思う。しかし、「湛山はこれに対しても完膚なきまでに論破」したのであるが、残念ながらこの教訓は生かさることはなかったようだ。現在でも「金解禁」を「消費税」におきかえればそっくりそのままの政治状況が繰り広げられている。そしてデフレも円高も人口減少や中国の台頭やリーマン・ショックやユーロ危機のせいであって、政策的失敗ではなく不可抗力なのだという言い訳がまかりとおっている。

田中はさらに「石橋財政演説」に触れてこうも書いている。「要するに、湛山が言いたいことは、多少のインフレに大あわてして、それを抑えることに躍起となり、その結果、失業者が街に溢れ、工場が閉鎖されて物資が減少することになったら元も子もない。愚の骨頂である。それはすでに金解禁当時に痛いほど学んだはずだ」(p.216)。

こう引用していると「田中秀征よくわかってんじゃん、素晴らしい」と思いたくなってくるが、はたしてそうであろうか。
これは僕が不勉強なだけかもしれないが、日本が再びデフレに陥って以降、田中が積極的にデフレ脱却を訴えていたという印象はまるでない。むしろ「リフレ派」とされる人の多くが否定的に評価していた「構造改革」路線を支持していたし、このような姿勢は現在進行形であるように思える。
これは今に始まったことではないだろう。田中は第一次橋本内閣で経企庁長官を努めている。現職の大臣ながら落選し任を離れるが、では田中がこの職にとどまっていたら第二次橋本内閣が97年に行った、景気が上がりきらない中での消費増税に反対したかはかなり疑問に思える。
後の小泉政権は突然変異として登場したというより、行革を前面に掲げた橋本政権の亜種と考えるべきであろうし、橋本政権の内部にいた田中が小泉政権に好意的だったのも当然のことだったのかもしれない。

本書を読みながら、かつての「さきがけ」のお仲間たちに湛山の経済政策でも紹介してやれと思ったりもしたのだが、本書での不吉な文章からすると、どうも田中は湛山の経済政策はすっかり過去のものとでも思っているのではないだろうか。
「また、経済を考えるとき、資源の節約や環境の制約などを考慮しなければならない現状では、湛山やケインズの理論がそのまま通用するわけではない。もし湛山が存命中であれば、自ら率先して、新しい経済思想を切り開く役割を果たそうとするだろう」(p.221)
時代は変わる。「湛山やケインズの理論がそのまま通用する」ことはないだろう。しかしそこから学び取れるものは少なくないはずだ。それこそが今湛山を読み直すべき第一の理由となるだろう。しかし田中の考える「新しい経済思想」とやらは何なのだろうか。それを考えると頭が痛くなってくる。

湛山は財政演説でこう語った。「フル・エンプロイメント(完全雇用)の実現こそは、我々が目がけねばならなぬ財政経済政策の最大の目標と考えているしだいである。(中略)国家財政の目的、ことに今日のわが国のごとき場合のそれは、なによりもまず第一に、国民に業を与え、産業を復興し、いわゆるフル・エンプロイメントを目指して国民経済を推進することにあると考える」(p.213)
現在の政治家からもこんな演説を聞いてみたいものである。湛山の真髄はここにあるのだろう。
もっとも本書の締めとして「行政改革」を持ってくる田中からしてみると(繰り返しになるが本書の刊行が2004年であることに注意)、完全雇用など行革に比べれば優先順位が低いということなのかもしれない……というのは意地の悪すぎる見方なのだろうか。


本書において一番頭を抱えてしまったのは次の箇所だ。
「憲法改正草案要綱」を読んだ湛山は次のように書いている。「国民の権利及義務の章に於て権利の擁護には十全を期した観があるが、義務を掲げることの至って少なきことは、記者の甚だ不満とする所である」。
現在これを読むと、やはり湛山にも限界はあったのだなあという感じなのだが、田中の感想は違うようだ。「数多くの日本国憲法に関する発言の中でもこれは秀逸のもの」(p.176)って……、大丈夫か、おい。

本書を読むと「湛山すげ~」ってなことも実感できる一方で、現在リベラル派とされる政治家のあまりに情けない状況というものまで見せつけられているようで、なんとも複雑な気分にさせられる一冊でありました。





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佐藤太郎(仮)

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